踏切の音が聞こえる
駅まで僅か三分の所にある三階建てのアパートに引っ越した。
何故か家賃が相場よりも少し安い1DKの部屋は住んでみてすぐに、その理由がわかった。
駅の踏切の音が凄く良く響くのだ。
とはいえ、平日の昼間は仕事に出かけているし、家に帰ってきても窓を閉め切っていればそこまで気にならない。
そう思っていたのだが、住み始めて一ヶ月も経たないうちに問題が発生した。
エアコンが故障したのである。
一応修理を頼んだのだが、部品の調達が一週間から十日ほどかかるとの事だった。
景気が良くなってるとニュースで言っているが、そんなことは全く実感できない昨今。
会社の業績不振でボーナスも出ない俺に新しいエアコンを買う余裕などある訳もない。
修理代の方が安いんだから、当然、俺はそっちを選択する。
という事ですっかりおなじみになった毎年恒例の猛暑を乗り切る為のアイテムは実家から持ってきた扇風機だけとなった。
まあ、アパートの三階のこの部屋は窓を開けておけば多少は風が抜けていく。
後は駅前で配っていたパチンコ店の宣伝用の団扇もあるし、エアコンの修理が済むまで我慢である。
◇
夕方、仕事を終えて帰宅し、晩御飯を済ませる。
後はスマホでもイジリながら、のんびりと過ごすだけだ。
カァン、カァン、カァン、カァン、カァン…………
せわしなくアレコレ家事をしていると気にならなかった音が一人静かに過ごしていると意識する様になった。
カァン、カァン、カァン、カァン、カァン…………
窓を開けているので音が良く聞こえる。
ふとスマホに表示されていた時間を見た。
もう既に午前一時を過ぎている。
ん? 何かおかしいぞ?
何でまだ踏切の音が鳴ってるんだ?
確か最寄り駅の終電の時間は午前零時五分のはずだ。
それなのに、どうしてこんな時間になって踏切の音が鳴る?
俺の頭に浮かんだ疑問、さらには好奇心が疼き始めた。
実は俺って、こういうオカルト系の話は大好物。
なので開いている窓から外を見てみた。
駅の踏切が窓から見えるからだ。
外は暗いが駅周辺は街灯があるので何も見えないという事はない。
件の踏切の方を見てみると、不思議な事に遮断機は開いたままだった。
というよりもランプも点滅しておらず、音も発していないのだ。
「一体どういう事なんだ?」
俺はもう一度、踏切周辺を注意深く観察してみた。
けれどやはり踏切は音を鳴らしておらず、駅構内も真っ暗である。
だったら音はどこからしているというのか?
ならばと今度は音の発生源を探ってみる事にした。
集中して聞いてみると音は駅の方ではなく、もっとアパートに近い場所から聞こえてくる。
駅の方から自分の使用している道を視線で辿りもってアパートまでの順路をなぞってみた。
すると途中にある交差点の一角に音源? を発見したのだ。
「なんだよ、アレは……?」
ソレは道と道の間を塞ぐようにして立っていた。
例えるならば黒い十字架だが、それよりも案山子の様に一本足で両手を広げているナニかと言った方が理解が早いかもしれない。
見ようによっては人に見えない事もないからだ。
だが俺はソレを見た瞬間に、絶対に人ではないと確信した。
街灯に照らされているソレは全身が黒かったのだ。
さらに異様なのが、頭部。
人間でいう眼の部分が交互にチカチカと赤く光っていた。
どう考えてもそんな存在が人である訳がない。
手に持っていたスマホに気が付き、俺はカメラを準備した。
震えながらレンズを向けた瞬間、ソレの頭が動き完全に俺の方を見たのである。
「――っ!」
パニックになった俺は、スマホを部屋の床に落としてしまった。
慌てて拾い上げ再び道路を見た時、既にソイツは姿を消してどこにもいなかった。
◇◇◇
ソイツを見てから数日、生活に特に何も変化はない。
一応、会社の同僚に話をしたのだが全く信じてもらえず、俺は他人に話すのを諦めた。
そもそもアレは何であの場所に現れたのか、その理由がさっぱり分からない。
一応あの交差点に行ってみたが、特に何の痕跡も残っておらず、本当に現実だったのだろうか?
今では寝ぼけた俺の見た夢かも、とさえ思えっている有り様である。
「あの日の夜に起こった事だと、近所でボヤ騒ぎがあったらしいけど……そんなの踏切には関係ない話だよなぁ」
仕事帰り、スーパーに寄って買い物をして家路についていた時だった。
どこからともなく踏切の音が聞こえてきたのだ。
――カァン、カァン、カァン、カァン、カァン…………
「ここって駅から離れてるのに、結構音が聞こえるもんだな」
少し気落ちしていた俺は注意が散漫になっていて、その異常にすぐに気が付けなかった。
スーパーの駐車場の入り口を出て左に行けば俺の住むアパート。
だから俺は左へ向かおうとして、安全確認のため右側を見た。
そこで、道路の向こう側にアレがいるのにようやく気が付いたんだ。
カァン、カァン、カァン、カァン、カァン……
目の箇所を交互に赤く光らせる黒い案山子。
あの晩、俺が見た存在が警報を鳴らしながら立っている。
「マジか……」
今度こそ、その姿をカメラに収めようとしてスマホを取り出す。
すると俺がカメラを向けた次の瞬間、轟音が鳴り響いた。
音の方に注目すると、黒い案山子のいる場所のさらに向こう側にある建物の一室が派手に燃えていた。
「あれって火事か?」
しばらくそれを遠巻きに見ていた俺が我を取り戻した時、既に黒い案山子の姿は消えていた。
ほぼ同時に消防車のサイレン、鐘の音があちこちから聞こえてくる。
前回もアイツの現れた先でボヤ騒ぎがあった。
そして今回はあの火事。
「つまり、アイツは火にまつわる事故を知らせる存在てことか?」
踏切も消防車も鐘の音を鳴らしている。
そういう共通点から、アレは火災を警告する存在なのだとそう考えた。
もちろん俺は火事の写真をスマホで撮るのを忘れなかった。
◇◇◇
それから十日ほどが経過した。
SNSに投稿した火事の写真は少しだけバズったが、すぐに鎮静化した。
「火事の写真だけではインパクトが弱いな」
エアコンの修理も無事に終わり、再び快適に過ごせるようになった俺は買い物に出かける途中だ。
のんびり歩きながら道路を横断していたその最中だった。
いきなり近くであの踏切の警報音が鳴り出したのである。
聞き覚えのある音に俺はすぐにスマホを取り出した。
今度こそ、あの黒い案山子を撮影する為に。
アイツを何とかSNSにアップしてやろうと思って、再び現れるのを待っていたのだ。
周辺を見回すと黒い案山子は、俺の背後、歩道の真ん中辺りに立っていた。
キッチリと写真を撮り、近くで起こるだろう火事の場所も軽く目星を付けておく。
まずは、けたたましい警報音を鳴らし続けるソレに対しスマホを向けた。
だがそこで俺は、レンズ越しに見えたその案山子に対して違和感を覚えたのだ。
これまでと何かが違う、と。
原因は何かと考えを巡らせ、すぐに分かった。
眼が光っていなかったのである。
いつもは左右の眼が交互に赤く光っているのに……
ゾッとした。
俺は何か重大な勘違いをしているのではないか?
そう考えたと同時に左側から猛スピードで何かが近づいてきた事に気が付き――
とんでもない衝撃を受け、身体が宙を舞っていた。
妙な感覚だった。
周囲の景色がゆっくりと流れる中、思考だけはそのままの状態だったから。
どうしてこうなった?
あれは火事を知らせるんじゃないのか?
俺は最初、あの黒い案山子を踏切の様だと思ったはずではなかったか?
そもそも踏切は何の為に存在しているのか?
踏切は音が鳴っている間、これ以上先に進むと危険であると、こちらに警告しているのだ。
今まで俺がいた場所は全て黒い案山子の手前側、つまり表が見える側だった。
だから赤色の眼が見えていたのだ。
だけど今回は違った。
案山子に表と裏があるのならば、俺は案山子の背中を見ていた事になる。
それはつまり、実際の状況に例えるなら俺は踏切の中にいたという事だ。
そんな所でボーっと突っ立っていれば、どうなるか?
誰でも知っている……コイツはここから先は危険だと教えてくれていたのに……
地面に叩きつけられた俺は気を失った。
ピーポー、ピーポー、ピーポー……
「うぅ、あぁ……」
次に俺が意識を取り戻した時、いくつかの音が聞こえていた。
救急車のサイレン、誰かの怒号、やがてそれは止まり、俺は運ばれていく。
誰かが、俺に語りかけてきている。
でも何を言っているか分からない。
サイレンの音はいつの間にか、踏切の音に代わっていた。
カァン、カァン、カァン、カァン、カァン…………
微かに見える景色の中、黒い案山子の横を通り抜けたのが視界に映り、俺はそっと目を閉じた。
オチの解釈は読者の方の想像にお任せします。