盲目的な愛
勤務する大学病院に出勤する前に私は大学近くの公園で人を待っていた。
ベンチに腰掛け公園の前のコンビニで購入してきた熱いコーヒーを飲む。
コーヒーを飲み一息ついて公園の中を見渡した私の目に、帽子を深々と被った男が近寄って来るのが映った。
男は私の顔を見て隣に腰を降ろしてから声をかけて来る。
「久しぶりだね」
「貴方、まだあの研究を続けているの?」
「当然の事を聞かないでくれ」
彼は私の親友の旦那。
「そう………………それで私に何の用なの?」
「実は君に頼みたい事があってね」
そう言いながら1枚のレポート用紙を手渡して来る。
そのレポート用紙に書かれていたのは薬のリスト、中には個人で所有する事を禁じられている物も含まれていた。
「揃えて貰えないだろうか?」
「私に犯罪の片棒を担げって言うの?」
「頼む!
君なら私がどんなに妻と娘を愛しているか分かっている筈だ。
それらの薬があれば、研究が前進するのだ」
私はレポート用紙を眺めながら返事を返す。
「手に入りやすい物から用意するわ」
「ありがたい。
礼と言っては何だが、君に此れをあげるよ」
彼は礼の言葉を口にし、緑色の粉末で満たされた小瓶とUSBを手渡して来る。
「何これ?」
「研究の成果といったところかな」
「成果?」
「詳しい事は中を見てくれ。
ただし、君の自宅でのみ見て欲しい」
「ヤバい物なの?」
「見方によってはね」
「分かったわ」
「薬が揃ったら電話を貰えるかい? 取りに来るから」
「了解」
彼は私の返事を聞くと周りを見渡し、彼を見ている者がいないか確認してから公園の出入り口に向けてそそくさと歩み去る。
昔は人の目なんて気にする人じゃ無かったのに、禁断の研究に身を投じて大学病院を追われてからは人の目を気にする人になってしまった。
冷えたコーヒーを飲み干して小瓶とUSBを鞄に入れ大学病院に歩む。
帰宅し夕食を摂ったあと鞄から小瓶とUSBを取りだしUSBをパソコンに差し込む。
パソコンに映し出された実験映像は驚愕するものだった。
皮膚癌を全身に移植されていたり身体の大部分に火傷を負わされていたり、身体を半分に切断されていたりするラット達。
これらの死ぬ寸前のラット達に緑色の粉末が投与される。
すると。
癌の進行がストップし日の経過と共に癌細胞が縮小して行く様子。
大火傷を負わされたラットの火傷の面積が日の経過と共に縮小し、新しい皮膚に変わって行く様子。
1番驚愕する映像は、半分に切断されたラットの切断面から肉や骨や血管などあらゆる細胞が盛り上がり、新しい身体が形成されて行く様子だった。
これらのラット達は粉末を投与されてから2年程で癌細胞が移植されていたり大火傷を負わされていたりした痕跡が無くなり、半分に切断されていたラットも元気に走り回っている。
私は夜が更けるのも忘れ、パソコンの画面に映し出される実験を見続けた。
2週間後リストの薬を全て揃えた私は彼に電話を掛け、薬を取りに来た彼を問い質す。
「あの映像は本当の事なの?
本当に実験に使用されたラット達は全て完治したの?」
「そうとも、ま、但しが付くけどね」
「どういう事?」
「完治したラット達は元気に走り回るのだが、完治してから丁度1ヵ月後に突然心臓麻痺を起こして死ぬ」
「全部が?」
「そう全部が」
「ラット以外でも実験したの?」
「否」
「何故?」
「ラット以外の実験動物を手に入れる伝手が無いのだよ、今の私には」
「じゃあこの粉末を私に渡したのは、薬だけで無く実験動物を手に入れるため?」
「それもある」
「それもって事は、それ以外にもあるって事?」
「ああ、人体実験を行いたい」
「チョット待って、この不完全な物を人に投与するつもり?」
「そうだろうか?
末期癌などで余命が1ヵ月も無い人が、25ヵ月行き続ける事が出来るのだよ。
それに私はその人たちの脳を見たい」
「脳を? どういう事?」
「実験に使用したラットを解剖すると、全てのラットの脳が緑色に変色していた」
「緑色に? 全部が?」
「そうだ。
その緑色に変色するメカニズムを解明できれば、私の研究も前進する筈なのだ。
頼む!
大学病院に入院している末期症状を見せている患者達に、この粉末を1回服用させるだけで良いのだ」
「え? 1回?」
「ああ、ラットの場合、最初に1回0.01グラム投与すればあとは経過を観察するだけだった。
量を増やしたり複数回投与しても結果は同じで、完治する日数が短くはならなかった」
「分かった、やってみる。
今ちょうど製薬メーカーからの依頼で、新薬の効能試験を行っているからプラシーボに混ぜて投与してみるわ」
私は彼の頼みを断る事は出来ない。
20年前親友と彼を取り合い負けた。
2人が結ばれてから8年後、交通事故で親友と2人の間に生まれた娘が亡くなる。
不謹慎だがこれで彼を私のものに出来ると喜んだ。
でも彼は、親友と娘の遺体を冷凍保存して生き返らせようと禁断の研究に身を投じてしまう。
それでも、何時か、何時の日か、彼が私の愛を受け入れてくれる事を願う。
だから緑色の粉末を投与された患者達が心臓麻痺で亡くなったあと、死亡宣告されているのにも係わらず起き上がり生者の肉を求めて徘徊する事を知っていたとしても、私は承諾の返事を返していただろう。