「 “思い ”という名の船 ループストライカー」
マーナ、ルーファ、ロタから喧嘩を止められ、自分たちの部屋に戻されたミカと志門。暫くしてマーナから次元探査計画の続行を告げる文書がミカの元へ届く。
しかし、それを見たミカを激怒し文書をぐしゃぐしゃにして捨てると、マーナに連絡を取り説明をするよう迫る。部屋を訪れたマーナから指令書の説明を聞くミカと志門……志門はこの計画に最初から入っており、ミカの命が寿命を迎えた後、船を目的地まで誘導しそこで船と共に爆散する事になっていた。お互いの葛藤の中、二人は寄り添う―――
マーナは志門の両親、来門と志津香の元を訪れていた。
彼女は密かに来門に対し好意を抱くようになっていた。二人が会話をしている中、ミカと志門が表れる。
真剣な面持ちで来門に迫るミカと志門。彼らの決意をマーナは交感器クロスライザーで理解していた。
自分たちの思いを両親に打ち明けた後、ミカと志門は簡略な結婚式を行った。
その後で、マーナは補佐官でもあり霊子空間接続技官のルーファを呼び志門に宇宙の構造や時間、空間、霊子次元について説明を行った。
マーナ、ミカ、志門は修復を終えた船、ループストライカー84号機へ乗り込み、簡単な訓練を行う。
訓練を終えて戻って来たマーナは志門の両親に対し、志門をドバルカインのために与えてくれるよう懇願する。其々の思いの中でマーナの懇願は了承される。
マーナは全員に対し、この世界の行く末を語った。それは今の世界が、新しく出来る世界に取って代わられ無に帰す、ということだった。
第8章 「 “思い ”という名の船 ループストライカー」
ミカは志門の格闘の時に出来た傷を確かめていた。一応正確に手加減していたため身体機能には異常は無かった。
「志門はあの時、私に勝てると思ったのか?」ミカは志門の肩と腕を確かめながら尋ねた。
「イテッ‼ 思う暇もなかったよ。ただ勝たないと…アダッ‼ ミカが居なくなるから…」
「…よし、問題ない。急所は正確に外して打ったからな。志門の気持ちは凄く嬉しいよ、私だって………本当は志門と一緒に居たい―――だけど志門……」ミカは俯いた。
「人にとって思い通りになることが本当に正しいことなんだろうか………志門は聖典の福音書を読んだことがあるか? 『ヤソ』、そちらの言葉ではイエスキリスト、又はキュライシストジーザスと呼ばれたその人が贖いになることに対して一人の使徒が激しく諌め始めたんだ―――[命を大切にして下さい、あなたは決してそのような事にならない]、とね。
その後『ヤソ』が使徒に対して言われたのが次の言葉だ――[後ろへ下がれっ‼ ハァシュタン]、そちらではサタンのことだ。更に[あなたの考えは人間の考えだ]、そう使徒に言われた。
もし『ヤソ』が使徒の諌めに従っていたら………どうなっていただろうか」
志門はそれが自分のことを遠まわしに言っている事を直ぐに察した。ミカの言う真実の言葉に既に返すべき言葉は出ず、その代わり言い様のない遣る瀬無さだけが残った。
それから暫く日を置いてミカにマグダレネから正式に計画続行の通達が行われた。
それは電子書面、所謂メールの様なものではなく紙に文字を書いた手紙が彼女に手渡された。ドバルカインの進んだ科学世界では何とも古風なやり方に思えたがこれが本来の人間的なあり方として今でも根付いているとミカは言った。
確かに聖典なども記憶媒体に入れてしまえば便利ではあるが今でも本の形態として持ち歩く者が多いという。
ミカは手紙を開いて暫く読み進めると衝撃を打ったように体を震わせ壁に走り通信システムを開いて叫んだ。
「本部、メサイヤのミカELLE・カナンだ、直ぐに私の部屋にチーフを転送してくれ――発作の療養中で志門には見られたくない⁈ 何だ、それはっ‼ フザケるなと伝えろっ、首に縄を付けてでも転送しろ、頼んだぞ」
ミカは体を震わせながら椅子に腰を降ろすと持っていた手紙をグシャグシャに丸めて部屋の隅に投げつけた。
パシッと軽い音をたて床に転がる手紙を志門は拾おうとしたがミカが制止した。
「拾うな、志門。チーフに説明させる」
程なくしてマグダレネが部屋に転送されてきた。マグダレネは俯いたままこの前暴言を吐いた事と暴力的な行為を行ったことを二人に謝罪した。
マグダレネが顔を上げる前にミカは彼女に詰寄り通達書の内容を問い質した。
「あの内容は一体何なんですか‼ 私はとても志門に説明できない………彼はこの前やっと大切な―――家族に会えたところなんだ! なのに―――」
マグダレネは二人を落ち着くかせるとこう言った。
「時間が無い、通達書に書かれていた事が全てだ。探査計画の中に志門君の存在も最初から含まれていたんだ」
マーナは療養の途中なのかカインの喋り方が未だ顔を出していた。
「あの………マグダレネさん、どういうことです?」志門は聞いた。
マグダレネはゆっくりではあるが志門が理解できるように今までの事象の一つ一つの理由を説明し最終的に行わなければならない事を告げた。
「 “無 ”のパラレルサイトに辿り着くまでミカの意識が………聞いていると思うがミカのメサイアとしての寿命が目的地に着くまで保たない。
志門君、君がミカを―――ループストライカーをそこまで運んで船を爆散させてもらいたい」
「‼」
志門は黙ったまま固まった。
突然に言い渡された自分の死の確定に対してどの様な感情で応じて良いのか分からず無表情のままパニックに陥っていた。
ミカもマグダレネも志門の気持ちがどんな状態か分かっていた。
マグダレネは部屋を出る前に志門を自分に引き寄せ胸元に抱き込むとこう呟いた。
「私は君のお父さんに会って『家族』というものを理解しているつもりだ。8年間も辛い思いをさせた上に私は―――すまない…」
部屋は再びミカと志門の二人きりとなった。
「志門、断ってもいいんだっ、私は…独りでいい」
志門は無表情なまま口だけを動かしこう言った。
「いい訳ない…気持ちはそう伝わっている。誰だって死ぬのが…………いい訳ないんだ」
「志門、私は計画の当事者だ。私なんかの為に死ぬことはない‼」
志門はゆっくりと顔を上げ何かを思い出したかのように天井を仰いだ。
「リッちゃんが亡くなって何ヶ月も経っていない……こんなことを言うと不謹慎かも知れない――けど、僕は今、自分の気持ちに正直でいたい………ミカが家に来てから僕の気持ちはずっと………ずっと君を放って置けなかった…………本当は自分でも分かっていたんだ…………だから―――」
志門はミカの方を向いた。
「独りでいいなんて………私なんかの為になんて言わないでくれ………頼むから」
志門の目から涙が溢れ頬を伝った。ミカは感情を抑えきれなくなり駆け寄ると志門に抱きつき声を上げた。
「志門‼ 志門、志門……」
マグダレネはミカの部屋を出たあと来門を訪ねていた。部屋では来門とマグダレネが楽しく話をしていたが志津香は少し離れて二人の会話を聞いていた。
志津香にしてみれば夫の来門がそれで楽しいなら仕方がないと思うようになっていた。そう思うようになった理由は息子の志門との再会とその成長を見て安心したからかも知れない。志津香は密かにこう思うようになった。
(この五十が近いオジさんにも楽しみの一つくらいは許してあげようかしら…)
「………そうか、マーナが発作を起こすなんて私が此処に来て以来だな、あの時は志津香とやり合ってびっくりしたよ。志津香が空手の有段者じゃなかったらかなりの痛手を負っていたがね…」
「イヤだわ、来門さんたら。それは昔の話。私、貴方に会えて変わったのよ」
「確かにね、君は角がとれて本当に魅力的な女性になったよ。今回の発作は単なるストレスだ。君には大きな責任も有るし女性だけの社会で厳しく管理されている、そんな中で安らぐことが出来なかったんだ。
マーナ、私で良ければいつでも話においで、私も楽しいんだよ」
「ありがとう、来門さん。また来るから―――」
マーナが部屋を出ようとした時、ミカと志門が直接転送で部屋の中に現れた。
志門は父の来門に近づくと真剣な表情で迫った。それを見たマーナは俯き片手で顔を覆うとこう言った。
「志門君、分かってるわ。でも………今がそのタイミングなの?」
「マグダレネさん、ミカには時間が無いんだ、そして僕にも―――」
ミカも来門と志津香に言った。
「お父さん、お母さん、志門の言うことを聞いてあげて下さい。急を要する話なんです」
来門はミカが自分たちを名前で呼ばず父母の形容で呼んだことに志門との仲に何かがあったことを察し志門が話をする前にミカに尋ねた。
「ミカさん………だったね。君のことは志門からよく聞いている、君は今私たちを名前で呼ばずに “お父さん、お母さん ”と言った。此処の人たちにそう呼ばれたのは初めてだよ…ストレートに聞くけど志門のこと、どう思っている」
「私の心は深く彼を慕っています」ミカは手を胸に当てて答えた。
「愛してるんだね」
「彼は私が地上に墜ちた時、献身的に助けてくれました。そして今、再び私の為に身をなげうとうとしてくれている……」
この辺りから来門は説明が必要と感じ志門に聞いた。
「志門、ミカさんは身をなげうつと言った。この言葉をそのまま受け取って――いいのだな。」
志門は黙って頷いた。
来門は暫く黙っていたが顔を上げると志門の方を向いて言った。
「志門、お前にとってミカさんが全てなんだな。よしっ、今から二人の結婚式を執り行おう」
これに対し志門とミカ、そしてマグダレネは躊躇なく同意した。ただ一人、志津香だけが騒いだ。
「あなた、そんな大事なこと簡単に決めていいの?」
「志門は身をなげうつと言ってるんだ。ミカさんも彼を深く愛している、それに二人には時間が無い―――君は人の話を真剣に聞いていたのかっ⁉」
来門は志津香を注意している内、次第に頭に血が上り始めた。
「おまえはそれでも本当にパイロットなのかっ‼」
そんな二人のやり取りを見ていたマグダレネは苛立ちが限界を超え再び切れた。
「止めんかっ、このクソがっ‼ 今からお前らが聞く事は厳しい現実なんだ―――いいか、志門とミカは間もなく居なくなるんだ、その前に早く結婚式をやらんかっ‼」
マグダレネの豹変に来門は我に返り志津香に謝った。
マグダレネは律法義委員のロタを部屋に呼び寄せると簡単にではあるが厳粛に志門とミカの結婚式を執り行った。
「志門は父母の元を離れ、ミカはカインを離れてアベル風早志門と一体となる……私たちの創造の遠源で在られる父『ヤーワァ』よ、私たちカインとアベルの長きに渡る確執にどうか終止符を打たれますように。
私たちの罪の贖い主であり貴方の最初の被造物である『ヤソ』の御名を通し嘆願いたします―――エイマァ…
カインでは何十世紀ぶりの結婚式なんだろう? それも長い間分たれていた二つの部族、がだ。これは大変意味のあることだ。そうは思わないか、マーナ」
「どうだろう、私は技術屋だからな…余興は終わりだ、本題に入るぞ。来門、志津香、私がこれから志門に話す事は大きな衝撃となるだろうが、君たちにとって本当に厳しいのはその後の話だ。
この説明にはかなり時間を要するが―――良いか?
ロタ、空間接続技官のルーファをここに呼んでくれ。ここにいる者に説明するには彼女の助けが必要だ……予定より早いが問題は無いだろう」
ロタは本部に連絡しルーファは直ぐに直接転送で部屋に現れた。
「説明に必要な者は揃ったな、では始めるぞ」とマグダレネ。
先ずルーファが部屋の空間にある図形を展開させた。それは誰がどう見てもリンゴかその類の果実の様だった。続けてルーファが図形の説明に入る。
「これは志門君が思っている通りリンゴの立体図形だが同時に私たちが居る宇宙の構造モデルでもある。ただ私たちの居る宇宙は閉じた無限の空間なので人間の目で確認できる様このリンゴの実のように開いたモデルを使っている。
私たちが物質として時間の経過を見る上で始まりと終わりが有るように思うが果実がヘタから下へ成長形成されるのではなく全体として形成され成長する―――つまり始まりと終わりが最初から存在した状態で成長している………時空間が膨張しているのがこの宇宙だ。
先ずリンゴを縦に切っていく線が幾つも有るとする、これが時間軸だ。そして時間の始まりと終わりがリンゴのヘタから始まって下部のくぼみで終わる。
私たちの居る時間軸は幾つもの時間軸の中の一本なんだ、この時間軸の集合をパラレルサイト、俗な言い方ではパラレルワールドとか平行世界と言われているものだ。理解できたかな―――君たち」
来門と志津香は以前にマグダレネから聞いていたようでフンフンと頷いていた。ルーファは続けて言った。
「私たちが居る、目に見える宇宙はこの果皮、皮の部分だ。この部分を原子世界、物質の宇宙…それに対して果肉の部分、果実そのものと果皮の形状を支えている部分が霊子世界と呼ばれているものだ。
この世界には私たちの物質宇宙のように時間とその方向性という概念が存在しない。私たちの居るこの果皮の部分はこの図形のように滑らかなループ形状になっている、これが時間と空間の広がりを表わしている。
それに対して果肉の部分の霊子世界は全て一体になっている。時間や空間の次元ではなく概念の次元なんだ」
志門はこの辺から難しさを覚えルーファに質問した。
「概念の次元ってなんですか?」
「簡単に言うと“思い ”の世界だよ。この部分が私たちの物質の表層面に顕れているんだ。質問は?」
「何で僕たちの住んでいる世界は幾つも時間軸が存在してるんですか」
「確かに―――霊子世界のように一つであっても良い訳なのだが理由は未だ分かっていない………これは飽くまでも推論だが人間の原罪に理由があるのかも知れない。或いは何かの可能性を示唆しているのか………ミカのループストライカーが地表近くでループオンした時に何も存在しない世界、今私たちの間では “無 ”のパラレルサイトと呼んでいるものが現出したんだ。
この図形で説明するとこの果皮の部分に皮が無いところが突然現れたんだ」
「白紙のノートみたいなもの、ですか?」と志門。
ルーファは志門の横に来ると肩に手を回してもう一方の手で図形を指して言った。図形の中のその部分は光を失って黒くなっていた。
「厳密にはノートの様に書き込むべき媒体さえ無いんだ。このモデルでは目で見て解りやすいように面積を与えているが実際には限りなく “無い ”というのがこの部分の正体だ。
志門君、君はミカから既に聞いていると思うがカインの剣を見たか? あの剣の刃先と同じなんだ」
「無いものが何故現出したと分かったんですか?」
「私たちの居る物質世界ではこのモデルの曲線、ループ形状によって時間の横方向の振動――――モデルの縦線、時間軸に対して水平方向への振れを時震と言うのだが時間軸が水平方向に揺らぐと実時間の進み方に僅かながら誤差が生じるんだ。
この誤差が修正されなければ新しく “有 ”の世界が現れたと言うことが出来る訳だ……モデルで考えれば新たな時間軸ができたということだが今回その誤差が修正されている、元に戻っているんだ――――確かに発生はしているが時間と質量においてゼロ…………つまり “無 ”が生じたんだ。
今までの探査計画でこの時間軸が増える傾向にあるのは確認している。だが “無 ”が生じたのは初めてだ。
今回ミカと志門が行く所がここだ、一応概略だがマーナ、こんなもので良いか?」
マグダレネはルーファの肩をポンと軽く叩いてこう言った。
「初心者に対しては上手い説明だ。何れにしても『ヤーワァ』の創造されたものは宇宙の構造を端的に示している、と言える。
さて、ここからが技術的、実際的に対応する部分だ。ところで志門君は霊の存在をミカから概略的に説明を受けていると思うがもう一度ここで説明をしておく。
私たち人間やあらゆる生き物、恒星や惑星、石ころ一個に至るまで “霊 ”が関わっていないものは無い。物質を支えその表層面に変化を与えている存在が “霊 ”と言える。
私たちドバルカインはその部分に早くから着目し独自の科学技術として発展させてきた。志門君、君が乗る船ループストライカーは私たちドバルカインの霊子科学の結晶なんだ」
それを聞いた来門は驚いて一歩前に出てこう言った。
「あれに志門が乗るのか⁉ マーナ、地上の人間には無理だ、とてもじゃないがコントロールできる代物じゃない。私は、志門…ここに来た時マグダレネさんにあの船のコックピットに案内してもらったことがあるが私たちには理解できない代物だ」
「難しい操縦システムや計器が並んでいるの?」と志門は返した。
マグダレネは志門の肩に手を添えると穏やかにではあるが確信に満ちた声で志門に言った。
「選ばれた者がこの船を動かすことが出来る。『ヤーワァ』の霊が君を助ける、ミカも船と共にある。これは理解できるかどうかじゃない、私たちと共に『ヤーワァ』に近づくための道を歩むかどうかなの―――全ては霊があなたを助けてくれる」
志門は深くは理解できなかったがそれでも前向きな気持ちで頷いた。
「じゃあ、ループストライカーの中に入って見ましょうか、志門君。ミカ、あなたも彼のパートナーとして来なさい」
気持ちが大分安定してきたのかマグダレネの言葉は最初に会った時のように優しくなっていた。
三人はループストライカーの格納庫へ飛んだ。前に見た船は光沢のない白から眩く輝くプラティナの鏡面のように変わっていた。船全体にエネルギーの波が走っているようで輝きが脈を打っているように見えた。
「では中へ案内するわ、少し待って」
マグダレネがそう言うと船の下の部分がエプロンの様に垂れ下がり三人を包み込むと船内に引き上げた。
志門は広く明るいコックピットをイメージしていたが実際は真っ暗で手を広げると両手が着くくらいの狭さだった。
マグダレネが「照明を」と言うとコックピット全体の壁面が適度に発光し室内を照らし出した。そしてそれを見た志門は驚いて声を発した。
そこにはコントロールするための何かどころか一切何もない壁だったからだ。
マグダレネは卓上になっている部分に置いてあるバイザーを取ると志門に渡した。
「ループストライカーのメインシステムとの交感はこのヘッドバイザーを通して行なう。必要なイメージや数値情報が直接このバイザーからクロスライザーを経由して伝えられるわ」
志門は何もない卓上の部分を手で撫でながらマグダレネに質問した。
「ここには視覚情報を与えるためのモニターやスクリーンは無いんですか?」
「壁面に投影することも出来るわ。あなたが手を置いているセンターコンソールに必要な情報を映し出すことも出来るの、私たちの居た部屋のシステムと同様に考えていいわ」
「一体どんな材質で出来ているんだ、この船は?」
志門が不思議がっているとミカがヘッドバイザーを志門から取るとこう言った。
「志門、このループストライカーは天然の鉱物資源で造られているんだ。そちらでいうプラティナ、金、銀、銅、鉄や錫といった天然の鉱物の純度を完全にしてから材料として使われる。」
「チタン合金やアルミ合金といった合金の治金技術は無いのか、ミカ」と志門は聞いた。
「人工的な細工を施した金属は霊子コントロールに於ける追随性がどうしても天然の物より劣ってしまうんだ。元々その物質にある霊的な状態が不安定になるからだ」
ミカはバイザーを着けるとマグダレネに起動の許可を求めた。
「リマスターのための補助エネルギーレベルは十分にある、メインシステムが未だいない状態だからリアクターの制御には気を付けて操縦しなさい」
「はいっ‼」
ミカはそう答えると前に向き直りコンソールの前に座った。同時に腰を下ろしている台が複雑な形状をしたシートへ変形してゆき、周りの壁も外の景色を映し出した。卓状の部分も光で映し出したようにメーターの様なものが幾つも並び出た。
「リアクター安定確認、霊子エネルギーの変換も順調…………エルシャナ、あなたはもう居ないけど……私は自分の船に帰ってきたんだ。
チーフテンマグダレネ、このまま少しだけ外へ出ていいですか?」
マグダレネは1ホーラ以内という条件で許可を出した。ミカは志門の方を向くと冗談っぽくこう言った。
「お客さん、どちらまで行きましょうか?」
志門もそれに合わせてこう答えた。
「地球の周りを適当に流して」
「分かりました、アベルの電測機器の無効化及び対視覚化を実施―――よしっ、行こう‼」
ループストライカーは眩い光を放つと格納庫から消え、いきなり月と地球の半分の位置に出現した。
船内では全く動揺が感じられず志門はまるで自宅に居てテレビの画面を見ているような感じを覚えた。
「ミカ、船は本当にこの位置に来てるの?」
「外へ出てみる? 冗談だ、危ないから―――志門、この船は空間を圧縮して突き進むような無理な方法でジャンプしている訳じゃない、かなり浅い深度で少しだけ霊子界に入ったんだ。
レビのチーフテン、ルーファから説明があったけど霊子界はどこから入っても一つ、距離や時間を選ばない、何処へでも現れることが出来る。私たちはこの航法をループストライクと呼んでいる」
「それで船がループストライカーと呼ばれているのか………でもそれなら時間旅行や別のパラレルサイトに飛ぶことも出来るんじゃないか?」
それを聞いてマグダレネが志門に答えた。
「同じ時間軸の中でさえそれはやってはいけないことなのよ、志門君。ミカがあなたの家に落ちて来たとき私たちは助けに行こうと思えばそれは出来た。
けど、8年という時差の理由を私たちは先ず考えなければならなかったの。
『ヤーワァ』の義に沿って今後起きる事象を予測しなければならなかった………レビの律法義委員、あなたとミカの結婚式を司会してくれたロタがその仕事をしているの。聖典の中に出てくる予言者ではないけどそれに近い予告者よ。
私たちの居る世界では守らなければならないルールがある…私たちドバルカインの古い伝承ではこう言われている
『――ある一人の人がいて一日の労働を終えて市場にパンを買いに行った、しかしその人はあいにく持ち合わせが無く一度家に戻り財布に十分なお金を入れて再び市場へ自分の欲しかったパンを買いに行った………だけどその人が本当に欲しかったパンは誰かが買って既に無くなっていた。そこには同じパンが並んでいたけどその人はどうしてもその時、その場所に置いていたパンでないとイヤだと言った』―――」
「まるで子供のダダこねだな。で、その後はどうなったんです?」
「暫くして『ヤーワァ』がその人の前に現れてこう言ったの。
『あなたが欲しているパンは然るべき時に与えられる、あなたが今求めているパンを追ってはならず、それを買った者を訪ねてもならない』
これは次元探査計画が始まった何十世紀も昔から語り継がれている伝承………暗に人間が時間や空間を勝手に操作してはならない事を示しているの」
「テレビとかでは平気でやっているけど………カイン以外の惑星の、異星人とかはやってないんですか?」
それを聞いたマグダレネは腕を組んで「フゥーッ」と深い溜息を着くといきなりミカの髪の毛をワシ掴みにして引き寄せるとこう怒鳴った。
「貴様っ、一体どんな説明をした。今すぐ修正しろ‼」
「イタタッ! チーフ、私の説明不足です。だから手を――」
それを見た志門はマグダレネに対し落ち着いて真剣且つ素直な気持ちで叫んだ。
「ゴメンなさいっ、マグダレネさん。僕の理解力がついて行かないんだ、だからミカを許してあげて―――お願いです」
もみ合うマグダレネとミカは動きを止めて志門を見入るとお互いに離れた。マグダレネは申し訳なさそうに少し背中を向けて俯くと両手で顔を覆った。
「私は恥ずかしい………そして君たちが……羨ましいよ…」と小さく呟いた。
それを尻目にミカは志門の腕を取って縋り着いてきた。
「嬉しい‼ 志門は私を庇ってくれたんだ。何て言ったらいいんだろう………でも、嬉しいよ」
志門はミカの手を自分の腕から外すと言った。
「ミカ、もう少しマグダレネさんのことを気にかけてあげて………気持ち伝わってるだろう」
マグダレネは顔を上げると志門とミカに言った。
「志門君、ミカ、私を気遣う必要はないのよ。貴方たちは選ばれた者同士、そして結婚もしている………ミカ、もっと彼に甘えていいのよ、志門君もミカにもっとストレートに優しくしてあげて、これは貴方たちの特権だから」
志門はマグダレネのことばに職責の重さと大人の女性を感じた。それは志門が今まで経験したことのない異性の感覚だった。そして志門は次のことばを無意識に言っていた。
「お姉さん…」
マグダレネは「んっ?」と首を傾げた。
「いや、何でもないです。それより説明を―――」と言って志門は話題の方向を元に戻した。
マグダレネはミカに説明をするよう指示した。
「志門、夢を壊すようで悪いがそれは悪い夢だ。志門は私たち以外に、別の星に人間が居て進んだ科学を持っていると思っている―――そうだろう?」
志門は頷いた。
「私たちカインも地球から追われた後、他の星に私たちと同じ知的生命体がいるのでは、と考えた事もある、だが次元探査計画が進んで行く内にその可能性は限りなくゼロだと分かったんだ。
元々、聖典には人間に関して地上以外の事を示す記述はない。もし『ヤーワァ』が他の星にも人間を置いたとしたらそれらの記述もあって然るべきだ、が無いんだ。このことから地球以外、私たちも含めてよその星には人間はいない、というのが大体の予想だった。そしてそれは事実だった」
「どうやって調べたんだ、こんな広大な宇宙を?」
ミカはスクリーンに向かって人間レベルの生命体を表示するように言うと映し出されていた地球が海を除いて大陸は緑色になった。
「特殊な霊子フィルターを通して生命がいるかどうか視覚でわかる。単細胞みたいなミクロレベルから大型生物のマクロレベルまでフィルターを調整すれば見ることが出来るんだ………単細胞といっても実際は非常に複雑なもので他の星ではそういった極小のものさえ発見できなかった。
生命は地球以外には存在しない、これが初期の次元探査計画で得られた結論なんだ」
志門は肩を落として呟いた。
「僕が今まで見たり聞いたりしてきたものは……一体何だったんだ。宇宙人、金星人やプレアデス星人、惑星評議会や銀河連邦は…」
「がっかりしているのか、志門。すまなかった……だけど―――」
ミカは寄り添って志門の胸に首をもたげた。
「どこを探したって志門は今ここにしか居ない。私の気持ちは切ないくらい志門を慕っている………志門は私の帰るところなんだ」
志門は手をミカの肩に回すと固く抱きしめた。それは今まで行方知れずになっていた大切なものが長い年月を経た後に見つかったかのような喜びだった。
「ミカ、僕の幸せも今ここにしかない、僕も君に帰ろう」
抱き合う二人の横でマグダレネは思った。
(カインとアベルの血が実を結ぼうとしている―――新しい世界が…)
部屋では来門と志津香、ルーファとロタが三人の帰りを待っていた。そこへやっとマグダレネが戻ってきた。
皆は周りに集まり彼女に志門のループストライカーに対する適性を聞いた。
「今日は簡単な説明と近くをドライブしただけ。志門君にも少しだけメサイヤをやってもらったけど素質はある、何よりもミカのサポートが大きなウエイトを占めている。志門君とミカの霊子波形のシンクロ率も今まで見てきた中では奇跡的だ。私はいけると見ている。暫くの間、志門君には訓練を受けてもらうが………」
マグダレネは来門と志津香の方を向くと深く頭を下げた。
「来門さん、志津香さん、改めてお二人にお願いします。どうか私たちドバルカインのために彼を、志門君を与えてください」
来門はマグダレネの頭を上げさせた。
「マーナ、私たちは志門が成長した姿を見ることが出来たし、ここの良い娘さんとも結婚した。私たちの親としての役目は今日終わったんだよ。後は本人次第だ、なあ志津香」
「あなたの言うことは格好付けているけど本音はどうなのかしらね。本当は孫の顔が見たかったとか言い出しそうだけど……」
「志津香、確かに地上に居ればそう思うかも知れない。しかし、ここの状況で志門が結婚式を挙げたのを見れただけでも十分じゃないかと―――私は思うんだがね」
志津香は来門に寄り添うと腕を掴んで俯いて涙を落とした。
「孫の顔が見たかったのは君の方なんだ、君の口がそう言った………済まない、志津香。分かっていた」
寄り添う来門と志津香を見てマグダレネは男性と女性が結婚して家族を営むことの心地よさを羨望の思いで感じていた
。
「ありがとう、来門さん、志津香さん。………今から別の話がありますがそれはお二人自身にとって厳しい話です。私も辛いけど聞かれますか?」
「マーナ、君自身も辛い……か。別れ話だな」
マグダレネは黙って頷くとルーファに説明を求めた。ルーファは二人の前に進み出ると深く頭を下げた。
「志門君は新しい時間軸の中へ入り私たちの前から完全に居なくなります。同時にこの時間軸を含む他のサイトも終わります。ミカと志門君が創る新しい時間軸に統合されるのです。
志門君が入る “無 ”のサイト、つまり世界は大きく広がって他の時間軸を圧縮、最終的に無に帰させます。平たく言うと無と実在という位相の反転が起きる訳です。
その際、あなた方の魂の基底部である『自我』は今回の事象の始まりの時に戻されます。そして此処に居た時の記憶はありません。気が付いた時には既に新しい世界にいるでしょう」
「君たちも同じじゃないのか?」と来門は言った。
傍らにいたロタが口を開いた。
「同じです、今在る私たちも終わります。終わらせるのが私たちの役目です」
「開く者がいれば閉じる者もいる、か……ところでマーナ、少し時間を取れるかい」
「はい」とマグダレネは答えた。
来門はマグダレネの肩に手を置き頭を近づけてと小さな声で話した。相槌を打つ二人を見ていた志津香には来門の気持ちは既に伝わっていた。振り向いた来門に志津香は次の様に告げた。
「あなた、いいわよ。最後の別れをマーナと一緒に楽しんでらっしゃい。マーナ、あなたも内の主人で良ければ心残りのないようにしなさいね」
「志津香……ありがとう」
そう一言残すと来門はマグダレネと一緒に部屋から消えた。その後、志津香は一言だけ呟いた。
「今は………夢の中……ってことだから…」