私の大悪魔さん
…………………
鼻を突く独特の悪臭。奴らが来た。
私は恐怖に耐えながらも周囲を観察する。
姿はまだ見えない。だが、じきに現れる。黒い煙を伴い、部屋にある鋭角と言う鋭角から押し寄せるんだ。私の……汚れた瞳の臭いを追って。私を不浄な角度の世界に引きずり込むために。
全ては伯父と私の瞳が原因だ。彼のオカルト趣味に付き合ったのが原因だった。あの頃の私は、ただそういう不思議なものが好きなだけで、宇宙の裏で、始原に行われた冒涜的行為などに興味があったわけじゃなかった。だが、伯父は違った。
私は3歳の頃に両親を失い、伯父に引き取られた。伯父はこの上なく優しい人だった。裕福で、何ひとつ不自由なことのない生活を送らせてくれた。私は親族とは言えど、ここまでして貰えるだなんて申し訳ないくらいだった。
だが、伯父が親切だった原因を知った時は絶望した。
伯父は世界を滅ぼしたかったのだ。私を利用して。この世の全てを滅ぼし、全く別の世界を作ろうとしていたのだ。そんな破滅的な夢物語を実現しようとしていたのだ。そして、両親を殺したのも伯父だった。
そんな伯父は死んだ。私が殺したのではない。不要となり、始末されたのだ。その死ぬ姿が、私を追っている奴らの猟犬に生きたまま貪られていく姿が、私の目に焼き付いたまま離れない。
「あ、あ、あの、ホルミスダスさん……」
私はそんな伯父の死にざまを思い出し、震える喉から何とか声を出そうとして惨めな姿になる。でも、怖いのだ。奴らが来るのが。奴らのおぞましい姿を見ることが。奴らが私に何をするつもりなのか分からないのが。ただただ怖かった。
何で私だけいつもこんな思いをしなければならないのだろう。全てを呪いたくなる。だが、そんなことをすれば伯父と同類だ。
「何だね、小さなレディー。私は見ての通り読書の最中なのだが」
私の声に、そう酒焼けした声が返って来た。
私の家にあった伯父の安楽椅子に我が物顔で腰かけ、近くのテーブルにはウィスキーの入ったボトルとグラスを置き、手には文庫本──ジャッカルの日という冒険小説だ──を眺めているのは50代ほどの老紳士だ。
目にはフレームレスの眼鏡をかけ、そのスラリとした長身の体はうちの高校の美術の先生が着ているのによく似た──恐らくはそれよりかなり上等な品だろうが──ブラウンのスリーピースのスーツに薄紅色のワイシャツ。
この人が私の味方。ただひとりだけの味方。ホルミスダスさん。大昔の聖人と同じ名前で、聖人とはまるで違う人。
「す、すいません。でも、奴らが来るんです。また、あいつらが……」
「そうかね。それはまた大変なことだ。ところで君に意見を聞きたいのだが、仮にシャルル・ド・ゴールが死んでいたらそれは世界にとって利益になったと思うかね? それとも悲惨なことになったと思うかね?」
この人はいつもこうだ。マイペースなのだ。どんな危機が迫っても、自分の調子を崩すことはない。それが今の自分の調子や足元など欠片もない私にとって、とても頼りがいがあった。
「シャルルさんが死ぬべきだったかどうかは分かりません。けど、誰かが殺されることは悲しいことだと思います。その、すいません。なんだかふわふわした意見で」
「構わないとも。実を言うと以前、シャルル・ド・ゴールを殺してくれとチリーという男に頼まれてね。そいつが大した対価を支払えなかったから断ったのだが、この小説を読むと死んだ方が面白かったように思えて来ただけなのだよ」
私も本は好きだ。昔から人見知りが激しく、友達が少なかった私は本ばかり読んで過ごしていた。意外と雑読するタイプで、様々な本を読んだ。
このホルミスダスさんも読書が趣味の方だった。今のように冒険小説を読んでいれば、私にはさっぱり分からない技術書を読んでいたりする。ちょっと閉口することに私の目の前でも平気で、その……官能小説を読んで感想を聞いてきたりするのが困るけれど。
だから、ホルミスダスさんとは気が合った。私が“呼べた”のが彼でよかった。そう心から思う。
──刹那、あの臭いが濃くなり、向かいの部屋の隅から僅かに黒い煙が湧きだした。
「う、あ、ああ……。来た……。奴らが来た……。ホルミスダスさん、ホルミスダスさん! 助けて! 助けてください! あ、うう……!」
来た! 黒煙と悪臭は奴らの猟犬が現れる前兆だ!
私はずっと恐れていた。この世に存在する全ての鋭角から出現する奴らの手先である猟犬の追っ手を。あのおぞましい怪物を。
「はあ。あまり老体を鞭打たないでくれたまえ、小さなレディー。こう見えても結構な歳なのだ。君のように若々しくはない。腰を上げるだけでも一苦労さ」
ホルミスダスさんはそう告げながら、文庫本を机に置き、グラスのウィスキーを飲み干す。
「さて、と。私の小さなレディー。泣くことはない。恐れることはない。私に任せておけばいい。そういう契約だ。さあ、その涙を拭きたまえよ。女性の涙というのは年寄りの心には些か辛いものなのだ」
「す、すいません」
ホルミスダスさんがハンカチを差し出すのに、私は初めて自分が泣いていたことに気づいた。恐怖余り何も感じていなかった。
「さあ。来るがいい。不浄な時間の住民たち」
ホルミスダスさんはもはやもうもうとわき上がる煙に向けてそう告げた。
『ああ。また貴様か。よくよく邪魔をしてくれるな』
しわがれた声が煙の向こうから響く。死人が声を発すればこんな声なのだろう。
「はて? 邪魔をする? いつから君らの不浄な時間の住民が、この世界の人間を管理するようになったというのだね? 遥か昔、創世記より昔からこの世界の人間たちは私たちの玩具なのだよ」
『ほざけ、古い神話の敗残兵どもめ。貴様らの時代は終わりだ。大人しく去れ』
大げさに肩を竦めるホルミスダスさんに、しわがれた声がそう返した。怒りが籠っているのが分かる。
『ホルミスダス。大悪魔ホルミスダス。我々の娘を渡せ。その娘を渡せば、貴様には手出しはせん。それとも娘ひとりの渡せる対価で、我々を敵に回すつもりか。損得勘定に厳しい悪魔らしからぬ判断だぞ?』
しわがれた声がそう宣告する。
そう、悪魔だ。ホルミスダスさんは親切で、読書家で、冗談が好きな人だけど、人間じゃない。この世界に生きるものじゃない。悪魔なのだ。
私が伯父の残した膨大な量の魔導書を使って召喚した悪魔。私にとっての守護天使。
「笑わせてくれる。損得勘定に厳しいからこそ、彼女と契約したのだ。君たちは欲しいんだろう? 彼女の瞳が。あらゆる邪神を葬り去れる瞳が。君たちの憎む歪曲した時間の主たる門にして鍵を葬り去れる瞳が欲しくて、欲しくてたまらない。笑えるな」
ホルミスダスさんはくすくすと笑ってそう返した。
そうだ。奴らの狙いは私の目だ。
世界は3つ存在する。
ひとつは歪曲した時間の世界。アインシュタインの言葉に由来する私たちが暮らしている世界のこと。特筆するべきことはない普通の──私たちが知っている物理法則を持った世界であり、私たちはこの世界で繁栄している。そして、伯父はそれを心から憎んだ。
もう、ひとつは鋭い角度の世界。この歪曲した時間の傍流に位置する世界で全ての不浄が生まれる世界。全ての物理法則は狂い、その世界の住民たちは歪曲した時間の世界の住民たちを憎んでいる。そして、伯父は彼らを崇拝し、最後には切り捨てられた。
最後は何の角度も歪曲も存在しない世界。無の世界。全ての生命が死後に行きつく世界であり、地獄とも天国とも呼ばれている。どちらの世界の住民も生きたままそれを認知するのは不可能だ。そして、ホルミスダスさんはそこからやって来た。
前述したように鋭い角度の世界の住民たちは歪曲した時間の世界を憎んでいる。その破滅を望んでいる。
そして、それを成し遂げられるのが私だった。
私の瞳は普通のものではない、と伯父の手記には書き残されていた。私たちの家系のどこかにとある神──とはいっても邪神の類であると手記にはあった──の血が混じり、私の代でその血が覚醒した、と。
私の瞳を使えば、その不死身と思われる神を殺し、歪曲した時間の世界を破滅させることができる。それを知った伯父は私の両親を事故死に見せかけて殺害し、私の瞳の力を奪おうとした。
私の力の覚醒はまだ半端で16歳の誕生日を向かるまで待たねばならないと、伯父は書き残していた。伯父が鋭い角度の住民に用済みとして始末されたのが、私が13歳と7ヶ月のときである。
『迎えに来たぞ。我らが愛しい娘』
しわがれた声が引き裂かれ、臓物を啜り取られた伯父の死体を前にそう告げた。
『我々と共に来るのだ。我々はお前を愛そう。そして、お前は滅ぼすのだ。この歪曲した時間を。忌々しい門にして鍵の世界を。殺せ。門にして鍵を。そうすれば私はお前を妃として私の宮廷に迎え入れようではないか……』
黒煙の中からやせ細った獣の腕が私を掴もうとした。
何を叫んだかは忘れた。兎に角、私は叫び、伯父の書斎に逃げ込んだ。
何を考えたのだろうか。警察に電話しても助からないことは分かっていた。だからと言って魔導書に手を伸ばすとは、我ながら少しおかしかったのではないかと思う。でも、それが最善の選択だった。
「ち、地平の世界に繋がる魔導書……!」
それはかつて伯父が私に悪魔を呼べる魔導書として教えてくれたものだ。
私はテーブルの机を開いてカッターナイフでザクリと自分の腕を斬り、その血を使って魔法陣を書いた。その間にも書斎の扉からは、あの悪臭を伴う黒い煙がじわじわと中に入り込み始めていた。
それから必死なって詠唱した。ラテン語の正確な発音など、古代シュメール語の正確な発音など、フェニキア語の正確な発音など知らなかったが、本能のままに、声が枯れ切れるまで叫んだ。
「はて。随分と荒っぽい召喚だな」
男性の声が響いたのはそんなときだった。
あの時私に召喚されたホルミスダスさんはちょっと不機嫌そうな顔をしていて、シガーカッターで葉巻を切っているところだった。
「あ、あなたが悪魔……ですか?」
悪魔と言うからには山羊の頭を持った毛むくじゃらの怪物が呼び出されるものだとばかり思っていた私はそんな間抜けな質問をホルミスダスさんにした。
「ピザの宅配員にでも見えるかね? あるいは保険の営業マンにでも?」
小さく笑ってホルミスダスさんは泣きべそをかいている私の前に屈みこんだ。
「悪魔も悪魔。大悪魔だとも。その名はホルミスダス。まあ、呼び出されるのは数世紀ぶりだ。最近は悪魔よりも科学の方が信頼を得ているからね。暇で暇でたまらないよ。で、用事は何かね?」
「た、助けて欲しいんです! か、怪物が、怪物が私を……!」
私がそう告げる時には既に書斎の扉の前は黒煙に覆われていた。
「怪物がというが私も一応は怪物にカテゴライズされるものなのだが」
「悪魔は対価を差し出せば助けてくれるって、そう聞いて……」
私の言葉にホルミスダスさんは困ったような表情を浮かべ、私は縋った。もう助かる手段はホルミスダスさんに頼るしかなかったのだ。
「なるほど。で、怪物とやらは不浄な時間の連中か。奴らのしつこさは君のような乙女には辛かろうね。それに見た目も醜悪だ。酒と葉巻が不味くなるから私も好きではないね。奴らはもう少し自分たちの体臭に気を使うべきだ」
ホルミスダスさんはそう告げ、葉巻に火をつけた。
「では、交渉に入ろう。私は君を不浄な時間の連中から君を助ける。私は久しぶりの召喚で機嫌がいいからこの一度ではなく、永続的に守ってあげよう。君は対価は何を支払ってくれるかね?」
「私が払えるのは……」
そう問われて私は固まった。
何が払えるのだ? 私には何もないじゃないか。
「わ、私に払えるものならなんでも払います! 魂でも!」
もはや半狂乱の中で私はそう叫んだ。
「そうかね。では、私の恋人になってはくれないか?」
「え?」
ホルミスダスさんの言葉に私は固まった。
「君は美しいよ、小さなレディー。将来はとても美人になるだろう。その黒髪は艶やかで、赤い瞳は宝石のように輝いている。だから、君が酒を窘める二十歳になったら付き合おうじゃないか。それまでは君の成長を見守ろう」
「そ、それでいいんですか?」
意味が分からず私は聞き返してしまう。
「私はいいとも。問題は君がいいかだ。私のようなおいぼれと付き合うなどまっぴらごめんだと言うなら、私は泣く泣く地獄に帰ろう。ま、君は別の悪魔でも呼べばいいさ。ただし、ヴァルだけはやめておきたまえ。あいつだけはな」
ホルミスダスさんがそう告げるのに私は彼を見る。
確かに私より遥かに年上だ。下手をすると孫と祖父ほどの歳の差がある。
だけど、私は彼のそのこと嫌悪感は持たなかった。彼はどことなく優しそうで、頼っていいような気がしていたから。彼になら自分の一生を預けてしまってもいいのかもしれないと思ったから。
「いいです。その条件でお願いします」
私は震える声ではっきりとそう告げた。
「ほう。驚いた。てっきり拒絶されるものだとばかり。だが、そう言ってくれて嬉しいよ。私も年老いて些か人恋しくなった。共に時を過ごせるものが傍に欲しくなっていたのだ。君が私を受け入れてくれて感謝しよう」
ホルミスダスさんは少し驚いた顔をしたのち、優し気に微笑んだ。
「では、契約を果たそう」
ホルミスダスさんはそう告げ、葉巻を咥えた。
「失せろ。不浄な時間のならず者ども。ここはお前たちのいるべき時間ではない」
『なんだ、貴様は。邪魔をするな。私の愛しい娘を渡せ』
「生憎、これは私の大切なレディーになった。君は振られたのだよ、不細工君」
扉の向こうからしゃがれた声が告げるのに、ホルミスダスさんがニッと笑う。
『貴様、さては悪魔──』
「ご名答だ」
しわがれた声に驚愕の色が混じった時、ホルミスダスさんは葉巻を投げた。
その葉巻の煙が黒い煙を掻き消し、それと同時にあの悪臭も消え去った。あれほど恐ろしかった存在は、最初から存在しなかったかのようにいなくなった。
「た、助かったんですか?」
「奴らのしつこさは伝説的だ。これで終わりとはいかない。一生狙われるだろう。それに君は──」
まだ涙が残り、鼻水まで垂らしている私にホルミスダスさんが歩み寄り、そっと頭に手を置いた。
「私に捕まってしまったわけだしな」
それが私とホルミスダスさんの最初の出会い。
そして、今。私が16歳の誕生日を目前としたとき、また奴らがやって来た。
『愚かなものめ。貴様にはその娘の価値など分かるまい、この耄碌した老いぼれが。その娘は我々の手にあってこそ意味がある。渡せ。我々の愛すべき娘を。歪曲した世界の破壊者を。さもなくば八つ裂きにしてくれる』
「価値を理解していないのは君たちの方ではないかね。彼女の価値はその美しさと淑女的上品な性格にして──大和撫子の体現にこそある。それをただの核兵器代わりにしようなど。笑止千万だ。さっさと君たちの汚臭がする世界に戻って、門にして鍵への恨みつらみでも呟いていてはどうだね?」
しわがれた声が怒りを露に告げるのを、ホルミスダスさんは笑った。
『よかろう! 思い知るがいい! 猟犬を解き放て!』
その声と同時に排水管の詰まったような音が響く。
黒煙が部屋のあらゆる鋭角から沸き上がり、悪臭が家中を覆う。
煙が渦巻き、それが猟犬を形成する。猟犬とは名ばかりのおぞましい怪物を。怪しげな影で構成された燃え上がる鋭い眼球で私たちを睨む化け物どもを。
何十匹もの猟犬が私たちを取り囲む。八つ裂きにするために。
ああ。ああ。あの猟犬が伯父を八つ裂きにして、その臓物を啜るように貪ったのだ。それも伯父に意識がある状態で。
「私の小さなレディー。今回はちょっと派手になりそうだ。私の背中にぴったりと抱き着いていたまえ」
「は、はい!」
ホルミスダスさんが告げるのに私は彼の背中に力いっぱい抱き着いた。ホルミスダスさんのスーツからはいつも吸っている葉巻の臭いがほんのりとした。
「さあ、行くぞ。“バンシーの嘆き”、“リャナンシーの抱擁”」
次の瞬間、ホルミスダスさんの両手に2丁の拳銃が握られた。私の手には収まりそうにもないとても大きな黒と白と拳銃。
「ショータイムと行こうか、畜生ども。せいぜい踊りたまえよ」
ホルミスダスさんはニンマリをした笑みを浮かべると、私たちに向かって雄叫びを上げて駆けてきた猟犬たちに銃口を向ける。
ガン、ガン、ガン、ガンと激しい銃声が連続して響く。余りの音に私は怖くなるけど、これは私を守ってくれている音なんだと言い聞かせて一生懸命ホルミスダスさんの背中に顔を埋めて耐える。
「どうだね、改良型万物溶解液のお味は? こいつを取り寄せるのには随分と苦労したんだ。しっかりと味わうといい。君たちが最後に味わう味なのだからな」
『貴様、どこでそれを……!』
控えめに笑うホルミスダスさんにしわがれた声に焦りの色が浮かんだ。その声に私は微かな期待を描いて、顔を上げる。
「私は悪魔だよ、それも大悪魔だ。不浄な時間の王。相手にして恐ろしいのはどちらだったかな?」
ホルミスダスさんはそう告げ、両手を広げると左右から迫った猟犬の頭部を一発で狙い撃った。猟犬は悲鳴を上げるとドロリと溶け、のたうちながら煙に戻っていく。
1匹、2匹、4匹、8匹、16匹と猟犬たちは次々に倒れる。猟犬を屠り続けるホルミスダスさんは優雅なもので、私は思わず見惚れてしまっていた。
『おのれ……』
猟犬が全て消え去った時、しわがれた声が恨みの籠った声を漏らした。
「さ、次は何をする? ペット展示会にも飽きたから、サーカスでも始めるかね? 芸を仕込んだ奴は飼っているかね? 火の輪を潜り、ボールに乗り、自転車に乗れるような猟犬は飼っているかね? まあ、君の猟犬はお手も期待できそうにないがね」
『ふざけおって、老いぼれめ。今回は運が良かっただけだと思え』
クスクスと笑うホルミスダスさんの言葉にしわがれた声がそう返す。
『我々の時間は永遠だ。他の種族との同盟もある。我々は永遠に、未来永劫その愛すべき娘を狙い続けるぞ。一生だ。娘が果てるまで一生だ。貴様に守り抜くことができると思うか?』
「できるとも。彼女は私の伴侶になるのだから。伴侶を守るはパートナーの務めだろう? そんなことも分からぬかね」
酷い恨みのと殺意の言葉を告げるしわがれた声にホルミスダスさんは恥ずかしげもなくそう告げる。
『フン……。いずれ後悔することになるぞ……』
最後にそう告げて、黒い煙は消え、しわがれた声も聞こえなくなった。
「終わったよ、私の小さなレディー。怪我ないかね?」
「はい。大丈夫です。ありがとうございま──」
私がホルミスダスさんの背中から離れようとしたとき、思わず姿勢を崩してしまった。足が震えてよく立てなかったのだ。
「おっと。大丈夫ではないね」
「あ……」
地面に倒れようとした私をホルミスダスさんが抱きかかえてくれた。図らずもお姫様抱っこと言う形で。私はすっぽりとホルミスダスさんの腕の中に蹲ってしまった。
「ところで渡したいものがあるのだが、いいだろうか?」
「なんでしょう?」
そんな状況の私にホルミスダスさんが懐のポケットから何かを取り出した。
「少し早いが誕生日おめでとう。これはプレゼントだ」
「わあ……。ありがとうございます!」
ホルミスダスさんがプレゼントしてくれたのは7月生まれの私の誕生石であるルビーで飾られた小さなネックレスだった。銀の鎖とルビーが穏やかに輝くのを私は眺めた。伯父から貰った欺瞞に満ちた誕生日プレゼントとは違う。本当の誕生日プレゼントだ。
「ホルミスダスさん。私からも渡したいものがあります。その、顔を寄せて貰えますか?」
「何かな?」
私は決めた。
「これです」
私はホルミスダスさんの唇に小さく自分の唇を重ねた。
「お礼です。本当にありがとうございます」
「君は……。私は契約で君が酒を窘めるようになる二十歳になるまで待つと言ったじゃないか。困るなあ……」
そう告げるホルミスダスさんは小さく笑っていた。
初めての悪魔とのキスの味は、ちょっぴりウィスキーの甘い味がした。
…………………