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苦悩と祈り

作者: 茶山の狸

≪ある人形作家の苦悩≫


私はどうすれば良い?


私の妻、エリスがこの病に冒されて3年が経った。


エリスの病はどの医者にも解らない病であった。目に見えて体は衰弱していき、自力では指一本動かせなくなった。1日の大半は眠り、休息のように目覚め、その短い間の会話が私の楽しみであった。


エリスが病に冒されて2度目の秋の日。彼女は私に優しく微笑み、


「今までありがとう……私は、あなたと一緒になれて本当に幸せでした……け、ど…っ…」


エリスは途中から声すら出なくなったか、口を開閉するばかり。必死に何かを訴えようとするが、彼女の口元に耳を近づけても聞こえてくるのは掠れて壊れた吐息のみ。口の動きも緩慢になり始めた。


私は声を掛け続けた。


何度も、何度も何度も何度も、ただひたすらに彼女の名前を呼び続けた。そして、


そこからの数日の記憶が無い。

気がつけば私は声を失い、表情を作る事も出来なくなった彼女を抱えていた。


しかし彼女はまだ生きている。


私の声に応えてくれず、エリスの綺麗な蒼い瞳は虚ろだ。心無い使用人は彼女を私の仕事と皮肉って『人形』などと呼ぶ者もいた。それでも私はいつか彼女が応えてくれる事を信じ、彼女の瞳を見つめ語り掛けた。体に障るので外に出られない彼女に庭で咲いた季節の花の話、退屈しないよう取り寄せた物語、私への仕事の依頼を持ってくる友人から聞いた異国の話などを聞かせた。返事は無いが、彼女と共に過ごす時間は私にとって幸せだった。


だが、1つ気掛かりな事がある。


エリスは声の出せる最後の時に、一体何を言おうとしていたのだろうか。幸せだった、けど?けど何なのか?私に何か至らぬ事があったのか、彼女の機嫌を害する事をしたのか?訊ねた所で答えてはくれない。


私はどうすれば良い?


1人になった時、エリスの部屋に入って最初に彼女を見た時、私はどうしようもない苦悩に襲われるのだ。不安で堪らなくなるのだ。エリスは私に対して一体何を思っているのか。もしかしたら、なんて事はない冗談でも言おうとしたのでは?と、自分に都合の良い逃げ道を作る自分が嫌になる。彼女は必死に訴え続けていた。恐らくとても大切な事だったに違いない。


だから私は苦悩と共に待とう。


いつか彼女が応えてくれる、その日まで。



≪ある使用人の想い≫


「あなたね、今日からこのバーネット家で働くのは」


私は、はい、と頷き肯定する。そう、私は今日からこのバーネット家に住み込みで働く事となった。このバーネット家の主人、ウィリアム様はこの国の貴族や王室、他国からも依頼される程の人形作家らしい。


「あなたも、もう知っていると思うけどウィリアム様は高名な人形作家なの。あたしは素人だから詳しくは解らないけど、人形を造るのってかなり神経を使う繊細な作業らしいのよ。だから仕事部屋に作業中って札が掛かっていたなら入っては駄目よ」


バーネット家で働く上での禁止事項、仕事内容を私の指導役のソニアさんから教えられる。ソニアさんはここで17の頃から働いているから、もう5年になるのだと言っていた。そんな話から彼女の思い出話になった。


「最初の頃はよく失態をやらかしたものよ。でもね、その度にウィリアム様とエリス様は笑って許して下さったの……」


エリス様?私はソニアさんに訊ねた。そのエリス様とは誰なのか。答えるソニアさんは少し寂しげに、


「エリス様はウィリアム様の奥様よ。エリス様は3年前に、まだ解明されていない病気になられて、去年の秋にお亡くなりになられたの。その時のウィリアム様は見ていられなかった。……でもね、エリス様が亡くなられてから数日後にあたし、エリス様のお部屋を掃除に行ったら……いらっしゃったの……」


いらっしゃった、誰がですか?私は少し口を閉ざしたソニアさんから話の続きを催促するように再び訊ねた。ソニアさんは自らを抱き、


「もう誰もいない筈のエリス様のベッドにいらっしゃったのよ、エリス様が……」


………え?その疑問の音を発してから私は言葉に詰まった。周囲の、庭から聞こえる小鳥の(さえ)ずりが、今自分が立つ木製の床の軋みが、嫌なくらい私の耳朶に響く。


「あたしも最初は我が眼を疑った。けど見れば見るほどエリス様そっくり。あたしは近づけて見てみた。そしたらそれはエリス様じゃなくて、エリス様そっくりの人形だったの」


人形?もしかしてウィリアム様は奥方であるエリス様を喪われた心を癒すために?


「そうだと思ってたんだけど違うのよ。私ウィリアム様はその人形がエリス様だって仰るの。病気で動く事も喋る事も出来ないエリスに向かって『人形』とはなんて事を言うんだ、って怒られたわ。謝ったら赦して頂けたけど……」


私はその人形が見てみたくなった。そう、これはただの好奇心からだ。私はエリス様の部屋の扉を二度ノックする。すると中から、どうぞ、と男性の声がした。失礼します、と私は部屋に入る。


「やあ、君が新しく来た娘だね。私はウィリアム、彼女は僕の妻、エリスだ」


中には、苦悩の上に微笑みの仮面を着けたと思える表情の男性ウィリアム様と、美しい一体の人形がいた。陽の光を受け輝く黄金の絹糸は余りに美しく、それが人工物だと私に伝える。その蒼く透き通った瞳に光は無い。表情はある筈もないのに、私にはどこか彼に対しての哀しみを見た。


「エリスは病気でね、喋る事も1人で動く事も出来ないんだ。エリスの世話は私がしているから、この部屋の仕事はしなくて構わないよ」


ああ、この人に救いはあるのだろうか。私は彼の話も半分に考えていた。きっと、ウィリアム様は信じてらっしゃるのだろう。いつかエリス様の病気が治ると。彼の心は壊れているのかもしれないが、その妻に対する想いはとても澄んだ愛なのだろう。


「エリス様を愛してらっしゃるのですね」


気がつけば、そう言ってしまっていた。呟きのように小さな声であったが、静かなこの部屋では彼に届いたようで、穏やかに、しかし確固たる意思を持って、


「ああ、愛しているよ」


そう答えた。私はこのエリス様が羨ましく思う。こんなにも愛されるなんて。私はエリス様を知らない、だが彼女が幸せだったに違いないと私はウィリアム様を見て確信する。


「ウィリアム様、私にもエリス様のお世話をさせて下さい」


私には驚きだった。そう申し出た自身に対して、それを許可した彼に対して。恐らく私は知りたかったのだと思う。どうして、どうすればそんなに人を愛せるのかを。

それから私は日に2・3回ウィリアム様と、エリス様の人形に物語を読み聞かせている。そして私はウィリアム様のエリス様へ話す異国の話を側で聞かせてもらっている。後になって気付いたが、私はその時既にウィリアム様に恋していたのだ。彼のエリス様に対する愛を手に入れたかったようだ。だが、まだその想いに気付かない私はただ祈っていた。


どうか、彼の心に救いを。



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