21歳男性 -後編-
「スニーカーとピーチウォーター」略して「スニピー」の二人。
前編と後編で文字数偏りました……。
本番収録の前半が終わって、休憩に入った。自販機で買った水を飲んでいる僕の隣に誰かが座った。
「おぅ」
「あ、ヒロさんだ」
「お前、朝、駅前で車から降りてたろ?」
「うん」
ヒロさん、佐々木宏哉さんは僕の七つ年上の同期で、小柄な体型に中性的な高い声だから、女性ファンに「可愛い」ってよく言われる。歌手活動もしているから声優の中でもキラキラして見えるけど、結構有名な大学の経営学部を卒業してて、話してても頭のいい人だって分かる。初めましてから五年以上の付き合いで、趣味も合うから仲良くさせてもらってる。見られてたんだ、送ってもらったところ。ヒロは穂香ちゃんのことも知ってるんだから声かけてくれれば良かったのに。
「いいご身分だな。誰に送ってもらったかは知んねぇけど」
ヒロさんはおちょくるように笑って、缶コーヒーを開けた。分かってる癖にそんな意地悪言わなくてもいいじゃないか、という悪態はミネラルウォーターと一緒に飲み込んだ。その後は、ヒロさんと世間話をしながら休憩時間を過ごして、後半分とガヤ録りが終わって解散になった。夜は、もう一本アニメとゲームの収録をして、その後のイベントの打ち合わせでヒロさんと再会した。
日付が変わった頃に帰ってきた僕は、スマホをバッグから出した。見ると通知があって、開けてみると穂香ちゃんからのLINEだった。
『来週は火曜日は午後、木・土は一日空いてます』
穂香ちゃんのLINEで、僕は撮影日を決めなきゃいけない事を思い出した。穂香ちゃんのお願いで、僕は写真を撮られることになった。今日(というより昨日)は海岸で撮ったんだ、この寒い中。でも撮ってるうちに僕も寒さを忘れていた。そうやって二人で盛り上がっているうちにもっと撮って写真集にしようって話したんだった。僕はスケジュール帳を開いて来週空いてる時間を探した。ありがたいことに予定が詰まっている。けど、来週に撮らないと穂香ちゃんも困るだろう。ただ写真を撮るだけならいいかも知れないけど、今回は写真集を作るんだ。穂香ちゃんが編集する時間を考えると、あまりだらだらしていられない。来週の予定を隅々まで見ると、木曜日は午後からの予定だった。穂香ちゃんにLINEを送る。
『木曜日なら16時入りだよ』
LINEの通知が鳴った。相手は勿論、穂香ちゃんだ。
『じゃあ、9時に駅に迎えに行くね。屋内で撮ろっ!』
楽しそうな顔が浮かぶような穂香ちゃんのLINEを見て、僕はこの時ばかりは突発の仕事が入らないことを本気で祈った。
突発の仕事が入ることなく、無事にこの日を迎えた。先週今週とあまりに詰まっていたからか、マネージャーが午前のオフをもぎ取ってくれた。穂香ちゃんには「撮影は今度でもいいから休んでよ」って言われたけど、穂香ちゃんもスクーリングが週二回あるし、ほぼ毎日アルバイトも入っているからハードなのはお前もだろ、って言いたくなる。
「大丈夫。もうこれ逃したらチャンスなくなっちゃうし」
「ホント? じゃあ後ろ乗って?」
「はーい」
軽いやりとりをして、僕と穂香ちゃんは車に乗った。彼女が乗るアルトは、両親とお姉さんがプレゼントしてくれたと言っていた。免許はおじいちゃんとおばあちゃんがお金を出してくれたらしい。じぃじとばぁばは頼りになる。
穂香ちゃんのお気に入りのトランスを聞きながら、仕事の話をした。明日は新しい花が入荷するから忙しくなるとか、フラワーボックスの予約があって自分が作らなきゃいけないとか。でも穂香ちゃんは今のバイトが一番楽しいと笑っていた。僕の方も今日の現場は憧れの大先輩と一緒だとか、明日はナレーションで長丁場になりそう、なんて話をした。二人で笑いながら喋っているうちに目的地に着いたようだ。
そこは、新築の一軒家だった。二階建てで庭もついた立派な家だ。恐る恐る敷地に踏み入れたところで、穂香ちゃんがインターホンを押した。しばらくすると『はい』と響くような低音。
「おじさん、穂香です」
『あぁ、今開けるよ』
鍵が開いたようで、穂香ちゃんがドアに手をかけた。
「いらっしゃい、よく来たね」
「「お邪魔します」」
出迎えてくれたのは五十代半ばくらいの男性。男性はニットの中にシャツを着ていて、グレーのチノパンを履いている。ジャケットでも羽織ればお洒落なレストランにでも入れそうな恰好だ。
「初めまして、江夏です。穂香さんにはいつも良くしてもらって……」
「あぁ、君が……。穂香から聞いてるよ。声の仕事をしているんだってね」
微笑ましげに僕を見る男性が絵に描いたような紳士だから、思わず固まってしまう。そんな僕に穂香ちゃんがニコニコと話しかけてきた。
「えっくん、改めて紹介するね! アタシの伯父さん、三枝友博さん! あ、伯父さん! コレえっくんとアタシから!」
穂香ちゃんは箱を三枝さんに差し出した。今回のことでお世話になるからと二人で手土産を買ったんだった。僕は今朝お金を出しただけなんだけど。穂香ちゃんが三枝さんの好きなお菓子でも買ったんだろう。
三枝さんはそんな気遣いしなくても、と笑っていたけど、中身を見た後にありがとう、と顔を綻ばせた。穂香ちゃんはずっとニコニコしている。
「ありがたく頂くよ。私は書斎で作業をしているから、何かあったら呼びなさい。」
「うん、ありがとう!」
三枝さんは二階に上がっていった。穂香ちゃんがゲストルームまで連れて行ってくれたけど、着くまでやっぱり僕はそわそわしてしまった。
そもそも、どうして僕が穂香ちゃんの伯父さんの家にいるのか。
最初、穂香ちゃんはハウススタジオで撮影をしたかったらしい。けれど、どこも高くてイメージに合わない。そこで、穂香ちゃんが都内の高級住宅街の一戸建てで暮らす母方の伯父さんに相談したところ、うちのゲストルームを使えばいい、とのことだった。
そして現在、三枝邸・ゲストルーム。
「お邪魔します……」
「お邪魔しまーす!」
ホテルの一室のような部屋に緊張する僕とは違って、穂香ちゃんは楽しそうにしている。書斎から借りた本達をテーブルに置いた穂香ちゃんはカメラの準備を始める。
「出来た!」
「うーん、僕はどうすればいいの?」
「分かんない」
どんな風に撮るのか聞く僕に穂香ちゃんはあっけらかんと答えた。
「いや、僕も分かんないから聞いたんだよ!?」
「えー? 一昨日出たグラビアでも思い出してよー」
「なんで知ってるの!?」
そう言えばこの間、声優雑誌のグラビア撮影があって、その雑誌が一昨日出たんだった。なんで穂香ちゃんが知ってるのかと考えていると、今月は僕とヒロが表紙だったことを思い出した。本屋で表紙を見たんだろう。(ちなみに特集は僕とヒロがMCの番組だ)
「あ、でもそれじゃ普通のえっくんは撮れないな~」
穂香ちゃんの間延びした声が部屋に残る。う~ん、と唸っている穂香ちゃんの口は尖っていていつもより幼く見える。
「じゃあアタシは適当に撮ってくから、えっくんは普通に部屋でくつろいでいいよ」
さらっと言ってのけた穂香ちゃんだけど……この部屋で寛げと。来客を泊める為の部屋とはいえ、ここは他所様の家だ。しかもシックな家具が並んでいるからホテルの一室みたいだ。現に僕は気が引けてイスに座ることも出来ていない。それに適当に撮るって何だ。穂香ちゃんは写真には真剣だし妥協するわけではないと思うけど、もう少しマシな言い回しはなかったのか。
「大丈夫だよ~! 終わったらアタシが元に戻す約束だし。それにアタシの存在忘れた方が変に決めなくていいと思うんだ」
「そう言われても……僕ちゃんと出来るかな……?」
「絶対うまく撮れるよ~。アタシはいないものだと思ってさ!」
「うん……。じゃあ……失礼します……」
僕はようやくイスに座ることが出来た。
台本チェックをしている側でシャッター音が聞こえる。今回は外で撮ったみたいに指示もない。穂香ちゃんの存在を忘れた方がいいらしいので、僕も普段自宅で過ごすようにこのゲストルームを使わせてもらっている。台本に目を通していた顔を少し上げると、カメラを構えた穂香ちゃんが足音を立てずにうろついている。一通りチェックが終わったので、本に手を伸ばした。開いてみると、詩集だった。短い言葉に込められた独特の世界観に心を奪われる。どこかでバシャッと音が聞こえた。
詩集を読み終えると時計の短針は十二と一の間を指していた。いや、それだけじゃない……。
「あれ? 穂香ちゃん……?」
ずっと僕の写真を撮っていた穂香ちゃんがいなかった。カメラだけが寂しく小さいサイドテーブルに置かれている。三枝さんのところだろうか……。それならすぐに戻ってくるだろうし。人様のお宅にあまり一人にしないで欲しい。穂香ちゃんは家主様と親戚っていう関係があるけど、僕は赤の他人なんだ。凄く肩身が狭い。そんなモヤモヤを抱え始めたと同時にドアが開いた。
「えっくん遅くなってゴメン!」
あぁ良かった、彼女が来てくれた。息を整える彼女の右手には紙袋。
「もうお昼だからご飯買ってきた! ……って言ってもサンドイッチだけどね」
穂香ちゃんが逆さにした紙袋からはバラバラとサンドイッチが出てきた。
買ってきてくれたサンドイッチでお腹を満たしながら穂香ちゃんと喋る。その間にもシャッターが切られる。穂香ちゃんのは? アタシ歩きながら食べたー。 何サンド? オムレツサンド。 美味しそう。 めちゃ美味かった。 目の前で僕と会話する彼女はカメラを構えている。
コーヒーに口をつけたところで、またバシャッと音が聞こえた。
時間まであと二時間ある。次はどうするんだろうと思って穂香ちゃんに視線を送る。あ、サンドイッチは美味しかった。うん、今度差し入れに持って行こう。
「えっくんコッチ」
指さされたのはベッドだった。
「ちょっと待ってよ! それはマズいって! もし汚したら……」
「大丈夫だよ~。アタシが戻すって言ったでしょ?」
「カメラ意識しなかったら起きてらんないもん!こんな寝心地良さそうなベッドならすぐ寝る即寝る二秒で寝る!」
「寝ちゃっていいよ? 起こすし」
穂香ちゃんはなんてことないようにそう言った。
「ホントに寝るよ?」
「いいよ」
「お休み」
ベッドに横たわる僕を、二つの大きな瞳がじっと見ていた。横たわって深呼吸をすると、ゆらゆらと世界が揺れだして、バシャッと音が聞こえたと同時に僕は意識を手放した。
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……くん……きて…………ねぇ
なにやら女の子の声が聞こえる。瞼の筋肉を使って目を開けようとするも光に一瞬目を潰される。
「えっくん起きてー」
可愛らしい声と体を揺すられる感覚に意識が一気に浮上した。
「おはよ先輩起きてよ」
「ん……ぅん……今何時?」
「二時十分」
「そっか……じゃあ起きる」
僕はようやくベッドから起き上がった。そろそろ準備して出ないといけない。三枝家からスタジオまでかかる時間とスタジオ入り時間を考えると、結構時間はあるけど喉が起きてないと思うから早めに出て発声しよう。
「うん、もう出るよ。穂香ちゃん」
部屋から出ると、リビングで三枝さんがテレビを見ていた。僕がお暇することとお世話になったお礼を三枝さんに伝えると、また遊びに来なさいと微笑ってくれた。僕が先に玄関に行っている間、穂香ちゃんと三枝さんの話声が聞こえた。多分、一回戻って部屋を元に戻すことを三枝さんに伝えたんだと思う。あまり長居すると悪いので僕は先に外に出た。
僕が外に出てから一分経たずに穂香ちゃんが出てきた。ガチャンという音が水色のアルトから聞こえた。
「ハイ乗ってー。入り十六時だよね?」
「うん」
「一時間くらい余るけど」
「大丈夫」
車に乗りながらそんな短い会話をする。僕は前と同じ助手席側の後部座席に乗った。運転する穂香ちゃんの目つきはいつもより鋭い。雑な運転をする車に悪態をつく彼女に噴き出してしまったことはバレてしまっただろうか。
僕が台本チェックをしていたからかお互い無言なままスタジオの近くまで着いた。「到着~」といつもの間延びした穂香ちゃんの声がした。
「今回はありがとね先輩」
「ううん、僕も楽しかった」
穂香ちゃんは僕に付き合ってもらったと思ってるみたいだけど、僕も本当に楽しかった。声優という肩書きを捨ててしまえば、僕には何もないし、僕を見てくれる人はいないだろう。それこそ、街にいくらでもいる二十一の男だ。けど穂香ちゃんはそんな僕の写真を撮って、写真集にもしてくれると言った。なんの取り柄もないつまらない男を見てくれたことが、単純に嬉しかった。
「これから編集するんでしょ?」
「うん、出来たら送る」
「ホント? ありがと」
車から降りて「じゃあね」とお互い手を振る。彼女の車が行った後も僕はしばらく立ち尽くしていた。彼女と過ごした時間が、今までよりも圧倒的に長かったと思う。その時間が僕の中で、言葉にできないほど大切なものになったのは、僕だけの秘密だ。
穂香ちゃんとの撮影が終わって一ヵ月、僕はいつも通り仕事を終えて帰り道を歩いていた。ドラマCDの収録にラジオ、レギュラーがあって、それから………と今日も色々詰まっていたけど、嫌な疲れじゃなくて、むしろこの疲れが心地よかったりする。マンションの宅配ボックスを覗くと大きめの封筒が入っていた。
「……?」
なんかの書類だろうかと差出人の名前を見て、自然と口角が上がる。階段を駆け上がって、部屋まで走り抜けた。
コートも脱がずに封筒を開けると、ソフトカバーのフォトブックだった。一ページずつ捲って眺めていると、彼女と過ごした大切な時間を思い出す。この本の中に"普通の"僕がいる、"ただの男の"僕を穂香ちゃんは形に残してくれた。二十ページ足らずのフォトブックを閉じて表紙をじっと見つめた。冬独特の透明感がある海辺で、僕がカメラ目線で笑っていた。僕の顔のサイドにタイトルが青色の明朝体で刻まれている。
僕はフォトブックをそっとテーブルに置いて、ようやくコートを脱いだ。
『被写体E、―――――』
ありがとうございます!