幼稚園編
幼稚園編
「帰国子女」にどんなイメージを持っていますか?「英語が出来る」「うらやましい存在」「自己主張がすごい」「はっきり物事をいう」
まぁ、こんなもんですか。でも、「帰国子女」は日本を出て帰ってきてやっと「帰国子女」になるのです。つまり、「帰国子女」ではなかった時ももちろんあります。
「山本楓」は東京で生まれた。普通の日本人の両親の元でスクスク育った。年少組として幼稚園に4歳で入園した。人見知りな性格だったが幼稚園に入ってからは人見知りな性格は改善された。でも、すごく控えめな性格は変わらなかった。基本的には「滑り台で遊びたい」と友達が言えば自分は砂場で遊びたくても「いいよ」と言うような子だった。つまり、「帰国子女」のイメージとは全く違うような女の子だった。
楓は本を読むのが好きで年中組の時点でひらがなは全て読み書きが出来るようになっていた。カタカナのドリルは遊びの一種でやっていた。漢字も年長組の時点で小学校1年生レベルの簡単なものは自分で勉強して読めるようになっていた。カタカナのドリルは遊びの一種でやっていた。この頃、楓は親や親戚に「頭がいい子ね。勉強が好きだなんて将来楽しみ」と言われていた。
楓が年長組になって半年になるかならないかの時に小学校からアメリカに引っ越す事が決まった。父親の転勤だった。その時楓はその意味が理解できなかったが、周りが小学校のお受験、健康診断や説明会で幼稚園を休みだした時、彼女はアメリカに行くという意味がわかった気がした。
楓はやっと理解したのだアメリカに行くということはみんなと同じ道は歩まないということだと。
「何小に行くの?」という質問には答えられないし、永遠にランドセルを買いに行く事もない。
楓は小学校が理由で1日も幼稚園を休むことなく卒園した。卒園後みんなは学校に通いだし、通学しているのを見かけた。それが楓にとってものすごく寂しい事だった。
楓が通うことになったアメリカの学校の新学期は9月だったので、それまでの約半年間楓は東京で毎日家でフラフラしていた。楓の家は小学校の近くだったので嫌でも元クラスメイトが通学している姿を見るのだった。
一度、楓が幼稚園時代に好きだった人、初恋の人が楓の親友と登下校しているのを見て、「え?」って子供ながら嫉妬と寂しさを感じた。当時の楓は何もかもが精神的に辛くなり、登下校の時間外に出ることはなくなった。
楓は幼稚園卒園して小学校入学までの半年間に軽い「引きこもり」を経験した。
もちろん、楓が辛かったのは「みんなと一緒じゃない」事だけではなかった。
未知の世界へ行く不安。ひらがなや漢字は他の人より出来る自信があった。でも、これから行く学校ではそんなものは必要ない。なぜなら英語で勉強するからだ。でも楓は英語なんて知らなかった。英語が「わからない」ではなくて英語自体を「知らなかった」。ただ、「英語で勉強するんだよ」と親に聞かされただけだった。
また、その親もアメリカに行ったら嫌でも英語を勉強するのだから学校が始まるまでの時間は勉強をさせないという方針だったため楓は英語に触れる事なく日本を離れる事になったのだ。