歪み
何故だろう。明日を迎えるのが辛い。普段はこんな感情を抱くことはないのに、六畳程の狭い部屋の隅で一人震えている。
そんな気持ちに追い打ちをかけるように雨の音が薄い窓を貫いて心に響くーーーーーー
母の手一つで育ててもらった将人は都心から離れ、入社を機に地方に配属になった。社会人を楽しみにしていた自分を裏切るように、何故だか、この地が合わない。それに気付いたのは入社してわずか数ヶ月が経った時だった。
「元気にやってる?」
不意を突くようにかかってくる母からの電話が日に日に心を痛めるようになってきた。
「元気にやってるよ、心配しないで」
何の感情もない・・・・余計な心配をかけたくない。
その場を乗り切るための決まり文句。
電話口からでも分かる母の安堵の感情が、嬉しいような悲しい感情を生み出す。
小学校入学まではごく普通の家庭で育ってきたと思っている。父親の「ただいま」の声で夕ご飯が始まり、くたくたに疲れた父親は僕が寝るまで可愛がってくれた。
ごく普通のサラリーマンだが、海と釣りが好きで、その話しをさせたら僕がどれだけ眠くても寝かせてくれない。そんな父親が好きだったが、そんなやり取りを母親は悲しそうな姿で見ていたのを僕は知っている。
父親と母親は喧嘩ばかりだった。僕が寝静まったのを見計らい、喧嘩を始める。
母親と父親は仲が悪いーーーーーー
生まれて10年程の小学生にも、そのくらいの事は理解できた。
翌朝になると、無理やり作った笑顔で「行ってらっしゃい」と小学校に行くのを見送ってくれる母親の姿が本当に辛かった。
そんな母親に「どうしたの?」と聞くこのとがどうしても出来ず、聞いてしまったら何かが壊れる気がした。
そんな僕は、テストで100点を取ったとか、徒競走で優勝したとか、少しでも母親を喜ばせるために努力をした。
少しでも母親の表情が和らぐのを見たかったのだ。
僕は小学生ながら、母親の笑顔のために生きていたのかもしれない。