狩人と獲物-3
◆
少女が乗せられた車――リムジンの中は、一言で言うなら『成金趣味』だった。無駄に煌びやかな装飾が施され、目がチカチカして仕方ない。座席のクッションも柔らか過ぎて腰が痛くなる。褒める処があるとすれば、それは運転手の腕だけだ。発進はスムーズだったし、曲がる時も遠心力を感じなかった。
(ま、結局は操主に帰結するんだけど)
冷めた目付きの先は、運転席に座るヴァルキリーの頭。流石に羽はないが、それでも運転席に座っている光景は、かなりシュールだ。
件の操主はと言うと、先程から慣れない手付きで少女の左腕に包帯を巻いていた。パーカーを脱がしてシャツを捲くり、そうして露になった陶磁器の様な肌に手を滑らせる。
「……別に、湿布だけでいいじゃない」
左側に座る男は暫く黙り込んだ後、勘違いするなと前置き、
「これは治療の為だけではない。……ああ。その弱った体では、分からないのも仕方ないか」
肩から肘までを包帯で巻き終わり、少女は捲くっていたシャツを下ろす。
無駄に広い空間の中、窓際に移動した男の低い声が響く。
「その包帯は対吸血鬼用の術式が編み込まれている。例え体調が万全だろうが、身体能力は人間並みに落ちる。無論、能力もだ」
足を組み、瞑目しながら男は続ける。
「抵抗をされても困るのでな。縛り上げるのは趣味ではないし、この様な手段を取らせてもらった」
それを聞き流し、パーカーを着直した少女はふんっと鼻を鳴らす。
「趣味じゃない? 屋敷の皆を殺しといて、今更、何言ってんだか」
それもそうか。くくっ、と男が笑うのと同時、突然の急ブレーキ。右側面を進行方向に晒しながら黒いスリップの跡を残し、ようやく止まった。辺りに立ち込める、ゴムが焼けた嫌な臭い。それが車体の隙間から侵入して来る。
「――ぁ、え?」
間の抜けた声が隣から。男が顔を向けると、ドアの形に暗闇が切り取られていた。考えるよりも先に、外へと転がり出る。そうして真っ先に視界の中へと飛び込んで来たのは、道路に突き刺さる一本の巨槍。どうやらこれが急ブレーキの原因らしい。
(――待て。どうしてヴァルキリーの槍がここに、)
「あー、眠ぃな畜生」
オイルライターの蓋を開閉する音が聞こえた。
続いてシュボッ、と火がついた時の独特な音。
「ってか、一日一本って決めてたのによー」
辺りを見回すが、近くで臨戦態勢を取らせるゴーレムと自分以外、人影はない。
「どーこ見てんだよ、阿呆が」
見つけた。
声の主は上――黄色のランプを明滅させる信号機に、片膝を立てて座っていた。
◆
ゴーレムを奪い取るのは、ハッカーが他人のパソコンを乗っ取るのと同じだ。プロテクトの隙間を縫うようにして中核へと潜り込み、優先度を書き換える。それでいて、本来の主に乗っ取った事を気取られない様、ダミーの信号を送るのだ。この場合の中核は芯に使われたカードで、プロテクトは魔術障壁か。
ばさり。
そうして主導権を奪い取ったゴーレムが、足音を立てず隣に着地した。その腕には槍ではなく、困惑した様子の少女が抱かれている。
オイルライターを弄びながら睥睨する先では、オールバックが蠢いていた。
「あー、眠ぃな畜生」
おまけに暑い。最悪だ。ジャージの下に着ているシャツは汗でびっしょりだし、下も下で湿ったトランクスが気持ち悪い事この上ない。
何か言いたげな彼女に口を指で塞ぐジェスチャーをして、弄んでいたオイルライターで咥えたタバコに火をつける。
「ってか、一日一本って決めてたのによー」
浅く吸った紫煙と共に、愚痴を吐き出す。例え必要だとしても、自分で作った決まりを破るのは気分が悪い。
たった一口だけ吸ったタバコを、キョロキョロと辺りを見渡し始めた愛すべき阿呆にプレゼント。指で弾いたタバコが、赤い軌跡を残して宙に躍り出る。
「どーこ見てんだよ、阿呆が」
見つかった。
感じる殺気の主は下――羽のないゴーレムを侍らせ、詠唱を口遊みながら立っていた。
◆
――遅い。
詠唱を口ずさむオールバックを見下しながら、青年は呆れる。敵を発見してから攻撃に移るなど、阿呆のする事だ。どこに敵が居るか分からない状況では、いつ何時どの様な対応が取れる準備をしているのが当たり前。魔術なら、残りワンフレーズだけで術式を発動出来る状態にしておくべきだ。
「―――――」
オールバックが日本語ではない言葉で、意味を理解出来ない単語を紡いでいく。その間に生まれる隙を埋める様指示を出されたのか、ゴーレムが槍を構える。膝を曲げ、跳躍の準備。
酷く冷めた目で、それ等を眺める青年が指を鳴らす。併せて、袖を捲くる右腕の外側に幾何学模様が浮かび上がる。男が持っていたカードに記されていた様に、計算されて配置された様な物ではなく無秩序なそれ。手の甲から一つ、そこから肩に向かって二つ三つ。連綿と紡がれる紋様は、ジャージで隠れている腕の付け根まで及び――目の高さにまで上る炎柱。
音はなく。ただ、熱い。
投げ捨てたタバコの種火から生まれた灼熱の炎柱は、その中心に居たゴーレムを焼き尽くす。しかして元が土であるが故に炭にはならず、炎が消え去った跡には戦乙女を模す陶器が鎮座していた。
「……貴様、何をした」
オールバックの問い掛けに答えず、青年は信号機の上から飛び降りる。体重を感じさせない身軽さで着地すると、道路に深々と突き刺さる槍を引き抜き、
「ほれ、どーするよ」
無様に地に伏せる男の首筋に突き付ける。形勢は逆転。それは皮肉にも、公園の時と逆の立場だった。
オールバックは一瞬、青年の隣に降りたゴーレムに抱かれる少女に視線を向けると、やがて忌々しげに口を開いた。
「貴様にはいずれ必ず――」
「はいはい、テンプレ乙。そんじゃーねー」
最後まで言わせずに、飄々と青年は背中を向ける。ゴーレムもそれに続き、暗闇へと身を投じた。
後に残されたオールバックは、小路から聞こえて来る少女と青年の声を聞きながら、のろのろと起き上がる。懐から取り出すのは携帯電話。
月の見えない夜空を見上げ、男は一人、車体に背を預けた。
◆
「……だから嫌だったんだよ」
青年が視線を向ける先では、少女が気持ちよさそうに眠っていた。起きる様子を微塵に見せない寝顔、時折口元をむにゃむにゃとむずがる様に動かす仕草、それ等がどうしようもなく子供っぽい。体格や口調から少なくとも成人はしてそうなのだが……女性の歳の見分け方など知る由もなく、ただ漠然と『年下』としか判別出来ない。
そして、そんな年下の少女を放置する訳にも行かず。
「……んむぅ」
部屋に連れ帰って布団に寝かせたはいいが、時折こうして艶かしい寝言を聞かされる身としては、眠気よりもごにょにょな感情の方が強くて全く眠れそうにもない。
管理人である自分しか住んでいないこのボロアパートには、他に何部屋かある。あるにはあるが、埃だらけで寝られたものではない。だからこうして同じ部屋で少女と一晩を過ごす必要が出て来るのだが、色々と困る。だからといって外出しようにも、その間に目覚められても困る。
今行える少女を意識しない最善の方法は。青年は考え、今日の戦利品に目を向ける。
数十枚のラミネート加工されたカード。それが戦利品だ。公園で、奪い取ったゴーレムを土に戻すついでに散らばっていた物を回収して来たのだ。
襲ってきた人物について何か分かるか期待しての行動だったのだが、残念ながら調べた結果はハズレ。カードは大量生産品で、術者のクセ一つさえ分からなかった。
「ぁふ……」
また新しい論理展開をしている内に、ようやく眠気が勝ってきた。
少女の件については、明日また考えればいい。思考のスイッチを切り替え、意識を表層から深層へと突き落とす。