第一章三節:制御の裂け目
※この作品の挿絵は生成AIを使用して作成しています。
巡回経路を三周した頃、ジムは奇妙な既視感に襲われていた。
繰り返しているはずなのに、通路の表示灯の点滅のタイミングが微妙にずれる。
同期が外れるたび、HUDのタイムスタンプが数字の端を擦ったように揺らぐ。
(システム時計がズレてる……?)
そう判断するには兆候が繊細すぎる。
ほんの誤差。だが数値は確かに積み上がりつつあった。
ジムは歩き続け、会場端のスタッフ動線へ入った。
展示開始直後は来場者への対応が集中し、裏方の人員が薄くなるのは訓練で教えられている。
だが、目の前の扉が半開きだったのは偶然だろうか。
「技術協力企業・研究員専用」
と印字されたプレートが揺れる。
迷いが喉を塞ぐ。しかし一歩を踏み出したのは衝動だった。
この扉の向こうに答えがある気がした。
国家の命令に逆らう意図はない。
ただ判断材料を確認したいだけだ。
ジムは呼吸と靴音を抑え、扉を押し開けた。
空気が変わる。雑踏が消え、冷たい機械音が代わりに響く。
床は樹脂パネルへと変わり、金属ラックが並ぶ薄暗い通路。
展示会の華やかさの裏側──観客の知らない肺だ。
(こんな場所にまで、玩具の制御回線が走っているのか?)
疑問が浮かぶ間もなく、曲がり角の先の光が視界を刺した。
赤い脈動。
警告灯ではない。端末の内部から漏れるような赤。
そして、その光の前に“誰か”が立っていた。
背中だけが見える。
照明の乏しい通路にあって、異様な存在感だった。
白と黒のコントラストが強い、膝丈ドレス。
襟元は高めに締まり、胸元には細い黒のリボン。
袖はレースのフリルが層になって揺れ、腕の線を隠すように覆っている。
光沢のある漆黒の髪が肩まで波打ち、黒髪の間から雪のように白い首筋が覗いた。
背筋はすっと伸び、動きには無駄がない。
舞台の上に立つ人形のような存在感。
それなのに、なぜか温度のある気配が漂っていた。
(……誰だ?スタッフではない)
ジムは思わず足を止めた。
少女がわずかに顔を横に向け、こちらを認識した。
薄い唇が動く前、黒い瞳と視線が絡む。
そこには警戒も好奇もなく、ただ“理解”だけが宿っていた。
初対面の相手に向ける感情ではない。
「……お疲れ様です。警備の方でしょうか?」
穏やかな声。
だが語尾に温度がない。
問いというより、状態の確認。
そこに少女自身の意思は、ほとんど滲まない。
ジムは視線を端末へ向けた。
赤い脈動は先ほどより速くなり、まるで異物を拒む心臓の鼓動のようだった。
(何かがおかしい。だが本部は沈黙している……)
少女は再び端末へ視線を落とす。
横顔が照明を受け、白磁のような肌に影が落ちた。
彼女の存在が、場違いであるはずなのに、違和感なく通路に溶け込んでいる。
白黒の輪郭が静かに呼吸しているかのようだった。
職務質問すべきか迷いつつ、ジムは低声で声をかけた。
「失礼。こちら側に立ち入りが許可されている方ですか?」
少女は振り返り、視線を少し斜め上に向けつつ控えめにうなずく。
動作が淀みなく、長年この場所に立ってきたような自然さがある。
「ええ、研究関連の立場で、許可証を」
胸元のストラップに吊られたパスカードを示す。
確かに入室許可レベルは高い。
明らかに場違いな姿である彼女を、ジムは一旦納得するしかなかった。
だが、端末の状況は監視任務と無関係ではない。
ここで状況を確認しておくのは職務上の責務と言えた。
ジムは慎重に口を開く。
「この端末の同期ログが先ほどから不規則でした。
確認のため、ログだけ拝見したい。
異常が確認できれば即時報告します」
建前としても筋は通る。
“触れる”ことへの大義名分は一応確保された。
少女はジムの言葉を数秒噛みしめた後、視線を端末へ戻す。
肯定とも否定ともつかない間が生まれ、
やがて薄く微笑んだ。
「確認だけ、ですね。
なら……止めません」
その許可にどこか違和感があった。
止められる権限がある者の口ぶりだ。
ジムの手が操作パネルへ伸びる。
「触れると……戻らなくなりますよ」
少女の声は警告というより、状況の結果をさらりと告げたような響きだった。
ジムは思わず手を止める。
「……戻らない、とは?」
問いかける声がかすれたのは、緊張のせいではなく、
自分の判断に揺らぎを感じてしまったせいだった。
少女は端末画面を一瞥し、淡く瞬きをする。
その細やかな所作は、どこか医療現場の観察者めいていた。
「制御が逸れると、戻すのは難しいという意味です。
こういうのは、最初に判断を誤ると……」
言葉を濁す。
だが含意は大きい。
(逸れる……?)
ジムは直前に巡回中、何度も見た微細な同期ずれを思い出した。
あれは展示会全体の制御に波及していた可能性がある。
まだ異常とは断言できない。
だが、この端末は“中心に近い”と判断できた。
制御系統の分岐基点──AI玩具群の挙動を一本化するノード。
HUDには未だ警告は表示されていない。
だからこそ、内部で解決済みなのかどうかの確認が必要だった。
(現場判断は禁止……しかし指示系が沈黙している以上、判断材料の収集は含まれない)
訓練で教え込まれた条文が脳内で走る。
報告のために状況を明確化すること自体は、禁止されていない。
“見るだけなら”許される。
それは命令の盲点だ。
つまりこれは、命令違反ではない。
(端末内部の状態を確認すれば、それでいい……)
ジムはそう自分に言い聞かせた。
危険な操作をするつもりはない。
状況を把握し、報告さえできれば任務に貢献できる。
少女は静かにこちらを見つめていた。
表情は薄いが、拒絶でも嘲りでもない。
その黒い瞳には、ジム自身より深い場所まで透かされているような錯覚を覚える。
観客ではなく、観察者の眼差し。
「あなたは、確認できるのですね」
少女のその言葉は、能力を問いかけているようでいて、
すでに結論を持っている者の口ぶりだった。
「……確認だけだ」
ジムは短く答えた。
少女はかすかに微笑んだ。
薄い笑み。それは緊張を解くようでも、試すようでもある。
「では……どうぞ。責任は、あなたの判断です」
ジムの指先が端末のパネルに触れる。
静電スイッチが反応し、セキュリティ階層が展開する。
通常なら暗号ソルト認証で弾かれるはずだが──なぜか通過した。
(権限解放……?誰が)
疑念が脳裏を走る。
だが今は、集中するしかない。
同期を戻す方法は、一時遮断と再起動。
訓練の基礎で叩き込まれた手順だ。
ジムは最も安全なコマンドを選び、入力する。
端末に緑の文字列が走る。
――SYNC INTERRUPT EXECUTED
――REBUILD ROUTE TABLE
(成功だ)
胸奥の緊張が僅かに解けた。
視界でHUDのタイムスタンプがぴたりと安定する。
同期は戻った。
それは確かな成果だった。
だが少女は、ふと伏し目になった。
「戻すんですね。……いまは」
“いまは”。
ジムはその語尾の違和感に気づけなかった。
成功という安堵に、判断が緩んでしまっていた。
HUDの表示から警告が消えた。
数分前まで散発していた同期の揺らぎは、完全に安定している。
(……やった。これで任務に支障はない)
胸奥にあった見えない棘が抜けたような感覚。
新人とはいえ、訓練で叩き込まれた知見で異変を察知し、判断し、対処した。
現場対応としては及第点どころか、むしろ高評価になるはずだ。
安堵は自信へ変わる。
それは、自らの判断が正しかったという確信だった。
「あなた……面白いですね」
少女がぽつりと言った。
賞賛というよりは、観察対象に対する興味の発露のように。
ジムは振り返り、少女の顔を正面から見る。
肌は陶磁器のように滑らかで、照明の寒色が当たるたびにほのかに青みを帯びる。
鼻筋はすっと通り、睫毛は長い。
大きくはないが、黒目がちの瞳が印象的で、不思議と吸い寄せられる深さがあった。
声色はやわらかいのに、表情は薄い。
その奇妙な落差が、彼女の存在をより確かなものにしていた。
「こんな場所でドレスとは……」
気づけば口をついて出ていた言葉。
油断していた自分に気づき、ジムはすぐに言葉を濁した。
「失礼しました。あなたは……?」
少女は長い袖に包まれた手を胸元に軽く添え、優雅に一礼する。
まるで貴族の礼儀作法を学んだかのような流れる動作。
「ただの通りすがりのコンパニオンです。……そう、ただのコンパニオンですよ?」
そう言うと、口元に細い指を添え、こちらへ小首をかしげる。
柔らかい所作だが、言葉と仕草の奥に温度差があった。
(上位権限を持つコンパニオンを装った研究者?しかし、HUDが警告を出さないのであれば少なくとも警戒対象ではないか……?)
疑念が浮かぶが、問いただす立場ではない。
これ以上追求すると危険だ、そのような凄みを感じさせる仕草に、本能が警告を発していた。
「あなたは“確認”が得意なんですね」
その一言に、ジムの肩がわずかに跳ねた。
偶然にしては踏み込みすぎた言葉。
「……訓練の賜物です」
強がるように答えるのが精いっぱいだった。
ユマは小さく頷き、まるで結果を見届けたかのように端末から離れる。
フリルの裾が静かに揺れる。足音は驚くほど軽かった。
「今日のところは……これで」
意味深な言い回し。
去り際にこちらを振り返り、静かに告げる。
「でも、忘れないでください。
制御は、一度逸れると……止まらない」
廊下の向こうへ消えた瞬間、
バックヤードの照明が通常照度へ戻った。
(……戻った?)
同期だけでなく、照明制御も連動した可能性。
そこまで考えたところで、ジムの思考は切り替わる。
(いや、考えすぎだ。制御は正常に戻った。任務は続行できる)
自分に言い聞かせるように、歩き出す。
HUDには正確な時刻が刻まれ、揺らぎは一切ない。
ただ、それは
“揺らぎを補正するスクリプトが挿入された”
結果であることに、ジムはまだ気づかない。
同期の安定は、暴走の準備段階だった。




