第一章二節:監視者としての一歩
※この作品の挿絵は生成AIを使用して作成しています。
コンテナ詰所の中は、外気よりも寒く感じた。
仮設の蛍光灯が白く光り、金属製の机が無造作に並べられている。壁際にはモニター群。その一部には既に展示会場の映像が映し出されていた。
「ブライアン少尉、到着を確認」
無線機に向かって誰かが淡々と告げる。
ジムは敬礼を返し、支給された黒いケースを受け取った。
ケースの中身は、任務の“目”だった。
薄型の眼鏡型端末。フレームは細く、レンズは外から見るとただの伊達眼鏡に見える。
「端末を装着しろ。設定は本部からの一括制御だ」
声の主は、詰所の隅に腰をかけた若いオペレーターだった。
軍服でもスーツでもなく、パーカーにジーンズという格好で、こちらをちらとも見ない。画面に走る英数字を追い続けている。
命令の主が誰であれ、ジムに拒否権はない。
彼は眼鏡をかけ、こめかみに軽く触れた。ひんやりとした金属の感触。
次の瞬間、視界の端に薄い青いラインが現れた。
会場の簡易マップ、現在位置、時刻。左下には「SIF-OPS」の文字。
ほんのわずかな違和感とともに、世界が“二重化”される。
「映像、入った。……ふむ、新人にしては脈拍安定してるな」
オペレーターのぼそっとした独り言が聞こえた。
脈拍や体温まで監視されているらしい。
ジムは無意識に背筋を正した。
「任務の再確認をする」
詰所奥のドアが開き、上官クラークが姿を現した。
グレイのスーツに青いネクタイ。派手さのない、よくある官僚スタイルだが、目だけが鋭く光っている。
「ブライアン。君の役割は一つ。会場を歩き、見ることだ」
「はい」
「異常を発見しても、勝手に判断するな。
報告、指示待ち、それから行動。この順番を絶対に崩すな」
同じ言葉を、何度も繰り返す。
まるで、そこを破られると困る事情があるかのように。
「現地警備とは?」
「連携しない。キングコーポの私設警備は、我々にとっても監視対象だ。近づきすぎるな」
キングコーポレーション。
タクシーの中で見たPR映像が脳裏を掠める。
白いスーツの社長、観客席の拍手、子供たちの笑顔。
そのどれもが、いま目の前にある冷たい空気と結びつかなかった。
「質問は?」
一瞬、聞きたいことは山ほど浮かんだ。
なぜ自分なのか。
なぜ単独なのか。
なぜ、こんなにも“触るな”と念を押すのか。
しかし、口を開いたときには違う言葉が出ていた。
「了解しました。任務を遂行します」
クラークはうなずくだけだった。
その横顔には、期待も不安も見えない。
ただ“駒を盤上に置いた”人間の顔だけがある。
詰所を出ると、風が一段と冷たくなっていた。
倉庫街を抜けると、ガラス張りの巨大な建物が現れる。
国際展示場〈GITEX-TOYセンター〉。今日の舞台だ。
建物の外壁には色とりどりの玩具の広告が映し出され、大型のスクリーンでは入場待ちの子供たちに向けたプロモーション映像が流れている。
ジムの眼鏡には、その上に小さく「出入口A/混雑:高」の表示が重なって見えていた。
人の波に紛れながら、ジムは深く息を吸う。
人々の笑い声、スタッフの案内、スーツケースの転がる音。
どこにでもある平和なイベントのざわめきだ。
――この中で、自分だけが“戦場”にいる。
そう思った瞬間、胸の鼓動が一段上がった。
国家から与えられた任務。
それを完遂できれば、きっと自分は本物の工作員になれる。
「影は光より、先に動け……だっけな」
士官学校の講堂で聞いた標語を、口の中でなぞる。
ガラス扉に手をかけると、指先に薄い震えが伝わった。
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展示場の内部は、外観から想像していたより遥かに広大だった。
天井まで伸びる柱には透明な電飾が巡り、どこからともなく流れる軽快な音楽が反響している。
AI玩具の巨大なモニュメント、体験コーナー、子供向けステージ。
カラフルで柔らかな曲線が多用されたデザインは、来場者の視線を自然に誘導するよう計算されているようだった。
ジムは、装着した眼鏡端末の薄いHUDを視界の片隅に留めつつ、ゆっくりと歩みを進める。
雑踏の中を漂うように歩きながら、視覚情報とセンサーログを同時に確認するのは訓練で慣れているはずだった。
しかし、初任務という緊張が、肩に重い膜のように圧し掛かっていた。
HUDには断続的に小さな警告が表示される。
赤くも黄色くもない、灰色のアラート。
「参考値変動」「再同期中」「プロトコル検証」──緊急性なし、と判定されている。
ただ、ジムはその頻度の多さが気に掛かった。
本来、こうした警告は動作試験中に消されているはずだ。
だが彼はすぐに思考を押し戻す。
判断は許されない。
報告命令以外は考えるな。
それでも、初任務を任された責任感が
その「小さな揺らぎ」に自律的に反応してしまう。
ふと、視線の先に黒いスーツ姿の男が立ち止まっていた。
バッジには「PRESS」の文字。
カメラの電源を落としたまま、観客席ではなく展示フロアの天井角度を撮影しようとしている。
ジムは歩きながらHUDに視線を滑らせる。
追跡タグが自動付与される──はずだった。
タグは、付かない。
無害判定か?
いや、そもそも検知されていないのか?
そんなことがあるはずが──
ジムは眉根を寄せかけたが、自制する。
現場判断禁止。
報告対象として保持だけしておく。
数歩進んだところで、別のノイズが視界に入る。
キッズコーナー側の体験ロボットの挙動ログの遅延。
数ミリ秒だが、規格外だった。
しかしこれは、ゲーム用AIなら起こり得る誤差だ。
気にしすぎだ、と自分を諭す。
任務開始からまだ十五分。
だが、何かが噛み合っていない。
行動心理学の基礎や違和感を早期発見するためのセオリーは一通り学習した。
──学習したはずなのだが、この空間はそれに一致しない符号が多い。
HUD右上の暗号回線が、わずかに瞬いた。
通信が切り替わった合図だ。
《巡回を続行せよ》
短い文。
クラークの声ではなかった。
誰の声か判別できない無機質な合成音声。
(……誰だ?)
疑問は喉まで上がるが、押し戻す。
「影は光より、先に動け」
自分に言い聞かせるように呟いた。
それは信念というより、呪文に近かった。
ジムは足を進める。
ただ歩いているだけなのに、視界に映る情報は増え続けた。
赤子を抱いた母親。
玩具の展示台を拭うスタッフ。
笑顔で試作品を抱える子供たち。
その誰一人として、自分の存在には気づかない。
互いの世界が交わっていない感覚が広がる。
だがこの平穏は、きっと脆い。
この雑踏のどこかに、取り返しのつかない火種が潜んでいる。
巡回を開始して四十分が経過した。
ジムは指定ルートをなぞるように歩き、四つのセクションを回った。
HUDのログには淡々と時刻と位置情報が積み上がる。
異常判定は依然なし。
これといって何の成果もないまま、違和感だけは増し続けていた。
玩具の展示台ごとに設置されている制御端末は、どれも同じスキンを纏っている。
一見すれば単なるデザイン統一だが、ふとした瞬間、画面の発色が同期して変わった。
秒以下の単位で、完璧に揃う。
まるで、会場全体がひとつの“体”のようだった。
ジムの耳へ、幼い笑い声が届いた。
「これすごーい!動いたよ!」
小さな子供が、犬型のAI玩具を抱えて走っている。
尻尾にあたる部分が、不自然にカクつきながら揺れていた。
ジムは視線を向ける。
HUDのログには何も表示されない。
だが、あの遅れは制御系の微細なラグだ。通常は補正されるはず。
背筋に冷たい汗が流れた。
(……報告すべきか?)
しかし
「異常の断定には必ず裏付けを」
という規約が頭をよぎる。
判断材料はバグの可能性も高い。
報告して処理時間が奪われれば、任務遂行に支障が出るかもしれない。
新人に与えられた任務は、慎重さが重視されている。
雑踏は依然として平穏だった。
親子連れ、記者、企業関係者、学生、観光客。
誰も気づかない。
いや、気づかされない、と言うべきか。
世界の表面に綻びが走り続けているのに、
その綻びが“正常”として綺麗に塗りつぶされていくような違和感。
(ダメだ、疑念にとらわれるな、集中するんだ……)
ジムの靴音が、展示ホールの床で吸い込まれていく。
人々のざわめきの奥、どこか遠い位置で微細な金属音がした。
機械の起動音。
しかし音量が小さすぎる。
耳鳴りか、と疑うほどの微かな音。
ジムは振り返り、HUDの方向補足機能を起動する。
――対象:特定不可
――音源:不明
――レベル:検知外
思考の中心がじわりと軋んだ。
それでも足を止めることは許されない。
任務は巡回。介入は禁じられている。
ジムは静かに息を吐き、
次のセクションへ向かった。
巡回を終え、最初の経路へ戻ったとき。
HUDの警告が、一瞬だけ赤に変わった。
そしてすぐ消える。
「……誤作動か?」
確認しようとした瞬間、端末が本部の暗号回線へ自動接続された。
《巡回データ、正常。引き続き任務を遂行せよ》
淡々とした合成音声。
だが、ジムは“正常”という言葉に引っかかった。
正常と断言するには、まだ判断材料が少ない。
人波は相変わらず楽しげに流れている。
この空間で異常を疑うのは自分だけだと思うほど、現実はきらびやかだった。
(疑っているのは自分の神経か……)
自嘲めいた思考がよぎり、ジムは歩き出す。
その足取りは、さっきよりわずかに軽かった。
不安が消えたのではない。
ただ、“報告すべき異常は無かった”という事実が
安全という幻を脳に刷り込んだだけ。
ジムは巡回ルートの先へ進んだ。
まだ知らない。
次に見つける「端末」が、運命を狂わせる引き金になることを。




