8.聖女の記録、その謎
この夢の世界にやってきて最初に通された聖堂、それを小ぶりにしたような建物に、シェスターは迷うことなく入っていった。ちょっぴり緊張しつつ、そのあとに続く。
その建物に入ってすぐに、神官っぽい人がゆったりと歩み寄ってきた。シェスターは胸にかけたペンダントと腰の剣を指し示しながら、彼に話しかけている。
「ここを管理する神官だな。俺は神官騎士シェスター・ライルだ。神官長の命により、旅をしている。ここの所蔵物を見せてもらいにきた」
「はい、確かに。……ところで、そちらの方はどなたでしょう?」
神官が、突然私を見る。その視線は穏やかではあるものの、こちらをじっと観察しているような、そんなものだった。うん、怪しまれてるかも。
緊張に、自然と背筋が伸びる。さあ名乗ろうと口を開きかけたら、それより先にシェスターが割り込んできた。
「彼女はカレン・チャーガ。訳あって、聖女の記録を探している。この件についても、神官長の許可は得ている」
そうしてシェスターは、懐から何かを取り出した。掌に乗るくらいの、小さな紙……じゃないな、革? 羊皮紙? そんな感じのものだ。ここからだとよく見えないけれど、ものすごい飾り文字で何か書いてある。
その何かに目を通した神官は、納得した顔でうなずいた。
「うけたまわりました。それでは、ここに遺された記録をお見せしましょう。……とはいえ、今まで誰も読めたものはいないのですが」
「構わない。いったん書き写し、時間をかけてじっくり解読を試みる予定だ」
シェスターの言葉に、神官はそうでしょうとも、と言ってうなずいている。
そうして神官は、私たちを建物の奥まった一室に案内してくれた。鍵のかかった棚を開け、古びた本を取り出してくる。
受け取った本を部屋の大机に置き、慎重に開く。あ、やっぱり日本語だ。
まじまじと本を見つめていると、隣のシェスターが「読めるか?」と視線だけで尋ねてきた。そんな彼に小さくうなずきかけつつも、私は困惑せずにいられなかった。
……これ、ごく普通の日記だ。やけに達筆だし漢字やカナの使いかたが独特だから、結構年配の……私のおばあちゃんくらいの人が書いたもののような気がする。
それに、内容が……地元の貴族に嫁いで、幸せに暮らしましたとさ。って感じの記載で終わってる。『聖女の記録』って言葉から想像してたのとは、まるで違う。
「カレン。ひとまず、手を動かせ」
これはどういうことなんだろうと頭を抱えていると、シェスターがそっと耳打ちしてきた。少し離れたところで様子をうかがっている神官を、ちらりと見ながら。
はっと我に返り、デルの町で買い求めた紙の束とペンを取り出す。どちらも持ち運びがしやすいように、大きめのバインダーに挟まれている。
まだとまどいつつ、聖女の記録を書き写していった。ここまでの旅の間に、彼と打ち合わせたとおりに。
アルモニックのおじいちゃんたちが聖女の召喚に失敗して私がやってきたことも、そして私が異世界の人間だということも、可能な限り伏せる……つまり、トップシークレットなのだ。
おじいちゃんは、私は聖女と同じ世界から来ているから、おそらく聖女の記録を読めるだろうと言っていた。
一方で神官たちは、長年にわたり聖女の記録を解読しようと頑張っていたものの、ちっともうまくいってないらしい。
どうしてそんなことになっているのか、ちょっと疑問だった。でもこの記録を見て、理解できたような気もする。
なるほど、聖女は個人的な日記をうかつに他の人に読まれたくなくて、わざと日本語で書いたんだな。この世界において日本語は、ある意味暗号のようなものだし。
でも、もしもこれより古い記録が出てきたら……くずし字とか出てきそうだし……私も読めなさそう……それこそ、和歌とか詠まれてたらどうしよう……。
それはともかく、今の私は『聖女の記録について調査している、研究者の卵』という設定になっているのだ。これなら、堂々と聖女の記録について写しを作れる。どうせ誰にも読めないのだし、写しが流出しても問題はない。
せっせと記録を写しながら、ふとつぶやく。
「……やっぱり、私がこれを読めるんだって、公表したほうが……みんな気になってるみたいだし……」
するとすかさず、シェスターが口をはさんできた。
「やめておけ。ろくなことにならない」
「それって、私が利用されかねないから……ってこと?」
「ああ」
彼は、いつも私のことを心配してくれる。それが同情からであっても、嬉しかった。
「何から何まで、ありがとう……」
「前にも言っただろう。お前は、うっかりこの世界に連れてこられた被害者だ。そんなお前が、この世界の者の思惑に振り回され苦しむのは、我慢がならない。ただそれだけだ」
「うん。でもやっぱり、ありがとう」
手を止めてにっこりと笑いかけると、シェスターはちょっと照れたように視線をそらした。彼はやっぱりそこまで表情が豊かなほうではないけれど、最近彼の表情が読めるようになってきた。
そんなことをこそこそと話していたら、神官の人がにこにこしながら近づいてきた。
「カレン様は、もともと聖女の記録について研究されておられたのですかな? 写し取るさまが、とても手なれておられる」
内心ぎくりとしながら、さわやかに笑いかける。
「はい。いつか、これをきちんと解読できるようになりたくて勉強しました。まだ読めませんが、正確に写し取ることはできるようになったと思います」
わああ、大嘘だ。
顔が引きつりそうになるのをごまかすように、さらに熱心に書き取りを続けた。
「帰ってないじゃん! 聖女!」
その日、宿屋でシェスターと二人きりになるとすぐに、そう叫んでいた。ずっとずっとつっこみたくてたまらなかった。
「そうなのか?」
「そうなの。地元の貴族に嫁いで、たくさんの子や孫に囲まれて末永く幸せに暮らしてたよ!」
聖女の記録は、ゆかりの地に遺された。アルモニックのおじいちゃんのそんな言葉がずっと引っかかっていたのだけれど、要するに聖女は、一生を暮らしたその地に記録……というか日記を遺していた。それだけの話だった。
「ふむ……その聖女は帰れなかったのか、それともあえて帰らなかったのか……」
シェスターは視線をそらし、真顔で考え込んでいる。
「ともかく、これからも記録を集めていこう。そのうちに、はっきりすることもあるだろうから」
「はあーい……」
それからも旅を続け、それぞれの町にある教会関係の施設を次々と訪ねていく。アルモニックのおじいちゃんとシェスターのおかげもあって、聖女の記録に目を通すこと自体は簡単だった。
ただ、その内容が……調べれば調べるほど、頭が痛く……。
今日の分の調査を終えて宿に戻り、シェスター相手にぐちる。
「知らない世界に連れてこられておびえきっていたものの、王子様に見初められて玉の輿に乗った人……」
これまでの聖女たちの生きざまを、次々述べていく。
「神官たちにこき使われることに嫌気が差して、信者を連れて逃げ出すことにした人……」
それは、あきれるくらいに様々で。
「魔法を活用して商売を始め、ひと財産築いた人……」
しかしどこにも、元の世界に帰ったという記載はなかった。みんなして、この世界に骨をうずめて……いや、夢の世界に骨ってうずめられたっけ?
「ねえ、聖女って、この世界を救うため……というか、魔王を倒すために呼び出されたんだよね……?」
今でも、『魔王』と口にすると笑ってしまいそうになる。旅の間、盗賊なんかに出くわすことはあったけれど、魔王とかそれに関係しそうなものは、一度も見かけなかった。
本当に、魔王っているのかなあ。過去の聖女たちの記録を読むにつれ、そんな思いは強くなっていった。だってどの記録も、平和そのものなんだもの。
「でも、世界を救ったっていう記録も、魔王と戦ったっていう記録もないよ……? しかも、元の世界に帰ったって記録もないんだけど」
「……そもそも、聖女や魔王についての情報は、俺たち神官騎士ですらよくは知らない。あのじいさんを中心とした神官連中が取り仕切っているからな」
あのじいさん、つまりアルモニックのおじいちゃんだ。教会では一番偉い人だって聞いているけれど……そっか、シェスターにも知らされていないことはあるんだ。
「嫌な感じだ。まるであいつの手のひらで踊らされているような……」
彼は不機嫌そうにすっと目を細め、ぶつぶつとつぶやいている。そのさまを見ていたら、ふと疑問が浮かんだ。
「シェスターは、アルモニックのおじいちゃんのことが嫌いなの?」
「……嫌いとか好きとか、そういった感情はない。ただ俺は、あいつの命令に従わなくてはならない、そういう立場だ」
組織って、そういうものなのだろう。たぶん、部活動とかそういうのより、ずっと強い結びつきだ。
「ひとまず、こうしてお前に旅をさせてやれる。そのことはよかったと思う」
さらに不機嫌そうな顔、というか噛みつきそうな顔で、彼は低くうなった。言葉と態度がかみあってない。
話を変えようと、ふと思いついたことを口にする。
「アルモニックのおじいちゃん……今頃、次の聖女を呼び出そうと、必死になってるのかな?」
「どのみち、お前には関係ないだろう。お前は、聖女ではない。余計な苦労をわざわざ背負い込む必要はないのだから」
「まあ、それもそうかな?」
この夢が覚めるか、帰る方法を見つけるか。どちらにせよ、もう聖女だのなんだのは関係ないんだった。
そう思い直して、手元の紙に目を落とした。過去の聖女たちの生きざまが記された紙の束は、夢だとは思えないくらいにどっしりとしていた。




