30.気になっていたこと
この世界に残ると決めた私は、デルの町の教会施設を拠点として、さっそく聖女の記録の調べなおしに取りかかった。
こちらからあちこち出向いてもいいのだけれど、その前に一度、ある程度まとまった量の記録を見比べてみたかったのだ。もう、聖女の記録が読めることを隠す必要もないし。
聖堂の最寄りにあるこの町は、あちこちの町に街道が通じていて交通の便がいい。だから近隣の町に保存された記録をここに集めてもらって、一気に調べることにした。
……教会の記録を調べるのなら聖堂に留まるのが筋なのかなとも思うけれど、あそこには色んな意味で近づきたくないし。
アルモニックと顔を合わせるのが嫌だっていうのもあるけれど、それ以上に、神官とか神官騎士の人たちに大歓迎されてしまうのが居心地悪くて……。
デルの町の教会施設の一室、大きな机に積み上げた日記の山を見つめながら、ぐっと眉間にしわを寄せる。
「あのね、ずっと気になっていたことがあるんだけど」
そうつぶやいたら、記録を整理していたシェスターが手を止めて、こちらを見た。
聖女の記録は、ほぼ全てが日本語で記されていた。当然ながら、読めるのは私とカリンさんだけ。
しかしカリンさんは、現在あっちこっちを引き回され……じゃなくて連れ回され、怪我人や病人の治療にあたっている。
おかげで、最近彼女の顔を見ていない。顔を合わせるたびに泣き言と愚痴をぶちまけられるから、あの人に会わずに済むのもありがたい。
けれど、一人で記録を整理して読みなおしてメモを取るのは大変だ。なのでシェスターにざっと日本語の読み方を教えて、記録の整理を手伝ってもらっているのだ。
日付だけでも読めるようになれば、ばらばらになっている日記を時系列順に並べることができる。それだけの手伝いに、大いに助けられていた。
「気になる? 何がだ」
近づいてきた彼をまっすぐに見つめ、首をかしげながら続ける。
「聖女って、魔王に対抗するためにこの世界に呼ばれた……んだよね?」
「ああ。そう聞いている」
聖女は、魔法を一つだけ使える。私みたいに破壊向けの魔法なら、そのまま魔王と戦うことができる。
しかしカリンさんみたいに直接攻撃できない魔法の持ち主でも、聖女の魔力を魔王の核に叩き込むことで、核を爆散させることができるのだとか。
「でもこの記録をじっくり見直してみると、私みたいに魔王を倒した人ばかりじゃなくて、魔王を倒してない人も割といるっぽいんだよね」
「そうなのか?」
意外だと言わんばかりの顔で、シェスターが私の手元の記録をのぞき込んだ。その一冊を手に取って、彼に示す。
「だってこれ、『聖女としての使命から逃げる代わりに、私は一生素性を隠して生きることとなった』って感じのことが書いてあるんだけど」
私の言葉に、シェスターも首をかしげる。
この世界にも、少数ではあるけれど黒や茶色の髪の人たちはいる。だから、目立ちはするけれど現地の人のふりをして生きることも可能だ。かなり目立つけど。
まだ全部に目を通してはいないからはっきりとしたことは言えないけれど、きちんと魔王を倒したうえで残ることを選んだ聖女と、魔王を倒さずにそのまま残った聖女が、だいたい同数ってところ。
「聖女が逃げた。だとしたら魔王は、どうなっちゃったんだろう?」
そうして私たちは、互いに顔を見合わせたのだった。
「やあ、二人とも元気そうだな。アルモニックからの返事をもらってきたぞ」
そんな疑問を抱いてから一週間後、メルヴィルさんが私たちのところを訪ねてきた。
魔王について一番くわしいのは、おそらくアルモニックだ。しかし私もシェスターも、できればあの人とは顔を合わせたくない。一応和解はしたけれど、そう簡単に割り切れるものでもないし。
だから聖堂にいるメルヴィルさんに手紙を送って、魔王について教会が持っている情報を可能な限り教えてほしい、と頼んだのだ。もちろん、よそにはばらさないからというただし書きをつけて。
そうしたら、メルヴィルさん本人がやってきたのだ。内容が内容だけに、文書で教えることはできないとかで。
「こうして堂々と、君たちのもとを訪ねられるのは嬉しいよ。あのペンダントはもうないとはいえ、神官騎士の副団長としては、そうふらふらと出歩けないからな」
とっても楽しそうな顔でそう言うと、メルヴィルさんは人払いを済ませ、一転して真剣な顔になった。三人でテーブルを囲み、ひそひそ話を始める。
「魔王の正体、それは十年から数十年に一度、この大陸のどこかに落ちてくる凶星だ」
その言葉に、あの日シェスターと見た流星雨を思い出す。すぐ近くに落ちた、ひときわ大きな流れ星のことも。
「魔王は降り立った地点を起点として勢力を広げ、魔王軍を生み出し、野の獣や木々を手下とし……そうして周囲を、人の住めない地へと変えていく」
そうなる前に、迅速に魔王を止められた。そのことが、とても誇らしい。
こっそりと笑っていたら、メルヴィルさんは真顔でとんでもないことを言い出した。
「ただ魔王は、放置しておけば十年ほどで自然消滅するらしい」
思いもかけない一言に、私とシェスターの口から、は? という言葉が同時にもれる。
「ええー……何それ」
「おい、それは初耳だ」
私たちの抗議の言葉に、メルヴィルさんも真剣そのものの顔でうなずいた。
「ああ、私もだ。これを知るのは、教会でも神官長と、その周囲の数名だけなのだそうだ」
「……どうして、わざわざそのことを伏せているのかなあ……?」
訳が分からなくなってぼそりとつぶやくと、隣からシェスターの低い声がした。
「おそらくは、聖女を使命に立ち向かわせるためだろうな。自分がやらねば民が苦しむ、そんな事実を突きつけて、行動を縛る。そういうことだろう」
教会の連中のやりそうなことだ、とシェスターが嫌悪感もあらわに吐き捨てる。それを見て、メルヴィルさんが小声で付け加える。
「もっとも、魔王が自然消滅するまで放っておいたら、周囲の地域には甚大な被害が出る。できれば聖女に倒してもらいたいというのが、素直なところだろう」
「確かにそうですね」
「それに、使命の重圧に負けてしまった聖女については、特にとがめることなく解放してやった……らしいぞ」
「……でも聖女が逃げたってことが広まったら、大変なことになりませんか?」
素直な疑問を口にすると、メルヴィルさんは苦笑しながら肩を思いきりすくめた。
「そういった場合は、しばらくして魔王が消えてから『聖女がその任を果たしたのだ』と触れ回って、つじつまを合わせていたらしい。『私たちとて、鬼ではありませんゆえ』とアルモニックは言っていたな」
「鬼だろうが」
相変わらず、シェスターはアルモニックには辛辣だ。仕方がないといえば、仕方ないのだけれど。
「ま、まあ、人それぞれ事情もあるし、仕方ないよ」
「ああ、カレン君の言うとおりだ。聖女といえど一人の乙女、強い心をもって魔王に立ち向かえる者ばかりではない」
そう言葉を添えるメルヴィルさんは、まずいものでも呑み込んだかのような顔をしていた。たぶん、カリンさんのことを思い出してしまったのだろう。
彼とカリンさんとの間に、色々あったらしいとは聞いているけれど……よっぽど大変な目にあったんだろうな。
詳細が気になるけれど、メルヴィルさんはカリンさんの名前が出ただけで顔をこわばらせてしまうので、申し訳なくて聞けないままだ。
それはそうと、また殺気を放ち始めたシェスターをなだめないと。
「ほら、私だって、あなたがいなかったら、魔王に立ち向かうことなんて絶対になかったもの」
威嚇する犬みたいに顔をしかめているシェスターに、そう言って笑いかける。すると彼はまだ不満げではあるものの、ひとまず口をつぐんだ。
「……先日、あの山で再会したときから感じていたんだが」
それを見て、メルヴィルさんがほうと息を吐く。
「カレン君は、立派な猛獣使いに育ったな。素質はあると思ってはいたが、まさかここまでとは」
そしてシェスターが、目じりをつり上げてほえた。
「誰が猛獣だ!」
「ほら、そういうところだ。お前は昔から、許せないことがあるとすぐに機嫌を悪くして……まっすぐな気質ともいうが、あまりにも不器用で、心配だったんだ」
あ、前にもメルヴィルさんはこんなことを言っていたな。そんなことを思い出していたら、彼は笑顔でこちらに向き直ってきた。
「だが、これでようやく私も安心できる。カレン君、改めて彼を頼んだよ」
「ええっと、任されました」
ちょっと照れながら、あのときと同じような言葉を返す。私とシェスターの関係は、あのときから大きく変わった。でも、彼を支えたいという気持ちは変わらない。
「……と、今回は改めて頼むのも野暮だったかな」
すると、メルヴィルさんがにやりと笑った。私とシェスターを順に見て、思いっきりもったいぶって言う。
「末永くお幸せに。こちらのほうが適切だな」
「メルヴィル!」
シェスターが立ち上がり、メルヴィルさんにつかみかかる。怒っているような表情だったけれど、耳まで真っ赤になっていた。
メルヴィルさんはそんなシェスターを軽くいなしながら、心底楽しそうに笑っている。
そして私は、そんな彼らをただ見守ることしかできなかった。熱くなった頬を、両手で押さえて。とっても照れ臭いけれど、幸せだなあと感じる自分に、ちょっと驚きながら。
ここで完結です。読んでいただいて、ありがとうごさいました!
下の星なと押していただけると嬉しいです。
また少し間は空きますが、そのうち新作を投稿する予定ですので、そのときはお付き合いいただけると幸いです。