29.ここからまた始めよう
「……まさかまた、ここに来ることになるなんて思いもしなかった」
私とシェスターは二人、聖堂の隣の祭壇に来ていた。私がこの世界にやってきて、初めて降り立った場所。
あれからみんなで話し合って、シェスターは正式に教会を離れた。そして教会は、私のことを『魔王討伐の功労者』と認定した。
話がややこしくなるので、聖女はカリンさん一人ということになっている。……とはいえ、彼女はダメ聖女認定されたっぽいけど。自業自得……でいいのかな。
ちなみにメルヴィルさんとトマス君は、また神官騎士に戻った。ただし、あのペンダントはもう身につけていない。
外から縛られるのではなく己の意志で行動を律したいと、メルヴィルさんは力強くそう主張していた。そして、彼のその思いに共感した神官騎士たちの一部が、自分の分のペンダントも外してくれと頼んできた。私に。
だからためらうことなく、彼らのぶんのペンダントも魔法で壊してやった。……本当は、神官や神官騎士の全員分をぶっ壊してやりたかったけれど、彼らの生き方を決める権利は、彼らにある。私がでしゃばってはいけない。
などと格好つけてはみたけれど、実際に私の魔法を目にした神官と神官騎士が、みんな目を丸くして私を取り囲んで大騒ぎして……この上なくむずがゆかった。シリアスなムード、あっという間になくなった。
しかもみんなときたら、もっと魔法が見たいとか言い出して……仕方がないので、周囲の木々や岩をちょっとだけ爆破して、山道を少しだけ広げてみせた。もちろん、破片で誰かが怪我しないよう、きっちりと粉々にした。
月明かりに輝きながらさらさらと風に吹き散らされていく粉を、アルモニックは黙って見つめていた。そうしてゆっくりと、私に向かって頭を下げてきたのだった。
何も言わなかったけれど、彼の気持ちが伝わってくるような、そんな仕草だった。
そんなこんなを経て、私とシェスターは、なんとなくメルヴィルさんたちと一緒に旅をして、この地まで戻ってきたのだった。
私の手に刻まれた印は、望むことで私を空の上に放り上げ、元の世界に帰してくれるらしい。
一応、どこでも発動させることはできるらしいのだけれど、この祭壇で行うのが一番安全で、確実なのだとか。
右手を広げ、天に掲げてみる。手のひらに浮かんでいる花のような印は、いつもより強く輝いているように思えた。
ああ、確かにここからなら、間違いなく帰れる。理屈なんて分からなかったけれど、痛いほど実感できた。
そうやってじっと天を仰いでいると、シェスターがそっと隣に立った。
「お前はこれまで、本当に頑張ってきた。その頑張りが、ようやく報われたな」
彼の声は、ひどく静かで優しかった。これまでにないくらい。
「……俺は、お前の力になれていたか?」
「うん。いっぱい支えてもらった」
支えてもらったどころか、彼がいなかったら私はとっくに死んでいた。
「あなたと一緒に旅ができて、本当によかったって思ってる」
右手を下ろして胸に当て、けれどまだ空を見つめたままそう答える。すると、シェスターがそっと私の前に立った。
「……ありがとう。俺の願いを、かなえてくれて」
彼のまなざしは、底抜けに優しかった。穏やかだった。思わず、不安になってしまうくらいに。
思わず息を呑んで、彼の顔をじっと見つめた。日差しを受けた彼の水色の髪は、せせらぎのように清らかにきらめいている。
「お前がこの世界にいる間だけでいい、俺をお前のそばにいさせてくれ。俺がそう口にしてから、お前はずっと……俺とともにいてくれた」
そうして彼は、ゆっくりと噛みしめるようにそう言った。ほんの少し、泣きそうな顔をしていたのは、たぶん気のせいじゃない。
「それだけで、十分だ」
絞り出すように言った彼が、ふと何かに気づいたように息を呑む。そうして、ぼそりと付け加えた。
「……いや、違うな。もう一つ、願いができてしまった」
もう一つの願い。緊張しながら、彼の次の言葉を待つ。
「どうか、元の世界に戻っても……俺のことを忘れないでくれ」
わざわざそんなことを頼んできたということに、驚いてしまって何も言えない。立ちすくんでいたら、彼は自嘲するように視線をそらした。
「自分がこんなに欲深い人間だとは、思いもしなかった。どうもお前といると、あれこれと願わずにはいられない」
「よ、欲深くなんかない! 私たち、あれだけ色んな危機を乗り越えて、一緒に世界を救ったんだよ!? 忘れるほうが難しいってば!」
彼がそんな顔をしているのが嫌で、あわてて力いっぱい否定する。
「そうか。……嬉しいな」
しかし彼の笑顔は、たっぷりと憂いを帯びたものだった。その表情に、決意する。
「……あのね、そのことなんだけど」
今の今まで、迷っていた。こんなことを口にしていいのか。でも、もう決めた。
「……帰りたくない、って言ったら……気を悪くする、かな……?」
その言葉に、今度はシェスターが驚きをあらわにする。いつも冷静な彼が、目を真ん丸にして、食い入るように私を見ていた。
ひどく熱い視線にたじろぎながら、懸命に言葉を続ける。
「ほら、私は最初、帰るための方法を探して旅をしていて、そこにあなたを付き合わせていたわけで」
視線をそらして、ちょっとだけ早口に、一気にまくし立てた。
「その努力をまるごとひっくり返すみたいで、ちょっと申し訳なくはあるんだけど」
すっと息を吸って、もう一度シェスターを見返す。彼はまだ、顔いっぱいに困惑を浮かべていた。
「でもね、思ったんだ」
今度は彼の目をしっかりと見つめて、落ち着いて考えをまとめながら話していく。
「今まで記録を残していた聖女たちは、帰らないことを選んだ人たちだった。でもきっと、帰りたいのに帰れなくなった人もいたのかもしれない。……このままだと、カリンさんもそうなりそうだけど」
あれはただの自業自得だが、と小声でつぶやくシェスターをこっそり無視して、ひとまず続きを口にすることにした。
「そんな人たちのために、帰るための方法を探してみるのもありかなって思ったんだ」
「帰るための……方法?」
「そう。私の手にあるこの印についてあれこれ調べてみるとか、今までと同じように聖女たちの記録を探すとか、やれることは色々あるし」
ちょっと恥じらいつつ、もごもごと付け加える。
「それにね、頑張って守ったこの世界を、もっとあちこち見て回りたい。もう、教会の目を気にせずに済むし……」
アルモニックによれば、今の私は教会だけでなく、各国の王の支援すら得られてしまう立場になってしまったらしい。ちょっと前まで逃亡者だったことを考えると、とんでもない出世だ。
まあ、だからこそこうして、儀式の際以外立ち入り禁止の祭壇に気軽にやってくることができたのだけど。
……というかアルモニック、私がまだ残りたがっているのを察して、私に与えられた特権について教えてくれたのかもしれない。……あの人、一癖も二癖もあるし……。
「えっと……そんなわけで」
頭の中にちらつくアルモニックの笑顔を力いっぱい隅っこに押しやって、さらに言う。
「私はもうしばらくこの世界に残って、旅を続けたいなって思ってるんだけど……一人だと、やっぱりあれこれと大変だし……」
シェスターは黙って、私の話を聞いていた。ほとんど表情のないその顔からは、彼が私の考えに賛成しているのか反対しているのか、まったく分からない。
そのことにちょっとひるんでしまいそうになったけれど、お腹に力をこめて急いで言い切る。
「だから、あなたさえよければ、もう少し力を貸してほしいな、って……」
その後に付け加えたかった、でもこれって図々しいかな、という言葉を、私は口にすることができなかった。
「もちろんだ。俺が役に立つなら、いくらでも」
シェスターがそんなことを言いながら、私を力いっぱい抱きしめてきたから。
「……夢のようだ」
「えっ、えっと、ええっ!?」
彼の言葉の意味が分からなくて、思いっきり裏返った声が出てしまった。
「このところずっと、お前との別れのことばかり考えていた。引き止めたいのを必死にこらえて、笑顔でお前を送り出してやろうと……そう、覚悟を決めていた」
そう語る彼の声は、とても嬉しそうで……聞いているこちらまで、笑顔になってしまうようなものだった。
しかし彼は、そんな声音で妙なことを言い出した。
「だがお前は、これからもこの世界にいてくれる……ああ、困った」
「こ、今度は困ったって、どういうこと!?」
「俺の願いが、また一つ増えてしまったんだ」
「えっと……今度は、どんなお願い?」
うろたえながらそう尋ねたら、私を抱きしめている彼の腕に力がこもった。
「もう、どこにも行かないでくれ」
そうしてそれきり、彼は黙り込む。彼の言葉をしっかりと噛みしめて、そろそろと口を開いた。
「……実は、ここに残るのもいいかなって……ちょっと前から、そう思ってた。このまま、帰る方法が見つからなくてもいいんじゃないかなって」
というか、もう帰ることについてはあきらめていた。シェスターのペンダントを破壊して、逃亡者になったあのときから。
けれど不思議なくらい、後悔はしていなかった。むしろ、これからのことを前向きに考えていた。
「あの記録を残した聖女たちみたいに、私もこの世界であなたと一緒に暮らして、そして『幸せでした』って記録を残すのも悪くないなって……」
「ああ」
シェスターは短く、けれどとても力強く答える。
「これからも、俺がお前を守る。お前が幸せになれるよう、全力を尽くす」
「……うん。ありがと」
そう答えたまさにそのとき、うおおおという雄たけびのような声がわき起こった。
何事かとそちらを向くと、そばの建物から次々と人が駆け出してくるのが見えた。先頭がメルヴィルさんで、その隣にトマス君が並走し、彼らの後ろには神官騎士たちがずらずらと……。
「よかったな、シェスター!! ああ、今日はなんとめでたい日だ!!」
「どこからわいて出た、メルヴィル。邪魔するな」
さっきまでこの上なく優しい笑みを浮かべていたシェスターの顔は、すっかり凶悪な面相になってしまっている。わ、ここまで怖いのは久々に見たかも。
「はは、失礼だな。人を虫か何かのように。そこの建物の中で、じっと気配を消して盗み聞きしていたんだ」
メルヴィルさんはこの上なくさわやかに、しかしひどいことを言っている。というか、シェスターの気迫に少しも動じていない。
「さあ、みんなで彼らを祝おうじゃないか! この世界に留まることを選んでくれた、カレン君の勇断をたたえるためにも!」
彼の言葉を合図にしたように、神官騎士の人たちがまたわあっと楽しそうに叫んだ。
……これ、どうしたらいいんだろう。さっきの会話を盗み聞きされていたのはかなり恥ずかしいし、今ここで祝われても……。
困惑する私の耳元で、シェスターが低くささやきかけてくる。
「……カレン、嫌なら遠慮なく言ってくれ。俺が責任もって、この無神経どもをねじふせる」
それを聞きつけたのか、メルヴィルさんがあおるように言い放った。
「さて、そううまくいくかな? シェスター、私との手合わせの戦績がちょうど引き分けになっていること、忘れてはいないだろうな?」
「そんなことはどうだっていい。俺はカレンのために勝つ」
シェスターのそんな言葉に、ちょっとじんとしてしまう。彼の口からそんな言葉が聞けるなんて、幸せだな。
ただ私も、守られっぱなしというつもりもなくて。
「……ねえ、もっといい方法があるよ」
嬉しさについつい微笑みながら、シェスターの袖を引いた。
「私の魔法で、全員、着てるもの全部消し飛ばしてあげようと思うんだ! そうすれば戦うまでもなく、私たちの勝ちだよ!」
高らかに笑って、今度はメルヴィルさんたちに向き直る。そのまままっすぐに、手を突き出した。私の魔法の威力を知っている彼らが、一斉に口をつぐんで後ずさっていく。
「ああ、それはいいな。お前は本当に強くなった」
嬉しそうに、シェスターが微笑みかけてくる。そんな彼に笑い返そうと振り向いた拍子に、シュガーピンクの髪が視界の端でふわんと揺れた。
これが、私の髪。ここが、私の世界。そこで笑っているのが、私の大切な人。
いきなりここに落ちてきたときは驚いたけれど、思ったよりずっといい感じの未来をつかみ取れたな。
自然と、大きな笑みが浮かぶ。そのままシェスターに抱きついて、明るく言った。
「うん! だって、大好きなあなたのためだもの!」