22.完全に予想外の事態
朝方、山に入ってからずっと、魔王軍はふらふらわらわらと、私たちに襲いかかっていた。
最初だけちょっとピンチになりかけたけれど、そこからはとてもやすやすと、私たちは魔王軍を退治し続けていた。
ところが先ほどから、魔王軍の動きが変わっていた。
物陰から突然姿を現すのはそれまでと同じだけれど、そこから奇妙な行動を取るようになっていたのだ。
「妙だな……連中、間違いなく俺たちを見つけているのに」
そうつぶやくシェスターの視線の先では、魔王軍が一体立ち尽くしている。しかしそいつはふらりとこちらに背を向けて、そのままぶらぶらと歩み去ってしまった。
「さっきまでは、私たちを見かけたとたん突撃してきてたのにね」
どうにも、薄気味悪い。というか魔王軍たち、みんな同じほうに向かっているようでもある。
「……一応、確認してみる?」
小声で呼びかけると、シェスターは眉間にくっきりとしわを刻んでうなずいた。
「少しだけ、な」
そこからの道のりは、ちょっと……かなり奇妙なものになっていた。
次々と現れては、どこかよそに向かって走っていく魔王軍、道なき道を突っ切りながらその魔王軍を追いかけていく私たち。
シェスターは走りながら、時々周囲の地形と、それに太陽の位置を確認している。拠点への帰り道と、今の位置を確認しているのだと思う。
……私一人だったら、ここまで来られなかった。たとえ魔法を使いこなせるようになったとしても、こうやって魔王軍と直接戦うなんてことはできなかった。
走りながらこっそり感慨深さをかみしめていたら、行く手がなんだか騒がしくなった。シェスターが立ち止まり、私を背にかばうようにして身構える。
「何かあったの、シェスター?」
「しっ、静かに」
彼の声は、やけにこわばっていた。目の前の木々の向こうに、今何かちらっと見えた気がするんだけど……。
「えっ!」
その何かの正体に気づいたとき、声を張り上げてしまっていた。あわてて口を両手で押さえつつ、もう一度そちらをじっくりと見る。
木々の向こうは開けた草地になっていて、そこにあきれるほどたくさんの魔王軍が殺到している。うっすら透けた体が重なり合っていて、どうにも気持ちが悪い。
そして、魔王軍の向こうにちらりと見えたのは。
「あれ……メルヴィルさん、だよね……」
メルヴィルさんは、戦っていた。必死に剣を振るい、魔王軍を着実に倒している。けれどあまりにも、数の差が大きすぎた。
「ああ。……背後にかばっているのは、新人か……?」
言われてもう一度そちらを見ると、メルヴィルさんの背後に、どうみても私より年下の少年がうずくまっていた。服装からすると、彼も神官騎士なのだろうけど……。
「シェスター、二人で助けにいこう!」
「カレン、俺はあいつを助けにいってくる」
そんな言葉が、同時に私たちの口からもれた。シェスターは一瞬目を丸くして、それからきっとこちらをにらんできた。
「お前はだめだ。あいつの前で、魔法を使う気か? 隠れていても、そのうちばれる」
彼の言うことはもっともだけれど、私も引き下がるつもりはない。ぐっとお腹に力を入れて、はっきりと言い切った。
「この感じだと、近くに他の人はいなさそうだし、メルヴィルさんなら魔法のことを知っても言いふらしたりしないよ。……たぶん」
最後のほうだけちょっぴり自信なげになってしまった言葉に、シェスターが小さく笑う。
「それもそうだな。よし、行くぞ!」
「了解!」
そうして、私たちは草地に飛び出していった。私たちの姿に気づいたメルヴィルさんが、こぼれ落ちんばかりに目を見開く。
「シェスター……カレン君……行方知れずのお前たちが、どうしてここに……」
「話はあとだ、メルヴィル! 加勢する!」
鋭く叫んで、シェスターが魔王軍に切りかかった。そのまま、じりじりとメルヴィルさんのほうに近づいていく。
しかしいかんせん、魔王軍が多すぎた。切っても切っても、どこからともなく集まってくる。どうやらこの辺一帯の魔王軍が、ここに殺到してしまっているようだった。
これはもう、私も腹をくくるしかないな。戦っているシェスターの背後に隠れるようにして、魔法を放つ。
幸い、メルヴィルさんは戦うのに忙しいのか、私の魔法には気づいていないようだった。彼の背後にいる少年は、さっきから頭を抱えてうずくまりっぱなしだし、こっちも問題ない。
……この感じなら、案外ばれずにいけるかも。魔王軍の動きよりもメルヴィルさんの動きに気を配りながら、ひたすらに隠れて、どんどん魔王軍を倒していった。
やがて、辺りは静かになっていた。私たちの周りには、白い砂が敷き詰められていた。まるで砂浜だなと、そんなことをふと思うくらいにたくさんの砂だ。
そんな砂の山を見つめ、メルヴィルさんがふうと息を吐く。額の汗を袖で拭って、こちらに向き直った。
「助かった。それにしても、どうしてお前がここに?」
「魔王が降臨したとき、すぐ近くの村にいた。気になったから、様子を見にきた」
細かいことは全部省いて、シェスターがさらりとそう答える。メルヴィルさんがそれ以上何か問いかけてくるより先に、今度はシェスターが尋ねた。
「ところで、お前こそどうしてこんなところにいる? やけに追い詰められていたようだが」
するとメルヴィルさんは困ったように笑い、うずくまっている少年をちらりと見た。
「こちらの騎士はトマス、先日神官騎士になったばかりなんだが、さすがにこの戦いは、初陣としては恐ろしすぎたみたいでな……」
名を呼ばれた少年が、うつむいたまま肩をびくりと震わせる。
「彼は恐怖に我を忘れて突出し、部隊からはぐれた。私は団長にことわって、彼を探すために単独行動をしていたんだ」
隣のシェスターが、はっと息を呑む気配がした。
「そしてようやく彼を見つけたはいいが、ぞっとするくらいに魔王軍が押し寄せていてな。さすがの私も、肝が冷えた。本当に助かった、シェスター」
「……本当にお前は、人が好いにもほどがある……昔から、どうしようもなくおせっかい焼きだったが、まさかここまでとは」
心底ほっとしたという顔のメルヴィルさんに、シェスターはものすごく苦々しい声で答えている。何か事情があるのかな、とシェスターの顔をのぞき込んだら、彼はぐっと眉を寄せたまま言った。
「こういった場合、行方不明者はそのまま捨て置かれる。副長がこいつで命拾いしたな、新人」
「は、はい……」
どうやらようやく落ち着きを取り戻し始めたらしく、トマス君が顔を上げる。そんな彼に手を貸して助け起こしながら、メルヴィルさんが誰にともなくつぶやいた。
「さて、無事にトマスとも合流できたし、あとは本隊と合流するだけなんだが」
メルヴィルさんは、私については何も言わなかった。私に下った暗殺命令について、シェスターが教会から離れたことについて、知らないのだろうか。そして、私がさっき使っていた魔法について、気づいていないのだろうか。
気になる。でもうかつに尋ねたら、それこそやぶへびになりかねない。ひとまず、何事もないふりをするしかない。
しかしそうやって口をつぐんでいたら、メルヴィルさんは思いもかけないことを口にした。
「……神官騎士の副長がこんなことを言うのも情けなくはあるが……正直、戻りたくはないんだ。本隊には、聖女様がおられるから」
驚いたことに、彼はその言葉を、苦々しい顔で吐き捨てていた。前に会ったときとはまるで違うその態度に、思わず目を丸くしてしまう。
けれど驚かされたのは、これだけではなかった。
「なあシェスター、お前はもうペンダントから自由になったんだろう? その方法、私にも教えてくれないだろうか?」




