21.二人だけの戦争
「きゃあーーーっっ!!!!」
木の陰から現れたそれを見て、叫んでしまった。全力で。
だってだってあれ、どうみても幽霊!!
この世界では一般的な、革の鎧っぽいものをまとい、まっすぐな剣と小ぶりな盾を持った男性。でもその目はうつろで、何より体も装備も全部透けていて……あれが幽霊じゃないならなんなんだ!!
「カレン……静かにしろ……教会の連中に見つかったら大変だ……」
「ゆ、ゆゆゆゆ幽霊出た! 昼間なのに!!」
「幽霊……いや、きっとあれが魔王軍だ……」
まだ私に支えられたままのシェスターが、苦しそうな声でそう言った。あ、あれが魔王軍なんだ。幽霊じゃないって分かったら、ちょっと落ち着けた……かも?
「カレン、下がっていろ……ここは、俺がやる」
「でもシェスター、苦しそうなんだけど!?」
「なぜか先ほどから、やけに体が重い……が、だからといってあの程度の相手に後れを取るものか」
そう言ってシェスターは腰の剣を抜き、構える。しかしその動きも、いつになくのろのろしていた。
そしてその間にも、魔王軍が増えていた。あちこちの木の向こうから、一人また一人と姿を現し……どこからわいて出てるんだろう……あと、全員同じ顔で怖い……。
あっという間に五人に増えた魔王軍は、もさもさの茂みをものともせずに、一斉にシェスターに殺到してきた。
さすがにあれでは、彼が危ない。それにこの感じ、魔王軍ってきっと普通の生き物じゃないよね!
瞬時にそう判断して、魔法を使った。シェスターの死角に向かっていた一体が、いきなり砂になって崩れていく。どこからどう見ても、ごく普通の砂の山だ。
さんざん使いまくったおかげで、今ではこんな芸当も可能になっていた。爆発の際、音も立てず、しかも一切破片を飛ばさずに、対象物をただ粉々にする。
ノーダメージで装備を破壊できないかと盗賊たち相手に練習を繰り返すうちに身につけた、そんな技だ。
それはそうとして、魔王軍って砂になるんだね……消えちゃうかなって思ってたから、意外だ。
いきなり一体が消えたことに気づいたシェスターが、他の魔王軍と切り結びながら声をかけてくる。
「すまない、カレン! 助かった!」
「ううん、これなら私でもやれるし、全力で手伝うよ!」
シェスターの邪魔にならない位置に陣取って、あわてず騒がず魔王軍を爆砕していく。思いのほか楽だ。というか、手ごたえがなさすぎて拍子抜け。これなら、盗賊の頭を真っ裸にしたときのほうが難しかったかも。
まだじわじわと増えていく魔王軍をせっせと倒し続けて、やがて辺りが静かになってきた。たぶん数分程度の戦いだったけれど、もっと長く感じられた。
「ふう、ひとまず片付いたようだな」
息を吐いて、シェスターが剣をさやに収める。その姿は、もうさっきまでの苦しそうなものではなかった。
「大丈夫、シェスター?」
「ああ。かなり調子が戻ってきた。もう問題ない」
彼の言うとおり、顔色もすっかりよくなっている。でも心配なものは心配なので、一応念を押しておくことにした。
「また具合が悪くなったら、遠慮なく言ってね? 止まって休憩してもいいし、拠点に戻ってもいいし」
「ああ、覚えておく」
そう答えた彼の顔に浮かんでいたのは、ちょっとはにかんだような笑みだった。
ちょくちょく顔を出す魔王軍を叩きのめしながら、もう少し山を登る。シェスターが体調を崩したのは最初の一度きりで、それ以降はむしろ生き生きと魔王軍を切り伏せていた。
「やはり、魔王がいるのはこの山の頂上で間違いないだろうな。登るほどに、魔王軍が増えていく」
「そうだね……休憩しようと思ったら、一度山を下ったほうがいいのかも」
彼の言うとおり、木の陰からひょっこりと魔王軍が姿を現す頻度は上がっていた。ただ私とシェスターは、少しも苦戦することなくそれらを退けていた。
といっても、シェスターによれば魔王軍は決して弱くはないらしい。剣の腕が立つ彼であっても、一度に囲まれたら面倒なのだとか。
しかしながら、あの魔王軍たちは私の魔法がすこぶるよく効く。さほど力をこめなくても、気軽にばんばん消し飛ばせるのだ。
それはまあ、一応人の形はしているし、最初のうちこそちょっと抵抗はあったけれど……シェスターの力になれるのだからと、開き直ることにした。
シェスターが前に出て魔王軍を引きつけ、私が後方から狙いを定めて爆破する。そんなコンビネーションが、すっかりうまくなってしまっていた。
とはいえ、さっきからずっと戦いっぱなしで、さすがにちょっと疲れてきた。あ、今そこの木の陰から魔王軍が……はい、始末、っと。……ゴキブリ退治より雑になってきた気がする。
砂の山がさらりと崩れるのを見届けて、シェスターに向き直る。
「でも魔王をどうにかするのって、聖女の仕事なんだよね? だったら私たちは、もう少し下のほうに留まっておこうか。うかつに上のほうに行ったら、見つかっちゃいそうだし」
「そうだな。少し離れたところで、後方支援に徹するか。……あとは聖女がとっとと魔王を倒して、聖堂に戻ってくれるのを祈ろう。何に祈ればいいのか分からないが」
肩をすくめたシェスターが、大股で駆け出す。ちょうど姿を現しかけていた魔王軍を一撃で切り伏せて、また戻ってきた。
「しかし、本当にすぐにわいて出るな。まるで害虫だ」
とうとうシェスターまで、魔王軍を害虫扱いし始めた。教会の人たちが聞いたら卒倒するかも。
「というか、魔王軍がこれだと……魔王を倒すのも、案外簡単だったりするのかなあ?」
「どうだろうか。魔王を倒せるのは聖女のみ……ということになっているが、真実は分からん」
ぺちぺちと魔王軍を倒しつつそんなことを話していたら、シェスターがふっと目を見張って遠くを見やった。
「西側の斜面のほうで、鳥たちが騒いでいるな。誰か……まあ、十中八九神官騎士だろうが……山を登ってきたようだ。それなりの高さにいるな」
その言葉にちょっぴり緊張しつつ、同時に期待する。
「だったらもう、そんなにはかからないかな? 神官騎士の人たちが山の上まで乗りこんで、聖女が魔王を倒したら、全部終わりだし」
「だといいがな」
ことさらに明るく言い放った私の言葉に、彼はすぐにうなずいた。……その態度に、違和感を覚えてしまう。どうも、あまりにも平然としすぎではないか。
「……あのね、シェスター」
ためらいがちに、声をかける。
「今のあなたは、もう神官騎士じゃないけど……元仲間が苦戦するかもしれないって、そう思ったりはしない? ほら、神官騎士の人たちは、たぶんこの山のてっぺんまで向かうんだし……」
「別に。俺はあいつらを、仲間だと思ったことはない。俺は望んで、あそこにいたわけではないからな」
さらりと答える彼の視線が、ほんのわずかに揺らいでいた。あ、嘘だ。
「……それでも、あなたのことを気にかけてくれていた人もいたでしょう?」
そっと彼の腕に触れて、優しく語りかけた。
「あなたが教会のことを嫌ってるのは分かる。そこで暮らした時間を思い出すと複雑な気分になるんだろうな、とも思う」
自然と、メルヴィルさんのことを思い出していた。あの陽気な、シェスターを心配してくれていたあの人も、この山に来ているのだろうか。
そんなことを考えつつ、静かにしめくくる。
「でもだからって、そのころのことを全部否定しなくてもいいと思うよ」
「……ああ」
シェスターの返事は短かったけれど、その口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。
それから私たちは、山の北側、裏手のほうをうろついていた。神官騎士たちから距離を取りつつ、魔王軍の数を減らす、そんな作業にいそしんでいたのだ。
そろそろ日が傾き始めて、拠点に引き返そうかなと思ったのはいいけれど。
「魔王軍の動きが、おかしいな……」
「あ、シェスターもそう思ってたんだ……」
私たちは二人そろって遠くを見つめ、首をかしげることになったのだった。




