2.夢の世界の設定は
アルモニックおじいちゃんは、はっきりと言い切った。私は元の世界には帰れないのだと。
ちょっとぽかんとしつつ、ひとまず理由を尋ねてみることにする。
「え、どうしてですか?」
「今、この世界は危機に面しています。それゆえにわたくしたちは聖女召喚の儀を執り行い、救世の聖女を呼んだのです」
えっと、それってつまり、この世界は危険で大変で、それをなんとかするために聖女が呼ばれた、ってことだ。ざっくりしていて詳細不明だけれど、なんだか大変そう。
うわあ、私聖女じゃなくって本当に良かった。夢であっても、余計な苦労はしたくない。しかし、妙に深刻な設定だなあ、自分の夢だけど。
「そうして世界を救った聖女は、民の感謝の声の中、天に帰っていった。そう言い伝えられております」
静かにそう言って、おじいちゃんは目を伏せた。
「つまり、世界を救うことができた聖女だけが、元の世界に戻れるのです」
「ということは……聖女じゃない私は世界を救えなくて、元の世界にも戻れない……ってことですか?」
「はい」
短くも容赦ない返事に、がっくりきてしまう。私の夢なのに、私が主人公じゃない。それはまあいいとしても、微妙に居心地の悪い状態で放置されるのは、ちょっと辛い。
そうなると、あとはひたすら夢から覚めるのを待つしかない。いや、ただ待っているだけというのもじれったい。
さて、どうやったら目覚めるんだろう。うつむいて考えこんでいたら、おじいちゃんがちょっぴりうろたえたようだった。心配してくれているのかな。
そういえば、おじいちゃんは私が聖女じゃないって分かってからも、とっても丁寧な口調と態度のままだ。いい人かも。
「気落ちなさらないでください、カレン様、まだ一つだけ、望みがある……かもしれません」
「お願い、教えて!」
あてもなくあれこれ試すより、きちんとした方法があるのならそっちをまず試してみたい。そう思ってしまったせいか前のめりになって、そのまま立ち上がってしまった。
私の勢いに圧倒されたのか、おじいちゃんがちょっぴりたじろいだ。けれどすぐに顔を引き締めて、重々しく答えてくる。
「旅に出てくださいませ、カレン様」
「……旅?」
唐突なその言葉に私がきょとんとしていると、おじいちゃんは後ろの神官たちを手招きし、何事か耳元でささやいていた。そして神官が出ていって、やがて別の人を連れてきた。
「彼はシェスター・ライル。神官騎士にございます」
やってきたのは、若い男性だった。私よりは年上……二十歳くらいかな?
彼の顔はこれでもかってくらいに整っていて、すっごく凛々しい。姿勢が良くて、すらりとしている。芸能人を生で見たらこんな感じかな。
目元は切れ長で、とっても涼しげ。目は宝石みたいにきれいな紫。えり足の長いウルフカットの髪はアクアマリンの水色で、さらっさら。
どうやって染めたら、あんな色になるんだろう。そう思ったとき、ふと気づいた。おじいちゃんはすっかり白髪になっているけれど、周囲の神官さんたちも、青やら緑やらピンクやらの、中々に強烈な色の髪や目をしていることに。
なるほど、この夢の中の世界では、こういう色味も珍しくないらしい。面白いなあ。
そして彼は、おじいちゃんたちとは全然違う服装だった。
丈の長い長袖のジャケット、ズボンにブーツ。ここまではいい。けれど腰のところに巻かれた太いベルトには、剣が下がっていたのだ。長さはちょうど日本刀くらい。……剣なんて持ってる人、初めて見た。
そうやって私がぽかんとしながら彼を観察している間、彼は眉一つ動かさなかった。とっても冷ややかだった。表情筋が死んでるのかなってくらいに、顔が動かない。怖い。おじいちゃんと足して二で割りたい。
やがてシェスターが、静かに口を開く。
「……こいつは聖女、か」
「それが、手違いがあったようで……こちらはカレン様。おそらくは、聖女様と同じ世界からいらっしゃった方です」
「この世界の者でないというのは、見れば分かる」
シェスターはためらうことなく、即座に言い切った。実際私の服装は、ここではめちゃくちゃに浮いていた。
といっても、ごく当たり前の高校の制服だ。プリーツスカートにブレザーに赤いリボン、足元はローファーにハイソックス。ちゃんと校則を守ってるから、足が出すぎとかそんなこともないし。
それはまあ、おじいちゃんたちの格好とは全然違うけど。かわいいって評判なんだけどな、うちの制服。そんな不審者を見るような顔をしないでほしい。
「あああの、私、千早川佳蓮です、ええーっと、カレン・チハヤガワ? でいいのかな?」
居心地の悪い空気に焦りつつそう名乗ると、シェスターがかすかに笑ったような気がした。
「シェスターだ。……で、じいさん。俺はこいつの護衛をすればいいのか?」
「ええ、そのとおりですよ。ついでにあちこち見て回るのもいいと思います。ずっとここで暮らすのも、いい加減飽きてきたでしょう?」
おじいちゃんは偉い人みたいだけれど、シェスターはそんな彼にやけに気軽な口をきいている。どういう関係なんだろう、この二人。それはそうとして、私の護衛って?
首をかしげつつなりゆきを見守っていたら、おじいちゃんがいきなりこちらに向き直った。
「カレン様。旅をして、各地の教会施設に遺された聖女様の記録を読み解かれませ」
「聖女の記録、ですか? それに、教会って……」
たぶんその教会って、私が知ってる教会とは違うもののような気がする。一応尋ねてみたら、予想通り奇妙な答えが返ってきた。
この世界には『教会』と呼ばれる組織が存在している。聖女にまつわるあれこれを取り仕切るこの組織は、各国の王たちともつながりがある、とっても強いものなのだとか。
で、今私たちがいるこの建物は聖堂と呼ばれ、聖女の呼び出し……召喚? の場であるあの石の舞台と合わせて、教会の中心部となっている。
ちなみにさっき舞台を取り囲んでいた人たちは、聖女の降臨をこの目で見たいという、ただそれだけの理由であっちこっちから集まってきたのだそうだ。期待を裏切ってしまってなんだか申し訳ない。
「あの、ここが教会の中心なら、聖女の記録もここに集められているのが普通かもって、そう思うんですが……」
ふと浮かんだ疑問を口にしたら、おじいちゃんはすぐに答えてくれた。
「それには、大きく二つの理由があるのですよ。ひとつは、聖女様がたがゆかりの地に記録を遺したいと願われたこと」
それはまあ、なんとなく分かるかも? ゆかりの地、というのがどういうことなのか、そこのところは分からないけれど。
「そしてもうひとつは、聖女様がたの記録はとても難解で、我々には到底解読できそうになかったということ。かつて、記録を研究しようとした者がいたにはいたのですが……」
おじいちゃんのおっとりとした顔が、ぎゅっと引き締められた。
「ですので我らは、それらの記録をただ大切に保存しておくことにしたのです。いつか、必要になるときに備えて」
そう言っておじいちゃんは、意味ありげな目で私を見た。そして、さらに意外なことを語りだした。
どうやらこの異世界に呼ばれてくる聖女は、どうやらみんな日本人だったらしい。
不思議な身なりをした黒髪に暗い色の目の聖女たちは、この世界の人たちには理解できない文字や言葉を操ることができる。しかし同時に、なぜかこちらの世界の人々と話が通じ、文字を読むこともできた。
そして私も、問題なくここの人たちと話せている。といっても、私はずっと日本語を話しているつもりなんだけどなあ。ああもう、ややこしいったら。
いいや、細かいことは気にしないでおこう。どうせ夢なんだし。ご都合主義ばんざい。
それより、ここまで分かったことをまとめると。
「つまり、私が聖女たちと同じ世界からやってきたのであれば、聖女の記録が読めるはず。そしてその記録の中には、帰る方法が記されているかもしれないってこと……ですか?」
そう答えたら、おじいちゃんはゆったりとうなずいた。
あ、ちょっと面白くなってきたかも。ひたすらおろおろしている悪夢が、わくわくの旅物語に化ける予感。
「ただ、カレン様はこの世界には不慣れですし、色々と危険も多いでしょう。シェスターは剣の腕も立ちますし、頭も悪くはありません。きっとあなたのお役に立ちましょう」
「じいさん、正直に言ってやれ。俺は素行不良のせいで、そろそろ神官騎士団を追い出されそうなのだと」
シェスターが紫の目を細めて、低い声で言う。しかしおじいちゃんは、少しもたじろがなかった。
「そんなあなたには、うってつけの任務でしょう。存分に体を動かしてくるといいですよ、シェスター」
おじいちゃんのそんな言葉に、シェスターはふんと鼻を鳴らしただけだった。気まずい空気にいたたまれなくなって、とっさに口をはさむ。
「ええと……よろしくお願いします、シェスターさん」
「敬称は不要だ。敬語も」
短く答えて、シェスターはまた黙り込む。おじいちゃんがそんな彼に優しい目を向けて、ほっほと明るく笑った。
「ともあれ、これで丸く収まりましたね。ようございました」
やはり気まずい空気の中、私はひっそりと困り果てていた。本当に丸く収まるのかなあという疑問を抱いたまま。