16.私たちが思うこと
ペンダントに行動を縛られていたとはいえ、自らの手で私を殺しかけたことで、シェスターはすっかりしょげてしまっていた。何度励ましても、自己嫌悪の沼から出てこない。
そして運の悪いことに、私の首にはくっきりとあざが残ってしまっていた。ひとまずスカーフを巻いて隠したものの、彼は目を合わせようとしない。
「気にしないでよ、シェスター。こんなの、数日で治るから」
「……そうだな」
「それより、野宿の準備しようよ。お腹空いたよ」
「……ああ」
困ったことに、ずっとこんな調子だった。体が覚えているのか野宿の準備は手際よくこなしているものの、話しかけてもずっと上の空。しかも、ずっと目を伏せたまま。
どうにも居心地の悪い夕食を終えて、ひとまず休もうということになって。
まずは私が、毛布にくるまって横たわり、ひと眠りする。その間シェスターは焚火の番をして、途中で私を起こして見張りを交代する。いつも、野宿のときはそうしていた。
……けれどさすがに、寝つけない。今日も結構歩いてきて体は疲れているのに、目がさえてしまっている。色々ありすぎたせいで。
毛布にくるまったままごろごろと寝返りを打ち続けていたら、シェスターの静かな声がした。
「なあ、カレン」
「どうしたの?」
もう一度ころんと寝返りを打って、彼のほうに向き直った。
「あのじいさんは……切れ者だ。もしかしたら、俺がこんな気持ちを抱くようになると、そう予測していたのかもしれない」
彼の言葉がすぐに理解できなくて、寝転がったまま首をかしげる。
あのじいさん……つまり、アルモニック。私を暗殺させようとした張本人。
あの優しそうなおじいちゃんが、とショックは受けていたけれど、実のところまだそこまで実感はわいていなかった。
で、気になったのはそっちじゃなくて。シェスターの思いって……なんだろう。聖女による救済には反対だとか、そのへんの思想のことかな? 彼、最初からずっと、そんな感じのことを言っていたし。
などとのんびり構えていたら、彼はまったくもって予想外の言葉を投げかけてきた。
「お前がいなくなったら、苦しい。まして、この手でお前を葬り去るなど……」
彼の声は苦しげで、そのくせ不思議な甘さをはらんでいた。心臓がどきりと大きく跳ねる。
「……先ほど俺は、魔法を使ってでも逃げろと言った。あれは、まぎれもない本心だ。お前を殺すくらいなら、お前の手で殺されたほうがましだと、そう思った」
あれ、これって、もしかして。思わずきゅっと丸まりながら、彼の今の言葉を頭の中で繰り返す。
「あいつは俺がそう感じることを見越して、暗殺の命を俺に下したのだとしたら……」
「さ、さすがにそれはないんじゃないかな……? いくらなんでも、ちょっとひどすぎるし……ほら、一緒に旅をして親しくなった相手を殺させるとか、そういうのって……」
とっさにそう反論してみたら、シェスターがこちらに向き直った。ひどく鋭い目で、私をまっすぐに見てくる。
「ないとは言い切れないんだ。一番大切なものを自らの手で壊させることで、教会への忠誠を改めて誓わせる。俺のような素行不良の者に、ごくまれに下される罰だ……」
ちょっと、待って。一番大切なもの? それが、私? ということは、やっぱり?
さっきの彼の、甘く苦しい声を思い出してしまい、耳がかっと熱くなる。
「カレン」
「は、はいっ!!」
そんなところに優しく声をかけられたものだから、びっくりして声が裏返ってしまった。そのまま毛布を引っ張り上げて、顔まですっぽりと隠れる。毛布のイモムシだ。
「最初は、同じ立場の者に対する同情だったのかもしれない。教会に生き方を縛られた者同士の」
一方のシェスターは、とても穏やかな柔らかい声で、さらに呼びかけてくる。
「しかしお前はどうしようもなく弱くて、血を見ることすらできなくて……そのか弱さに、驚かずにはいられなかった」
彼は、旅の始まりのころのことを思い出しているらしい。私がひたすらお荷物で、悲鳴を上げて逃げることしかできなかった、あのころのことを。
「それなのにお前は、自らが得た力を磨き、人のためになることを選んだ。戦いの場からも、目をそむけないくらいに強くなった」
「そ、それは開き直って、魔法の練習をしようと思い立ったからであって……」
「だがお前は、あっという間に魔法をものにしてしまった。お前はどんどん強くなって……とうとう、俺をしがらみから解放してしまった」
彼の声は、どんどん優しくなっていく。今まで聞いたこともないくらいに、柔らかい。
「俺は、お前から目が離せない。その強さも、明るさも、騒々しいところも。全部、見ていたい」
そんな言葉に続いて、彼が近づいてくる気配がした。毛布のイモムシになっていた私を、彼はそっと抱き起こしてしまう。そうして、顔にかかっていた毛布をそっとどかした。
「お前がこの世界にいる間だけでいい。俺を、お前のそばにいさせてくれ」
私の目をまっすぐに見て、晴れやかな笑みを浮かべて、彼はそう言った。どことなくプロポーズすら思わせるほどに甘く、優しく。
「あああえっと、うん」
対する私の返答は、そんな間の抜けたものだった。だってだって、心の準備が!
するとシェスターは、私を抱きとめたまま、すぐ近くで顔をのぞき込んできた。
「本当に……お前ほど見ていて飽きない人間は、他にいないな」
「ちょっ、それ、褒めてる!? ほんのり面白がってない!?」
「褒めているつもりだが。そもそも俺は、他人にさほど関心がなかったから」
「あ、そうなんだ……」
晴れやかな笑顔でそう言われてしまっては、もうそれ以上反論もできない。ただひたすらに、こそばゆくて恥ずかしいばかりで。
今が夜でよかった。焚火の明かりなら、顔が赤くなっているのもばれないだろうし。
そんなことを思いつつもごもごと口ごもっていたら、シェスターがふっと目を細めた。
「……メルヴィルのやつが言っていたことも、あながち間違いではなかったな……悔しいが」
ふいに変わった話題に、照れるのを一時中断して記憶をたどる。
「えっと、あなたをそばで支える人が……とかそんな感じの、あれのこと?」
「ああ。あいつはお前に『シェスターのことを頼む』と言って、そしてお前は『任された』と返答していたが……そのとおりになったな」
しみじみとつぶやいていたシェスターが、急に動き出す。どうしたのかな、と思ったら、毛布ごと私をぎゅっと抱きしめてしまった。くすぐったさと照れくささに、ひゃっ、と声を上げてしまう。
それを聞いた彼が、楽しそうに笑った。触れた体越しに、心地よい振動が伝わってくる。
「すまないが、女性の扱いは不得手なんだ。不快なら言ってくれ」
意外な言葉に、一瞬ぽかんとしてしまう。
「ええと、大丈夫。……それよりも、シェスターってかっこいいし……女性たちのほうから押しかけてきそうなのに。扱いに慣れてないって……」
無口で無愛想だけれど、彼は間違いなくもてるタイプだ。そう指摘したら、彼はまたくすくすと笑った。
「あいにくと、全部追い払った。というより、にらむとみんな逃げた。お前くらいだな、冷たい態度を取り続けていたのにしつこく食い下がってきたのは」
晴れやかにそう言って、彼はもう一度しっかりと私を抱きしめた。
「俺がこうして触れる女性は、お前が初めてだ、カレン」
「うん……」
私も、男の人にぎゅっとしてもらったのは、初めてだ。
「……あったかいね」
「ああ」
ぱちぱちという焚火のはぜる音を聞きながら、私たちはじっと寄り添っていた。とても、満たされた気分で。




