10.夢なんかじゃない
次の目的地である隣町に向かうには、山を一つ越える必要がある。街道……というよりただの山道しかなく、そこを通る旅人も少ない。
ただそんなこともあって、盗賊もめったに出ないらしい。そもそも獲物になる旅人がろくに通らないのだから、それも当然かな。……盗賊の行動パターンを冷静に考えられるようになってしまった自分が怖い……。
「うう、道がすっごくぬかるんでるよ……」
「踏み外すなよ。いつでも近くの木の枝をつかめるよう、身構えておけ」
びしょびしょのべしょべしょの泥だらけ山道を、慎重に進んでいく。
あまり使われてない道だからなのか、荒れていてとても歩きにくい。油断すると、足元がずるりと滑ってしまう。うっかり道を外れたら、そのまま崖の下にまっさかさまだ。
しかも、周囲の木々もまだまだ濡れていて、時折頭上の枝からぽとりとしずくが頭に落ちてくる。ひんやりするし気持ち悪い。出発、もう一日遅らせればよかったかなあ。
「はあ……大変だ……」
ため息をつきながら、すぐそばの岩に手をつく。ぬめっとしたその感触に、さらにテンションが下がる。
そうやってのろのろと進んでいる私に合わせて、シェスターもひどくゆっくりと歩いている。時々立ち止まって振り返り、私が追いつくのを待ってくれていた。
いけない、もうちょっとしゃきっとしないと。急がなくちゃ。
「あ、うわっ!」
焦った拍子に、足元の石を踏み外した。そのままずるりと足が滑って、崖から落ちそうになる。
「カレン!」
すぐに、シェスターがばっとこちらに飛び出してきた。私の手をつかんで、一気に引き上げる。
そこからは、まるでスローモーションの映像を見ているような、そんな感じだった。一瞬の間に、恐ろしく色んなことが起こって。
私を引っ張り上げた反動で、今度はシェスターが崖の下に落ちていってしまう。幸い、彼はうまく受け身を取って、崖の途中に生えている木の枝をうまくつかんだ。
ほっとしたそのとき、雨で緩んだ崖から、岩が一つ外れて落ちるのが見えた。岩は木々をなぎ倒し、シェスターめがけてまっすぐに……。
「だめぇっ!!」
お腹の底から、ふりしぼるようにして声を張り上げる。
ぱあん、という澄んだ音が、山道に響き渡る。同時に、岩が砕け散った。文字通り、粉々に。木につかまったままのシェスターが、驚きに目を見開いていた。
「……よか、った……」
ぼうぜんとつぶやいて、そのままへたり込んだ。足が泥で汚れるのも、気にならなかった。それどころじゃなかった。
今見た光景の恐ろしさに、歯がかたかたと鳴っている。自分の体を抱きしめるように腕を回して、うつむいた。
「……やっぱり」
「おい、大丈夫か」
どうやら木を伝ってここまで戻ってきたらしいシェスターが、私の肩に手をかけて揺さぶっている。けれど、彼にこたえるだけの余裕はなかった。
「やっぱり、夢じゃない……」
足を濡らす泥の冷たさ、肩にかけられたシェスターの手の感触、さっき見た恐ろしい光景。夢だと片付けてしまうには、無理があった。
本当は、ずっと前から気づいていた。でも、気づいていないふりをしていた。
こんなにリアルな夢を、私は知らない。こんなに長い夢を、見たことはない。
だからきっと、この世界は夢じゃなくて、本当に存在するんだ。
前に、盗賊に追い回されたときはまだ実感がわいていなかった。さっさと命を落としたほうが早く目が覚めるかもなどと、そんなことをこっそりと考えていた。
でも今は分かる。もしこの世界で死んだら、それまでなんだって。
自分が死ぬのは、怖い。でもそれ以上に、シェスターを危険な目に合わせるのは、嫌だ。
「シェスター……だいじょうぶ……?」
のろのろと顔を上げて、すぐ近くにあるシェスターの顔を見た。
「ああ。おかげでほぼ無傷だ、助かった。……まさか、あんなに大きなものを爆破できたとは……」
感心したように、彼はつぶやいている。そんな姿を見ていたら、心が決まった。
「……ねえ、シェスター」
立ち上がって、深呼吸する。覚悟を決めて、言葉を吐き出した。
「私、魔法を練習したい」
予想外の内容だったのだろう、シェスターはかがみこんだまま目を真ん丸にしている。
「だって、これから魔王? とかいうのが出てきて、色々物騒になっていくんだよね」
命からがらデルの町にたどり着いて、そうして彼と改めて旅に出ると決めたとき、彼は言っていた。いずれ聖女は、魔王との戦いに駆り出されるのだと。
私が利用されないように、シェスターは私の魔法のことは伏せておこうと提案してくれた。その気持ちは嬉しい。でもその結果、シェスターが一人で無理をするのは、やっぱり嫌だ。
「こうやって普通に旅をしていても、その魔王の配下……魔王軍、だっけ? とかに出くわさないとも限らないんだよね?」
「……まあ、そうだな」
立ち上がりながら、シェスターは答えた。とっても渋い顔で。
「もしそうなったときに私が戦えれば、あなたも少しは楽ができるんじゃないかな、って思うの」
「だが……」
まだシェスターは、同意できないといった表情だ。彼はきっと、私のことを心配してくれているのだろうな。
そんな彼の表情を見つつ、これまでのことを思い出す。
ここまでずっと、なんとなく流されてきていた。
いきなりこの世界に呼ばれて、アルモニックのおじいちゃんに「旅をしてはどうですか」と提案されて。
魔法らしきものについては見なかったことにして、聖女の記録を集める旅を続けようというシェスターの提案に乗って。
特にあれがしたいこれがしたいとか、そういうのはなかった。聖女の記録集めだって、そこまで真剣じゃなかった。だって、もしこれが夢なら、いつか勝手に覚めるのだから。
でもこれは夢じゃない。私も、しっかりしないといけない。今、自分が一番したいことは何か、すべきことは何か、考えなくてはならない。
そう突き詰めていったら、自然と答えが出ていた。
「私、あなたの力になりたいの。いっぱいお世話になってる分、少しでもお返しがしたい」
きっぱりと言い切ったら、シェスターが目を見張った。気のせいか、ちょっぴり泣きそうな顔のようにも思える。
「私には、確かに力がある。どれだけ目をそむけても、そのことは変わらない」
手のひらを胸に当てて、まっすぐにシェスターを見すえる。
「だったら、ただ封じ込めておくんじゃなくて……いざというときに、使えるようにしておきたいんだ。さっき、あなたを守れたように」
よし、決まった。ただ、問題はここからで……。
「……といっても、魔法の練習ってどうすればいいのか、見当もつかないんだけど……とにかく使いまくる、でいいのかな?」
するとシェスターが、我に返ったようにまばたきして、それから口を開いた。
「基本的には、それでいいはずだ。もっとも、俺は魔法の使い方は分からないが」
「……なんとなくだけど、さっきので少し……こつがつかめた気がするんだ。となると……あとはどこで練習するか、なんだけど」
私の爆発の魔法は、それなりに目立つ。大きなものを爆破すれば、結構な音がする。ちょうど、さっきみたいに。
「……人里離れた山の中、とか?」
でもさすがに、そんなところに当てはない。期待しながらちらりとシェスターを見たら、彼は大いに迷ったような顔をして、黙ったまんま延々と考え始めて……そうして、絞り出すような声で言った。
「………………この山を越え、隣の町に行って……そこからさらに山奥に分け入っていったところに、山小屋がある。人里からは離れていて、まず誰もやってこない。近くには大きな滝もあるから、多少大きな音がしても目立たないだろう」
わ、本当に知ってた。それも、おあつらえ向きなところを。
「すごい、シェスター!」
思わず歓声を上げたら、彼は気まずそうな表情で目をそらした。でもこれは照れているんじゃない、どちらかというと苦しんでいるんだ。
背筋を伸ばして、彼をまっすぐに見つめる。彼がそんな顔をしている理由が気になるけれど、それを尋ねていいのかは自信がない。
「だったら、そこに行ってこっそりと魔法の練習をすればいい……のかな?」
ちょっぴり自信なげにそう尋ねたら、彼は無言のままうなずいた。
どうやら、私たちの次の目的地が決まったようだった。




