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「え、ネックレスのこと、ですか?」
分かっていたけれど、思わず聞き返してしまった。
オリヴァンが首を縦に振るのを見届けながら、一気に彼との心の距離が遠のいていくのを感じる。
ネックレスを外せる条件は2つ。
一つは、装着者自らの意思で外すこと。
もう一つは、装着者とは別の人が精霊使いとして近くで覚醒すること。
つまり、オリヴァンがネックレスを手に入れて調べたいのであれば、ほぼ私自らの意思に頼る他ない。
だからこそ、こうして私との距離が縮まったタイミングで、いけると思って聞いたのだろう。
ネックレスを借りてどうするつもりなのか?
神殿と一緒にネックレスを調べて、私の秘密を暴くのだろうか?
それとも、本来の精霊使いであるヒロインのことをもう見つけていて、彼女に渡しに行くのだろうか?
何にせよ、これを渡すわけにはいかない。
私の精霊使いの立場を保証してくれるものになってしまっているから。
「ごめんなさい、大切なものだから……その、精霊たちも私と離れるのが嫌って言っているので」
まぁ、精霊なんてそもそも見えていやしないけれど。
私は彼の手を遠ざけて、そっとネックレスを両手で握りこむ。
すると、彼は思いのほかあっさり諦めて、目線をネックレスの方から私へと戻した。
「わかった。ただ、無理をしないこと。これだけ約束してほしい」
「……? はい、分かりました」
なぜそんなことを言うのだろうか?
精霊使いなんて無理なことをするな、出しゃばるなってこと?
そこからお互いに食べ終わるまで、会話が弾むことはなかった。
◇◇◇
「……美味しかったね」
「えぇ、お店を予約してくださりありがとうございます」
「大したことはないよ」
ぎこちない会話。
うつむいて歩いているから、彼の顔は見えないけれど、気まずいと思っていそうな雰囲気は感じる。
諜報員で口が上手い彼でも、打開できない状況があるのね、なんてこの雰囲気から逃げるように、とりとめのないことを考える。
カフェから開けた大通りへと出た。
今日はこれで解散のはずだ。
このまま一緒にいるのも気まずいし、私の方から今日は帰ります、と言おうとしたその時、急いだ様子で彼の元へ誰かが駆け寄ってきた。
「申し訳ございません、少しお伝えしたいことが......! 1分ほどで終わりますので」
どうやらオリヴァンの使用人、部下のようだ。
「すまない、少し待っていてくれ」
彼は私にそう言い残すと、少し離れた場所で話始めた。
正直良いタイミングで助かった......何て考えていると、ふとこちらをじっと見つめる視線に気がつく。
そちらを見てみれば、1人の男性がパンを抱えたまま私の方を見ていた。
おそらく貴族が物珍しいのだろう。
私と目が合うと慌ててペコペコとお辞儀をした。
そんな様子がなんだか可愛くて、少し手を振ってみると、とても嬉しそうにまたお辞儀を返してくれる。
……彼の抱えているパン、美味しそうだな。
どこで買ったのか聞いてみても良いだろうか?
そう思って1歩前に踏み出そうとした時、パンを持つ彼はサッと踵を返して小走りに立ち去ってしまった。
「......残念」
「お待たせ、クラリーズ」
そして話し終えたオリヴァンが、私の視界を遮るように前に立ってしまったので、そのまま見えなくなった。
「知り合い?」
「いえ、全く」
「そうか、じゃあ帰ろう」
オリヴァンが私に左手を差し出す。
何となく目を合わせづらくてうつむいていたので、いきなり視線に映った左手に驚いて顔を上げる。
すると少し前へと歩き始めていた彼もまた、振り返って、私の方を見ていた。
「……」
普段の私なら何も言わずに手をつなぐ。
だってそんなことで余計な疑いをかけられたくないし、前世の推しである彼からの誘いはとても魅力的だ。
断る理由なんてない、のだけれど……
もう彼に振り回されたくないと感じてしまっている自分もいる。
私のことを好きでもない彼に、心揺さぶられるのは、もうお終いにしたい。
これ以上そんなことをされたら、好きになってしまう。
だから、断ることにした。
「私にはそういうことはしなくて結構ですよ」
おそらく固いであろう笑顔でなんとか言葉を絞り出すと、彼は左手を差し出したその姿勢のまま硬直した。
自分のアプローチを断る人がいることに衝撃を受けているに違いない。
そんな風に考えていると、彼はゆっくりと口を開いた。
「もしかして……」
「......なんでしょうか?」
「あいつのことが好きなの? 僕ではなく他に......」
その不思議な発言とともに、彼の目から光が消えていく。
詰問するかのような声色に、私は思わず息を止めてしまう。
「君には手を繋ぎたいやつがいるってこと?」
「......」
「......」
数十秒にも思えた時間の後、「なーんてね」という言葉が耳に入った。
「冗談だよ、クラリーズはそんな人じゃないって、僕が1番分かってるから。ただね、」
彼は左手で私の右手を掴むと、そのまま指を絡ませ持ち上げる。
「一生僕の隣からいなくならないって、安心させて欲しい」
その瞬間、振り回されたくない、好きになりたくないなんていう気持ちはどこかへ吹き飛んでしまった。
嘘つきだって、偽物だって、ばれていてもいい。
証拠がなければ、いくらオリヴァンと言えど、現精霊使いの私を糾弾することはできない。
それならば、大好きな彼の婚約者であるという立場を、私のことを詮索するために甘い態度をとる彼を、
利用してしまおう。
どうせ、学園に入って留学へ行って、隣国で行方不明になってしまえば、その後オリヴァンにも、ヒロインとも関わることはない。
その後は家族にだけ生存を知らせて、ゆっくりと隣国で暮らせばいい。
だからそれまでの間。
それまでの間だけ、割り切って偽物の幸せを享受してしまおう。
私が肯定の意を示すかのように彼の手を強く握ると、少し驚いたような振動が伝わった後、より深く握り返される。
こうして彼が『一生僕の隣からいなくならないで』なんて嘘をつくから、私も手を握り返して、『一生隣にいる』と、また1つ嘘を重ねた。
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