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一瞬、もうオリヴァンがやってきたのかと思い、パニックになる。
しかしちゃんと考えてみれば、口調は同じでも、声は違う。
それに、こんなに早く追いつくわけがない。
1人心の中でホッとしていると、先程まで私に話しかけてきていた、コートと帽子を被った彼は、舌打ちをして走り去っていった。
「あ、待って!」
あんな風に逃げていくということは、後ろめたいことを隠しているに違いない。
そう思って追いかけようとしたが、隣の男の人に引き留められた。
「追いかけない方がいい。あいつはきっと人身売買を生業にしている」
「それならやっぱり捕まえて、しかるべき場所へ突き出さなきゃ!」
「……はぁ、このあたりは治安が悪いんだ。ああいうことをしているのは、何もあいつだけじゃない。それなら、一網打尽にするためにも、今動くよりはもっと時間をかけて証拠を集めてからの方が、効率的だと思わないか?」
「……確かに」
突然横から現れて、私を守ってくれたこの男の人は、先ほどの人とは違い、信頼できそうな雰囲気を醸し出している。
……これも、私の第六感にすぎないけれど。
「俺はこのあたりじゃ顔が利くんだ。ほら、ついてこい」
「……え?」
「宿なしなんだろ、行くぞ」
そのままズンズンと歩き出してしまったので、私は急いで彼のあとを追いかける。
すると、私が先ほど一度断られてしまった宿に彼は入っていった。
……気まずいな、と思いつつ、彼の背中に隠れてそっと私も中へと踏み入れる。
「いらっしゃい、今日はもう……あっ、あなたですか。いつもの部屋、空いてますよ」
「ありがとう、ちなみにもう一室空いていないかな?」
彼は私を指さして聞いてみてくれたものの、私をみた店主は困った顔をした。
「申し訳ございません、今日は本当に混んでいるんですよ……まぁでも、あなたの部屋にはベッドが二個あるので、同じ部屋でいいならその他の準備はできますけれど、どうでしょうか?」
それを聞いた彼はしばらく黙り込んだ。
もしかすると、ベッドを二つ使う予定だったのかもしれない。
「ごめんなさい、私のことは放っておいていいですよ! あなたにも、連れの方にも申し訳ないです」
「……? 俺は別に一人だが……」
「えっ! そ、そうなんですか……ということは、一人でベッドを二つ使うほど寝相が悪いとか……?
「違うわ!」
そう言って、彼は少しムッとしたように、私にデコピンをした。
私が額を抑えながら、他の理由を考えていると、彼は口を開く。
「はぁ、お前はそれでいいのか?」
「それで、ってどういうことですか?」
「俺と同じ部屋で寝ることになっても大丈夫か、という意味だ」
「……? まったく問題ないですよ。多少の寝言やいびきくらい気になりませんし」
彼は私の返答に、なんとも言えない顔をしていたが、大きくため息をついた後、店主の方へ向き直った。
「じゃあ、こいつも一緒に泊まりで頼む」
「了解いたしました」
「ありがとうございます!」
私がお礼を言うと、彼は行くぞと言って、部屋へと向かった。
◇◇◇
荷物を整理し、食堂で夕ご飯を食べてから、寝る支度をして、再び部屋に戻る。
シャワーを軽く浴びている間に、少し寝かけそうになったけれど、どうにかベッドまでたどり着いた。
もう片方の部屋の隅では、今日一番の恩人が日記のようなものを書いている。
そういえば……食事の時もたわいのない話をしただけで、まだ名前すら聞いていなかったな。
「あの」
私が声をかけると、彼はペンを置いて、こちらを振り返った。
「なんだ? ベッドが硬かったか?」
「全然そんなことはないです! ……ただ、まだお名前すら聞いていなかったなと思いまして」
私の言葉に彼はにやりと笑う。
「教える必要があるか? お前だって、何かのお忍びで来たんだろうし、俺に名前なんて教えない方がいいだろ」
「確かに……って、え? どうして私がお忍びだって気が付いたんですか?」
ここに来るまで、乗り合いバスの中でも、宿を一軒一軒訪ねているときも、誰も私が貴族だなんて、気が付いていなさそうだったのに……
「いや、さすがに世間知らずすぎるからな。悪党をすぐに捕まえようとする正義感のありすぎる感じも、見知らぬ男にひょいひょいついていこうとするところもな。もちろん、俺も見知らぬ男ってわけだが」
「世間知らずなんかじゃないです! だって、それは……」
偽物だけれど、精霊使いとしての鍛錬を積んできているから、どんなことがあっても大丈夫だという自信の上での行動だ、と言いたかったけれど、うまく説明ができなかった。
「こんなに世間知らずで放っておけない感じ……きっと、お前の親とか婚約者とかが、バカみたいに過保護にしてきたんだろうな」
婚約者、と言われてオリヴァンの顔が浮かぶ。
いや、彼は婚約者じゃない。
偽物の精霊使いである私は、彼の本命じゃないから。
「何はともあれ、今日はもう寝な。隣国に行きたいなら道案内くらいはしてやる」
「……何から何までありがとうございます。じゃあ、おやすみなさい」
「さて、どこの令嬢か知らないけど、恩を売ったようなもんだし……これであいつへの借りも、少しは返せたかな」
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