第64話:一番、遭遇したくなかったやつ
たくさんの人が居るテーマパークの中を、水鉄砲片手に走り回るのは変な気分だ。
だが、不思議なことに、そんな俺を不審な目で見る人は少なく、ほとんどの人は無視をするか、パンフレットを見て納得の頷きをしている。
子供に至っては笑顔で手を振ってくるほどだ。
索敵ついでに手を振り返し、同じく水鉄砲を持った人影に注意しながら手元のパンフレットに目をやる。
USJは、全体的に円を描くような造りとなっており、スタート地点は左下のエリアだ。
そして現在地は左上のエリアで、今は右上のエリアへと向かっている状態である。
とにかく一周するという形を取ることにし、圭吾と和葉はスタート地点から逆時計回りで進んでいる。
俺が一人という理由は、二人とも意見を揃えて、俺は強いからと言ってきやがったからだ。
いくら俺でも、水鉄砲相手じゃどうしようも……無いわけではないか。
よくよく考えてみれば、昨夜は風呂場で水鉄砲の弾幕を避けてたなぁ……。
二人の言い分になんとなく納得しつつ、洋風の町並みの中を進んで行く。
レンガ製の様々な建物が並ぶここは、隠れる場所が多い分、缶を隠す場所も増えるため、探すのはかなり面倒だ。
ここは一周して二人と合流してからにしようか……と、そう思いながら角を曲がった時だ。
ふと、見覚えのある色の髪が視野に入った。
紫の長髪。それは、
「ようこそわしの縄張りへ。亮、ここがお主の死に場所じゃ……!」
ノリノリで水鉄砲を構える、姉御だった。
姉御は登場の台詞を告げるのと同時、不意打ちの一発を放ってくる。
それを即座に前へ出ることで回避することは出来たが、水弾の速度が速い!
普通の水鉄砲ではまず不可能であり、それは昨夜の水鉄砲と同じであることが確認出来る。
つまり、自分の持っている水鉄砲も同じということだ。
……いったい、どれだけの数を持って来てたんだよ。
半ば呆れつつ、反撃のために俺も左手に持つ水鉄砲を構える。
前屈みになり、横向きに構えた水鉄砲で姉御を狙い、引き金を引き絞る。
次の瞬間、銃口からは水が放物線を描きながら緩やかに放たれ、姉御に当たる前に地面へと落ちる。
……は?
「おいおいおいおい、なんだこれ!?」
「ふ、ははは、驚かせおって! それがお主の攻撃か? 愚弄してるのか!?」
「こっちが聞きてぇよ! ちょ、待った待った、タイムっ!」
「そんなものなど――ないっ!」
図ったな圭吾……!
まさかこんな水鉄砲を渡されたとは思いもしなかった。
もしかしたら、狩る側は皆この装備で、圭吾や和葉も同じ水鉄砲なのでは。
一瞬、そう思いもしたが、持って来たのが圭吾であるためにその考えは即座に排除。
「わしは夢のようじゃ!」
とにかく。
「あの鬼神とようやく一戦交えることが出来、その上、討ち取ることが出来るのだからな!」
この、何故かテンションの高い姉御をどうにかしないと……。
だが、さすがは姉御。
全力で走り、幾度となく振り切ろうと人混みの中を縫うようにして行く俺にぴったりとくっ付いて来る。
これが日向か朔夜、直樹だったら良かったのに、と思いながら、とにかく走る。
どれだけ前へ行っても、後ろから聞こえて来る笑い声は遠のくこと無く。
また、次第に人混みが騒ぎを聞きつけて開き始めたことに舌打ちしつつ、ひたすら右上のエリアを目指す。
その時だ。
不意に、人混みが開けたと思えば、そこでは放水イベントが行われていた。
数人のスタッフが、開けた道の中央を走るパレード車から伸びるホースを使って、周りを囲う人達に水を放っている、なんとも暑さに見合ったイベントだ。
しかし、今の俺にはどう考えても邪魔な障害物と化しており、飛び出していいのか迷う。
左右は完全に人混みが圧縮状態となっており、潜り抜けることは不可能。
そして背後からは姉御の笑い声が間近に迫る。
と、なれば、飛び出すしかないよな……!
そう決断した瞬間、
「決闘の舞台じゃな!」
歓喜の声と共に、背を勢い良く蹴飛ばされた。
姉御の得意技の跳び蹴りか、と思った時にはもう遅く、開けた場所へと吹き飛ばされる。
地面に前倒れになりそうになるのを、両手を付いて前への宙返りで体勢を立て直し、着地と同時に背後へと翻る。
そこには片膝を立て着地体勢で居る姉御の姿があり、ゆっくりと立ち上がる彼女は微笑を漏らした。
「良き、場所じゃのう。まるでわしとお主の仕合を歓迎されているようじゃ……」
「な、なんだか嬉しそうだな、姉御」
「当然、当然じゃ……なにせ――」
刹那、全力という名の加速を持って、姉御はこちらへと向かって来た。
「お主と初の仕合じゃからな!」
距離にして十メートル。
そんな短距離など、当然、すぐに埋められることとなり、左の拳が頭部目掛けて放たれる。
咄嗟に頭を逸らして回避するが、気付けば姉御は次の動きに出ていた。
軽い跳躍と同時に迫ったのは、左膝。
回避の意識が頭に集中することを予測して放たれたそれは、腹部を狙っていた。
普通に回避するのでは、間に合わない。一番的確な左手は水鉄砲を握っており、使用不可能。
故に、右手を姉御の左腕へと伸ばし、掴んで思い切り引く。
同時に行うのは、姉御の身体を回るようにする左への回避。
それは、回避するのと同時に、
「なんと、やりおる……!」
姉御の進行方向へと投げ飛ばすことが出来る。
即座にその方向へ視線を向ければ、左肩から落ち、そのまま流れに身を任せて受身を取る姉御の姿があった。
だが、姉御はただ受身を取るだけでなく、身体がこちらへと向くのと同時に、水弾を放ってくる。
接近戦だけじゃないのかよ、と思いながら、回避の勢いを生かして左へと跳躍し、サイドステップをする形で避けて行く。
もちろん、視線は姉御から離すこと無く避けるのだが、ふと横を見やればスタッフ達は既に退避しており、周囲の人達は何故か拍手をしていた。
……これが、イベントの一部と思われている?
本当は違うんだけどなぁ、と複雑な気持ちになりながらも、騒ぎと思われてなくて一安心。
けれど、安堵している暇は無く、見れば姉御が立ち上がり、こちらへと水の弾幕を放ち続けていた。
「素晴らしい仕合じゃな! 雑多からの拍手喝采、高鳴る鼓動。わしは今、猛烈に感動しておるぞ!」
明らかにテンションがおかしいです。
迫り来る水弾を、サイドステップで回避しながらそう思う。
しかし不意に、肩が何かにぶつかった。
何かと思い見やれば、それはパレード車だった。
山の形をした緑色のそれは、頂上までの途中にそれぞれ人が乗るための板が設置されており、姉御を引き付けるにはもってこいの舞台だ。
……なんだかんだ言って、俺もなんとなく楽しんでるなぁ。
思わず微笑を漏らしながらも、パレード車の板へと上る。
その行動を見た姉御は一瞬、目を見開く。
だが、次の瞬間には満面の笑みになり、水鉄砲を投げ捨てて跳躍した。
勢い良く板に飛び乗り、次の左足での一歩で俺と同じ板に乗り、曲がった左膝を伸ばす動作を使って小さく跳躍。
それは、右足による跳び蹴りを放つ行動であり、防御に構えた左腕に直撃した。
かなり重い一撃は、気を抜けばパレード車から落とされそうになるほど。
とにかく、反撃として右足で斜め上へと蹴り上げるが、左足での着地と同時にステップで回避された。
なんというか、動きが速い。
まるで兎のように飛び跳ねる姉御は、一段上ると背後へと飛び降りて来た。
不味いと思った時にはもう遅く、拳の一撃が背に打ち込まれる。
激痛が走り、身体は前へと押し出され、一つ前の板へ。
その時、ふと聞こえてきたのは、本当に当たってるんじゃないかという疑問の声だった。
……さすがに、これが一つのイベントではないとバレれば、厄介なことになるな。
まだ背は痛むが、なんともないように体勢を立て直し、姉御の方へと向く。
俺の心配を他所に、ノリノリな姉御の猛攻は止まることはなく、気付いた時には既に同じ板の上に立っていた。
恐ろしい人である。
その素早さやどことなく似ている戦法は、糞爺を思い出す。
同じ流派なのだろうか、と思っている間に、来るのは微笑のまま放つ真正面からの左正拳突き。
それを右手で受け流し、追撃で来る右の拳を左腕で防御する。
拳自体を防ぐのではなく、右腕の肘裏に引っ掛ける形で、勢いを緩めるのだ。
次いで、身体を低くし回転させ、頭部を狙っていた右拳を回避。
後頭部を掠っていく拳はしかし当たることなく、空を切った。
そこから一回りすれば、見えるのは姉御の背である。
故に、即座に右の蹴りを放った。
結果、それは脇腹に直撃するが、姉御はよろめくこと無く振り向き、俺の右脚を掴んできた。
「しまっ――」
「もらったぁっ!」
右脚を引き寄せると同時の急加速は、真っ直ぐに俺の懐に突っ込んで来て、腹部に拳をぶち込んで来る。
全身を震わせる衝撃が走り、身体がくの字に曲がった。
だが、それだけだ。
懐に入って来た姉御は一瞬だとしても隙だらけ。
そんな彼女を掴もうと手を伸ばす。
すると姉御は何かに気付いたのか、素早く懐から距離を取った。
俺を見る表情は、眉に皺を寄せた疑問の顔。
「お主……腹筋が硬すぎじゃ。さすが如月翁じゃのう」
「それ、糞爺が褒められてるみたいで、素直に喜べないな」
「そういうな。銭湯では見ただけじゃからのう。やはり、触れてみなければな」
表情を微笑に変えた姉御は、辺りを見渡して肩を竦める。
「しかしまぁ、なんじゃ。わしら、英雄ショーか何かかの?」
「普通にヒーローショーでいいじゃねぇか……。ってか、そろそろ終わりにしないか?」
「ほう、どのような形でかのぅ? 言うてみよ」
「俺を見逃すって形で」
返答は、拳で来た。
……却下ってことか。
まぁ、当たり前だよな、うん。
ただ、姉御が笑みを崩していないところを見ると、別に怒ったわけじゃないようだ。
そんな風に冷静に判断しつつ、迫り来る拳の連撃を回避し、後退していく。
しゃがみ、仰け反り、回り、受け流し、時に反撃しつつ、ひたすら外側へ。
それは、この広場から出ようとする動きではあるのだが。
受け流しの際、後ろを見れば、周囲の人達は俺達のために枠を広げていた。
「って、いつまでたっても逃げられないじゃねぇか!」
「なに!? お主、逃げようとしておったのか!」
あ、しまった。
咄嗟に姉御を見ると、まだ笑みのままだった。
口の端がヒクついてはいるが。
これ、絶対怒ってるよな……?
どうしたものか。
「あぁ~……そうだ、姉御! 今回のゲームって、勝敗はこうやって殴り合うことじゃないよな?」
「む? 言われてみれば……。いや、お主は話を逸らそうとしておるじゃろ?」
「してないしてない! とにかく、負けの方法は水だよな? それじゃ、例えばさ」
そういえば、俺はずっと水鉄砲握ってたな。
思い立ったが吉日ってやつか。
俺は左手に持った水鉄砲の給水ボトルに手を添え、開く方向へ回す。
そうして取ったボトルを、
「こういうのもありかなっと!」
姉御へと投げつけた。
当然、ボトルを直撃させるのが目的ではなく、中に入った水がかかるよう、地面を一度バウンドするように投げる。
すると、その衝撃で中に入った水が飛び出し、姉御に直撃した。
「なんと! 卑怯なっ――あ」
文句の言葉を途中で止めた姉御は、背後を見て固まった。
ボトルの行方を追っていた俺の目線も、そのある人物が視界に入った瞬間、止まった。
『共通の敵は鬼頭だ。バレないように頑張ってくれ』
ゲーム立案時に、圭吾が言っていた言葉が、脳内で再生される。
視線の先、飛んでいったボトルが直撃した相手は、鬼頭だった。