第62話:夜道での偶然
ホテルの外に出ても、相変わらず気分は悪かった。
喉からせり上がって来そうな吐き気を押さえつけ、頭痛に耐えながら、とりあえずホテルの周囲を歩く。
俺が今、歩いている舗装された道はホテルに沿って設けられており、看板には散歩コースと書かれていた。
その外側にはホテルを囲うようにして木々がそびえ立っており、ここが大都会の中にあることを忘れてしまいそうになる。
大方、自然に囲まれた高級ホテルをイメージしたんだろう。
そんな古い思考が、実に糞爺らしい。
ともあれ、昼に雨が降っていたからか冷たい夜風を身に受けつつ、散歩コースを歩き続ける。
裏手に位置する所まで来た時だろうか、そこには人影があった。
口元であろう位置に赤い光を灯すその人影は、近づくにつれて姿があらわになってきた。
「……こんな所でなにやってんだ? 鬼頭先生」
声を掛けると、鬼頭はこちらへと振り向き、くわえていた煙草を指で摘まんで口から離す。
次いで、灰を地面に落とし、笑みを浮かべた。
「誰かと思えば霧島じゃないか。どうした、もうすぐ消灯だぞ?」
「いや、ちょっと夜風に当たりたくてな……」
理由はほとんど削っておく。
毎回察しのいい鬼頭なら、もしかしたら分かるかもしれないと思ったから。
期待なんて全くしてないが。
俺と視線を交わしながら、煙草を吸う鬼頭をジッと見据える。
たまに起きる風は、彼女の吸う煙草の煙を運び、俺の嗅覚がそれを受け取る。
そこそこ香りがする。メンソールだろうか。
などと考えている間に鬼頭は煙草を吸い終え、下に落とし靴で擦り潰した。
最後に大きく息を吐き、ようやく口を開く。
「にしても、貴様らの部屋は今日も騒がしいな。昨日の忠告も意味なし、か」
「は? ……もしかして、昨日のあれは全部お見通しだったのか?」
少し驚き気味に問うと、当然だと言って腕を組み始めた。
「昨日のあれは、ただ楽しかったから乗ってやったのだ。まさか、如月がお前らを助けるために声を上げるとは思わなかったが。どう考えても自殺行為だろう、あれは」
言って鬼頭は、おもむろに顔を上げる。
俺もそれに釣られて上を見れば、明かりがはみ出す窓がいくつも見える。
「ふむ、楽しそうに騒いでいるな」
「そうか……って、なんで分かるんだ? 声、聞こえるか?」
「聞こえるわけないだろう。私は、ここを使っているのだ」
鬼頭は微笑しながら、人差し指で頭を突つく。
最初は、どういう意味なのか分からなかった。
そりゃ、分かるはずがない。
鬼頭の口から出た名は、知っていながらも身近には無かった物だったからだ。
「電脳だ。これを使って、廊下の監視カメラ経由で見回りをしているのだよ」
生体式電子脳。
この名を最後に聞いたのは、修平先生からだったか。
「つまり、このホテルの管理システムをハッキングでもしてるのか?」
「ふふふ、とんでもない。実はな、担任には受け持つ生徒の部屋周辺にある、監視カメラにアクセス出来るよう権利が与えられるのだ。何かトラブルが起きていないか、ルール違反を犯す者はいないか。例えば、男子の部屋に女子が居ないか、とかな」
「ってことは何か? 昨日のあれはとっくに気付いていた?」
「如月と九条がお前らの部屋に入って行くところからな」
ふふふ、と嫌らしい笑い声を上げる鬼頭。
本当、性質の悪い奴だ。
最初から気付いていたというのに、昨日は大声が聞こえたから不審に思った、と言いやがる。
まぁ、そんな性格だからこそ、昨日は見逃されたんだろうか。
遊ばれたけど。
「それで、電脳は先生皆が持ってるのか?」
「いいや、普通は自室のパソコンで見る物だ。私は、この学校に来る以前から電脳だった、それだけだ」
「それって、前の学校に居た時か? それとも、以前の仕事で?」
「なんだ、やけに詮索してくるな。私に質問責めなど、珍しい」
確かに、自分でも珍しいと思っている。
だが、何故かチャンスだと思っているのだ。
いつも謎だらけな鬼頭の、素性を知れるということが。
……もう一つ言えば、今は何か話していないと、気持ち悪さが振り返してきそうに思えたからだ。
けれど、口では違う事を言う。
「興味がある、それだけだ」
「ほう、生徒から興味を持たれるとはな。素直に嬉しいぞ。教師とは、常に嫌われるものだからな」
「ん? 俺は敵視しているが、嫌ってはいないぞ?」
「一言多いわ馬鹿者。まぁ、言ってもいいだろう。……事故だよ。私は昔、脳科学専攻の科学者だったのだ。その時、ある実験に失敗し、脳が吹き飛んだ。あぁ、物理的にでは無いぞ? 精神的なものだ」
自嘲するような薄笑いを浮かべる鬼頭は、肩を竦めて小首を傾げる。
「脳を弄くる人間が、逆に脳を壊して弄くられ、機械の脳にされる。これほど、傑作な話はない。科学者と笑い話をする時は、必ずこの話をして笑いを誘うほどだ」
楽しそうに話す鬼頭は、しかし本当に楽しそうではない。
口はわらっているが、目が笑っていない。
まぁ、当然だろうな。
なんでこう毎回、知ろうとする事は、暗い事実ばかりなんだろうか。
最近では、葵の時もそうだった。
戻っていけば、巴の時も詩織の時も。
もしかしたら、和葉の眼帯について興味を持った時も、聞き出していたら暗い事だったかもしれない。
そんな、マイナスな思考を断ち切るように、鬼頭の笑い声が耳に響く。
「ふふふっ、何をそんなに暗くなっている? 私の話が重かったのか? なら、話題を変えよう。――私の教師としての人生は、大体二年前から始まったのだ。最初の一年は別の学校で。次の一年はこの学校で、だ。分かるか? お前らは、私にとってまだ三回目のクラスだ」
正直、驚いた。
いや、ちょっとやそっとの驚きじゃない。
まさか鬼頭が、教師になって三年も経っていなかったなんて。
しかも、まだ一年しか経ってない飛翔鷹高で、三年に怖がられてるのかよ。
じゃあ、初めて会った時に感じたあの迫力は、科学者時代に培ってきたものなのか?
どんな科学者だよ……。
自分で言って、自分が馬鹿馬鹿しく思える。
ともあれ、
「ためになる話を聞けてよかったよ。本当に、ためになった」
「む、棒読みに聞こえるのは気のせいか? 私の耳が悪いだけか?」
まぁいい、と言いながら、鬼頭はポケットからおもむろに煙草のソフトパックを取り出し、空いている場所の少し横を小刻みに叩いた。
すると、煙草がゆっくりと飛び出てきた為、それを口でくわえてライターで先端に火を灯す。
暫くの間、その状態で止まった後、口の開いた隙間から煙が溢れ出し、ようやくライターの火を消した。
その一連の動作を見届けた俺は、ふと口を開いた。
「なぁ、鬼頭……いや、やっぱいいわ」
「なんだ、気になるじゃないか。どうした? 愛しの我が生徒よ、言ってみろ」
刹那、背筋を悪寒が走り、鳥肌が総立ちした。
なんだろ、鬼頭に愛しのなんて言われたからだろうか。
だとしたら、俺は正常だな。
やっぱり、柄にもない言葉はよくないもんだ。
「なんだその目は。そんなに嬉しかったのか? ――こらこら、ジト目になるな」
「まぁ、なんだ。特に意味はねぇよ。本当に、なにもない」
そう言うと、鬼頭は納得のいかない顔を一瞬だけ見せたが、数回頷いた後に溜息をついた。
仕方が無いな、とでも言いたそうな表情をし、 煙草を一回ふかす。
「何もないのなら別にいいのだ。その代わり、何かあった時は遠慮無く言え? 力になってやろう」
「あぁ~……分かった、考えとく」
本当に失礼な奴だ、と聞こえたが、聞こえないフリ。
ふと、PIDを見やれば、消灯の時間はもうすぐだった。
鬼頭も自分の腕時計を見てそれに気付いたのか、煙草を急いで吸い始める。
半分くらい残ってた煙草が、一気にフィルターまで後退し、灰となった部分と一緒に地面に捨て、また靴で擦り潰す。
……あれ、これってポイ捨てじゃね?
ま、いっか。
「よし霧島、そろそろ戻れよ。私と話していたせいで消灯に間に合わなかった、などと言わせたくないからな」
「他の教師からの印象が悪くなるってか?」
「生徒からの印象が悪くなる、だ。変なとこで履き違えないように。さ、行け行け」
邪魔者を追っ払うように、手の甲で叩く仕草をされた。
わずかに口元をアヒル口にしながら。
そんな姿を見て、思わず吹き出してしまいながら、踵を返して来た道を戻る。
気付けば、頭痛は治まっていた。
そのため、軽くなった脳で、先ほど聞こうと思った事を内心で呟く。
……科学者だったのなら、俺の両親を知っているか、と。
俺は、科学者だった二人が何をしていたのか全く知らない。
今までは、知ろうとしなかった。
それは、機会を探すのを面倒に思っていただからだろうか。
しかし今は、手掛かりになりそうな人が居た。
だからこそ、知りたいと思った。
自分勝手な意見な気がするが、それでもだ。
けれど、数多ある分野の中で、同じ分野の科学者でない限り、知ってるってのは偶然以外では無理だろうと思う。
だから、口には出さなかった。
それは外れる可能性が高いから、面倒になったから。
もしくはどこかで、研究内容を知るのを怖がっているからか。
……臆病なんだろうか、俺は。
どちらにせよ、いつかは必ず知る事になりそうだ。
そう思いながら、ホテルへと戻る。
あいつらはまだ騒いでるだろうか。
……騒いでそうだな。