第59話:交渉人、英語で言うとnegotiator
玄関先に到着した時、状況は緊迫していた。
圭吾がドアに背中からべったりとくっつき、両側から直樹と日向が押さえていた。
そして、圭吾が扉の向こうに居るであろう鬼頭と交渉の真っ最中だ。
「いや、ですから――おぉ、亮! やっと起きてきたか。ほら鬼頭先生、亮が来ましたよ!」
「あぁ~……ども」
「ん、眠そうな声だな。寝ていたというのは、どうやら本当のようだ」
どうやら俺は奥で寝ていたという事になっているらしい。
まぁ、何故か第一声が気落ちした声だった為に、誤魔化す事ができたわけだ。
……なんで、気落ちしてたんだろうな。
そこんとこは分からない。
「で、なんのようだ? 俺は眠いんだが」
「ほう、貴様も白を切るか。先ほど、私は言っただろ? 女子の声が聞こえたと。いくら寝ていたとはいえ、あれほどの大声では目が覚めるだろうに」
「いや、俺は奥の和室で寝てたから、お前が来てた事も知らなかった。ちなみに女子は居ないぞ?」
「なに? おかしいな……本田の発言と噛み合っていないぞ。本田は、今そこに居るメンバーは誰だと聞かれて、神田と出雲、そして貴様が居ると言っていたな。貴様はリビングルームと和室を合わせて二人居るというのか?」
馬鹿圭吾……。
思わず溜息をつきそうになったのを堪え、言葉を紡ぐ。
ここで言い返せなくなると、鬼頭の思う壷だ。
それに、これはただの引っ掛け。
答えなんて簡単だ。
「それは、この部屋に居る人物を言ったんだろ? まさか一固まりになってるグループだけを数えるやつなんていないさ。教師ならそれくらい分かるだろ」
「ほう、反論ついでに教師を侮辱するか」
「いや、侮辱ついでに反論してるんだ。それと、侮辱してんのは教師じゃなくてお前な」
「……貴様、もう一度痛い目にあいたいのか?」
「残念ながら、今回はドアが俺とお前の間にあるからな。顔を合わせないかぎり、痛い目になんて合わないさ」
「では貴様はこれから先ずっとここにいるのか? そうでなければ、明日は嫌でも会う事になるがな」
「そこはあえて忘れてくれよ。先生、もう年だろ? 一眠りしたら、今の事なんてすっかり忘れられるって」
「よく吠えるなぁ、貴様は……」
「ちょ、ちょちょっとまったー! 亮はなんでそんなに喧嘩ごしなんだよ!? 先生も、落ち着いて落ち着いて!」
突然、圭吾が会話に割って入って来て、俺達の会話を終わらせた。
……っと、思わずヒートアップしちまった。
「わりぃ、先生。口論にするつもりはなかったんだ」
「口論というより、罵り合いに思えたがな。まぁいい。とりあえず、私が提示してもらいたい証拠は……何故、女子の声が聞こえたのか。その声の主は誰なのか。このたった二つだ。早急に答えられない場合は、室内を調べさせてもらう」
さて、どうしたものか。
というか鬼頭のやつ、女子の声が聞こえた事を前提にしてるから、逃げ道がないじゃねぇか。
でも、ここはくるしまぎれの発言をするしかねぇ。
「あぁ~……実はあの声は、圭吾なんだ」
「え――んぐっ!?」
圭吾が声を上げようとしたところを、素早く直樹が口をふさいだ。
ナイスフォローだ。
「俺たちは罰ゲーム付きでババ抜きをやっててな。ビリになった敬語に、女装してもらう事になったんだ。それで、声も女声にしたんだよ」
「ほう……罰ゲームなら、やりたくてもやらなくてはいけないからな」
ちょっと無理ある気がするが、よしきた。
……なんて喜ぶ事は、当然のように出来るはずもなく。
「では本田。女声で、鬼頭先生最高ッス! とでも言ってみろ」
なに言わせようとしてんだこのババァ。
喉元まで出かかった声を堪え、唾を飲み込む。
そして圭吾を見れば、必死に首を振っていた。
当たり前だわな。
「いや、圭吾のやつ喉の調子を悪くしてな。今はだせねぇんだ」
「なに? それでは証拠にならないな……では、室内を調べさせてもらうか」
「だぁぁぁ! わ、わかった、やらせる! 出来るよな、圭吾?」
全力で首を振る圭吾。
今にも空を切る音が聞こえてきそうな程だ。
だが、時間と鬼頭は待ってくれない。
無茶ぶり、開始だ。
「よし圭吾、スリーカウントでいくぞ。スリー、ツー、ワン――」
「鬼頭先生最高ッス!」
それは、完全に男が出すような裏声だった。
暫く、沈黙が流れる。
そして、ノックがあった。
「では、入るぞ」
「ストップ先生! 先生ストップ!」
「そう慌てるな。居ないというのなら入っても問題ないだろう」
「いや、圭吾は今、全裸なんだ! だから入ったら汚いものを先生に見せちまう」
「何を今更意味のわからんことを――」
「おわ! 圭ちゃんなんで全裸なんだよぉ!?」
直樹、それはタイミングがおかしい。
「……わかった。だったら早く服を着ろ本田。それまで待ってやる」
「よし、じゃあその間に圭吾の女声にもう一回チャンスを!」
「なんで着替えてる本田が言うんだ!?」
珍しく鬼頭が驚きの声をあげているが、今はそこにかまってる暇はない。
もう一度スリーカウントを取るために、圭吾に三本指を掲げる。
もう俺もやけくそだ。
なんかもう、笑えてきた。
対し、本人は涙目になってるが仕方ない。
「いくぞ、圭吾。スリー、ツー、――」
「鬼頭先生最高ッス!」
カウントよりもすこし早くでたセリフ。
それはしっかりとした女声で。
また、聞こえた方向は前からではなく後ろで。
振り向けば、そこには腰に両手を添えて立っている和葉の姿があった。
脳内で悲鳴が上がる。
実際に上げるわけにはいかないが、しかし、これは――
「む、なんだ出来るじゃないか。証言通り、本田だったしな。……では、私はもう行くが、あまり夜更かしはするなよ」
言って、鬼頭は足音を立てながらどこかへ行った。
……え、今のでよかったのか?
思わず圭吾と目を合わせ、小首を傾げ合う。
次いで深い溜息をつき、その場に座り込んだ。
直樹や日向も同じようにして座り込む。
「はぁぁ! びっくりしたぁぁ!」
「僕、寿命が縮んだ気がするよ……」
圭吾と直樹は感想を言い合い、ハイタッチをした。
いや、それはどうでもいい。
問題は、なんで和葉が言ったのか。
そしてなんで、それでOKが出たのか、だ。
だが、そんな疑問が解ける前に、和葉は俺の横を通り部屋を出て行こうとする。
その背に、朔夜の姿はなかった。
「お、おいちょっと待て! 朔夜はどうした?」
「貴方が連れてきなさいよ。私は連れてくるので疲れたわ」
ならなんで連れて来た!?
そんな感想を吐き出す前に、和葉は出て行ってしまった為、俺は和室に行って朔夜を背負い、和葉の後を追った。
いつの間にかかなり先へと進んでいた和葉に追いつき、乱れた呼吸を深呼吸で正す。
別に朔夜が重かったわけではないぞ。いや、本当に。
ただ、走る羽目になったから疲れただけだ。
とりあえず、前を行く和葉に問いかける。
「どうしたんだよ、急に部屋を出て行って」
「別に? もう眠くなってきたから、部屋に戻るだけよ?」
返答した彼女は、こちらに振り向こうとはしない。
「お前なぁ、そうだとしても俺や圭吾達に一言くらい――」
「忘れなさいよ?」
「へ?」
突然の話題が違う言葉に、少し驚く。
そのせいか、間抜けな声を出してしまった。
……っというか、どういう意味なんだ?
「なにを忘れろって?」
「さっき、あんたが盗み聞きした話よ!」
それは、どっちを指してるんだ。
意味もなく、内心でつぶやいて見る。
……とりあえず、
「わかったよ。綺麗さっぱり忘れる」
そう言っておく。
以降、会話は一つもなかった。