第58話:まるで死闘と罰ゲームと、そして・・・
水の弾幕が飛来する。
それは一般的な水鉄砲が出すような生ぬるい物ではなく、本物の銃弾と呼べるくらいに形状が出来上がっているものだった。
弾速は水鉄砲のそれが少し速くなったくらいだが。
つまり、簡単に避けられる。
……どっから持って来たんだよ、あんなもん。
ふと、来る途中に圭吾が持っていたアタッシュケースを思い出し、あぁあれかと呟き苦笑する。
同時、斜め左に向かって走り出し、水弾を回避する。
お湯が走行の邪魔をするが、姿勢を低くしつつ、大股で走る。
淵へと辿り着けば障害物は無くなるからだ。
果して、伸ばした手は風呂の淵を掴む事ができ、腕に力を込めて身体を引き、大浴場のタイル上に立つ。
被弾はゼロだ。
腰に巻いているタオルをついでに確認する。
落ちる気配は無い、ばっちりだ。
だから行く。
水の弾幕を掻い潜り、真っ直ぐに圭吾達の下へ。
対する彼らは慌てて水鉄砲を乱射するが、そのうち水が切れて、補充に時間を取られる。
故に一気に速度を上げた。
だが、圭吾が大きめの水鉄砲を構えた瞬間だ。
他とは遙かに違う大きさを持った水弾が放たれた。
まるでバズーカだな、と呑気に感想を呟いておく。
その水弾は俺の手前で着弾し、弾けた水飛沫が一瞬だけ視界を奪った。
同時、濡れたタイルが足を掬う。
「うぉっ!? ――っぶねぇ!」
滑った事により体勢が崩れるが、濡れていないタイルに片手をつき、腕を支柱に身体を回し、倒立前転の要領で体勢を立て直す。
冷や汗が背筋を走る。
……タイルが乾いててよかった。
もし濡れたタイルに手をついていたら、最悪な体勢で倒れる事になり、なにかしら負傷していただろう。
悪くいけば骨折だ。
ったく、こんな遊びで重傷負ってたまるかよ。
内心で自分に言い聞かせつつ、再度走る。
その際、近くにあった桶を二つ、両手に持つ。
次いでそれをフリスビーのようにして一つ投げ、その勢いを生かして身体に回転をかけ、一周したところでもう一方の桶を投げる。
真っ直ぐに飛んで行く二つの桶は、圭吾の仲間二人に直撃した。
顔面ヒット。残り三人。
いつの間にか圭吾以外も標的に入れているが、俺を狙って来たんだし問題はないだろう。
などと考えている内に、距離は後十メートル。
そして、接敵した。
圭吾達が入っている湯船に着水すると同時に、姿勢を低くし圭吾の仲間を足払いでこけさせる。
ラストは、元凶のみ。
標的を視界に捉え、走る。
「ストップ! ストップだ亮!」
「残念だが、一発殴っとかないと止まらないわ」
言って拳を構える。
対する圭吾も、反射的にか水鉄砲を構えた。
次の瞬間、
「うぉ?」「あら?」
身体がぐらつき、視界が歪む。
そして、水面に落ちていった。
「のぼせるとはなぁ」
「お前の所為で酷い目にあったわ……」
「いやいや、あれは事故だったんだって!」
「事故だったとしても、開戦に持ち込んだお前が悪い」
水風呂にて、気付けば三十分程文句を言い合っていた。
午後八時を過ぎた頃。
バイキング形式の夕飯を食べ終え、部屋に戻った俺達は、トランプと睨み合っていた。
行っているのはババ抜き。
それも、罰ゲーム付きのものだ。
誰かが三回最下位になるまでを一セットとし、その一セット終了時に一番、一位になった回数の多い奴が最下位に罰ゲームを指示出来るのだ。
もちろん、一セット終了時には毎回成績がリセットされる。
そして現在、俺が罰ゲーム二回、直樹が一回、日向と圭吾は無敗という状況だ。
ちなみに、受けた罰ゲームというのは、
「はーっはっはっはっ! 猫耳が最高に似合ってるぞ亮! は、腹いてぐぇっ!」
「うるせぇ、笑うな! かなり恥ずかしいんだぞこれ……」
一回目で猫耳を、二回目で猫の尻尾を付けられていた。
完全に猫セットである。
いくら猫好きだからといっても、自分が猫になるってのはちょっとな……。
羞恥レベルはとっくに最大だ。
ちなみに、二つの意味で腹を痛めた圭吾は、いつの間にか体勢を立て直してカードを構えていた。
「さあ、やるぞやるぞ! 次は亮の語尾をにゃんにしてやる。これでコンプリートだぁ!」
「させるかっての」
こうして、次のゲームが始まる。
あぁ、ちなみに。
圭吾が受けた罰ゲームは鼻眼鏡だ。
「って、なんでお前の手札はそんなにも少ないんだ!?」
「はっはっはっ、運が強いんだよ、俺は! さて、ぶっちぎりで一位になってやる!」
いつもの圭吾の境遇を見てると、運が強いだなんて納得意かねぇ。
逆に、俺の手札はかなりの厚みを持っている。
か、勝てば良いんだ、勝てば。
そう決意し、直樹の手札を引いた。
それから数十分後……。
「ほら、言えよ。ビリになったんだから言えよ」
「ぐっ……分かってる……にゃん……」
刹那、圭吾は大笑いしながらのた打ち回った。
また、日向は顔を逸らして僅かに肩を震わせ、直樹は微笑を浮かべている。鼻眼鏡付けながら。
なんかもう死にたい気分だ。
と、その時。
突然、入口のドアが勢い良く開かれ、聞いた事のある声が聞こえた。
「おじゃまするわよー! ……って、何やってるのよ亮」
振り向いて見れば、そこにはスウェット姿の和葉と朔夜が居た。
正確に言えば、朔夜を背負った和葉か。
彼女に背負われている朔夜は、顔を真っ赤にしてぐてっとしている。
「なんだ? 朔夜の奴、のぼせちまったのか……にゃん?」
「は? 何言ってんの貴方」
当然の反応をありがとうございます。
「亮は今、罰ゲーム中なんだよ。猫っ娘のコスプレと語尾ににゃん、完璧だろ?」
「男に猫っ娘ってのはかなり変だと思うわよ……。まぁ、亮は昔からテーブルゲームに弱いものねぇ」
ニヤニヤしながら言う和葉は、ベッドに近寄って来て背中の朔夜を下ろした。
すると朔夜はゆっくりとした動作でベッドの上に倒れ込み、動かなくなる。
よく、こうなるまで風呂に浸かってたな。
「んで、なんの用なんだにゃん?」
「暇だったから遊びに来たのよ。向こうに居ても、相部屋の子達は許婚の話ばかり聞いてくるからつまんないの」
「つまんないからってお前、男子部屋に来たらダメにゃん? 鬼頭にどやされるにゃんよ?」
「ちょっと慣れてきてるわね、貴方。それくらい、見つからなきゃ問題ないわよ。ただ、一人気に食わないのが居るけどね」
言いながら、和葉は視線を別の奴に移す。
大体予想はつくが、一応視線の先を見てみると、相手は日向だった。
ゲームが一旦休止状態だからかカードをシャッフルしている彼は、多分和葉と顔を合わせないようにしているのだろう。
カード見てりゃ、和葉と目が合わないしな。
「あの様子じゃ、問題ないわね」
「ってかよ、なんで日向を毛嫌いするんにゃ?」
「根暗だし喋らないし目つき悪いし雰囲気怖いし根暗だから」
侮辱の連打だな。
根暗二回言ってるし。
「日向君、災難だね……」
「ほっとけ」
あっちはあっちで、直樹が日向を慰めていた。
いや、気にしている様子は欠片も見えないが。
「でもよ、こっち来たところで何するにゃん? トランプは……もうこりごりだにゃ」
「俺、トランプ以外持ってきてねーぞー」
「というか、どんなゲームやっても負けるでしょ、貴方」
「うるせえにゃ! 意外と気にしてるにゃよそれ!」
「……ねぇ、そろそろいい?」
「? どうし――へぼぁ!」
突然、猫耳を取られ、それを使って打たれた。
「にゃんにゃんにゃんにゃん五月蝿いのよ! 聞いてるこっちが恥ずかしいわっ」
「いや罰ゲームなんだから仕方ないにゃろ!?」
「だからそのにゃってのを止めなさいって言ってるでしょっ」
「おわ、癖ついちまったにゃ」
「まだ言うし……。なに貴方、案外楽しんでるの?」
「んなわけないだろ! 誰が好き好んで語尾ににゃんなんてつけるかにゃんっ」
「ねぇ圭ちゃん、二人って仲良いよね。はたから見ると夫婦喧嘩、じゃなくて夫婦漫才に見えるよ。さすが許婚だね」
「おい直樹、どこが――」
「どこがよっ!!」
俺の声を遮った否定の言葉は、かなりの大声だった。
腹から力一杯出たような、全力の否定。
突然のそれは、ここに居る全員の動きを止め、言葉さえも奪う。
ただ一人、トランプを切っている日向を除いて。
……いや、だからといって日向が何かをしてくれるとは思っていないが。
ふと、そんな日向から視線を和葉に移すと、彼女はハッとした表情で慌て始め、両手の平を勢い良く振る。
「ちょ、ちょっとなに空気を重くしてるのよ! そこは笑って返すとこでしょ?」
その言葉に圭吾や直樹は徐々に頬を緩め、苦笑へと変わり、微笑した。
刹那、インターフォンのチャイム音が室内に響き渡った。
心臓が跳ね上がる感じがするほどに驚く。
これはかなり心臓に悪い。
そして、来客者の声が玄関先、ドアの向こうから聞こえる。
「鬼頭だ。グループリーダー本田、聞きたい事がある」
相手は鬼頭だった。
再度、全員の動きが止まる。
今度は日向さえも、その動きを止めていた。
無意識に冷や汗が背筋を流れ、視線が玄関先に集中する。
だが、用件がなんなのか聞いてない以上、ここで怖気づいているわけにはいかない。
とりあえず、圭吾に顎で返答するよう指示する。
「……ど、どうしたんですか先生」
「いやなに、見回りでここの近くを通ったんだがな、どこかの部屋から女子の声が廊下まで聞こえて来たんだ。で、耳を澄ませたところ、どうもまだ声が聞こえるんだよ」
「えと……それでなんでこの部屋に?」
「なんだ、分からないか? 私はこの部屋を疑っているんだよ。それも、かなり高い確率で、だ」
「ま、まさかぁ! 俺達が女子を連れ込んでるわけないっしょー」
「貴様のその言葉には信憑性が全く無いな。不合格だ。悪いが入らせてもらうぞ」
不味い。
そう思ったのと同時、圭吾が俺を見て和室の方を指差し、全力で玄関へと向かった。
今、玄関のドアには鍵がかけてある。
カードキーによる電子ロックだ。
だがそれは、教師が持つマスターキーによって、簡単に開錠されてしまう。
圭吾はその対策の為、玄関でドアを塞ぐ気だ。多分。
だから、俺はやれる事をやろう。
ベッドの上で横たわっている朔夜を抱きかかえ、和室へと走る。
途中、振り返れば、和葉もちゃんとついてきており、直樹や日向も玄関へと向かって走り出していた。
まさか日向も協力するとは。
驚きつつ、布団が詰められている襖を開け、朔夜を押し込む。
続いて和葉も中に入り、なるべく音を立てないように閉める。
鬼頭なら、些細な音でも聞き分けそうだからだ。
とりあえず、気力を使ったために襖に背もたれ、座り込んだ。
……どっと疲れた。
圭吾達の方はどうなっただろうか。
遠くから、僅かに声が聞こえる。
一人分しか聞こえないが、これは鬼頭がドア越しだから、こっちまで届かないからだろうか。
それとも、圭吾一人に延々と喋らせているのか。
鬼頭なら、後者があり得そうだな。
「……亮? まだ居る?」
突然、和葉に襖の中から小声で問われた。
……会話は抑えた方が良いだろうか。
玄関の状況が分からない為、下手な行動は取れない。
もしかしたら既にドアが開いていて、会話をすれば鬼頭に聞き取られるかもしれない。
などと考えていると、襖の向こうで進展があった。
「よし、居ないよゆね。……朔夜ちゃん、ちょっと聞きたい事があるの。いい?」
「ふぇ? いいれすよ……どうしたんれすかぁ?」
どうやら朔夜は、まだのぼせてふにゃふにゃになってるようだ。
そんな彼女に質問する為に、和葉が深呼吸をする音が聞こえた。
「じゃあ聞くわよ。……貴方、圭吾の事どう思ってるの?」
は?
「ふぇ? そりぇあ、好きれすよぉ。皆さんと同じように、好きれす」
「そうじゃなくて……恋愛って意味で、好きなの?」
「それはないれすよぉ~。とぉいうかぁ、ほんろにどうしたんれすかぁ?」
「い、いえ、ゴールデンウィークの時、二人はデートしてたでしょ? ほら、やっぱりそういうのって幼馴染みとして気になるじゃない!?」
「あぁ~、あれですかぁ。あれはですね」
そういって、朔夜は説明を始めた。
俺はその間、考える。
どうしてそこまで気になるのだろうか、と。
いくら幼馴染みだとしても、そこまで聞くだろうか。
……いくら鈍感だと言われる俺でも、和葉の気持ちは分かる。
ただ、純粋に驚いているのだ。
俺個人の推測ではあるが、和葉が圭吾を好きだった事に。
その想いは、いつからだったのだろうか。
「――っと、いうわけなんれす~」
「え、はぃ? ……なに、私の勘違い? な…なによ……勝手な勘違いだったなんて……」
はははっと乾いた笑い声をこぼし、安堵の吐息を漏らす音が聞こえる。
その後すぐ、次は朔夜が最初の言葉を作る。
「じゃあ、この際に私も質問れすぅ~。和葉ちゃんはいいなずけぇの亮さんが、好きれすかぁ?」
「へ!? よ、予想外の質問ね……」
俺も予想外だ。
というか、そろそろ席を外すべきだろうか。
……本音を言えば、聞いてみたいんだが。
「私は……亮が――」
「おーい亮! 鬼頭先生がお呼びだぁ! 起きてこいよぉ!」
バッドタイミングだ、圭吾!
「え、なに? 亮、そこに居るの!?」
問われた質問に答える事無く、俺は立ち上がって玄関へと向かう。
呼ばれた事を口実に、その場から逃げる為に。