第57話:修学旅行一日目、ホテルにて
「うぉぉ! でけえぇぇぇ!!」
圭吾の声がロビーに響き渡る。
とりあえず、五月蝿いから頭を殴っておき、辺りを見渡す。
確かに大きい。というか、広い。
ロビーは広く、床には大理石が使われており、遥か上にある天井からは、巨大なシャンデリアが吊るされていた。
受付は入口から入ってまっすぐ行った所にあり、左手にはエレベーターの搭乗口が八つもあった。
また、そのエレベーターを包む壁はガラス張りとなっていて、昇降中は周囲の景色が見える形となっていた。
なんというか、凄い。
そんな言葉しか出ない。
とりあえず、俺達はエレベーターへとまっすぐに向かい、乗り込んだ。
その際、圭吾が手に持ったカードキーを階数が書かれたボタン横にある穴に挿入し、八階のボタンを押す。
ちなみにこのカードキーは、バスを降りる際に鬼頭から各部屋の班長に配られた物だ。
部屋の出入りをする時にも、同じように使って鍵を開けるのだそうだ。
故に、俺達の部屋の班長である圭吾が持っているというわけだ。
などと内心で説明していると、直樹が俺の袖を引いて後ろへと振り向かせた。
「ほらほらりょーちゃん、良い景色だ!」
そこにはガラス張りの向こうに広がる、大阪の景色があった。
大都市である為に、絶景というわけでは無いが、斜めから射す夕日が街全体を朱一色に染め上げている。
思わずその光景に見とれ、立ち尽くす。
その状態が暫く続き、到着を知らせるアナウンスが鳴るまで何の音も耳には入らなかった。
名残惜しいと思いながら、その光景を記憶に焼き付け、エレベーターを降りる。
到着した八階には正方形のロビーがあり、左右に通路が伸びていた。
見た感じ、かなり奥まで続いている通路の入口には、部屋番号が書かれたプレートが壁に掛けられており、それを確認した圭吾は左の通路を進んで行く。
ドアは一定の間隔で設置されており、全てが同じ形だ。
また、圭吾が足を止めた、おそらく俺達の部屋であろうそこも、同じドアだった。
って、当たり前か。
とりあえず、ドアを開いて中に入って行った圭吾に続いて、俺達も中に入る。
居間へと続く廊下と、右手に浴室があるのあ、自宅と一緒だな。
玄関に揃えてあったスリッパに履き替え、奥へと進む。
廊下とリビングは直接繋がっており、大型の液晶テレビが置かれたリビングには、セミシングルベッドが四つ並べてあった。
そして、右手奥にはリビングと同じ広さの和室。
隔たりとなる障子戸は開け放たれた状態だ。
……あれ、完全に自宅じゃね?
そういえば、このホテルのスポンサーはFMP社だと鬼頭が言っていた気がする。
おかげで高級ホテルの部屋を取る事が出来たとも。
となると、最高責任者は糞爺となるのだろうか。
いや、その情報を整理したところで、どうしてホテルの部屋が自宅そっくりなのかという理由が分かるわけじゃないが。
ともあれ、部屋の隅に各々荷物を置き、一人一つのベッドに座る。
今、顔を合わせているメンバーは圭吾、直樹、日向の三人だ。
圭吾と直樹は興味津々に室内を見渡し、日向はポケットに手を突っ込み、気だるそうにしながら明後日の方角を見ている。
……そういえば、葵の看病はどうしたんだろうか?
三日も葵の下を離れる修学旅行に来るなんて、特別な理由でも無い限り、ありえないだろう。
後でさり気無く聞いてみる事にするかな。
「さて、皆。これから大浴場に総員で出撃したいんだが、どうだ!?」
唐突に、圭吾が人差し指を突き立てて提案して来た。
大浴場か。
とりあえず他の反応を見てみれば、直樹は既にシャンプーや着替えなどを鞄から取り出す作業をしていた。行く気満々だな。
一方、日向は嫌悪全開の目で圭吾を見ている。
……仕方ねぇな。
「俺はついてくぞ。もちろん、お前も行くよな?」
日向に向かって言うと、軽く舌打ちされたが、渋々頷いてくれた。
そして、必要最低限の物――と言ってもジャージだけだが――を手に持って立ち上がる。
圭吾はその反応を見て親指を突き立て、大き目のスーツケース二つを両手に持って満面の笑みを見せる。
「よし、じゃあ行くか!」
「いや待て、なんだそのスーツケースは」
「秘密だ、秘密。大浴場でお披露目してやろう!」
言い切って、ウィンク。
うわぁ……うぜぇ……。
蹴り飛ばそうと思ったが、早々に玄関へと駆けて行った為、蹴りは断念。
俺も鞄からジャージを取り出し、三人で馬鹿の後を追う事にした。
思えば、友達と風呂に入るのは何年ぶりだろうか。
いや、多分圭吾以外と入る事自体、初めてな気がする。
無意識の内に緊張してしまいそうだ。
そんな事を考えつつ、周囲を真似て腰にタオルを巻き、四人パーティーはずらずらと大浴場へと入って行く。
スモークの掛かったガラス張りの戸を開け放った先には、かなりの広さのある浴場の光景があった。
そりゃ大浴場だから当たり前だろう、と言われるだろうが、予想を遥かに超えた広さに驚き、思わず足が止まった。
全く、このホテルに来てから驚きっぱなしである。
姉御の銭湯よりも当たり前のように広く、またそんじょそこらのファミリー浴場よりも、大きかった。
って、大が付いているから浴場以上ってのは当たり前か。
……さっきから、同じような事ばかり言ってる気がするな。
ともあれ、入口近くにある掛け湯をし、奥へと進む。
視界に入るのは各風呂の説明書きがされた看板で、一般的な大風呂、壁や床からジェットが噴出している、いわゆるジェットバスのような風呂、通常よりも温度が高い風呂に色々な効能がある風呂などなど、バリエーションのある風呂が並べられていた。
とりあえず、好奇心をそそられるジェットバスのような風呂に入る事にした。
他の場所に比べると、若干入浴者が少ないが、気にしないでおこう。
そんな事よりも、歩く度に足の裏にジェットが当たって、こそばゆい。
俺はそのこそばゆさに耐えつつ、隅の壁からジェットが出ている場所まで移動し、壁に身体を預けるようにして座る。
「うあぁぁ~……」
ジェットが肩に当たって、なんとも情けない声が出る。
入浴者が少なくて良かったと、つくづく思う。
にしても、気持ち良い。
気付けば床からもジェットが出ており、それがちょうど腰の位置に当たっていた。
ダブルパンチとは、まさにこの事だろうか。
……なんか、おっさんっぽいな、俺。
脳年齢は既に中年なのだろうか。
まぁ、いいや……。
よく考えたら、こういったマッサージはご無沙汰だったな。
その割には、約二ヶ月以内に動き回る事があり過ぎた。
どうやら身体に疲労が蓄積しているようだ。
ふぅっと吐息が漏れ、全身から力が抜ける。
そうした状態を楽しんでいると、視界に日向の姿が映った。
特に何かをしようとしているわけではない彼は、ふと俺の方へと向いて呆れた顔を見せる。
なんだろう、それほどまでに俺の顔は緩んでるんだろうか。
だとしたら……いや、なんでもないや。
もう思考がトロントロンだ。
とりあえず、ふにゃふにゃになった手で、日向を手招きする。
すると日向は一瞬怪訝な顔をし、すぐに仕方無さそうな顔になってこちらに向かって来た。
途中、足の裏にジェットが当たったのか驚いた表情をし、早足で隣までやって来る。
俺が座れよとジェスチャーを送ると、渋々座った。
刹那、頬が緩む。
もちろんその顔を見逃してはいない。
「ぬぁんだ、お前も……気持ち良ぃかぁ……?」
「五月蝿い。そういうお前はドロドロだな」
「うぅるすぁいぃ~……」
説得力ねぇなぁ、と内心で呟き、苦笑する。
あれ、説得力って使い方あってたっけ?
……再度苦笑。
あ、変な目で見られた。
……っと、気をしっかり持てい!
両頬を平手で叩くと、パチンッと良い音が響く。
よし、日向を読んだ理由を果たそう。
確か……あぁ、葵か。
「なぁ、日向。葵の調子はどうだ?」
「……一応、良くもならず悪くもならずだ。なんだ唐突に」
「いやなに、学校休んでまで看病してた時もあったってのに、修学旅行は来たんだなと思ってな」
「そういう事か。……風間に追い出された」
言って日向は眉尻を下げ、珍しく困った顔になった。
そっか、修平先生に追い出されたか。
「修平先生、何か言ってたか?」
「葵ちゃん、自分の所為で君が修学旅行に行かなかったって知ったら悲しむだろ? って。俺には俺と葵の二人分楽しんでくる義務があるんだとよ。で、その間の看病は風間がするそうだ」
修平先生らしい言葉だ。
患者とその家族の事を第一に考える。
自分は、葵の看病に時間を割く事も難しいだろうに。
でも、無理してでもやってのけるのが、修平先生の凄いとこなんだがな。
ある意味、葵の主治医が修平先生で良かった。
「ま、修平先生の言う通りお前は楽しむこったな。明日にでもお土産コーナーついてってやろうか?」
「なんでお前がついて来るんだ。いらん、邪魔だ」
「おいおいおい、邪険にすんなよぉ。同じ兄という立場だから、手伝いたいだけで――」
「霧島、あぶねぇ!」
警告の声が聞こえた。
それとほぼ同時、水の塊が頭部に激突した。
風呂の中に沈み行く最中、一瞬自分が何をしているのか分からなかった。
だがそれもすぐに思い出す事になり、水の塊が当たったんだなぁと内心で呟く。
けど、なんでそんなもんが?
全く分からなかった。
分かるわけ無いが。
とりあえず目を開けてみる。
ジェットが直撃した。
「っだああぁぁあぁぁ!!」
突然の激痛に、大声で叫びながら水中から飛び出す。
両手で両目を押さえ、何度も擦り、顔の水分を弾き飛ばす。
死ぬかと思った死ぬかと思った死ぬかと思った死ぬかと思った死ぬかと思った死ぬかと思った!
心臓の鼓動がバクバクいっているのを感じ取りながら、脳内で死ぬかと思ったと繰り返し叫ぶ。
それから暫くして、深呼吸。
やっと呼吸が落ち着き、元凶を探す。
居た。数十メートル離れた先にある大き目のエリアに、大型の水鉄砲を構えた圭吾の姿があった。
他にも水鉄砲を持っている奴らは居るが、圭吾の水鉄砲ほど大きく無い為、犯人では無いだろうと勝手に判断。
「………………」
「………………」
目が合い、無言の睨みあいが続く。
その間、大浴場内は静寂に包まれていた。
いや、正確に言えば高い壁の向こう側の女風呂から聞こえる僅かな声と、湯が流れる音が聞こえる為、男共が黙っているだけだ。
ともあれ、最初に言葉を発したのは、圭吾だ。
表情を歪めながら、片手を上げて口を開く。
「………………よっ」
「言いたい事はそれだけか……?」
言うと、圭吾は何かを悟ったのか焦った表情になり、水鉄砲を構える。
それとぼ同時。
激しい水飛沫を上げる第一歩を踏む。
「お前ら、亮は本気だ!これはもう、気絶でもさせないと止まらねぇぞ」
「何言ってんだ? 本田。ちゃんと謝ればす……みそうにないなあれは!?」
その一言で、圭吾側の奴らも危機感を感じ取ったのか、水鉄砲を構えた。
刹那、一斉に水弾が放たれる。