第56話:二度目のバス内騒動
霧島家頭首。
その地位に立たされたのは、二年前に両親が事故で死んだ後だった。
霧島家に限らず、三貴家とその分家に値する家系は、長男か長女に頭首の座が継承される仕組みになっている。
年齢に関係無く、最年長が選ばれるのだ。
ちなみに、榊家頭首である榊 護は俺よりも一年前に両親をHEAVEN事件で亡くしており、既に頭首となっていた。
俺にとっては先輩に値するわけだ。
霧島家頭首、とは言っても、それらしい仕事など全くしていない現状だ。
それもそのはず、頭首継承式の際に、俺は頭首の座に置ける一切の事から手を引く、と宣言したからだ。
だが、居間となってはそれは、この事件での護への負担とプレッシャーを増やす結果となってしまったんじゃないだろうか。
その事がどうしようもなく気掛かりで、過去の自分を責める。
……あの時は、どういう気持ちを持って宣言したのだろうか。
思い出そうとしても、記憶にモヤがかかっていて何も分からない。
ただ、覚えているとしたら。
宣言した時、護の表情は驚いているのでは無く笑っていた。
その笑みには、どんな意味があったのだろうか。
「なーに辛気臭い顔してんだよ、亮!」
圭吾の声に、ふと我に返る。
視界に入るのは、前の席の右側から身を乗り出している圭吾の姿だ。
「あ~……わりぃ、考え事だ。ってか、そこは姉御の席じゃなかったか?」
「席変わってもらったぜ! 姉御は今、俺の席で直樹苛めてるわ」
言われて右を見れば、困惑の表情を浮かべながら口を動かす直樹と、彼の方を向いて微動だにしない姉御の姿があった。
会話をしているように見えるが、なんだろう。
尋問をしているようにも見える。
「恒例の第一回、アテレココーナー! パチパチパチィィッ!」
「恒例ってお前、第一回に恒例も糞もないだろ」
「さすが、ツッコミが早いなお前! ほい、頑張ったで賞」
のど飴を渡された。
とりあえず封を開ける仕草をすると圭吾は笑みを浮かべたので、取り出した飴を前歯に思い切りぶち当ててやった。
圭吾、席に引っ込む。……あ、もう復活した。
「にゃにすんひゃい! いはいとすほふいひゃいんたしょ!」
「何言ってるか分からんが、気持ち良いってか?」
「ちゃうわいっ!」
おぉ、最後はちゃんと聞こえた。
前歯を押さえている圭吾を暫く待っていると、痛みが引いたのか手を離した。
まだ少し、顔が引き攣っているが。
「うへ~……まだヒリヒリするぞ。もうやるなよ? これすげー痛いんだから」
出っ歯になりそう、と圭吾は嘆くが、へこむんじゃないのかと内心ツッコンでおく。
やっと喋れるようになった圭吾は、気を取り直して拍手を再開した。
「というわけでアテレココーナー!」
「こりないのな。で、基本的に何をするんだ?」
「簡単簡単、姉御と直樹の会話にアテレコするんだよ。俺が姉御でお前が直樹な。言葉に詰まった方が負け」
じゃあ行くぞ、と言って二人の方へと顔を向け、構えた。
俺も渋々二人の方へと向き、考える。
スタートは言い出しっぺの圭吾からだ。
「いいかげん、本当の事を言って。もう、嘘をつかれるのは嫌なのっ」
「口調違くないか? ――だってしょうがないじゃないか」
「え、短っ! ――もう貴方が浮気してる事ぐらい薄々気付いているの。だから、もう嘘はつかないで」
「あ~……――なんで君はそんなに僕を疑うんだ。新婚の時は僕にデレデレで幸せだったのに」
「それは私の台詞よ! 新婚当時は帰ってくるなりよく、『おかえりなさい、あなた。ご飯にする? ライスにする? それとも、お・こ・め?』」
「『お前だー!』」
「『きゃー』なんて言い合ってバカップル全開だったというのに、今となっては『おかえりなさい、あなた。お風呂にする? 行水にする? それとも、ソ――』」
「『今日は疲れてるんだ。また忘れた頃にしてくれ』」
「なんて言って、相手にしてくれないじゃない!」
「そういう君はどうなんだ。一緒に暮らしているお袋に、ご飯まだですか? って聞かれた時、なんて答えた?」
「『やーねーお母さん、一昨日食べたでしょ』」
「毎日食わせろよ!」
「やかましいわ全部聞こえとるわいっというかわしの口調と全然違うじゃろしかも直樹は最初にしょうがないじゃないかって言っておるがこれもう浮気認めとるじゃろそもそも後半からコントになっておる!! はぁ、はぁ……」
息づき無し噛み無しの長台詞を言い終えた姉御は、荒い呼吸を深呼吸で正す。
続いて直樹に何か言った後、俺達の方へと身体を向けた。
すると圭吾は、身を乗り出して質問した。
「で、で? 珍しい組み合わせだったけど、姉御と直樹はなんの話をしていたんだ?」
「女体に興味はあるのか? と」
圭吾の身体が、乗り出した状態のまま通路に落下した。
顔面が直撃する。
俺も思わず、身体がズルっと滑る。
明らかに予想外の、というか俺達より質の悪い内容だった。
とりあえず、理由を話そうとする姉御に耳を傾ける。
「いやなに、周囲を見渡せば、純粋そうな少年は直樹しかおらんかったからのう。ふと、顔を赤らめる姿が見てみたかった故、苛めてみたのじゃ」
「こら川瀬、俺だって純粋だぞピュアだぞ」「姉御ぉ、俺も苛めて下さい!」「姉御×出雲君、もちろん姉御が攻め……これは新ネタいけるわ!」
周囲の男子生徒達から抗議の声が上がるが、俺の耳に鮮明に入る声はおかしい方向の言葉が多い気がする。
もちろんと言って良いのか、和津多の声も混ざっていた。中には女子生徒の呟きも聞こえたし。
ってかお前ら、ちゃっかり聞き耳立ててたのかよ。
一方、姉御は彼らの声を無視し、言葉を続ける。
「しかし、いざ聞いてみればどうじゃ? 困った顔で軽く流されるだけではないか! なんじゃ面白くない。直樹はあれか? 男性狂愛者か!?」
「えぇ!? なんでそうなるの!?」
「姉御、言葉がおかしいぞ。正しくは同性愛者だ。いや、別に直樹をそうだと言ったわけじゃないが――こらこら、悲しい顔をするな」
抗議の声を上げた直樹の援護をしようと思ったが、逆効果になってしまった。
「しかしのう……乳房を揉むか? と聞いても、愛想笑いするだけで何の反応も見せぬではないか!」
「あ、こら出雲! 羨ましいぞ席変われ!」「え、なに? 出雲は本当に同性愛者なのか?」「姉御! 私女なので揉ませて下さ~い」「あんた男でしょうが。裏声使ってもバレバレよ?」
周囲の声は、既に願望を叫ぶ内容となっていた。
思わず溜息。
だが、こうもクラスメイト全員が声を上げているのは、初めてかもしれない。
創立記念祭準備の時は、雰囲気は最悪だったからな。
これが修学旅行効果なのか。それとも皆がクラスに慣れてきたからか。
わからないが、ともあれ良い雰囲気だと、そう思う。
ふと、直樹を見てみれば、目をギュッと瞑って顔を赤らめていた。
もちろん、それを姉御では無かった。
「おぉ、ついに赤らめおった! ふふ、可愛いのう。ふふふ……」
目を細め、頬を緩め、直樹をジッと見つめる。
そんな姉御の妙な性癖を垣間見た。
え、なんで表情が見えるかって?
外は日が傾いてきていた為に暗く、向かい側の窓に反射して映っていたからだ。
変な奴だなと、改めて思う。
「あ、ちなみに最後に言ったの俺だから、お前の負けな」
「ぬぁんだってえぇぇー!?」
「罰ゲームは……考えとくわ」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、俺は圭吾を苛める。
対する圭吾は、頭を抱えて嘆いていた。
こいつはこいつで、苛めると楽しいんだよなぁ。
そんな事をしみじみと思いつつ、窓へと視線を移す。
視野に入る朔夜は、あれほどの騒ぎの中でも安らかに眠っていた。
窓の外は姉御の居る側と違って夕焼け空が綺麗に見え、しかし奥の空は生憎の曇り。
一雨来るかな、こりゃ。
気分が滅入る感じがして、溜息が漏れた。