第37話:久しぶりのその場所は
病室への入口がいくつもある三階の廊下をあるいている俺と朔夜は、特別室――特別患者用生活個室――と書かれたプレートが、スイッチ式の自動ドアに掛けられている病室の前で立ち止まった。
「……あ、あの、亮さん。ここにWCと書いてあるんですが、ここって元は御手洗いだったんですか?」
言いながら朔夜が指で示す場所、零号室と書いてあるプレートの下にはWCと書かれたプレートが埋め込まれていた。
「あぁ、それはWelcomeって意味だ。馬鹿な親父がユーモアのつもりで埋め込んだんだが、当初はトイレと間違えるヤツが続出しちまったんだ。……今は滅多に間違えるヤツはいないらしいがな」
「そ、そうなんですか……」
引き攣った笑みを作った朔夜を見て、疑問が解けたんだなっと勝手に納得し、軽くドアをノックした後にスイッチを押して中へと入った。
すると、入って右側にあるキッチンで長髪の少年、日向が首を傾げながら、冷蔵庫の中をジッと見ていた。
だが、俺達が来た事に気付くと、一度こちらを見て頷き、冷蔵庫の中から烏龍茶と書かれたラベルの貼ってあるペットボトルを取り出した。
「………烏龍茶でいいか?」
「珍しく気前がいいな」
嫌味のように言ってやると、日向は冷蔵庫の隣にある棚からガラスのコップを三個取り出しながら微笑した。
「色々と世話になった客人だからな。これくらいはさせてもらいたい」
それにっと言って、取り出したコップに烏龍茶を注ぎ始める。
「お前らが居なかったら、俺は今ここに居ない。そして、一生後悔する人生を送っていただろう………その件では、本当に感謝している」
「お前、よくそんな臭いセリフを堂々と――ングッ!?」
「亮さんは人の事言えません。反省してマシュマロでも食ってて下さい。――感謝なんて……友達として当然の事をしたまでですよ! 気にしないで下さいね」
どこから来た、このマシュマロ。
……ってか量が多過ぎる! 水、いや烏龍茶!
「ム……モゴ…グムッ!」
俺は言葉になってない声を出しながら、日向の前にある烏龍茶を必死に指でさした。
すると日向はそれに気付いたのか、笑いながらコップを一杯、俺に差し出してきた。
それを俺は、急いで受け取って口に流し込む。
「――ゲホゴホッ!! 死ぬかと思った! おい朔夜――ってお前、何顔そらして肩を震わせて笑ってんだよ……」
「………ほぇ? あ、すみません、反応が面白かったもので……あの、大丈夫でしたか?」
朔夜は小首を傾げて問いかけて来た為、俺はため息をついて肩を落とした。
「何とか大丈夫だったよ……ってか、あのマシュマロはどこから出て来たんだよ?」
「あぁ、マシュマロは私の好物の一つなので、常時持ち運びしています! 食べますか?」
「もういい」
そう言い切り、再度溜息。
「………亮、お前一段と馬鹿に磨きがかかったな」
「何だよ磨きって!?」
問いに、日向は答える事なく歩き出し、奥の部屋へと向かった。
その先、開いた窓から入る風がカーテンを靡かせているその下には、少女が眠っているベッドがあった。
その少女、葵の側まで行った俺達は彼女を見ながら、近くにあった椅子に座る。
葵は、数日前と何ら変わりの無い安らかな寝顔をしていた。
片腕に繋げられている栄養剤も、同じく変わっていない。
つまりは、悪化も何もせず、ただただ眠っているだけだという事だ。
「………葵ちゃん、いい夢見られているでしょうか?」
「心配すんなって。この寝顔は、いい夢見てる顔だよ、多分」
「多分、ですか………――あ、亮さん、この写真立てにあの写真を入れませんか?」
そう言って朔夜が指で示す方向、ベッドの隣にある小さな棚の上には、誕生会の時に誰かがプレゼントした、写真の入っていないピンク色の可愛らしい写真立てが置いてあった。
ちなみにそれの周りには、他の皆がプレゼントしていた猫のぬいぐるみやオルゴールなどが置かれている。
朔夜はその写真立てに近付いて手に取り、笑顔でこちらを向いた。
「コレに入れて飾るといいと思いませんか? あ、ちなみにコレは私がプレゼントしたんですよ」
「あ~、それをプレゼントしたのはお前だったのか。ありがとう、おかげで疑問が解けた」
「え? あ、はい、どういたしまして……?」
朔夜は何故、礼を言われたのかわからず、首を傾げながらも返事をした。
まぁ、当然の反応だな。
「……っと、そうだ。――日向、お前にも写真を渡さないとな」
俺はそう言いながら、鞄から写真を一枚取り出して、ベッドの向かい側の椅子に座っている日向に渡した。
そして、もう一枚取り出し、隣に居る朔夜に渡す。
「それ、写真立てに入れておいてくれ」
「もちろんです! ……置いておく場所は、元あった棚の上でいいですか?」
問われた日向は頷き、そして、俺の方を向いた。
「俺はしばらく、学校を休む事にする。今まで一緒に居てやれなかった分、今は一緒に居てやりたい」
それを聞くと俺は、肩を竦めてため息をついた。
「遅すぎるぞ、バカヤロウ。当たり前の事を出来なかったんだ、少しでも当たり前のように居てやれ。………まぁ、たまには顔を出せよ?」
「来月の上旬はテスト期間ですしねっ」
「…………え?」
朔夜の言葉を聞いて正直、テストだという事を忘れていた……。
「ありがとう、朔夜」
「え? え!? いきなりどうしたんですか!?」
「よぉし、三人も居るんだし、バンビでもするか!」
「ちょ、ちょっと、無視しないでくださいよ! ――っというより、バンビって何ですか!?」
混乱気味の朔夜を無視し、俺は写真立てのある棚の下の戸を開けて、中から数枚のカード束と大きめの四角い板を取り出した。
その板にはチェスの板のように白黒のマスが刻み込んであり、四方の隅には三十センチくらいの高さがある、プラスチックで塔を模したオブジェがついている。
その塔の下部には丸い穴が開いており、その前には受け皿が設置されている。
それを見た朔夜は、眉を寄せて難しい表情をしながら、小首を傾げた。
「……コレがバンビ、ですか?」
問いに、俺は頷いて答える。
「そうだ。コレはこの病院の院長である修平先生と俺の親父が共同製作したゲームだ。……実は、数年前に大手のホビー会社に子供向けとして特許を求めて提出したらしいんだが、一瞬で却下されたらしい。理由は、ルールが高度で子供達のおもちゃには出来ない、だそうだ」
「……その院長がこの病院に入院したヤツに広める為に、ここに置かれているのか? ――何故、一般玩具にしなかったんだ?」
「前者の質問はそれで正解だ。後者の質問は……親父が、子供向けじゃないと売らないっと言い切ってな。で、憂さ晴らしなのか、息子である俺にルールを全部叩き込みやがった」
だが、覚えると面白いぞ? っと言葉を付け足して微笑し、近くにある折り畳み式のテーブルを展開して、その上に板を置いた。
そして、二人の方を向くと、いつの間にか朔夜は、棚の中に入っていた説明書をマジマジと見ていた。
その後彼女は、驚いた表情をしながらこちらを向いた。
「す、すごく分厚いですね、コレ……百五十ページもありますよ?」
「あぁ~、ゲームの説明は最初の二十ページだけだ。残りは製作者コメントと、親父による俺と夢月の育成日記・総集編だ」
言うと、朔夜は最後の方のページを捲り、苦笑した。
「……た、確かに、亮さんと夢月ちゃんのですね。写真も載ってますよ? ――わぁ! 可愛いです!! この亮さんはレアですよ、レア!!」
盛大に興奮してるな、朔夜……。
「………っておい、日向! 何、肩を震わせて顔を逸らしながら笑っているんだ!?」
「……き………きにする………な………」
「だぁぁ! 見るのをやめろぉぉ!!」
そう叫んだ俺の声は、病室内に響き渡ったが、二人は見るのを止めず、しばらく笑い続けやがった。