第22話:保健室はサボりの場?
意識が覚醒すると、薬品の独特な匂いが鼻に入って来た。いや、臭いとするべきか。
薬のにおいとやらは、どちらの〝におい〟と認識すればいいのか迷う。
もっとも、個人差という物があるのだが。
ともあれ、どうでもいい思考に発破を掛けて粉々にし、目を開ける。
どうやら俺は寝ていたらしく、パイプイスに座って寝ていた為、足が痺れている。
視界には葵が眠っているベッドの真っ白なシーツがすぐに入り、そこに顔を埋めている状態である。
多少、ボーっとする頭を無理に起こし、それが先程の発破の所為では断じて無いと確定して辺りを見渡す。
とは言っても、辺り一面が白のレースで囲われている為、周囲の現状把握は不可能だったが、記憶がここがどこだかを教えてくれた。
サボり常習犯の巣窟――もとい、学校の診療所こと、保健室だ。
っと、それと同時にもう一つ思い出す。
確か、日向が一緒に来ていた筈だ、と。
だが、見渡しても姿が見えない限り、先に教室か屋上へと戻って行ったようだ。
とりあえず立ち上がって、ベッドを囲うレースを開け、一纏めにして隅に追い遣ってから保険室内を見渡す。
が、日向どころか他の人さえ見当たらない。
ここ担当の衛生兵は留守か、と内心で呟き、パイプイスに座り直す。
金属同士が擦れる音が響いた事に、僅かながら不快に感じながらも、未だ眠り続けている葵の寝顔を見る。
と、その時だ。
彼女がう~んっ、と唸りながら目を薄っすらと開け、次の瞬間には全開になる。
眠り姫のお目覚めだ。
「あ……あれ……? どうして……ベッドで眠ってるの?」
「よっ、おはようさん」
「あ、竜太……何で居るの?」
「段々、亮から遠ざかって行くのな……。お前、また倒れたから、保健室まで連れて来たんだ。危なかったんだぞ? お前、屋上から落ちそうになるし」
事情を説明すると、葵はきょとんとしながら、小首を傾げる。
「……ま、また? それで、亮が助けてくれたの?」
「ん~、まぁ、助けたのは俺なんだが、最終的には――」
「ちょ、ちょちょちょちょっと待って待って! 助けたからって、そんな、いきなりベッドシーン突入だなんて……。外道だよ、亮の人生設計!」
寝起きだからなのかは分からんが、確実に葵は暴走を始めている。
その証拠に、頬を赤らめて喚き出して、挙句の果てに枕を力一杯投げつけて来る始末。
まぁ、痛く無いが。
「ベッドシーンとか知らん。ってか、そんなのはどうでも良いんだ。とりあえず、礼を言うなら俺よりも日向に言えな。俺も助けられた訳だし」
「……? 日向?」
「あぁ、日向。屋上に出没する、長髪の男だよ」
パッと見で分かるであろう特徴を言うと、う~んっと唸りを上げた葵は、急に拍手を打った。
どうやら、思い出したようだ。
「この前、ドアをぶつけちゃった人だね! 次会ったら、礼を言っておかないと……。でも、亮にも言わなきゃ。ありがと!」
「あぃ、どういたしまして。まぁ良かったよ、元気そ――ん?」
刹那、視界が暗闇に覆われた。
目元に当たる感触からして、どうやら人の手だ。
サイズと柔らかさをプラスすると、女子生徒に絞られるな。
などと目元の肌で触感し、誰であるか考えていると、無邪気な声が真後ろから聞こえた。
「だーっれだっ!」
分かる訳無かろうて。
どこぞのフォース使いじゃあるまいし。
とりあえず、目を覆っている手を掴んで退かす。
そして、後ろへと振り向くと、
「あぁ、真佑美か。……って、何でここに居るんだ!?」
「おっと、それを聞くのは野暮ってもんだぜぃ。一応、私は保険委員なんだっ」
何故だろう、言葉に信憑性が感じられない。
相手が真佑美だからか?
とにかく、一度腕時計に目をやると、二本の針は午後二時五十五分を示していた。
つまりは、六時間目の授業後半戦を絶賛開催中だ。
「……保険委員って肩書きを悪用して、サボりか?」
「おおおっと、人を職権乱用者扱いしなーい! 私は保健室の先生に特別許可を頂いたが為に、隣のベッドにて匍匐体勢で待機していたのであーる!」
「つまりはここで一時間、休養を取らせて貰っているって訳か」
「ふっはっはっは! 流石は朔夜の彼氏――もとい、フィアンセ――もとい、旦那――もとい、友達以上恋人未満! 察しが良いねぇ~」
途中途中、間違い過ぎだ。
その上、人聞きが悪すぎるだろう。
最終的には、もはや面影一つ残って無いし。
俺が内心でぶつぶつと呟いているのを他所に、真佑美は腰に手を当てて、大笑いしていた。
何ともまぁ、不思議な人である。
いや、変な人か。
「ねぇ、亮。その人は?」
後ろから、葵の質問。
そいやぁ、二人は初めて会ったんだな。
「あ~、この人はな――」
「簡単に他人の名前をほいそれと教えて良いもんではないぞよ? 霧島くーん。ねー? 簡単に真佑美だなんて教えちゃったら、面白く無いじゃんかね、葵ちゃん」
「あれ? どうして私の名前を?」
突然、自分の名前を呼ばれた事に驚く葵は、小首を再度傾げた。
ってか、突っ込み所はそこか?
それより先に、突っ込みを入れるべき箇所が……。
「朔夜が教えてくれてねぇ。友達が増えたって、喜んでたよ~。私も、葵ちゃんみたいな可愛い子と友達になれて、嬉しいよー! 感激~。とりあえずよろしくねっ!」
まるで機関銃のように、台詞を連射する真佑美は、その銃口を今度は俺に向けた。
思わず、両手が上がる。
「そういえばきりっち。常連客になるって言っておいて、あの日以来、一度も来ていないとは何事か! けいちゃんは頻繁に来ているのに~」
「ちょっと待て。あの時、常連客になるって言ったのは圭吾だけだ。俺は、俺……は……」
最後の言葉を発する前に、真佑美の表情が見る見る内に崩れ始めた。
おいおいおい、悲劇めいた少女のような表情をするなよ……。
こいつ、俺がこういう表情に弱いのを知ってやってるのか!?
「……俺は、たまに行く……」
「ほいほーい、今のは本音として受け取っておくよ~」
「好きにしろ」
ひ、卑怯者め……。
半目で睨みながら、内心でその一言を連発していると、六時間目終了を報せるチャイムがスピーカーを通して響き渡った。
それを聞いた瞬間、真佑美はじゃあね~、と言いながら片手を大きく振って、保健室を出て行った。
全く、騒々しい人め。
とりあえず、後ろ姿を見送った後、葵の方へと向く。
「それじゃ、俺も行くわ。お前はもう少し休んでくか?」
「ん。もう動けるから、一緒に行くよっ」
葵はそう言うなり素早く起き上がり、ベッドから降りた。
そして内履きに履き替え、準備万端な彼女の頭に、俺は右手を載せる。
「お前、無理してないか?」
「んーん、大丈夫。無理はしてないよ」
「なら良いんだが……それじゃ、行くか」
そう言うと、葵は元気良く返事をして歩き出した。
ちなみに問いの理由は……止めた。
とりあえず、被ったという事だけ、呟いておく。
空が赤く染まる夕刻。
やけにしつこく鳴き続ける烏にアホ扱いされながらも、疲れた身体を癒す為に急ぎ足で自宅へと向かう。
そして、ようやく自宅に到着し、俺はリビングで大の字になって倒れた。
すると突然、六時の方向、キッチンのある場所から夢月の声が聞こえた。
「こら、お兄ちゃん、倒れるのなら着替えてからにしてよね! 皺になるじゃない!」
「へいへい、了解~」
やる気の無い返事をしながら立ち上がり、制服を脱ごうとした時、ふと視線がテレビの方に移った。
今は夕方の為、ニュースをやっている、のだが。
またしても見覚えのある顔が映っていた。
「おいおい、またかよ……」
つい声に出してしまうほどの驚き――いや、それを通り越して呆れてきた。
また、暴行事件のニュースで日向が映っていた。
何をどうしたら、短期間で二度も事件を起こす事が出来るのかねぇ。
……明日、また聞いてみるかな。
今度こそ、聞き出したいと、そう思ったから。
そう決心した俺は、服を脱ぐ作業を再開する事にした。