第20話:安息の中の悲劇
階段を上っている間、校内スピーカーからはCMでよく聞く音楽が流れていた。
そして、途中で通る各階の廊下からは笑い声や叫び声、活気のある客寄せの声や大当たり~、という声と共に聞こえるベルの音など、多数の音が混じり合って俺の耳に流れ込んで来ている。
実に楽しそうだ。
だが、俺のポケットからはそれらの音を掻き乱す不協和音と言っても良いくらい、バイブの振動音が煩い。
携帯にメールが着たのを報せるのは、少し休憩して良いですよ、と携帯に言うという訳の分からん行動を取りたくなる程、頻繁にだ。
どうせ相手は圭吾だろうから無視し続けているが、屋上で会ったら仕返しに完全無視してやろうと心に決め、階段を上り続ける。
そして、階段を踏み切って辿り着いた場所は最上階、屋上への入口前だ。
内部と外部を隔てる扉のドアノブを捻り、開け放つ。
その瞬間、圭吾の怒鳴り声が降り掛かって来た。
「おっそーい! 遅すぎるぞ! 何回メールしたと思ってるんだ!」
見渡せば、近くのフェンスに背を預けて寄りかかり、腕を組んでこちらを見ている姉御の姿と、横に居る夢月を見つけて、満面の笑顔になった葵の姿が見えた。
「あれ? 姉御、生徒会は仕事が無いのか?」
「あぁ、今日の出店はほとんどが部活中心じゃ。生徒会メンバーは、生徒会長と学年代表以外、暇を貰っておる」
「あれ? 俺は無視かな……?」
煩い蠅を無視していると、奥に気になる人物を見つけた。
それは、フェンスにもたれ掛かって街の方を見ている日向だった。
まず疑問に思ったのは、何故ここに居るのか、という事だ。
故に、少しの間考え、そしてある結論に辿り着いた。
「……もしかして日向、お前も参加したいのか!」
大声でそう言うと、日向は無言で俺を睨んで来た。
かなりお怒りのご様子。
そして暫くすると、何事も無かったかのように、街の方へと向き直した。
あいつには、触れない方が良さそうだな。
とりあえず溜息をついておき、皆の居る方へと向くと、パンフレットを中心に円の形になって、今日の計画を立てている真っ最中だった。
おいおい、俺だけ仲間外れかよ。
「――それじゃあ、最初は卓球部の団子って事でけってーい!」
葵の言葉に、夢月と朔夜は声を揃えてさんせーい! と、元気良く答えた。
同時に、勢い任せに飛び上がった圭吾は、やる気満々な表情。
……何をやる気で満々になってんだ? あいつは。
そんな思いが聞こえている筈はもちろん無く、圭吾に続いて立ち上がった女子三人は、駆け足で階段へと向かって行った。
一方俺は、そんな四人の後ろ姿を見て吐息を一つ。
「元気の良い奴らだなぁ……」
「それが、あ奴らの面白いところじゃろう」
「……姉御、あんたって本当、人を驚かせるのが上手いな」
いつの間にか隣に立っていた姉御に、思った事を直で伝えると、彼女は横目で俺を見た。
口元が微妙に釣り上がっており、僅かな微笑を見せながら。
「わしが何時、お主を驚かせたか?」
「始めて会った時。廊下で。急に回し蹴りした」
箇条書き三行分で簡潔に伝えると、姉御はそうだったな、と言って笑いながら、階段へと向かって行った。
心底思うが、不思議な人である。いやマジで。
そんな事を内心で呟きながら、俺もその後を追った。
後を追うのは、本日二度目だな。
屋上を出発してから、既に二時間が経っていた。
ちなみに、現在は午後一時三十分頃。
俺達はほとんどの模擬店を回り終えており、今は教室棟二階の空き教室に設けられた休憩室の一角で休んでいた。
「いやぁ~、それにしても今日一番驚いたのは、私が最初に行こうって提案した卓球部の団子のお皿が、ラケットだった事だねぇ~」
「いやいや、ライフル射撃部の射的の銃が本物だった事だろ。立ち方、持つ姿勢、撃ち方を親切に教えてくれたしな」
「葵ちゃん、反動でこけちゃってたしねっ。本当、蛍光灯が割れただけで済んで良かったよ」
「逆に言えば、蛍光灯に当たっちまう程の射撃力の無さに笑わされるよ、俺は」
「う、五月蝿いようるさ~い!」
圭吾と葵、夢月がとんでもない話をしているのを苦笑しながら聞いていると、姉御が微笑しながら話し掛けて来た。
「お主、そのような物を獲得するとは、中々良い運を持っておるのぉ」
「何故か、無駄な所で運を使っちまった気がするのは俺だけか?」
彼女が言う〝そのような物〟とは、卓球部の団子屋の次に行った文芸部の籤引きで、俺が当てた一等の巨大な犬のぬいぐるみだ。
ってか、これのせいで二時間近く羞恥心で一杯一杯だったと言うのに、何が良い運か。
「そんな事を言うのはこの口か! この口か!」などと、ふざけるつもりは微塵も無い為、代わりに濃い苦笑をしておく。
「猫だったら良かったんだがな……生憎、置く場所が無くて絶賛お困り中だ」
「ねぇねぇ、要らないのなら貰っても良い?」
不意に問い掛けて来たのは、葵だった。
彼女はしゃがんで、下から上目遣いで俺を見て来ていた。
「あぁ、別に良いぞ。だが……」
言葉を止めて、ぬいぐるみと葵を見比べる。
「お前、ちっちゃいからなぁ。持てるか?」
「ち、ちっちゃいって言わないでよぉ~! そりゃ確かに、一五○センチしかないけれども……大丈夫だよ!」
ムキになって吼える葵は、俺の手からぬいぐるみを引っ手繰った。
そして彼女はかわいぃ~、と言いながらぬいぐるみを抱きしめて、愛情を示すように頬擦りをした。
大分、気に入っているな。
「ふむ。こういう光景も、悪くないものじゃな。こういうのを最近の言葉で……萌え、と言うのだったかの?」
「姉御、その言葉は禁句だ、禁句。あんたが使って良いもんじゃないよ。圭吾みたいな変人しか、使っちゃいけないんだ」
「んなぁに!? 誰が変人だ! 誰が!!」
「ほう、圭吾のような者を変人、か。良い例えじゃのう。分かり易くて助かるわい」
「………………」
さすが姉御。
煩い圭吾を、軽く轟沈しやがった。
彼は再起不能に陥り、しばらく動けそうに無い模様。
と、その時だ。
突然、朔夜が立ち上がってねぇ皆さん、と言いながら笑顔を見せた。
その声とほぼ同時に、皆の視線が朔夜に向けられる。
「最後に写真部で、記念写真を撮りませんか?」
彼女が提案する記念写真とは、隣の管理棟三階にある写真部の部室にて行われている、写真部のイベントだ。
まぁ、そういうのも悪く無いな。
「ナイスアイデア! だねっ。早速行こうよ!」
夢月の言葉に、皆が賛成の声を上げる。
そして、一行はぞろぞろと休憩所を退室し始めた。
だが、その途中、俺は異変に気付いた。
葵が、立ち上がってから一度も動いていないのだ。
「どうした、葵。早く来いよ」
声を掛けてみるが、返事どころか微動だにしない。
自分と同じ位のぬいぐるみを抱えているにも関わらず、だ。
「おーい、どうし――っ!!」
それは、突然起きた。
故に、言葉が途切れる。
一瞬、自分の目を疑ったが、現実だった。
葵の腕が、力が抜けたかのようにだらりと下がり、ぬいぐるみが無造作に落ちた。
そして彼女は、崩れ落ちるかのようにして倒れた。
一瞬の出来事。
その一瞬の出来事に、俺は反応出来なかった。
幸い、ぬいぐるみが丁度真下に落ちた為にクッションとなり、頭を床に打ち付ける事は無かったが、彼女は未だ動かない。
「……葵? どうした葵!」
俺は彼女の名を呼びながら、傍へと駆け寄った。
「どうしたの? お兄ちゃ――え!?」
「おいおい! どうしたんだよ葵ちゃん!」
俺の声に気付いた夢月達は、何が起こっているのか分からず、後ろで驚きの声を上げていた。
そんな中、俺は葵の背中に腕を添えて抱き起こすが、彼女の目を見て驚いた。
先日の放課後に見た時と同じ、虚ろな目をしていたのだ。
……何だってんだよ……。
内心で嘆きの言葉を呟いたのと同時、彼女の身体がピクリと動いた。
そして、目が正常な色を取り戻す。
「……あ、あれ? 何で私……倒れているの?」
「葵ちゃん!? 良かった、気が付いたんだね!」
慌てて俺の反対側に来ていた夢月が、歓喜の声を上げる。
そんな彼女を見た葵は、何故喜んでいるのか分からないらしく、小首を傾げた。
「ふむ、何事も無くて良かったわい。……っと、言いたいところじゃが」
姉御はそう言いながら葵の正面でしゃがみ込み、彼女の顔をジッと見据えた。
その後、軽く吐息を吐いて、苦笑した。
「顔色がまだ悪いのう。これは、一度保健室に行った方が良いかもしれぬ」
「えぇ!? だ、大丈夫だよ!」
姉御の言葉を聞いた途端、葵は急いで立ち上がりクルリと回って、大丈夫である事を見せようとしたが、バランスを崩して転びそうになる。
あぁ、駄目だなこりゃ。
姉御の目だけでなく、俺達の目さえ誤魔化せないだろう。
「決まりじゃ。保健室に行くぞ」
「で、でも……! 記念写真を――いたぃっ!」
「無理する奴にはデコピンだ。……いいか? お前が無理した結果ぶっ倒れて最悪入院って事になったら、写真を撮るのは先延ばしになっちまうだろ?」
けれど、
「けれど、写真はいつでも撮れるんだ。だから、今は保健室に行って少し休め、な?」
微笑を保ったまま、葵の頭を撫でて説得を続けると、最初はでも、と反論しようとしていた彼女は、仕方無さそうに頷いた。
やっと観念したかい。
「では、私が連れて行こう。――朔夜、夢月、共に来て貰っても良いだろうか?」
姉御の頼みに二人は、快く了解し、夢月がしゃがんで背を葵に向けた。
どうやら彼女に、背に乗るのを促しているようだ。
負んぶしてやるって事だろうな。
葵はそれに気付いたのか、夢月の背に前から寄りかかって、腕を首元に回した。
「……あ、良い香り……」
「ふふふ、ありがとっ」
当たり前だろう。
何たって、俺の自慢の妹だからな。
「それでは殿方には、何処かで暇をしていて貰いたい」
「へいへい。それじゃ、俺達は屋上に行ってるよ」
「お大事にね、葵ちゃん!」
俺は別れ際に片手を上げて、いつの間にか現れた野次馬を押しのけて階段へと向かった。
その後ろを圭吾は、片手を大きく振りながら付いて来る。
足取りは、少し重かった。




