第14話:突然の重労働
「すまん、不甲斐無い私を許してくれ……」
それは午後の授業が全て終わった後のホームルーム時に、突然起きた。
鬼頭は教室に入って来るなり、教卓に頭を当てて謝罪した。
その状況に、教室内の生徒達は全く理解出来なかった。
当たり前だ。
とりあえず俺は圭吾の方を向き、人差し指を彼に指し、次に鬼頭を指した。
すると彼はその合図に気付き、立ち上がる。
「先生、とりあえず訳を話してくれませんか?」
その質問に彼女はゆっくりと顔を上げ、答える。
「明々後日、つまり土曜日なのだが、我が校で創立記念祭があるのは知っているな? そしてその日までに、各クラスでやっておかなくてはいけない作業があったのだが、このクラスは私が忘れていたばっかりに、二日分遅れてしまっているのだ……」
教室内は、静まり返ってしまった。
そんな中で圭吾だけが唯一、喋り続けられている。
「つまりは……俺達が放課後、全力で作業に取り掛かって遅れを取り戻さなくちゃいけないって事ですか?」
鬼頭がゆっくりと頷く。
その返答により、教室内にブーイングの声が沸き上がった。
えーい、五月蝿い……。
そんな中で、聞き覚えのある声が上がった。
「まーて待て待て、お前ら! ブーイングする暇があったら、行動した方が良いんじゃないか!?」
この声は確か……と思いつつ声のした方向を見ると、そいつはたまに圭吾と馬鹿をやっている馬鹿だった。
圭吾の同類にしては、割って入ろうという決断力がある奴だな。
こりゃ、久しぶりにマシな奴を見つけたんじゃないか? 圭吾。
「さすがだ和津多! それに関しては俺も同意見だぜ! 鬼頭先生は毎日お前達生徒を思って忙しく、一杯一杯なんだよ! 多分。……だから、少しのミスくらい大目に見てやれよ!」
多分は余計だったな。
そう思ったのは、どうやら俺だけじゃなく、他にも居たようだ。
「おいおい、多分って何か、説得力が無くて曖昧じゃね? それにさ、連絡ってのは教師として当たり前の事じゃん? それをミスったのに大目に見ろよってのは、甘すぎるんじゃね」
相手を馬鹿にしたような、嫌味の混じった声が、圭吾と和津多にぶつけられた。
そして、それに釣られるかのように他の生徒達もブーイングを再開する。
同時に鬼頭は、このブーイングによって更に気力が無くなっていく。
その時だ。
「――騒ぐなぁ!! 少しは黙らぬか、馬鹿者共が!!」
突然、姉御が叫ぶ。
どうやら我慢の限界が来たらしい。
その一喝により、一瞬にして教室内の生徒達はまた静まり返った。
「どれだけ騒ぎ立てようと、これは鬼頭教師の仕事では無い、お主らの仕事じゃ! つまらぬ言い合いをする前に、行動して見せよ!」
姉御が皆に呼び掛けるが、誰もが黙り込み、返事をしない。
……こういう時、俺は何か言うべきだろうか……。
「誰も、何も言わぬのか!? こん――」
「姉御、もう良いだろ。後はこいつら次第って事で放課後、ここに残った奴だけで仕事をするってので良いだろう」
俺は無表情で、冷めた声で言う。
すると姉御は、その提案を聞いて頷き、同意した。
そしてその後、ホームルームが終わった時、教室に残った生徒は俺、圭吾、朔夜、姉御、和津多、他数人だけだった。
どう見ても少ない……。
朔夜もそう思ったのか、ええっと、と言葉を詰まらせながらも進めようとする。
「と、とりあえず仕事の方を始めましょう、か? ……鬼頭先生、仕事って言うのは具体的に何をするんですか?」
「あぁ、そうだな。今、ここに居る皆に、残ってくれた事を感謝する。ありがとう。――さて、仕事はいくつかあるのだが、最初は体育館での準備だ」
出た、重労働。
「了解しましたっ! それじゃ、早速行くかー!」
「いよっしゃあ! 腕が鳴るぜ!!」
無駄に威勢の良い圭吾と和津多を先頭にして、全員が体育館へと向かった。
俺は溜息一つ。その後、少し遅れて皆の後を追った。
飛翔鷹高校の体育館は、教室棟と部室棟とはこれまた別棟となっており、部室棟と渡り廊下で繋がっている。
そんな体育館はバスケットコートが六つもある程の大きさを誇っており、俺達はそこで作業を進めていた。
だがまぁ、作業と言っても、内容は至って単純らしい。
なんでもこの学校の創立記念祭は文化祭並みの物なので、体育館でも各部が色々な出し物をするらしく、観客が座る為のパイプイスを置くという作業……なのだが、男子は力仕事というのが大昔からの掟となっているのか、パイプイス運びをさせられる事となった。
その途中、ふと気付けば、圭吾がステージの方を眺めていた。
「どうした、圭吾。何かあったのか?」
俺の問い掛けに反応し、彼はこちらを向く。
「いやぁ、なんかさ、創立記念祭は間に合わないから、せめて文化祭には何かやってみたいなぁっと思ってよ。バンドとかダンスとか、特に演劇だな」
「……正直、驚いたぞ。特に演劇をやりたいってところに。どうしてまた急に?」
この馬鹿にしては珍しい発言だった。
だからこそ、それをやりたいと思った理由が聞きたくなった。
最も、理由はろくでもない事のような気がするのは、こいつと付き合いが長いからだろうか。
「実は最近、昔のアニメを見るのにはまっててな。その中に、演劇部を作って文化祭に演劇をやった回があってよ。感動したよ~。その演劇の主役をやっている子の父親が――」
「はいストップ。お前に聞いたのは間違いだったと思い知らされたよ。さっき思った事は前言撤回だ」
「え~! これからが良いところだってのに……」
止めて良かった、とつくづく思う。
だが同時に、こいつらしいな、とも思った。
アニメに感化されて実行に移そうとする奴なんて、そうそう居ないだろう。
……ん? 違うか。移す奴がそうそう居ないんだな。
移そうとする事ぐらいは、大抵の奴がするだろうから。
だったらこいつはやっぱ駄目だ。ただの馬鹿だ。
「こらお主ら! 手を休めるでないぞ!」
話が丁度終わった時、立ち止まっていた俺達を見つけたのか、姉御が一喝して来た。
その声は体育館中に響き渡り、容易に俺達の耳に伝わる。
「すみませんっした! すぐに再開しまぁ~っす!」
圭吾は軽く返事をし、俺は返事の代わりに片手を上げておく。
姉御を怒らせると怖い……気がするからなぁ。
そう内心で呟きつつ、作業を再開する事にした。
大体、四十分程経っただろうか。
俺達は多数のパイプイスを運び終えて、それぞれがその椅子に座って休憩を取っていた。
鬼頭が言うには、今日はこの辺で終わりだそうだ。
その為、その場で解散という事になり、圭吾や姉御達は真っ直ぐに家へと帰っていった。
時刻は午後五時を少し過ぎた頃。
生憎、バスが来る時間がまだ先なので、お気に入りスポットである屋上へと向かう事にする。
だが、その途中の階段に、見た事のある女子生徒の姿があった。
水色のツインテールは、葵だった。
こんな所で何してるんだ?
「よぉ、葵。まだ帰ってなかったのか?」
「………………」
話し掛けても返事が無い。
なんだか、葵らしく無い感じがする。
表情にはいつもの元気さが一欠けらも見えず、目はいつもと違って少し虚ろだった。
だが突然、彼女は口を開いた。
「……もう少し」
「ん?」
「もう少し待ってて。時間で言うと六時まで……。でないと、とんでもない事が起きてしまうから……」
正直、葵の言っている事が理解出来なかった。
「……待っててって、どこでだ?」
「この学校の中で、ね」
そう言って葵は、いきなりいつも見る笑顔になり、走って階段を下りて行った。
俺は、その後ろ姿をただ見ているしかなかった。
……全く、意味が分からない。
とりあえず、当初の目的を思い出し、葵の言っていた事を考えながら屋上へと向かった。
屋上の、外へと繋がる扉を開けると、一気に冷たい風が吹き込んで来た。
音も無く浸入してくる風はあっという間に俺の全身を通り、寒さで身震いさせる。
まだ春だからなぁ。……う、寒い。
そう内心で呟きながら、フェンスまで近付いてもたれ掛かる。
ここから見える街並みは、何気に気に入っていたりする。
夕方になると住宅の灯りが見え、そしてその向こう側の遠方には都会の輝きが見える、そんな景色が。
そういう訳で暫く景色を眺めていると突然、入口の扉が開く音がした。
同時に、きゃっ、という驚いた声も聞こえた。
どうやら扉を開けた時に、俺の時と同じく冷たい風が当たったのだろう。
ってか、誰だ? こんな時間に。
俺が言える事じゃないが。
そんな事を思いながら振り向くと、そこには朔夜が立っていた。
両手に飲み物のであろう缶を持って。
「やっと見つけました。探しましたよ?」
「ここは俺のお気に入りの場所だからな。それよりお前、帰ったんじゃなかったのか?」
「いいえ、亮さんと一杯やろうかなっと思いまして。偶然擦れ違った葵ちゃんに聞いたら、屋上に向かったって言ってましたから」
あ~、なるほど。だからここだって分かったのか。
微笑を漏らす朔夜は、俺の横にならんで片方の缶を差し出してきた。
「はい、これ。お疲れ様でしたっ」
「お、ありがとな。――ん、温かいな。ホットコーヒーとは気が利くな」
「いいえ? お汁粉ですけど?」
言われ、缶を見れば、確かにお汁粉だった。
「お前なぁ……。――まぁいいや」
「え!? な、何ですか!? 気になりますよ!」
横で騒ぐ朔夜を無視し、缶の蓋を開けて一飲みした。
凄く甘い……。
一方、朔夜は俺が飲んだのを見て騒ぐのを止め、同じく蓋を開けて一飲みした。
……って、
「お前それ、コーンスープか! なんで俺のと違うんだよ!?」
「え? あ、実は、お汁粉は私が貰おうと思ってたんですが、亮さんは甘い方が良いかと思いまして」
「どっちもあめぇよ。それに俺は、コーンスープの方がマシだったよ。交換だ、交換」
そう言って、俺はお汁粉を朔夜に差し出す。
すると彼女はそれを見てキョトンッとし、数秒後には頬を赤らめ始めた。
「えぇ!? ちょっと、あの! それだと!!」
「ん? どうしたんだんだ?」
「えと……かんせつ……キ、キキキスに……」
「おいおい、それを気にしてたら、俺はこの馬鹿みたいに甘いお汁粉を飲み干さなきゃならなくなるだろう。それと、お前はこれから先、好物を遠慮して相手に渡すな。分かったな?」
問いながら、もう一度お汁粉を差し出すと、朔夜は頬を赤らめたまま頷き、お汁粉を受け取った。
そして俺はコーンスープを受け取り、一気に半分くらいまで飲む。
横で、はわあぁぁ! とか言いながら更に頬を赤らめていたが、気にしない。
……ってか、コーンスープって一番温かい時に飲むと、異常に熱いな。
舌が火傷した感じがする……。
その事に必死に我慢をしていると、彼女は急に何かを思い出したのか、俺の方を向いて会釈した。
「あの、お昼の件は、本当にありがとうございました!」
「ん? あ~……別に気にする事は無いって。――それにしてもお前、いつも一人で食べていたのか?」
問い掛けに朔夜は、え? っと声を上げた後、少し迷った様子を見せた。
だがすぐに、口を開く。
「中学生の頃は、真佑ちゃんと一緒に食べていたんですが、真佑ちゃんが卒業した後、三年生になってからはずっと一人でした……」
真佑ちゃんってのは、真佑美の事か。
そんな事より、朔夜は余り言いたく無かった事だったのか、表情に曇りが見えて来た。
だがその表情は、すぐに笑顔へと変わる。
「でも、今日からは亮さん達と昼食が取れるので、一人じゃありません。そして、その切っ掛けを作ってくれた亮さんには、とても感謝していますよ!」
「そ、そこまで感謝しなくても良いって……」
そう言い、俺はさっと顔を逸らす。
その行動に、お辞儀をしていた朔夜はニヤニヤと笑いながら、俺の顔を見ようと回り込んで来た。
「亮さんが照れるところなんて、初めて見ました! 激レアですよ、激レア!」
「う、うるせぇ! こっち見るなって!」
そうやって俺は顔を見せまいと回り、朔夜はそんな俺の顔を見ようと動き回るという、他から見れば異様な事をしばし行っていた。
屋上には、笑い声と照れ隠しの大声がしばらくの間、響き渡っていた。
それにしても葵は何故、俺をこの学校に留まらせたのだろうか?
それだけが、謎だった。
家に帰る前までは……。
『――続いて、次のニュースです。今日の午後五時三十分頃、新・東京都織音市にある、私立・飛翔鷹高等学校付近の交差点で交通事故が発生しました。幸い、横転したバスの運転手が軽傷を負っただけで済んだ為、大惨事には至りませんでした。では、次の――』