第11話:霧島家の食卓
気が付けば、俺は夢月の怒声で我に返っていた。
目前を見れば、気絶した凪が大の字になって倒れている。
あぁ……やってしまった……。
さてこの状況。どうする、どうするよ? 俺。
原因は凪だ。だが、それをどう説明すれば良い?
結果としては、一方的に俺が凪を叩きのめしたんだ。
それによって、夢月の怒りを買ってしまった。
もう、どれだけ説明してもそれは、言い訳にしか聞こえないだろう。
夢月は言い訳が嫌いな性格だからなぁ。
何か、何か良い方法は、
「じゃーんっ!」
「だあぁあぁぁああぁっ!!」
俺は、急に後ろから押されて大声を上げてしまった。
「にゃははっ、また叫んだー」
そして同じ声で、笑い声も聞こえる。
この声は間違いない、葵だ。
「ったく、またお前のせいで大声出しちまったじゃねぇか」
だが、大声を出した事によって怯えの感情が消え失せていた。
冷静に考えれば、そこまで夢月は鬼でも無いな。
……深く考えなくてもいい、か。
何か、葵に助けられたな。
「葵、ありがとな」
「へ!? な、何か短い間に、全く正反対な台詞が聞こえたんだけど……」
葵は困惑した表情で小首を傾げる。
まぁ、無理も無いか。
と、その時、突然圭吾が肩を組んで来た。
「なぁ、亮。どうせなら俺が一緒にお前の家に行って、夢月ちゃんに訳を話してやろうか?」
「……え? いいのか?」
「もちろんだ。俺達、親友だろ?」
などと嬉しい事を言ってるが、圭吾の狙いは分かっている。
どうせ、今日の晩飯を食わせろ、だ。
それもさり気無く食卓に入って来る。
まぁ、ついて来て貰えるだけでもまだマシ、か。
「え? もしかして亮の家に行くの? なら私も行く~」
葵、まさかの霧島家来訪宣言。
「あぁ来なよ。大歓迎さ!」
「おいちょっと待て、何で勝手に了承してるんだよ」
「駄目……、なの?」
彼女は、潤んだ瞳で俺を見つめて来る。
ご丁寧に、軽く握った両手を口元に当てて可愛げに、だ。
その動作だけでも効果が上がるってのに……そんな目で俺を見るなよ……。
抵抗はもちろんの事伝わる筈も無く、彼女は俺をジッと見つめ続ける。
「あ~……わ、わかったわかった。もう好きにしろ!」
俺、あっさり敗北。情け無い……。
だが男として、あの目をされたら断る訳にもいかないだろ?
それが男という性別を持った生き物の愚かさなのだろうか。
……ってか、別に断る必要が全く無いな。
「さ、行く事が決まった訳だし、早速向かいますかっ」
「レッツゴー!」
圭吾と葵の掛け声を合図に俺達は霧島家、自宅に向かう事になった。
気絶している凪の事はすっかり忘れて。
「ただいまー」
俺は遣る瀬無さの篭った声で自宅のドアを開けると、奥から夢月がパタパタとスリッパの音を立てながら駆けて来た。
「お帰りー! ――って、あれ? お客さん?」
意外にも、夢月の表情はいつも通りで、怒っている様子などどこにもなかった。
ただ、突然の来客に戸惑っているだけだ。
何だよ、内心身構えてたのに、無駄だったのか。
……本当は怒ってたり?
「どもーッス」
「こんばんわ~」
そんな俺の思いも他所に、後ろからは圭吾と葵が、陽気な挨拶と共に一礼した。
「あ、圭ちゃんだ、久しぶりー! それと……」
「えと、初めまして。篠塚 葵っていうんだ。よろしく夢月ちゃん!」
「もう私の名前知ってるんだね。それじゃあ改めて、霧島 夢月だよ、こちらこそよろしくねっ」
そういえば、二人は初対面だったな。当たり前か。
夢月と葵は自己紹介を終えた後、揃って笑顔になった。
さすが、と言えば良いのか、仲良くなるのが早いな。
などと思っている間に、二人は会話を数回交わしてリビングへと向かった。
「夢月ちゃん、何だが嬉しそうだったな」
「ん? 新しい友達が、自分と同じ位の身長だったからか?」
「……よし、俺達も行くか!」
思い切り話を逸らした圭吾は、靴を脱いでリビングへと向かい、またその途中で舌打ちをして行きやがった。
何故舌打ちなのか分からぬまま、俺もその後をついて行く。
そして、リビングに入ったのと同時に聞こえたのは葵の声で、
「おぉ! すっごーい!」
「な、何が凄いんだ?」
「へ? ……とにかく凄いんだよ~!」
意味が分からん。
内心でそう呟き、肩を竦める。
そして後ろ、圭吾の方を見ると、彼は夢月の居るキッチンの方へと向かっていた。
行動の早い奴め。
「なぁなぁ、夢月ちゃ~ん。今日は晩飯を食って行っても良いかな?」
「え? もちろん良いよ。食事は人が多い方が楽しいもんね!」
さすが夢月、即了承か。
と、感心して頷いた時、それと、と彼女は言葉を付け足して笑顔を作った。
「今夜はカレーだよ」
「マジか!」 「マジッスか!?」
俺と圭吾は声を揃えて驚いた。
その理由は、夢月の作るカレーは凄く美味いからだ。
カレーはシンプルなのだが、カレー粉は彼女の手作りであり、調理も大分本格的だ。
そう言えば、昨夜は既にキッチンへの出入りが禁止になっていたな……。
「それじゃあお兄ちゃん、準備手伝ってね」
「ういー」
軽く返事をした俺は、夢月の居るキッチンへと向かう。
キッチンの壁際には大きな食器棚があり、それを開いてカレーに使う皿を探す。
そして四人分の皿を出していると突然、夢月が脇腹を小突いて来た。
「可愛い彼女さん連れて来たねっ」
「おいちょっと待て、誰が誰の彼女だって?」
「決まってるじゃん、葵ちゃんだよ~。――お兄ちゃんの事、よろしくね葵ちゃん!」
我が家のキッチンはカウンターキッチンの為、夢月はそこからリビングに居る葵に向かって、笑顔でそう言った。
すると葵は、頬に両手を当てながら顔を赤らめる。
「えぇ!? もう家族公認~!? どうしよ、困ったなぁ~。……幸せにしてね、りょーちゃんっ」
「お前も、即効で誤解されるような仕草をしながら言うな!」
「え……? 私とは……遊びだったの……? そんなぁ~、葵ちゃんショーック! ヨヨヨ……」
「お、お兄ちゃん酷過ぎるよ! どうしてあんな可愛い子を悲しませたりするの!?」
「お前の悪行を見てると欠伸が出るぜ」
何だ、この急な展開は……。
リハーサルでもやってたのかお前ら?
「そんじゃ、悪いが葵ちゃんは俺が貰う。……葵、俺が幸せにしてやるからな」
「あ、それはちょっとごかんべ~んっ」
「そんな馬鹿なあぁぁああぁぁ!!」
「お前が馬鹿だ」
言いながら夢月に皿を渡すと、彼女は突然、クスクスッと笑い出した。
「本当、いつものノリだねっ」
「あいつはいつもマジな演技するし、提案もするからな。俺でも戸惑っちまうよ」
「そんな圭ちゃんに合わせられる、葵ちゃんも充分凄いけどね」
ご飯とカレーを四人分盛り付けた夢月は再度笑い、食器棚からトレイを取り出して俺に渡した。
「それじゃあこれ、皆に配ってね」
「おう、任せとけっ」
カレーの良い香りを漂わせた皿を四皿トレイに上手く載せ、リビングへと向かう。
「夢月特製カレー、お待ちどう!」
「待ってましたー!」
「………………っ!」
圭吾は歓声を上げ、葵は無言で目を輝かせている。
こいつら、餌を待つ動物みたいだな……。
そうなると、葵はよく食べる肉食で、圭吾は草でも食えそうだから草食だな。
などと考えて微笑しながら、カレーをテーブルに並べて準備完了。
そして全員がテーブルを囲むようにして座り、手を合わせた。
「いっただっきまーす!!」
全員が、声を揃えて一斉に食べ始める。
「うっめぇー!」
「おかわりー!」
相変わらず速い葵――って、
「お前、速過ぎるだろ!?」
「あははっ、それじゃあちょっと待っててね」
葵の皿を受け取った夢月は、キッチンへと向かった。
そんな彼女を見送りながら、俺は思った。
たまには、こういうのも悪くないな、と。
夕食を食べ終え、しばらく寛いだ後、時間がヤバイと言う事で圭吾と葵は帰る事となった。
そして、玄関まで来た時、二人はこちらの方を向いた。
「カレー、ご馳走様っしたー!」
「凄く美味しかったよ、夢月ちゃん!」
二人は元気良く一例して、靴を履きだした。
「どうせなら泊まってけばいいだろ? 時間も時間だし」
「えぇー!? 年頃の女の子を泊めて、何を企んでいるの!?」
「やっぱ帰れ」
「む~、冗談なのに~」
何やら葵がブツブツ言っているが、敢えて無視しよう。
すると葵は、向きを夢月の方に変えて笑顔を見せた。
「皐月ちゃん、本当にカレー、ありがとねっ! また機会があったら遊びに来るよ!」
「えと、皐月じゃなくて夢月だよ……。また、いつでも来ていいからね~」
また名前間違えてるよ、こいつ。
そう、内心で呟いて苦笑していると、彼女は俺の方に向き直した。
「あ、亮。明日もあのバスかな?」
「亮じゃねぇ、りょ……って、合ってるか。――あぁ、ここから学校まではいつもあのバスだ」
「わかった、それじゃまた明日ね~。あ、それと亮、ナイスボケだったよっ」
そう言い残して、彼女は手を振りながら出て行った。
別にボケたつもりはなかったんだが……。
だがまさか、間違えなかったとはな。
ネタか? 間違えてるの。
などと思っていると、葵が引き返して来た。
「わっすれってたー! はい、プレゼント!」
そう言って手渡されたのは、携帯用のシャンプーだ。
ポケットにでも入れてたのを、忘れてたようだ。
彼女はそれだけを俺に渡すと、じゃね~、と言って再度出て行った。
何で、シャンプー?
「そ、それじゃ俺もおさらばするかな」
「おう、気をつけて帰れな」
なんか急いでいる感じがしたのは気のせいか?
そんな、急いでいる感じのする圭吾は、葵の後を追うようにして早足で出て行った。
……急に静かになったな。
とりあえず風呂にでも入ろうかなっと思ったその時、不意に夢月が俺を呼び止めた。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん? どうした?」
呼び止められたものの、しばらく何も言わずにただ目を合わせているだけの時間が流れた。
その後、えへへっと声に出して笑い、
「……やっぱり、何でもないよっ」
言ってそそくさとリビングに戻って行った夢月の後ろ姿が、何と無く気になった。
一体、何の用だったんだろうか。
てっきり俺は、今日の騒動の件に関した事を言って来るのかと思った……。
その件の事は忘れたのかな?
だとしたら好都合だ!
右手で拳を作り、ガッツポーズ。
……さて、風呂でも入るか。
ついでに、葵に貰ったシャンプーを使う事にしよう。
普通のシャンプーだろうな? と思いながら、玄関とリビングの途中にある脱衣所のドアを開け、中へと入った。