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短編

威厳ゼロですが、なにか?

作者: 紺青

 カロリーナはぽいっと10センチもあるヒールを前方へ投げ捨てた。

 髪飾りを外して、燃えるような赤色をしている髪をくしゃりとまぜる。その髪飾りを見て、ため息がこぼれた。


 公爵令嬢に相応しい金の土台に輝くスーファニア・ブルーの宝石。

 この国の名を冠する澄んでいて鮮やかな青色は王族とその伴侶や婚約者しか身に着けることはできない。でも、このゴージャスで美しい髪飾りは今の自分には似合わない。


「あらあら~、ごきげん斜めだこと。今日はどうしたの? あら、ハムちゃん今日もかわゆすー」

 カロリーナが放り投げたヒールを拾って、両手で掲げた親友のナタリアが寄ってくる。

 すらりとした長身で、どこか凛々しい風情の彼女に似合ったミーアキャットの聖獣がその肩には鎮座している。自分の肩にちんまりと留まり、不機嫌な顔で佇むハムスターの聖獣を見やった。


「どうしたのー、こんな高いヒールを履くなんて珍しい。慣れないことして、疲れたの?」

「んー、ちょっと威厳を、出したくて……」

 気を許せる親友の登場に、つい本音が出てしまう。カロリーナはうーんと伸びをした。座っているベンチの傍らに立つ大木の葉の間から穏やかな光が降り注いでいる。


「ふふふっ。威厳って。なんでそんなもの? これを履いたところで、カロリーナの威厳なんてゼロじゃーん」

「だよねー」

 他の人間に言われたら、むかつくことでも邪気のないこの友人に言われるとなぜか素直に受け入れられる。


 自分だって、らしくないと思ったのだ。

 慣れている。自分の置かれた状況も。人からどう思われ、噂されているかも。

 でも、どうしてもやりきれない時がある。我慢できなくなる時がある。

 無駄な虚勢を張りたくなる日だってあるのだ。


「くふふっ、今日もかわいいー。ハムちゃんも、カロリーナも。威厳なんてなくても、かわいいんだからいいじゃーん」

 女性にも人気のあるキリリと整った相貌(そうぼう)をほころばせて、ハイヒールをカロリーナの座るベンチに置くと、ハムスターの聖獣に向かってクルミを放り投げた。嫌そうな顔をしながらも、ハムスターの聖獣はちゃんと口でキャッチして、咀嚼している。

 わかる。可愛い。

 そして、自分も威厳はなくても可愛いとわかっている。

 だって、カロリーナは7歳の子供の姿をしているのだ。中身はもうすぐ17歳になるというのに。


 カロリーナは由緒正しい、王族ともたびたび血を交えている筆頭公爵家の長女だ。

 貴族が通う学園でも、座学では首席の王子に次ぐ次席だし、語学やマナーもしっかり身に付けている。それに、霊力や魔力の量だって多い。

 ここまで、並べると文句の付けようのない未来の王妃様だ。


 ただ、カロリーナが貴族の子息令嬢が7歳で行う聖獣召喚の儀式で呼び出したのはハムスターだった。


 この国の貴族は7歳の時に聖獣召喚の儀式をして、自分の霊力を召喚した聖獣に与え、交流を図り、聖獣と協力して発動する独自の聖獣魔法を練り上げていく。


 呼び出せる聖獣はランダムで、一説によると聖獣の方がその人の性質や霊力、魔力の質を見て選ぶと言われている。聖獣の活力の元となるのが召喚者の霊力で、聖獣魔法の行使に必要となるのが召喚者の魔力だ。結果だけ見ると、召喚者の霊力や魔力に見合った聖獣が召喚されているようだ。


 下位貴族は動物ではなく虫など他の生物を召喚することもあるらしい。小型でも動物を召喚できただけでも良しとしなければいけないのかもしれない。

 上位貴族になればなるほど、生物として強く大きな力を持つ聖獣を呼び出す傾向にある。


 そのため、召喚の儀式は下位貴族から順に行われる。

 王族の立ち合いの元、召喚の間で一人ずつ個別に行われる。待機場所である大ホールには保護者以外の貴族も多く集まり、誰が何を召喚したのか固唾を飲んで見守っていた。


 今年は下位貴族である男爵令嬢が幻の生物であるフェンリルを召喚して、周囲がどよめいた。召喚の間から誇らしげにフェンリルを隣に従えて出てきた男爵令嬢の父親は、男爵家の寄親である侯爵とせわしなく話をはじめた。


 爵位が上がるとともに、段々と召喚聖獣のグレードが上がっていくのが目に見えてわかる。高位貴族の子息令嬢も幻の生物とまではいかないが、次々に大物を召喚しているようで、否応なく期待が高まっていった。同い年に第一王子がいるからだ。

「今年は豊作だな……」

 聖獣をものだとでも思っているのか、どこかからそんなつぶやきが聞こえた。


 それが、王子の一つ前の番である、筆頭公爵家の令嬢のカロリーナがハムスターを召喚した時の衝撃といったら。

 しかも、王子が召喚したのは始祖の王が召喚したと言われている幻の不死鳥。


 第一王子の母親は正妃だが、この国の血筋の者ではない。近い血筋で交わりすぎると、子が出来にくくなるという研究結果が出て、外交上の理由もあり国王は東の隣国の姫を娶った。正妃はもちろん召喚聖獣を持たない。


 異国の血が混じった王子は聖獣を召喚できるのか?

 召喚される聖獣はどんな種類なのか?

 みなの関心を集めていた王子はプレッシャーを撥ね除け、自分が次期王に相応しいと示した。


 カロリーナは異国の母を持つ第一王子の立場を守るために、幼い頃に婚約者に据えられた。

 王家の血も混じっている筆頭公爵家の後ろ盾により、王子の足場を固めるため。

 王子が聖獣を召喚できなかった時に、カロリーナの聖獣でフォローするため。


 しかし、結果的にはその婚約は彼には不要で、足枷になるものとなった。

 さらに悪いことに、召喚の儀式をした7歳の頃からカロリーナの成長がぴたっと止まったのだ。

 霊力も魔力も聖獣も問題なし。原因は不明。今後、成長するかも不明。


 数年経つと、それを知った国内の貴族から不満が噴出した。

 なにもかも足りない令嬢がこの国を代表する王妃になるとは何事か?と。

 いくら筆頭公爵家としての血筋や後ろ盾があろうとも、召喚聖獣による差別をなくそうという流れがあろうとも関係ない。


 未来の王妃の召喚聖獣が小型動物のハムスターであるというのは受け入れがたい。それは、野性動物が自分より強い者にしか従わないのと同じ感覚なのかもしれない。


 召喚聖獣の強さと聖獣魔法は単純に比例しない。

 聖獣に霊力をたっぷり与え、絆を強くし、工夫することでひっくり返すことは可能だ。

 しかし、それにも限界がある。王家に嫁ぐほどの聖獣魔法を練り上げることは不可能だろう。

 

 しかし、王家も婚約者である第一王子も頑なに譲らなかった。

 成人の儀式を迎えても彼女の成長が止まったままである場合は、婚約者を選定し直すと宣言し、貴族達はそれを受け入れた。

 王家は仮初の婚約者を置いたままにして、召喚した聖獣も含めて正妃となる令嬢を吟味するのだろうと言われている。

 17歳の成人の儀式で召喚聖獣に名をつけることで、正式なパートナーとして安定して聖獣魔法を行使できるようになる。それを見てから、第一王子の正式な婚約者を決めるのだろうと大半の貴族は判断した。


 そう、カロリーナはお飾りの婚約者で成人の儀式を迎えたらお払い箱になる。

 慣れている。気にしていたら、キリはない。でも、人が囁く言葉に心がヒリヒリする日はやっぱりある。


 実は獰猛だというのが信じられないくらい人懐こいナタリアのミーアキャットの聖獣の滑らかな毛並みを撫でた。


 本来、聖獣は霊体であり実体を持たない。しかし、召喚された時にこちらの世界に順応するために半分霊体、半分実体を持った状態となっている。実在する動物に似ている部分もあるし、違う部分もある。ただ、召喚者やその親しい者しか触ることはできない。触らせてくれるということは、かなり気を許してくれているということだ。


 ナタリアは、人に触れられることが嫌いなハムスターの聖獣を無遠慮に触ることはない。彼女の線引きはきちんとしている。

 撫でているミーアキャットの喉からゴロゴロという音が聞こえて、目を細める。

 実在するミーアキャットは大枠ではネコの類だが、猫とはかけ離れた姿をしている。幻聴だろうか?


 他の二体のミーアキャットも撫でてと言わんばかりに顔を差し出してきた。

 ナタリアも小型動物の聖獣を召喚したが、なぜか三体いる。

 基本的に聖獣はどんな種類であれ、一人一体しか召喚できない。同じ種類とはいえ、三体を同時に召喚した前例はないらしく、小型動物の聖獣だけど、ナタリアの高位貴族としての体面は保たれている。

 カロリーナもハムスターを十体くらい召喚していたら待遇も違ったのだろう。


 気の強いカロリーナだけど、この一見凛々しいのに侯爵令嬢らしくない砕けた友人がいなければ、きっと心が折れていただろう。

 なにもかも、投げ出して逃げていただろうな。

 たとえ、愛する人や国のためだったとしても。


 カロリーナは慣れないヒールを履いて疲れた足をぷらぷら揺らして、疲れを逃がした。



 ◇◇



「くふふっ。カロリーナ、かわいー。なんかキラキラしてるぅ」

「ナタリア、あなた腐っても侯爵令嬢でしょう? 二人きりの時はいいけど、人前ではその話し方は止めなさい」

「はーい。でも、くくくっ」


 女性にしてはすらりと背が高く、精悍な顔立ちをしているナタリアは女子人気が高い。

 今も遠巻きに見つめている令嬢の集団がいる。麗しのナタリア様と彼女を慕う令嬢達にふざけた内面を明かしたら、どんな反応をするだろうか?


 でも、ナタリアが思わず笑いをこぼしてしまうのも仕方ないのかもしれない。

 カロリーナの左の肩にのっているハムスターは相変わらず気難しい顔をして、一生懸命短い手をふりふりして、キラキラする金粉をふりまいている。


 今は貴族の子息令嬢が通う学園での、『聖獣魔法』の実習の時間だ。

 合同授業なため同じ学年の者が一堂に会している。広大な演習場で召喚聖獣の種類に分かれて演習をしているところだ。

 一応、ナタリアのミーアキャットは小型動物の範疇に入るらしいのでカロリーナの近くで練習している。その辺りの分類は本人達に任せられている。


 成人の儀式までに、自分の霊力を召喚した聖獣に与え、聖獣と協力して発動する独自の聖獣魔法を練り上げなければならない。『聖獣魔法』の実習の時間はそのために設けられた時間だ。

 似た種類の聖獣を持つ生徒と交流を図ることで、自分の聖獣をよく知ることができる。また、家系によって召喚される系統があるので、そういった家系に伝わる種別ごとのコツなどを教えてもらうこともできる。もちろん、講師も何人か見守っているので、聖獣や聖獣魔法についての助言を求めることもできる。


 聖獣魔法は聖獣によって得意不得意などあるものの、かなり自由度が高い。

 ただ炎や水や風を出すといった単純なものではないのだ。聖獣は言葉を話さないので、コミュニケーションを取るのに苦労する。その聖獣の性質も同じ動物でも個体によってまったく違っていたりする。

 だから、自分の召喚した聖獣をよく観察し、まめに話しかけ、意思を通わせ、聖獣のできることや得意なことを見定める必要があるのだ。


 聖獣は言葉を介さなくても召喚者の意図や心を読み取れると言われている。ただ、召喚者の希望を叶えてくれるかはその関係性にかかっている。だから、学園でも『聖獣魔法』の実習の時間は多くとられているのだ。


 成人の儀式が近づいた今、ほとんどの者が聖獣魔法を完成させており、どこかのんびりとした雰囲気が漂っていた。カロリーナやナタリアのように雑談しているものも多い。


「あらぁ、今日も可愛らしい事。未来の王妃様は自分を輝かせればいいだけだから、いいご身分ね」

「本当に可愛らしいだけですこと。あの金粉になにか意味があればいいのですけどねぇ……」

 遠巻きに見ている高位貴族の令嬢から、嫌味が聞こえてくる。

 彼女達が傍らに従えているのは、虎とチーター。

 対してこちらはハムスター。

 野性動物であれば、即死案件だ。


「……」

 カロリーナはそちらを見ることもなく、ハムスターをひと撫でしてから、なんの役に立つかわからない金粉の生成に励む。


「きゃぁっ」

 カロリーナに嫌味を言った二人の令嬢の前に、彼女らの二倍はあるミーアキャットが三体、牙を剥いている。

 ナタリアは自分の召喚聖獣と息がばっちり合っていて、ミーアキャットは彼女の意思を汲んですぐに動いてくれる。

「ナタリア、ありがとう。いいのよ」

 ナタリアの聖獣魔法をカロリーナは知らないけど、一体なんなのだろうか?

 確か人に危害を与えるようなものや攻撃魔法は聖獣は扱えないはずだが?


「……私、許せないの。ああやって、なにも知らずに人のことをバカにする人が。カロリーナをからかっていいのは私だけなんだから!」

 ナタリアのこげ茶色の髪がふわっと舞い上がり、ぱちぱちと光を帯びている。

 令嬢二人とその召喚聖獣が怯えて、小さくなっている。


「ありがとう。もう、そのくらいにしておいてあげて」

 その言葉にしゅるしゅるといつものサイズまで小さくなった三体のミーアキャットが彼女の元に戻ってきた。


「ふんっ。友達を手先に使うなんて卑怯だわ」

「聖獣を脅しに使うなんて、そのうち聖獣王様の怒りを買うわよ」

 まだ顔を青ざめさせて震えながらも、小さな声で悪態をついている。ナタリアが再度、睨みつけると二人の令嬢は大型動物のグループの方へと逃げて行った。


 その時、わぁっと盛り上がる一角があった。

「ああ、あの子か……」

 横からナタリアの暗い声がして、なにが起こったのかをカロリーナも察した。

 見なくてもわかる。

 男爵令嬢の召喚したフェンリルがなにか聖獣魔法を披露したのだろう。

 カロリーナの婚約者のアルフォンソだけでなく、ナタリアの婚約者も含めた側近達の熱い視線も、彼女が独り占めしていることだろう。


 フェンリルを召喚した令嬢は男爵家の庶子だ。母親が踊り子だというレイラはこの国にしては珍しいプラチナブロンドの髪に、銀色の目をしている。母親に似たのか、体のラインは滑らかで女らしいのに華奢だ。

 そんな彼女が白狼のような姿をしているフェンリルを従える姿はまるで聖獣の世界を表しているような幻想的な美しさがある。


 その隣にいるアルフォンソは、母親譲りの美しい金の髪と顔立ち、父親譲りのスーファニア・ブルーの瞳を持つ。右肩にのせている不死鳥は真っ赤な胴体に羽だけ虹色をしている。


 二人が並ぶ姿は、儚く美しくどこからどう見てもお似合いだった。そして、そんな二人に侍るようにして三人の側近が控えている。

 側近の三人もレイラやアルフォンソほどではないが、目を惹く整った容姿をしていた。まるで幻想的な二人の世界を崩さないように守っているみたい。カロリーナの目にはいつもそんな風に映っていた。

 側近の中でも厳つく、いつも厳しい表情をしている黒ずくめの男を見て、ナタリアがため息をつく。彼女の婚約者も男爵令嬢の信奉者だ。


 幻の生物を召喚したのは第一王子のアルフォンソと、男爵令嬢のレイラだけだ。

 学園のクラスも聖獣の種類で分けられている。分け方はその年に召喚された聖獣の種類や生徒の人数によって変わる。この学年で唯一、幻の聖獣を召喚した二人は特別クラスだ。アルフォンソの側近の三人は幻の生物を召喚したわけではないが、護衛も兼ねて特別クラスに在籍している。

 このような演習の時間だけでなく、授業中はもちろん、休み時間も昼休憩も学園にいる間はなぜか五人で行動を共にしているようだ。


 そう、これは学園ではお馴染みの光景なのだ。 

 令息だけでなく、令嬢達もみなうっとりとお似合いの二人とその召喚聖獣に見惚れている。


「すてきだわ。本当にお似合いの二人ね……」

「いっそのことあの二人が結婚した方が……」

「しっ。ナタリア嬢に聞かれたら、獰猛な聖獣に食いつかれるぞ!」

「でも、なんで公爵令嬢だからって、婚約者なのかしら?」

「まぁ、成人の儀式までの我慢でしょう? どう見ても相思相愛よね」


 言われなくてもわかっている。どう見てもお似合いな二人だ。

 昨今では、成人の儀式を待たずに婚約者を彼女に入れ替えたらどうか?という声も高まっている。

 市井にも、フェンリルの姫と火の鳥の王子という絵物語が流行っているそうだ。

 この光景を見ると、いつもカロリーナの胸はぎゅっと絞られたようになる。


 一体、どうするのが正解なんだろうか?

 カロリーナはなにも言わずに姿を消したほうが、アルフォンソや国のためなんだろうか?


 きゅっと頬をつねられた。

 ハムスターの聖獣だ。

 こうやって、カロリーナが弱気になると喝を入れてくる。その不機嫌な顔を見て、気持ちを立て直す。


 そう、自分で決めたんだからね。

 召喚の儀式の時に。

 なにを見たって、なにを言われたって、やりきるって決めたのだ。


 朗らかだった父は召喚の儀式から、額に刻まれた皺が取れたことがない。気丈な母も時折、疲れた顔でため息をついている。


 父も母も兄も誰も、カロリーナを責めたことはない。

 カロリーナのせいで公爵家自体を軽んじたり見下す貴族も増えた。父や兄は粛々と仕事をして、必要とあらば粛清しているようだ。叩いても叩いても湧いてくる相手に家族も疲れ切っていた。

 家族にも負担をかけていることにチクチク罪悪感に苛まれる。


 家族まで巻き込んでいるのだ。成人の儀式まであと少し。

 それまでは耐えて、カロリーナは自分の召喚した相棒と共に、なんとか第一王子の婚約者に相応しいと証明しなくてはいけない。

 そのために、できることをするだけだ。



 ◇◇



「ごめん、カロリーナが辛い思いをしているのは知っている。どうすることもできなくて、ごめん。今日も演習の時間に大型聖獣持ちの令嬢に絡まれていたよね?」

 学園が終わって、アルフォンソと合流して王宮に向かう馬車の中で開口一番、謝られた。


「大丈夫よ。人を攻撃することに聖獣は使えないから。せいぜい嫌味を言われるくらいよ。それに、ナタリアのミーアキャットが追い払ってくれたから」

「……ごめん」

 鍛えて随分と大きくなった体を縮こまらせて、頭を下げている。

 たまらない気持ちになって握られた大きな拳の上に、自分の小さな手を添える。大人と子供のような自分達の体格差が悲しくなる。


「大丈夫よ。それに、あなたが表立ってかばうと余計に収拾がつかなくなるって、わかってるから。ほら、王子たるもの簡単に頭を下げたらだめよ!」

 初めの頃はアルフォンソは学園で、クラスが違うにも関わらず、カロリーナから離れずに彼女に嫌味を言う者を片っ端から威嚇していた。でも、余計に反発を買うだけで、周りのカロリーナへの攻撃はひどくなるばかりだった。アルフォンソが悪く言われることはなかったが、なぜか王子の足を引っ張っていると余計にカロリーナの評判が落ちた。


 結局、学園ではつかず離れずの距離を保つほうが周りを刺激しないようだという結論に至った。遠巻きに嫌味を言われることはあるが、害を加えられることはない。


「ごめん、カロリーナが好きなんだ。だから、この手を離せない。婚約は破棄できない」

 アルフォンソは明るい金色の髪の向こうから、スーファニア・ブルーの瞳でこちらを見つめる。どうもカロリーナはこの目に弱い。吸い込まれそうな鮮やかな青。

「わかってるわよ。私だって、あなたを好きだから」

 アルフォンソが握りしめる手をカロリーナも握り返した。


 王宮に馬車が着くと、もう一台の馬車から側近の二人が付いてくる。二人ともどこか疲れた表情をしていた。


 男爵令嬢は王宮まで付いてくることはない。初めは王宮に行きたいと駄々をこねたが、王太子教育と王太子妃教育のためだと言い聞かせ、一度一緒に講義を受けさせたら、二度と来たいとは言わなくなった。

 学園の終わった後は、いつも側近の内の一人が彼女の行きたい場所へと付き合っている。だいたい指名されるのはナタリアの婚約者だった。


 王宮の庭園へと手を繋いで向かうと、ひときわ大きな木のふもとに着いた。

 傍から見たら、きっとその姿は親子のようだろう。


「二時間くらいかな。君達も交代で休憩しておいて」

 アルフォンソの声に、側近や護衛達が頷いた。木のうろの中へとアルフォンソとカロリーナは入っていく。

 木のうろを通り抜けると、そこには木のうろの中とは思えないほど広大な空間が広がっている。


 どこまでも続く青い空に、緑鮮やかな草原。

 気持ちのいい風が吹き抜ける。

 草花がそよそよと揺れる音がする。

 王族やその伴侶や婚約者のみが入れる特殊空間だ。


 ここなら、誰かに話を聞かれることも聖獣魔法が暴発する危険もない。

 どうやら聖獣の元いた精霊界に近い環境のようで、聖獣達も元気になる。

 二人は自分の召喚聖獣を解き放った。

 ハムスターの聖獣は地面を駆けて、不死鳥の聖獣は自由に空を旋回している。


「カロリーナ……」

 七歳の子供の姿であるカロリーナを座ったアルフォンソが後ろから抱きしめる。

 頭にごりごりと顎をこすりつけられる。アルフォンソもだいぶ精神的に追い詰められているようだ。

 そのまま二人は黙ってくっついたまま座って、お互いのぬくもりを味わった。


 一応、名目上は召喚聖獣との交流と聖獣魔法の練習の時間だ。

 本来なら結婚し、正式な王族に加わってからこの場所を教えてもらえる。

 でも、召喚の儀式の後から心休まる場所がない二人を見た国王が、ここの場所の使用許可を二人に与えたのだ。

 この異空間では自分の体のことや召喚聖獣のことを気にしなくていい。

 誰の目も気にせず、二人きりでいられる貴重な時間でもあった。

 この時間があるから、カロリーナはアルフォンソの自分への気持ちを信じることができた。

 また、明日からがんばることができる。



 ◇◇



 右肩に不死鳥、左側にカロリーナが正面を向くように縦抱っこ。そしてカロリーナの左肩にはハムスター。

 王宮で行われる夜会では見慣れた光景だが、今夜も第一王子の入場に貴族達はざわめく。

 人が多いから、誰が言ったかわからないとでも思っているのだろう好きなように貴族は囁く。


「アルフォンソ様は立派になられて。不死鳥も風格が出てきたわね」

「それに比べて婚約者殿は……」

「アルフォンソ王子、お気の毒に。あれならうちの娘の方がよっぽどマシだわ……」

「あら、王子の婚約者はまだ子供のままなのね」

「殿下って、もしかしたら幼女趣味なのかしら?」

「新たな婚約者として、かなり年下の令嬢を押す貴族も増えているらしいぞ……」

「フェンリルを召喚した男爵令嬢への婚約者交代の日も近いわね」

「見て、本当にハムスターだわ……。あの小型動物がなんの役に立つっていうのかしらね?」

「これが未来の王妃だなんて、なげかわしい」

「もうすぐ成人の儀式だから、それまでの我慢だ」

「今は偉そうにしているけど、あの傲慢な顔がどんな表情を浮かべるのか? その日が楽しみね……」

 学園にいる時より容赦ない声が届く。

 それでも、アルフォンソもカロリーナも顔色を変えることなく堂々と入場した。


「殿下、ご機嫌いかがですかな?」

 アルフォンソはカロリーナを気遣って夜会で王族席から離れることはほとんどない。訪れる貴族達と如才なく話すがダンスに応じることもない。

「ああ、問題ない」

「いつも座ってばかりでは退屈ではないですか? たまには気分転換にダンスなどしてみたらいかがでしょう? それとも婚約者殿はそれすらも許せないほど狭量なのでしょうかね?」

「……」

 立派な風格の紳士の後ろには、学園でよく絡んでくる虎の聖獣を連れた侯爵家の令嬢が控えている。成人の儀式を間近に控えた今、次の婚約者に自分の娘を宛てがおうと貴族達も必死になっている。令嬢はアルフォンソに上目遣いに視線を送りながらも、カロリーナに刺刺しい視線を寄越す。


 男爵令嬢はフェンリルを召喚したが、正妃となるには身分や教養やマナーが足りない。王子が娶るとしても側妃や愛妾だろうと考え、高位貴族の令嬢は正妃の座を狙ってカロリーナを隙あらば蹴落とそうとしてくる。


「私は構いませんよ」

「いや、ダンスを踊るのは成人の儀式の後と決めている。相手はカロリーナだ」

「殿下、一途な思いというのは美しいものですが、上に立つ者として時には非情な決断も必要なのですよ。まぁ、今夜は引きましょう。よい夜を」

「ああ……」

 侯爵と令嬢は、カロリーナにあざ笑うような笑みを投げかけて去って行った。


「カロリーナ、飲み物でも取ってこようか?」

 なにごともなかったような顔でアルフォンソが話しかけてくる。

「大丈夫。ダンスを踊ってもいいのよ。あなたは王子なのだから交流も必要でしょ? それに、本当に私の体がどうにもならなかった場合のことも考えたほうが……」

 カロリーナはアルフォンソの鋭い視線に最後まで言葉を発することができなかった。

「殿下、失礼します」

 アルフォンソが側近の一人に声をかけられて席を外した。気まずい空気から逃れられて、カロリーナはほっとした。


 彼は今、令息達に囲まれている。学園で見かける顔ばかりなので年の近い者達だろう。王族席まで訪ねて来るには年若い彼らには、ハードルが高いのだろう。それでも、不死鳥を召喚した未来の国王に少しでも自分を印象付けたい気持ちはわかる。

 アルフォンソも夜会で貴族達とまったく交流しないのも問題だろうから、ちょうど良かったのではないだろうか。


「ふふふっ。今日もすてきな入場だったわねぇ。ハムスターをのせたカロリーナを抱っこする殿下!」

「あなたは婚約者はいいの?」

「いいんでーす。しばらくはお仕事優先なんだって。仕事だかなんだかってかんじだけど……」

 声をかけてきたナタリアと二人そろって、ため息をつく。

 令息達の群れにいつの間にか、フェンリルの聖獣を従えた男爵令嬢が交じっている。

 彼女とアルフォンソを中心に盛り上がっているようだ。ナタリアの婚約者も、もちろんその輪の中にいる。


 それを周りで眺める貴族達は、彼らとカロリーナをおもしろそうに、にやにやとした笑みを浮かべて見比べている。その視線が不快で、「ちょっと席を外すわ」とナタリアに断りを入れると、すぐ傍のバルコニーへと出た。


 カロリーナは夜会で基本的には自由に動き回れない。なにせ子供の体型だ。人ごみに紛れると大変なことになる。

 いつも王族席から動かないようにしていた。カロリーナの戦闘力はゼロに近い。子供のような体型に、守護聖獣はハムスター。そして憎まれ役の第一王子の仮初の婚約者。


 王族席の近くにあるバルコニーへ向かうのに、自分付きの護衛が付いてきていることをきちんと確認している。護衛に誰も通さないように言づけた。


 ベンチに座り、ぼんやりと外の景色を眺める。今夜は月も出ていない。目の前には、うっそうとした森が広がっている。まるで今の自分の気持ちのようだ。


 ハムスターに髪を引かれて、後ろを見ると扇でも隠し切れないくらい醜悪な顔をした令嬢がいた。先ほど、ダンスを断られた侯爵令嬢だ。傍らには虎の聖獣を従えている。


 護衛騎士を見ると、なにやらしたり顔で頷いている。

 きっと、この令嬢に「学園の親しくしている友人でカロリーナ様に呼ばれまして。ゆっくりお話ししたいんです」なんて言われたんだろう。

 「誰も通すな」という命令をなんだと思っているんだ?

 新しく入った者のようだ。カロリーナはこの外見から舐められることが多い。あとできっちり絞めておかなければと心に留め置く。


 パチンと音がして、髪留めが取られたのがわかった。護衛騎士からは見えない角度だ。先ほどダンスを断られたことの意趣返しだろうか?

「あなたの下品な赤に、高貴な青は似合わなくてよ」

 そして、髪留めを遥か高い位置で振られる。

 まさか、そんな子供のような嫌がらせをされると思わず、カロリーナの頬が引きつる。


「……公爵家から抗議しますよ」

「ふふっ、髪留めを取られましたーって泣きつくの? アルフォンソ様に? それとも公爵様に? 取り返してごらんなさいよ、できるものなら」

「……」

 物理的な身長差に屈辱を感じる。令嬢は遥かに大きく、髪留めはベンチに立てばぎりぎり届くかもしれない位置。だが、そんなはしたない姿をさらすわけにはいかない。


「公爵家はなにか王家の弱みでも握っているのかしらね? そうでなければ、あなたのような者にアルフォンソ様が義理立てするわけがないじゃない? ねぇ、アルフォンソ様にどんな魔法をかけたの?」

 相手にしてはいけない。騒ぎ立ててもいけない。後から、公爵家から抗議を入れるだけ。それはわかっているのに、お腹の奥がぐらぐらと煮える。だけど、ハムスターの聖獣はそれに対してはなにも出来ない。


「早く婚約者を辞退しなさいよ。ハムスターとたわむれているだけの、お子様には無理なのよ。婚約者を定めない令嬢がたーくさんいるのをご存じ? みんな迷惑しているの。成人の儀式を待たずに身の程をわきまえて、身をひいたらどうかしらね?」

 その女は自分の暗めの金髪に髪飾りをかざす。


「ほら、わたくしのほうが似合うと思わない?」

「……それは第一王子殿下から私へ贈られたものですよ」

「ふんっ。そうやって、いばっていられるのも今のうちよ! 婚約が撤回される日が楽しみだわ。そうしたら、その体にその聖獣じゃ、嫁にも行けないでしょうね!」

 言いたいことを言い切ると、乱暴に髪飾りを投げてくる。そして、足早に去って行った。


「くやしい……」

 握りしめた髪飾りの上に、涙がこぼれる。自分は火のヴィスコンティ公爵家の娘なのに。

 自分は小さくて、聖獣もただキラキラした金粉を振りまくだけ。好き放題言われて、なんの反撃もできない。

 召喚した聖獣をバカにされてくやしくないスーファニア国民なんていない。

 あんな奴ら、全部焼き尽くしてやりたい。

 いつも涼しい顔で聞き流しているけど、平気なわけじゃない。

 好きで子供の体でいるわけじゃない。このまま、子供の体のままかもしれないという不安を誰より抱えているのはカロリーナだ。

 成人の儀式の日は刻々と近づいている。体が成長する兆しは一向に見えない。


 ハムスターがカロリーナの頬にすり寄る。なぐさめるようにその柔らかい体を押し付けてきた。その感触に涙がこぼれる。

「お前に不満があるわけじゃないんだよ」


 結局、父にはバルコニーでの一幕を報告して公爵家から抗議を入れたけど、その出来事をアルフォンソに告げることはできなかった。



 ◇◇



 そして、迎えた成人の儀式の日。

 王宮の大ホールは興奮に包まれていた。

 爵位が下の者から、披露される聖獣魔法の出来はなかなか良いようでかなりの盛り上がりを見せていた。

 男爵令嬢のフェンリルは雪を舞わせた。暖かい気候のこの国で雪を見ることはほとんどない。会場は感動とあたたかい拍手に包まれた。


 親友のナタリアは三体のミーアキャットと共に安眠の聖獣魔法を披露する。攻撃的なものでないことにほっと胸を撫で下ろす。


 男爵令嬢の傍に控える彼女の婚約者がそんなナタリアを熱のこもった目で見ていた。彼はアルフォンソに纏わりつく男爵令嬢を彼から引き離すために彼女に張り付いていた。彼は男爵令嬢の信奉者のように見えたし、ナタリアからなにも聞いていないので二人の関係性はわからない。少なくとも彼の気持ちはナタリアにあるように見える。カロリーナは二人が上手くいくように心の中で祈った。


 そして、ついにカロリーナの番が来た。

 名前を呼ばれる前から会場は異様な興奮に包まれていた。


「結局、子供の姿のままじゃないか!」

「あのハムスターでなんの聖獣魔法を披露するんだろうな?」

「まぁ、この舞台から逃げなかっただけ立派じゃないか!」

「いよいよ、婚約者交代の時かぁ……」

「王家の顔に泥を塗らないといいですわね……」


 ついに王家に無駄に優遇され、王子から謎の溺愛を受けている子供の体をした公爵令嬢を婚約者の座から引きずり下ろせる時が来たのだ。クスクスとした笑いが響き、爛々と期待に満ちた目で彼女を見つめている。

 集まった貴族達は、彼女が陥落する瞬間を見世物のように楽しみにしていた。


 王族の並びの端っこにいたカロリーナは隣のアルフォンソに頷いた。彼の顔色は悪い。

「じゃ、お願いね」

 左の肩にのるハムスターの聖獣の頬にそっとキスをする。

「これまでありがとうね」

 ふくふくとしたほっぺをちょんとつつくと、気難しい顔をしたハムスターの聖獣がそれに応えるように頷いた。


「カロリーナ・ヴィスコンティ公爵令嬢。聖獣の名を呼び、その絆を見せ、聖獣魔法を発動せよ」

「御意」


「ジャッジメント!!」

 カロリーナの呼び声に、鋭い鳴き声が答えた。鳥のような肉食獣のような甲高い鳴き声。

 そして、差し出した指先に不死鳥の聖獣が留まる。

 彼女の左肩に先ほどまでいたハムスターの聖獣はいない。

 好き勝手に噂し、嘲笑していたいた者達の動きが一斉に止まり、彼女に視線が集まる。


 不死鳥の聖獣は、普通の鷹のような大型の鳥類のサイズからぐんぐんと大きくなり、その大きな(くちばし)でぱくりとカロリーナを飲み込んだ。その残酷な光景を見た女性達の甲高い悲鳴が響き渡る。

 見ている貴族達からざわめきが広がるが、王族や第一王子は静かに見守っていた。


 そして、カロリーナが立っていたところに鎮座した不死鳥は、しばらくするとけぷっという音と共に炎を吐き出した。

 なにが起こったのか近くで見ようと、じりじりと寄ってきていた人垣が散る。


 その炎がだんだんと消えていくとそこには一人の女性が立っていた。

「ヴィスコンティ公爵令嬢なのか……?」

 もう、その名を軽々しく呼ぶことはできない。

 先ほどまでの子供の姿の面影はあるが、そこにはきっと彼女が成長したらこうなるだろうと想像できる、いや想像以上の女性が立っていた。


 燃えるような赤い髪と瞳。すらりとしてバランスのいい体躯。

 身に纏うのは真っ白でシンプルなドレス。髪に輝くのはスーファニア・ブルーの髪飾り。

 筆頭公爵家、炎のヴィスコンティ家に相応しい令嬢がそこにはいた。


 カロリーナは自分の手を眺めた。

 そこにあるのは、ふっくらとした子供の手ではなくて、指先まですらっと伸びた大人の手。

 首筋から胸元を手の平で辿り、腰まで手を滑らせる。

 先ほどまでと違う視線の高さ。

 急に大きくなった体に少し酔ったような気分になる。

 成長した体に自分をなじませるように数回、深呼吸を繰り返した。


 そして、隣にいる自分の身長ほどもある真っ赤な鳥の喉元を撫でた。

「ありがとう。ジャッジメント」


 そして、その赤い瞳で周囲を睨みつける。

「さぁ、出番よ。この国と王族に仇為す者をあぶり出せ」

 まるで魔法のような展開に呆然とこの状況を見ていた貴族達は、その言葉と圧にのけぞり、後ろに一歩後退った。

 後ろめたいことのある者は逃げ出そうと出口を探す。しかし、いつもは開放されている扉は頑なに閉じられ、誰もホールから出ることはできない。


 その間に不死鳥は七色の不思議な尾羽をなびかせて、大ホールを悠々と旋回した。不死鳥の飛んだ軌跡に金粉が舞う。


 ゴウッと艶やかな(くちばし)から炎が吐き出され、火の粉が舞い散る。

「うわー、熱い!」

「痛い痛い!」

「助けて!」

 人々の悲鳴がそこここで上がるが、王族も公爵家も近衛騎士も誰も、彼女を止めない。

 よく見ると、火の粉を浴びても火傷や怪我を負っている者はおらず、火の粉を浴びて、恍惚と幸せな表情をしている者もいる。


 審判(ジャッジメント)――その名の通り、国や王家に良からぬことを企んでいた者に痛みを与え、それ以外の者に幸福を与えているようだ。


「これが彼女の聖獣魔法、審判(ジャッジメント)か……」

 王のつぶやきに敏い貴族達はなにが起こっているかに気づいた。

 そして、火の粉がかかり痛みを訴える者を、近衛騎士達がそっと捕縛し、別室へと連行している。


「きゃー、いや、怖い助けて!!」

 フェンリルを召喚した男爵令嬢の叫び声が響いた。

 彼女の父である男爵や、寄親である侯爵は太い腹を突き出して、痛みに悶絶している。


 そして、彼女の目前で不死鳥がぴたりと動きを制止し、彼女を見つめていた。

 よく見ると彼女の周りには王子の側近や、近衛騎士達が配置されていた。

 おそらく彼女達が逃げないように見張っていたのだろう。


 次の瞬間、彼女の聖獣であるフェンリルを不死鳥が飲み込んだ。

「いやあぁぁぁぁぁぁ!! やめて――!! わたしのフェンリルが! わたしの聖獣が!」

 その様に、貴族達が悲鳴を上げ、自分の傍らにいる自分の召喚聖獣を抱きしめた。霊力を与え、まるで自分の分身のような存在である召喚聖獣を失うことはなにより辛いことだ。


 そして、炎に包まれ吐き出されたのはネズミの聖獣だった。

 不死鳥が、聖獣を飲み込んだと思ったら、違う姿にして吐き出した。その光景に見ている者達は混乱した。

「え? フェンリルがネズミに? 霊力を奪ったとでも言うの?」

「聖獣が姿を偽っていたとでも言うのか?」


 不死鳥が装飾のない壁に向かって、ごうぅっと炎を吐き出すと、とある光景が浮かび上がった。

 それは陽炎のように少しぼんやりしていて鮮明ではないが、内容を理解することはできた。


『うふふ、本当にこれを使ったらすごい動物を呼べるの? お父様』

『ああ、この魔道具を懐に入れておけば、ネズミもフェンリルに偽れる。大枚をはたいたからな。なあに、お前ほどの魔力があれば可能だ。くだらんのだ、聖獣至上主義など! 世の中は金だ!』

『でも、魔法は使えるの?』

『聖獣魔法も大丈夫だ。成人の儀式の時は幻覚の魔法も使うから大丈夫だ。バカな貴族共には魔法と幻覚の区別なんてつかない。なーに、聖獣魔法などお伽話。こんなものなんの役に立つってんだ! バカバカしい』

 男爵の肩には小さなハツカネズミ。そのネズミは毛並みも悪く姿も薄らぼんやりしている。

『これで、あのキラキラした王子様のお嫁さんになれるの?』

『ああ、婚約者がどんな聖獣を召喚するかわからんがな。もし、聖獣でリードできなくとも王子を篭絡する手段は山ほどある』

『わたし、お姫様になれるのね? うふふふふ、かっこいい王子様と結婚できるのね?』

『ああ、この国も全てワシらの思うままだ。聖獣なんぞではなく、人間様が支配するのだ!』

『ああ、楽しみだわ!』


 どうやら、父親である男爵はこの国と時折、小競り合いをしている西の魔法大国と繋がり、魔道具を駆使して聖獣を偽っていたようだ。


「さぁ、あなたはどうしたいの? ネズミちゃん」

 カロリーナは壇上から、彼女の傍らの床に佇むネズミの聖獣に問いかける。ネズミの聖獣は首を横に振った。

「あなたの意思は全く無視されていたのね」

 その問いに、こくこく頷く。聖獣がその意思を無視して酷使されていたというあまりに残虐な事実に、すすり泣きが聞える。毛並みも悪くやせ細っている様子から霊力も碌に与えられていなかったのだろう。


「さぁ、こっちへおいで」

 ネズミの聖獣が吸い込まれるように、カロリーナの手に収まった。


「ふん、ネズミの聖獣なんてなーんの役にも立たない。いらないわよ、そんな聖獣」

「もう、あなたは二度と聖獣を呼び出すことはできないわよ?」

「別にいいわよ。聖獣魔法なんてなくても、普通の魔法や魔道具で十分じゃない?」

「そうかもしれないわね。私の聖獣魔法の披露は以上です」

 ざわめく会場で、元のサイズに戻った不死鳥の聖獣を肩にのせ、片方の手の平にねずみの聖獣をのせたカロリーナが優雅にカーテシーを披露する。

 会場のざわめきと興奮は冷めやらない。


 そして、カロリーナはアルフォンソの隣に戻った。

「大丈夫よ」

 カロリーナは彼の細かく震える手を握った。


「アルフォンソ・スーフォニア第一王子。聖獣の名を呼び、その絆を見せ、聖獣魔法を発動せよ」

「御意」

 アルフォンソはカロリーナの手を両手で握りしめると、一人で中央へと進み出た。


「ヒール、皆の心を癒せ」

 カロリーナの肩の上でいつも難しい顔をしていたハムスターは、彼の左肩でふくふくと幸せそうな微笑みを浮かべて頷くと、こてっと顔を傾けた。そこからキラキラしたなにかが、ふわふわとホールに広がっていった。


 カロリーナと不死鳥が巻き起こした一連の衝撃的な出来事に混乱し、不安や恐怖を感じていた貴族達の顔が安らぎに満ちていく。

 気を失ったり、がたがた震えていた令嬢や夫人方も正気を取り戻した。辺りにはほっとした空気が漂っている。


「以上です」


「これだけ? 王子の聖獣魔法が癒し?」

「不死鳥は公爵令嬢の召喚聖獣で、王子の召喚聖獣はハムスターだったってこと?」

 人々のざわめきが広がっていく。


「そうだ君達が散々、バカにしていたカロリーナの召喚聖獣のハムスターは私の召喚した聖獣だ。それが、なにか?」

「いや……。それは、あまりにも……」

 アルフォンソは堂々とそこに立ち、人々の疑問に正面から立ち向かってる。


「ガッカリだわ。なによ、あのかっこいい不死鳥はその女の聖獣で、かっこいいと思ってた王子が使役する聖獣がハムスターで、聖獣魔法が癒しですって? なんのために私はがんばったっていうの? 危ない橋まで渡って! 聖獣まで取り上げられてさ! かっこ悪い! そんなの認めない! そんな情けない人が王子なんて認めないわよー!!」

 おそらくこの会場にいる貴族達の心の声を男爵令嬢が叫んだ。父親という後ろ盾や聖獣を失ってやけになっているのだろう。


「将来の王としての威厳、ゼロだな」

 そこに誰かの言った小さなつぶやきが妙に響いた。

 アルフォンソは顔色を悪くしながらも、まっすぐに前を見つめて、自分への率直な言葉を受け入れている。


「だから、なに?」

 彼の隣に進み出たカロリーナの高い声が差し込んだ。


「王となる者の聖獣はその治世を象徴するものが来ると言われています。彼の聖獣が癒しということは、穏やかで平和であることが約束されているのですよ? それでも彼を王にふさわしくないと断じますか?」


「でも、でもカッコ悪いじゃない……」


「可愛くて癒される。最高じゃないですか。そうね、あなたは不敬罪で、その口をそろそろ燃やしてやりましょうか?」


「ひっ!!」


「それに、私、この国も彼のことも心から愛しているの。私と召喚聖獣の不死鳥が彼を見守っているのになにか不安がありますか?」


 震えながらもまっすぐに前を見据える彼の隣に立つ。

 彼は今日、この日を迎えることがカロリーナ以上に怖かっただろう。


 皆、彼の苦悩を知らない。

 自分が王族に相応しくないものを召喚した苦しみを。


 7歳の聖獣召喚の儀式の日。

 カロリーナが不死鳥を召喚した時、王も王妃もアルフォンソも言葉を失った。

 第一王子の婚約者として幻の最強生物を召喚したのは間違いない。

 でも、始祖王が召喚したと言われる不死鳥を超える聖獣はいない。

 ということは必然的に、アルフォンソはカロリーナを超える聖獣を召喚することはできない。

 通常はカロリーナの召喚が終わったら、退室するのだが、その場に留め置かれた。


 一縷の望みをかけて、アルフォンソが召喚したのはハムスターだった。

 王妃はその場に崩れ落ちた。


 ――下手をすれば、国が割れる。

 王家の血筋が入っている筆頭公爵家のカロリーナを次期女王に推す者も現れるだろう。

 さまざまな思惑でカロリーナを暗殺しようとしたり、誘拐しようとする者もいるだろう。

 間違いなくカロリーナとアルフォンソを巡り、国が混乱する。


「召喚聖獣を交換しましょう。成人の儀式まで」

 様々な思惑を計算した結果、カロリーナは言葉を発した。

「いや、しかし……」


 召喚した聖獣は基本的には召喚者に紐づく。ただし、家族や婚約者など親しい者になら懐く可能性があった。

 カロリーナは自分の右肩にとまる不死鳥に必死で訴えた。

「お願い。アルフォンソとこの国を守りたいの」

 幼い頃から婚約者として交流を重ねたアルフォンソを簡単に切り捨てられないくらいの情があった。その時はまだ恋とも呼べない気持ちだった。でも、カロリーナは優しくてまっすぐなアルフォンソが大好きだったのだ。


 その鳥はじっと黒い瞳でカロリーナを眺めると、ファサッと飛び立ち、アルフォンソの右の肩に止まった。カロリーナはアルフォンソをじっと見つめた。彼は下を見て震えている。


「カロリーナ……。でも、君はそれでいいの?」

 アルフォンソの中でも、カロリーナと同じように今後の二人の苦難がありありと浮かんでいるのだろう。でも、国が混乱するよりマシなはずだ。

「私の覚悟は決まった。アルフォンソもこれが最善だってわかるでしょう?」

 アルフォンソは自分の右肩にいるハムスターを撫でた。

「……すまない、カロリーナ」

 アルフォンソの絞り出すような声を聞いて、むっすりと不機嫌な顔でトコトコと移動し、カロリーナの左肩にハムスターも収まった。


「そんな、カロリーナちゃん、アルフォンソのために……」

「今考えられる中で最善の手ではある。王家もできるだけ力になるが、公爵にすらこのことは……」

「口外無用なのは承知の上です」

 それから二人の地獄の日々は始まった。


 本来は優しくて穏やかでまっすぐな性質の彼が皆を欺き、そのことでカロリーナを苦しめることがどれほど辛いかわかるか?


 皆を欺いている罪悪感。

 聖獣を褒められるたび、湧き出る劣等感。

 カロリーナが貶められるたび、感じる罪悪感。

 カロリーナが国や彼を見捨ててしまうかもしれない恐怖。


 彼がそれらを吹き飛ばすためにした努力の数々を知らないだろう。


 彼はいつもカロリーナに謝罪し、惜しみなく愛情をあらわした。

 彼は決して弱音を吐かなかった。カロリーナを労わって、大事だと態度で示し続けてくれた。


 時にカロリーナを国や自分に縛り付けている苦悩を漏らす。

「君の自由を奪ってごめん。ごめん。でも、どんな理由であれ君を僕に縛り付けられることを嬉しくも思っているんだ。僕は最低だ。好きだ、愛してる、カロリーナ」

 ハムスターの聖獣は彼が隠したい姿を時折、カロリーナに見せてきた。

 毎晩ベッドの中で繰り返している懺悔を。

 きっと必要だから見せていたのだろう。

 知る必要があったのだろう。

 だから、どれだけ苦しくても彼に寄り添った。


 もちろん、自分で言い出したことだけどカロリーナも苦しかったし不安もあった。

 聖獣を交換することで、体の成長が止まるという代償を払うことになるなんて知らなかった。


 聖獣は召喚者の霊力を吸収して、この世界に馴染み健やかに暮らしていける。力の強い聖獣はより多くの霊力を必要とする。召喚者と離れている時間の長い不死鳥は、一日の短い時間でカロリーナの霊力をたくさん吸収しなければならなかった。

 恐らくその不自然な霊力の摂取方法の影響で、カロリーナの体の成長を阻害しているのだろうと予想されていた。だから、成人の儀式でカロリーナが不死鳥の名を呼び、正式なパートナーになれば、きっと体は年相応のものになるだろうと思われていた。


 理屈はわかるが、上手くいく保証はなかった。

 カロリーナとアルフォンソが二人きりになる時間で、お互いに自分の聖獣と聖獣魔法は練り上げていた。でも、最後までカロリーナの体が戻るかどうかはわからず、賭けに近かった。


 カロリーナも苦しかったけど、自分以上の苦しみを彼が抱えていたことを誰も知らないだろう。

 そんな奴らに好きに言わせない。

 彼の威厳がゼロだからって、なんだ?

 彼と国は私が守る。


 微笑みながら涙を流す彼を見て、カロリーナの目からも涙がこぼれる。

 どちらからともなくぎゅっと手を繋いだ。


 早く二人きりになりたい。

 大丈夫だよって言って、彼を抱きしめてあげたい。

 彼を抱きしめられるくらいに成長した体で。


 全てが丸く収まった今なら、これは二人の絆を強めるための試練だった、なんて綺麗事も言えるだろう。

 でも、試練の一言で収まらない苦しさを二人は味わった。


「さて、次は君ね」

 カロリーナは自分の手の平にのるフェンリルを装わされていたネズミの聖獣に話しかけた。

 アルフォンソの聖獣であるハムスターが小さな両手をふわりと振るときらきらした金粉が舞い、ネズミを包んだ。くたびれきっていたネズミの聖獣はふわふわの毛並みを取り戻し、穏やかな表情になる。


「精霊界に戻って、ゆっくりお休みなさい」

 カロリーナの声に、宙に舞い上がった不死鳥が火を吐くと炎の門が出現した。その向こうはキラキラとした光が差している。ネズミの聖獣が炎の門の向こうへと駆け出し、その姿が消えると炎の門もふっと消えた。


 不死鳥を右肩にのせて不敵に微笑むカロリーナと左肩にハムスターをのせて柔らかな微笑みを浮かべるアルフォンソ。

 聖獣魔法の連携を見せつけた二人は、どこからどう見てもお似合いだった。


 彼らが治めていくことになるこの国の安泰を確信し、貴族達は跪き、次々に頭を垂れ、次代の王への恭順(きょうじゅん)の意を示した。


 全ての悪を火で滅する王妃と、体と心を癒す王。

 最凶で最強な夫婦の誕生まで、あと少し。

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