ノルディア連合国の異変と石取りゲーム必勝法
市場から城に戻った優人たちは、軽く談笑した後、それぞれの部屋へと分かれていった。優人は自分の部屋に入ると、窓際の椅子に腰掛け、今日の市場での出来事を思い返していた。
「市場って面白いところだな。」
と独り言のように呟きながら、フィーナが選んだ店での昼食や、石とりゲームでのやり取りを思い出す。その瞬間、数学以外にもこんなに楽しいと感じることがあるのか、と改めて気づく。
優人は前の世界で数学教師をしていた頃のことを思い出した。生徒たちに数学を教えるのは楽しかったが、学年ごとにカリキュラムが決められており、その範囲を1年間で終わらせる必要があった。しかも、学年を超えた内容について教えることは少しはあっても、次の年に教える必要があるので、深く掘り下げることはほとんどなかった。
しかし、この世界ではユリナ姫やフィーナが興味を持った内容を自由に教えることができる。そして、その内容について深く掘り下げたり、実践的に応用する楽しさがある。さらに、ユリナ姫やフィーナ、アーシュとの会話から異世界の文化や価値観を知ることができるのも、優人にとって新鮮で興味深い経験だった。
そこまで考えた時、ふと気づいた。フィーナやアーシュとの会話も楽しいが、最も心が躍るのはユリナ姫との会話だということに。
ユリナ姫は優人がこの世界に来て出会った人物であり、当初から優人のことを気遣ってくれていた。さらに、数学に対して真摯に取り組む姿勢や、一生懸命な彼女の姿を見るたび、優人自身も学ぶことが多かった。
「感謝の気持ち、ちゃんと伝えなきゃな。」
そう思った優人は、夕食の後にユリナ姫へ感謝を伝え、さらに今日の市場で購入した髪飾りを渡そうと心に決めた。
夕食の準備ができたという知らせを受け、優人は食堂へ向かった。そこにはすでに王とユリナ姫が席についており、優人は少し遅れて到着した。
「遅れてしまい、申し訳ありません。」
「いや、気にするな。さあ、席につきなさい。」
王が笑顔で促し、優人は席に着いた。
食事が運ばれてきた。テーブルに並べられた料理は、王宮の夕食らしい品格がありつつも、過度に豪華すぎることはない。香草の香りをまとったチキンは、黄金色に焼き上げられていて、見るからに食欲をそそる。ナイフを入れると外はパリッとした感触で、中からは肉汁がじわりとあふれ出た。その柔らかな口当たりと程よい塩気が、体に心地よく広がる。
付け合わせには、火であぶられた赤ピーマンやズッキーニが鮮やかな彩りを添えている。素朴なオリーブオイルと塩の味付けが素材の甘さを引き立てていた。さらに、席についた時からふんわりと漂っていたパンの香りも、優人の食欲をそそる。パンを手に取ると、その温かみが手のひらに伝わり、一口かじるともちもちとした食感が口いっぱいに広がった。
テーブルの端には、白い陶器のスープ皿がそっと置かれている。湯気の立つスープは、豆を煮込んだ優しい味わいで、ほっとする温かさを持っていた。その控えめな風味は、疲れた体をじんわりと癒してくれるようだった。
「ここの食事は、本当にいつも美味しいですね。」
そう言うと、王が満足そうに頷いた。
「それは何よりだ。君もこの国の味に少しずつ慣れてきたのではないかね。」
優人は微笑みながら、静かにまた一口食事を進めた。日常の中にある、穏やかなひとときがここにはあった。
食事も終盤に差し掛かった頃、突然兵士が食堂に駆け込んできた。火急の伝令らしい。
「王よ、ノルディア連合国の王子が亡命してまいりました。」
その言葉に食堂の空気が一変した。王は真剣な表情を浮かべ、詳細を兵士に尋ねた後、優人とユリナ姫に向き直った。
「優人殿、すまないが、これからユリナと私で対応せねばならない。先に部屋に戻っていてくれ。」
「承知しました。」
優人は丁寧に頭を下げると、2人に挨拶して食堂を後にした。
部屋に戻った優人は、姫に渡す予定だった髪飾りを机の引き出しにしまいながら、「また今度渡せばいいか」と気持ちを切り替えた。
その後、明日の数学の授業で取り上げる予定の「石とりゲーム」の解説について紙にまとめ始めた。数学的な思考を巡らせるうち、時間が経つのも忘れ、夜は更けていった。
一夜明け、朝日が差し込む教室で、優人は椅子に座るフィーナの前に立っていた。普段はユリナ姫も一緒に受ける数学の授業だが、今日はフィーナ一人だった。授業の前にユリナ姫が残念そうな顔をしながら、
「昨日の対応がまだ続いていて、今日は授業に参加できません。本当に出たかったんですが……すみません」
と申し訳なさそうに告げてきた場面を思い返す。フィーナが机に肘をつき、少し寂しげな顔で口を開いた。
「今日は姫がいなくて寂しいね。」
優人は頷きながら、「そうですね」と短く答えた。普段の授業とは違う空気に、二人とも少し物足りなさを感じているのは明らかだった。しかし、授業を進めるために気を取り直し、優人は昨日の石取りゲームについて尋ねた。
「昨日のゲーム、どうして後手必勝なのか考えてきましたか?」
フィーナは鞄から一枚の紙を取り出し、優人の前に広げた。その紙には、細かい文字と矢印がびっしりと書かれている。
「いろいろと考えてみたけど、パターンが多すぎて分からなかったわ。」
フィーナは少し悔しそうな表情を浮かべながら言った。
優人は紙を手に取って眺め、フィーナの努力を認めるように微笑んだ。
「よくここまで考えましたね。まず、頑張ったことが大事ですよ。」
そう声をかけてから、説明を始めた。
「数学には大きく分けると二つの考え方があります。一つは、フィーナが今回やっていたように、スタートから順番に考えていく方法です。条件を整理して、少しずつゴールに近づいていくやり方ですね。」
フィーナは頷きながら、
「問題を解くときは、普通そうやって考えるんじゃないの?」
と問いかけた。優人はその意見を肯定しながら続けた。
「そうですね。ただもう一つ、ゴールから逆算して考える方法があります。最終的に必要なことを見極め、それを起点にスタートに向かって考えを進めていくんです。」
フィーナは眉間に皺を寄せ、少し考え込む様子を見せたが、首をかしげて
「言ってることは分かるけど、実際には難しいわね」
と苦笑した。優人は微笑を浮かべながら、
「では、昨日の石取りゲームを例にして説明しますね」
と言った。優人は黒板に数字を並べながら質問を投げかけた。
「昨日のゲームのゴール、つまり負けになる条件は何だと思いますか?」
フィーナは少し考えた後、
「29個目を取ったら負けになるってことよね」
と答えた。
「その通りです。では、29個目を取らないために、どうすればいいでしょう?」
フィーナはしばらく考え、明るい表情を浮かべながら答えた。
「28個目を取ればいいんじゃない?」
優人はその答えを肯定し、
「では、28個目を絶対に取るにはどうすればいいか、考えてみましょう」
と促した。
フィーナは数字を書き込みながら小さく呟き、
「相手が1個取ったら、2個取ったら、3個取ったら……28個目にたどり着くためには……」
と考え込んだ。そして、突然目を輝かせながら、「24個目ね!」と自信たっぷりに答えた。
優人は微笑みながら、「正解です」とフィーナに伝えた。
「どうしてそう考えたか、説明してもらえますか?」
と尋ねると、フィーナは自信たっぷりに口を開いた。
「24個目を取れば、相手が石を1個取った場合は25個目を取られることになるでしょ?そのとき私は26、27、28個と3つ取ればいいの。もし相手が2個取った場合は25個目と26個目を取られるから、私は27と28個目を取ればいい。相手が3個取った場合も同じように、私は28個目を必ず取れるわけ。」
フィーナは紙の上の数字を指しながらスムーズに説明を終えると、優人の顔を見上げた。優人は満足そうに頷きながら、
「理路整然とした説明ですね。素晴らしいです」
と褒めた。フィーナは照れたように笑みを浮かべた。優人は続けて言った。
「では、同じように考えて、24個目を取るには何個目を取ればいいか分かりますか?」
フィーナは少し考え込んだ後、「20個目ね」と答えた。
「その通りです。20個目を取れば、相手は3個までしか取れないから、フィーナが24個目を取ることができますね。」
優人は柔らかな声で説明を加えた。
「この考え方を繰り返していくと、最初は何個目を取ればいいか分かりますか?」
と優人が尋ねると、フィーナは指で紙に数字を書きながら小声でつぶやいた。「16個目……12個目……8個目……」やがて、パッと顔を上げて笑顔で言った。「4個目ね!」
優人は満面の笑みで答えた。「正解です!」
フィーナは頷きながら、再び優人を見つめて言った。
「だから、このゲームが後手必勝なのね。先手は1個から3個しか取れないから、後手の人が絶対に4個目を取れる。そこから先も、8個目、12個目、16個目って、後手の人が勝ちになる石を必ず取れるから、先手はどうやっても勝てないってことか!」
「その通りです。」
優人は微笑みながら応じた。
「今回は29個目を取ると負けるというゴールを基準に、逆算しながら考えました。こうやって問題をゴールから解いていく方法も、数学ではとても重要なんですよ。」
フィーナは深く頷きながら、
「すごく面白いわ!ゴールから考える方法もすごい大事ね」
と目を輝かせた。優人は彼女の熱心な反応に満足しながら、
「これを使えば、もっと複雑な問題も解けるようになりますよ」
と励ましの言葉を添えた。授業の後、フィーナはふと疑問を口にした。
「でも、優人。後手必勝のゲームだったのに、どうして優人は勝てたの?店主は後手だったんでしょう?」
優人はその質問に穏やかに微笑み、話し始めた。
「確かに、あのゲームは元々後手必勝です。でも、私は掛け金を増やす代わりにルールを一つだけ変えてもらったんですよ。」
「ルールを変えた?」
フィーナは目を丸くして聞き返した。
「そうです。おそらく店主は、後手必勝の理屈を分かっていて、勝てる石――4個目、8個目、12個目といった『確実に取らなければならない石』を覚えていたんだと思います。だから、石の総数や順番を変える提案には応じないだろうと予想しました。それは店主にとってリスクが高すぎますからね。」
「なるほど。だから石の数を変えたりするんじゃなくて、別のルールを変えたんだね。」
フィーナは優人の意図に気付き、納得したように頷いた。
優人は続けた。
「はい。そこで提案したのが、1回に取れる石の数を変えることでした。元々は1回に取れるのが1個から3個までだったのを、1個から4個までにする、というルール変更を持ちかけたんです。」
「でも、それだと後手の有利さが変わるの?」
フィーナは首をかしげた。
「大きく変わります。」
優人は穏やかな口調で説明を続けた。
「店主が覚えていたのは、元のルールでの勝ち筋、つまり『4個目』や『8個目』といった石の位置です。でも、1回に取れる石の数が増えると、その計算が変わります。そして、店主はその場ですぐに新しい勝ち筋を導き出すことができなかったんです。」
フィーナは感心したように声を上げた。
「なるほど!店主が勝つために覚えてた『勝てる石の位置』が役に立たなくなったんだね。それで優人が勝てたんだ!」
優人は静かに頷いた。
「そうです。もちろん、この提案でも断られたら諦めるつもりでしたが、店主は増額に目がくらんで、この変更を受け入れてしまいました。結果的に、店主はルールの変化に対応しきれず、私が勝つことができたというわけです。」
「すごい!」
フィーナは目を輝かせた。
授業も終わりに近づいたころ、優人はフィーナに優しい口調で話しかけた。
「フィーナ、今回の石取りゲームについて、2つ宿題を出しますね。」
「宿題?」
フィーナは少し驚いたように目を見開いた。
「そうです。」
優人は微笑みながら続けた。
「1つ目は今回、ルールを変えたことで『確実に取らなければならない石の位置』が変わりました。それが何個目になったのかを考えてください。2つ目はフィーナがやった石取りゲームが後手必勝である理由をユリナ姫に説明できるようにしてきてください。」
フィーナは一瞬考え込むように視線を落とし、やがて尋ねた。
「つまり、姫にわかりやすく教えられるように準備しなきゃいけないってこと?」
「その通りです。」
優人は頷きながら続けた。
「数学を理解する上で大事なのは、自分が分かるだけでなく、それを他の人に伝えることです。特にユリナ姫に分かりやすく説明するには、フィーナ自身がもっと深く理解しなければいけませんよね?」
「うーん、確かにそうかも。」
フィーナは腕を組みながら小さく頷いた。
「説明するって、結構難しいもんね。」
「そうです。でも、それを乗り越えることで、フィーナ自身の数学の理解も一段と深まります。」
優人の声には優しい励ましが込められていた。
「例えば、今回のゲームでは『確実に取らなければならない石の位置』がどう変化したのか、その理由を明確に説明できれば、きっとユリナ姫にも興味を持ってもらえるでしょう。」
フィーナは少し考え込むような表情を浮かべた後、笑顔を見せた。
「わかった!頑張って姫にちゃんと説明できるようにするね!」
「いいですね。楽しみにしています。」
優人も笑みを返した。
「宿題だからといって、無理をしすぎないようにしてくださいね。」
「うん、ありがとう!」
フィーナはやる気に満ちた声で答えた。その瞳には、新しい挑戦への意欲が輝いていた。
優人はその様子に満足し、授業を締めくくる言葉を口にした。
「それでは、今日はここまでにしましょう。次回、ユリナ姫にどんな説明をするか、楽しみにしています。」
フィーナは元気よく「はい!」と答え、その場を去る準備を始めた。教室を後にする彼女の背中からは、新しい宿題に向き合う意気込みが感じられた。優人もまた、その成長を楽しみにしながら教室を片付け始めた。