敗北と連立方程式
優人、ユリナ姫、そして城の兵士たちは報告を受けた市場の周辺まで足を運んだ。しかし、目当ての少女の姿はそこにはなかった。
「どうやらもうここにはいないようですね。」
兵士の一人が辺りを見回しながら言う。
「孤児だとしたら住む場所が限られているはずです。それに、この辺りを拠点にしているなら、そんなに遠くには行っていない可能性が高いと思われます。」
優人の言葉に姫もうなずき、みなで周囲を探してみることにした。
市場から少し離れた裏通りに入ると、道沿いにぼろぼろの小さな家が見えてきた。その家の前に、食料と紙袋を抱えた少女が立っているのを発見する。
「あの子です……間違いありません。」
兵士がそう言うと、ユリナ姫が前に出て声をかけようとした。しかし、その手を優人がそっと制止した。
「どうして止めるのですか?」
姫が問いかけると、優人は少女の抱えている荷物に目を向けた。
「一人で食べるには、あの食料の量は多すぎます。きっと、この家の中に仲間がいるはずです。何も考えずに声をかけると警戒されるかもしれない。それよりも、まず様子を見ましょう。」
「なるほど……そうですね。」
姫も納得し、全員が優人の意見に従うことにした。慎重に家に近づき、窓の隙間から中の様子をうかがう。
窓越しに見えたのは、小さな部屋の中で少女が年下の男の子に食料や薬を手渡している光景だった。
男の子はベッドの上に横たわり、顔色は青白く、ひどく衰弱しているように見えた。ときおり、深い咳を繰り返し、息苦しそうにしている。
一方、少女はそんな男の子の世話を甲斐甲斐しく続けていた。彼の頭に濡れた布をのせたり、薬を飲ませたりしている。食事も一口ずつスプーンで口元に運んでいた。
その光景を目にしたユリナ姫は、思わず口元を手で押さえた。
「こんな小さな体で……必死に弟を守っているんですね。」
姫の目には明らかに同情の色が浮かんでいる。
「こんな状況なら、仕方ないのではありませんか?放っておいてあげたほうがいいのでは……」
姫の提案に対して、優人は少し考えた後、首を横に振った。
「見逃したところで、また兵士たちに数学勝負を挑むでしょう。それに、この状況では彼女に悪意がないことはわかります。だからこそ、直接話を聞いてみるべきだと思います。」
「……そうですね。それが一番かもしれません。」
姫もうなずき、兵士たちも同意した。
優人は窓から離れ、家の正面に回った。扉の前で一度深呼吸をし、静かにノックをした。
コンコン。中から物音が止まり、
しばらくして、少女が家の中から現れた。小柄な体にぼろぼろの服を身にまとい、腕には先ほど市場で見た食料と紙袋を抱えている。その瞳には、警戒心と猜疑の色が浮かんでいた。
優人を見ると、最初は怪訝そうな表情だったが、すぐにその視線が優人の後ろに控えている兵士たちに向けられた。少女の目が険しくなる。
「……私を捕まえにきたんでしょう?」
低く鋭い声。
優人は軽く首を振り、落ち着いた口調で答えた。
「いや、捕まえに来たわけじゃありません。君がなぜ城の兵士たちに数学勝負を挑むのか、それを知りたくて来たんです。」
少女は目を細め、冷たい視線を向けながら言葉を続けた。
「生きるためよ。お金がないと食べ物も薬も手に入らない。それに、この国の兵士なら、数学勝負を挑まれたときに、受けずに逃げるなんてことはしないでしょ?」
その言葉には確固たる自信があった。優人は納得したようにうなずきながらも、静かに問いかける。
「それにしても、君は相手を挑発するような行動をしている。数学システムを起動して勝負をして勝てば捕まらないと思っているからですね。」
少女は薄く笑って肩をすくめた。
「その通りよ。だから、どうせ無駄なことはやめて帰ったら?」
優人は少し考え込み、そして優しい声で答えた。
「別に、君が兵士や周囲の人にお金をかけて数学勝負をしないというなら、捕まえたりしませんよ。」
しかし、少女は頑なに首を横に振った。
「そんなことできるわけないでしょ。私はやめない。」
優人の目が一瞬だけ鋭くなり、次の言葉を放った。
「中にいる弟のためにも、やめられないんですか?」
その瞬間、少女の顔色が変わった。驚きと動揺、そして敵意が一気に噴き出す。
「……弟?どうして弟のことを知ってるのよ!まさか、弟に何かしようとしてるんじゃないでしょうね!」
少女は紙袋を地面に置くと、怒りに満ちた目で優人を睨みつけた。拳を握りしめ、小さな体を震わせながら前に一歩踏み出す。
「弟に手を出すなら、どんな手を使ってでもあなたを追い払うから!」
優人はその敵意を正面から受け止めるように静かに言った。
「安心してください。弟さんに危害を加えるつもりはありません。むしろ、君たちの状況を少しでもよくする方法を提案したい。」
少女は眉をひそめたまま、優人の言葉を黙って聞いている。
「こうしよう。金貨10枚をかけて数学勝負をしよう。」
優人の提案に、少女の瞳が大きく見開かれる。
「……金貨10枚?」
その言葉には驚きと疑念が込められていた。少女は優人を睨みながら続けた。
「何を企んでるの?そんな大金を簡単にかけるなんて、おかしいじゃない。」
優人は微笑み、続ける。
「簡単な話ですよ。君が勝ったら金貨10枚を渡す。でも、君が負けたら、今後お金をかけて数学勝負をするのはやめてほしい。それだけです。」
少女は言葉を失い、しばらく黙り込んだ。
(そんな金貨10枚だなんて……ありえない。何か裏があるんじゃないの?でも、弟の薬代や食料をどうにかしないと、このままじゃ……。)
(でも、負けたら……今後、勝負でお金を稼ぐことができなくなる。そんなリスクを取るべき?いや、私が負けるなんてありえない。この前も町の学者に勝ったし……。)
少女はぎゅっと拳を握りしめた。そして、意を決したように優人を見上げた。
「……いいわ。やりましょう。その勝負。」
その声には迷いが残りつつも、どこか決意がにじんでいた。
数学勝負の開始
優人と少女は互いに目を合わせると、同時に「数学システム」を起動した。空間に淡い光の円が広がり、その中に文字や数字が浮かび上がる。
「問題を出すわ。」
少女の声が響く。
「ブラッククロウとユニコーンが何匹かずついる。頭の数の合計が12で、足の数の合計が38であるとき、ブラッククロウとユニコーンが何匹ずついるか答えなさい。」
少女は手元に現れた入力画面に、自分の答えを素早く入力した。そして、システムがそれを受理すると、問題が優人のシステム画面にも表示された。
優人は問題文をじっくり読み、ふと姫のほうに目を向けた。
「ユリナ姫、ブラッククロウというのはカラスのことで、ユニコーンというのは、一本の角を持つ馬のことですか?」
姫は少し驚いたように頷いた。
「そうです。ブラッククロウは普通のカラスで、ユニコーンはその通り、一本の角を持つ馬のことです。」
優人は続けて尋ねる。
「ユニコーンなんているんですね。さすが異世界。それで、ユニコーンは清らかな乙女じゃないと近づけないとか、そういう伝説があるんですか?」
姫は困ったように笑った。
「いいえ、そんなことはありません。ユニコーンは気性が荒く、その角で人を襲うことがあるので、この世界では害獣として認識されています。」
「それは、全然イメージが違いますね。」
優人はブラッククロウとユニコーンについて確認できたことで満足げに頷き、問題に視線を戻す。そして姫に向かって軽く微笑みながら言った。
「これ、さっき話をしていた連立方程式の問題ですね。」
心の中で計算を始める優人。
「ブラッククロウを x匹、ユニコーンを y匹 とする。すると、問題はこうなる:
x+y=12
2x+4y=38
まず、1つ目の式を2倍して、係数をそろえる。
2x+2y=24
これを2つ目の式と引き算する。
(2x+4y)−(2x+2y)=38−24
2y=14
y=7
次に、y=7を1つ目の式に代入する。
x+7=12
x=5
つまり、ブラッククロウが5匹で、ユニコーンが7匹だ。」
優人は心の中でさらに検算を行った。
「まず、頭の数を確認しよう。
5+7=12
頭の数は合っている。
次に足の数を確認する。
ブラッククロウはカラスなので2本足だから、
2×5=10
ユニコーンは馬なので4本足だから、
4×7=28
その合計は、
10+28=38
足の数も合っている。」
優人は心の中で計算した内容を再確認し、間違いがないことを確認してから数学システムに答えを入力した。
「ブラッククロウが5匹、ユニコーンが7匹。」
優人の指が慎重に入力を終え、画面に表示された「解答を送信しますか?」という確認に「はい」を押した。
システムが数秒間処理を行った後、無機質な音声が響いた。
「不正解です。」
その瞬間、優人の目が大きく見開かれた。
「えっ……?」
頭の中で再度計算を思い返すが、計算ミスをした覚えはない。それでも目の前に表示された「不正解」の文字が動かない事実に、呆然と立ち尽くしてしまう。
優人が何かを言うより早く、少女の声が弾けた。
「私の勝ちね!約束通り、金貨10枚をもらうわ!」
少女は満面の笑みで、勝利の喜びをあらわにした。手を差し出しながら、優人に迫る。
「早く払ってよ。負けたんだから文句はないわよね?」
優人は戸惑いを隠せないまま、ゆっくりと金貨を取り出した。その手が震えているのを感じながら、黙って少女に金貨を渡す。
少女は金貨を受け取ると、満足げに笑った。
「これでしばらくは弟のための薬も買えるわ。」
そう言い残すと、軽やかな足取りで家の中に戻っていった。扉が閉まる音が響き、再び静寂が訪れた。
優人はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて深いため息をついた。そして、兵士とユリナ姫の方を振り向き、力なく頭を下げた。
「……すみません。負けてしまいました。」
兵士は複雑な表情を浮かべ、何も言わなかった。一方でユリナ姫は、いつも冷静な優人の様子が明らかに違うことに気付き、心配そうに声をかけた。
「大丈夫ですか?」
ユリナ姫の気遣いにも反応することなく、優人はただ一言、「城に戻りましょう。」と言い残して歩き出した。
問題は間違っていません。次回、なぜ優人の解答が不正解だったのかの種明かしです。