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久々の再開と決着

 3日後の朝、アルスタリア王国の王城には緊張感が漂っていた。朝から整えられた謁見の間には、王と優人、ユリナ姫、そして控えに立つアルベルト王子が待機していた。外では厳重な警備が敷かれ、使者の到着を迎える準備が整えられていた。

 午前中、王城の大門が開き、一行が到着した。その先頭に立っていたのが、ジーランドからの使者である カイゼン・フリード だった。カイゼンはおそらく40代半ば、背が高く、痩せた体つきをしているが、その姿勢は背筋がまっすぐに伸びており威厳に満ちていた。

 彼の容姿は、長い灰色の髪が肩まで流れ、少し癖がついた毛先が特徴的だった。顔は面長で、その鋭い目つきとやや突き出た頬骨が冷徹な印象を与える。口元はきつく引き締められており、まるで隙を見せるつもりはないという意思が感じられた。

 彼の服装はジーランドを象徴する深い紺色の礼服で、ところどころに銀糸で刺繍が施されている。刺繍の模様はジーランドの国章である「北の星」と「交差する双剣」を描いたものだった。肩からは短めの銀のマントがかかっており、王家の使者としての品格を示している。足元は黒革のブーツで、どこか実用性を重視したような雰囲気があった。彼の腰には細身の剣が佩かれており、それは装飾がほとんどなく、機能的で洗練されたデザインだった。

 その後ろには2人の護衛らしき人物が控えており、どちらも全身黒い鎧をまとい、無言でカイゼンの背後に付き従っていた。彼らの存在は決して目立つものではなかったが、鋭い視線が辺りを警戒しており、その場の緊張感を一層高めていた。

 カイゼンは堂々とした足取りで謁見の間に進み出ると、アルスタリア王の前に跪き、規則正しい礼を取った。彼の一挙一動には洗練された動きがあり、王家の使者としての訓練をしっかりと受けていることがうかがえた。

「アルスタリア王陛下、北の連合国、ジーランドを代表して参上いたしました、カイゼン・フリードでございます。」

 その声は深みのある低音で、場内に響き渡るように聞こえた。

 謁見の間に張り詰めた静寂が漂う中、アルスタリア王は落ち着いた声で口を開いた。

「カイゼン殿、この場にいる者たちを改めて紹介させていただこう。まずは、わが娘であり、アルスタリア王国の王女、ユリナ・ルフェール・アルスタリアだ。」

 ユリナ姫は一歩前に進み、優雅に頭を下げた。その所作は気品に満ち、まるでその場の空気を和らげるかのようだった。彼女の淡い金色の髪が微かに揺れ、その透き通るような青い瞳がカイゼンをしっかりと見据える。その瞳には気高さと聡明さが宿り、ただの王族ではないという印象を与えた。

「ジーランドの使者様、お越しいただきありがとうございます。アルスタリア王国の王女、ユリナ・ルフェールです。」

 その声は柔らかいながらもはっきりとしており、彼女の自信と覚悟が感じられるものだった。

 カイゼンは一瞬、ユリナ姫をじっと見つめた後、ゆっくりと頷いた。

「どうぞよろしくお願いいたします。」

 その言葉には慎重な敬意が込められていたが、どこか探るような視線も含まれているようだった。

 アルスタリア王は軽く頷き、次に優人へと視線を移した。

「そして、こちらにいるのが、我が王国に大きな知恵と力を与えてくださる、特別な客人だ。松永優人殿だ。」

 優人は紹介を受けて前に出た。彼は一見普通の青年のように見えるが、その穏やかで確信に満ちた雰囲気が場を引き締めるようだった。黒髪に柔らかい表情を湛えた彼の瞳には、鋭い知性と揺るぎない意志が光っている。控えめながらもしっかりとした一礼をすると、落ち着いた口調で挨拶を述べた。

「ジーランドの使者、カイゼン殿。遠路お越しいただきありがとうございます。私は優人と申します。この場でお力添えできることを光栄に思います。」

 その挨拶は、過度にかしこまることもなく、しかし礼儀を逸することもない絶妙なバランスで、カイゼンに向けた敬意を込めていた。

 カイゼンは優人の言葉に耳を傾け、その後、興味深そうに目を細めた。

「これは驚きですな。異国からいらした方が、アルスタリア王国のためにここまで携わっておられるとは。その知恵と技量を、私どもも楽しみにしております。」

 カイゼンの視線は優人に注がれていたが、その背後には何かを計算しているような冷静な光が宿っていた。その態度を敏感に感じ取った優人は、視線を少しも逸らすことなく、堂々とした表情でそれを受け止めていた。

 アルスタリア王は、ユリナ姫と優人の紹介を終えた後、少し間を取った。そして静かだが堂々とした声で続ける。

「そしてもう一人、ここにいるのがアルベルト王子だ。既に知っていると思うが、改めて紹介させてもらおう。」

 その言葉に促され、謁見の間の一角に控えていたアルベルト王子が前に出た。彼は毅然とした態度を崩さず、まっすぐにカイゼン・フリードの目を見据えた。アルベルトはしっかりとした一礼を行い、深みのある声で挨拶を述べた。

「ジーランドの使者、カイゼン殿。お久しぶりです。この場ではただの立会人として参加させていただきます。」

 その堂々とした態度に、謁見の間にいたアルスタリアの家臣たちも安堵の表情を浮かべた。アルベルト王子は、ノルディア連合の第一王子という立場から、ジーランドに対して複雑な関係性を持っているが、ここではその過去に囚われずに対応していた。

 しかし、カイゼンはその紹介を聞くと、静かに笑みを浮かべた。そして冷静な声で言葉を紡ぎ出した。

「なるほど。ノルディアを逃れた第一王子が、ここアルスタリアに身を寄せているとは。確かにその名はよく存じ上げております。」

 アルベルト王子の眉が一瞬ピクリと動いたが、すぐに落ち着きを取り戻し、冷静にカイゼンを見つめ返した。カイゼンは続けて、少し声を低めて言った。

「むしろ、ちょうど良いと言えるでしょう。ノルディア連合の現状について、アルベルト王子殿下のお考えを伺いたいところですな。」

 その言葉には探るような意図があり、謁見の間に一瞬冷たい緊張感が走った。アルベルト王子は動じることなく、しっかりとした声で応じた。

「私の役割は、アルスタリアとジーランドの行く末を見守ることに尽きる。それ以外の考えは持ち合わせていません。」

 その言葉には断固とした意志が込められており、カイゼンもその強さを感じ取ったのか、口元の笑みを僅かに深めるに留めた。そして、「これは面白い」と小さく呟くように笑うと、再び視線をアルスタリア王へと戻した。

 このやり取りにより、謁見の間の空気はますます緊張感を帯び、王もその場を制するように落ち着いた声でまとめに入った。

「アルベルトも言ったように今回は立会人として参加してもらう。カイゼン殿も、どうかそのことを理解していただきたい。」

 カイゼンはその言葉に深く頭を下げはしなかったが、軽く顎を引き、王の言葉を受け入れるようなそぶりを見せた。そして、会話の流れは再び明日の数学勝負の準備へと進んでいった。


 アルスタリア王が口を開き、静かだが威厳ある声で言った。

「それでは、改めて確認させていただこう。ジーランドから提案された数学勝負のルールについてだ。」

 カイゼンは微笑みながら軽く頷き、手元の記録用紙を一瞥してから言葉を返す。

「もちろんです。我々ジーランドとアルスタリアの間で行われる数学勝負は、あくまで公平な条件で行われるべきですから。」

 王は頷きつつ続けた。

「まず、数学勝負に参加する者はそれぞれの国の代表として一人だけであること。これはジーランドの提案通りで問題ないな?」

 カイゼンは一瞬も迷わず頷き、静かに答えた。

「はい。その通りです。」

 その言葉に続けて、ユリナ姫が質問を投げかける。

「一対一の勝負で、片方が正解し、もう片方が不正解になった場合に勝敗が決まるということですね。」

「その通りです、ユリナ姫殿下。」

 カイゼンは丁寧な口調で答えた。

「ただし、もし双方が正解、または双方が不正解となる場合、それが三問連続で続いた場合は引き分けとする。この点についてもジーランド側は異論ございません。」

 ユリナ姫はその説明に頷きながらも、少し考え込むように視線を下げた。

 アルスタリア王が場を取り仕切るように一つ咳払いをし、話を進める。

「最後に確認だが、勝者は敗者に対して一つ要求をすることができる。これは双方の間で取り決めた最も重要な条件だ。この点において、ジーランド側に異論はないか?」

 カイゼンは一歩前に出て、静かに一礼をした。

「はい。勝者が要求をする権利を持つというのは、我々の合意に基づくものです。アルスタリア王国におかれましても、その条件に同意していただけると確認できれば幸いです。」

 王は一瞬ユリナ姫と優人に目を向け、彼らが頷くのを見届けてから、再びカイゼンに向き直った。

 謁見の間には再び重い空気が漂っていた。数学勝負のルール確認を終えた後、次に進んだのは互いの要求内容の確認であった。

「まずは、ジーランド側の要求について確認させていただこう。」

 カイゼンは一礼し、毅然とした口調で語った。

「我々ジーランドの要求は、アルスタリア王国が我々ジーランドの支配下に入ること、つまり従属するというものです。この条件について、異論はないと解釈してよろしいでしょうか?」

 ユリナ姫の眉がわずかに動き、アルベルト王子は拳を強く握ったが、どちらも声を上げなかった。アルスタリア王は落ち着いた表情を崩さず、静かに頷く。

「承知している。その条件を受けて、我々アルスタリア側の要求も述べさせていただこう。」

 その言葉に続いて、王は目を鋭くしながら続けた。

「我々の要求はこうだ。ジーランドが併合してきたすべての領土を元の国々に返還し、盟主国の座をノルディアに返還すること。」

 カイゼンの表情が一瞬驚きに揺れたが、すぐに冷静を取り戻し、口角を軽く上げて尋ねる。

「しかし、それではアルスタリア王国にとって何の利もないように見えますが。それをあえて要求する理由は何でしょう?」

 王はしばらく間を取り、威厳を保ちながら語り始めた。

「確かに、ノルディア連合国をこちらで手に入れる条件にすることもできる。しかし、それを求めたとしても、アルスタリアがあまりにも巨大になりすぎる。それでは周辺国との関係が悪化し、国際的な均衡を崩しかねない。それに広大すぎる領土を統治するのは現実的ではない。」

 言葉を続ける王の目には揺るぎない決意が宿っていた。

「今回は、ノルディアの王に恩を売ることで良しとする。彼らに貸しを作ることで、長期的に見ればアルスタリアの安定をより確実にするからだ。」

 カイゼンはその説明に小さく笑みを浮かべ問いかける。

「なるほど、ですがアルスタリア王国はまるで既に勝利を確信しているかのようなお話をされていますね。そんなに自信があるのでしょうか?」

 その言葉に一瞬場が張り詰めたが、優人が穏やかに微笑みながら視線をカイゼンに向けた。王もその空気を受け継ぐように落ち着いて答える。

「勝負はやってみるまでわからない。だが、勝つための準備と努力は尽くしている。それが自信に繋がるのは当然のことだ。」

 王の言葉には余計な誇張も不安もなく、ただ静かな信念が感じられた。その姿に、ユリナ姫も誇りに満ちた眼差しを送る。


 謁見の間の緊張がやや和らいだかと思われたその時、カイゼンがふと視線を周囲に巡らせた。そして静かに、一段と落ち着いた声で口を開く。

「ここから先の話は、どうか内密にしていただきたい。」

 その言葉にアルスタリア王、ユリナ姫、優人、そして黙って控えているアルベルト王子が注意深くカイゼンの言葉に耳を傾けた。

「正直に申し上げると、我々ジーランドとしても、今回の数学勝負がここまで大事になることは予想しておりませんでした。むしろ、こういった事態に発展することを望んでいなかったのです。」

 その意外な発言にユリナ姫がわずかに目を見開く。優人も眉をひそめ、カイゼンの次の言葉を待つ。

「なぜこのような状況になったのか、その背景をお話ししましょう。我々ジーランドの代表である“彼女”――謎の女が現れてから、すべてが変わったのです。」

 カイゼンの表情にはどこか疲れがにじみ出ていた。カイゼンの語りは続き、その内容は徐々に衝撃的な展開を見せ始めた。

「その女が現れたのは、とある田舎の村のはずれでした。目撃者によれば、何もない空間が突然ひずみ、淡い光が放たれたかと思うと、彼女が現れたそうです。周囲にいた村人たちは驚愕し、最初は異形の怪物が現れたと思い込んだ者もいました。しかし、彼女は明らかに人間でした――ただ、その格好や雰囲気が異質だったのです。」

 カイゼンの言葉に、ユリナ姫は小声で「異質……?」とつぶやき、アルスタリア王も表情を険しくした。

「彼女は、見たこともない布地や奇妙な装飾の衣服をまとい、頭髪は長く、黒い。瞳の色も深い焦げ茶色で、この辺りでは見かけない顔立ちでした。そして、何よりその場にいた人々を困惑させたのは、彼女が発した言葉でした。誰も聞いたことのない異国の言葉……全く解読できないものでした。」

「言葉が通じない中、彼女は明らかに取り乱しており、涙を流しながら何かを必死に訴えていました。周囲の者たちが何とか彼女を落ち着かせようとしたものの、言葉が通じないため意思疎通ができず、彼女はますます焦った様子でした。」

 カイゼンの目が少し伏せられる。

「連絡を受けた警備のものが彼女を連行しようとすると、ますます抵抗したので、状況を理解していない彼女に数学勝負をしかけ、勝利することで強制的に連行しようとしました。」

 ユリナ姫は興味深そうに聞き、優人も無言で耳を傾ける。

「しかし、彼女は数学勝負にただの一度も負けませんでした。誰が勝負を仕掛けてもすぐに問題を解き、そしてこちらが理解できない問題を出題してきたのです。」

 カイゼンの声は次第に重みを増していく。

「そこで、ジーランドの王城に丁重に招く姿勢を見せ、一緒に来てもらいました。そこで国一番の数学者と数学勝負をさせたのですが――結果は、彼女の圧勝。彼女は驚くべき速さと正確さで解答を出し、国の誇りであった数学者は完敗しました。」

 部屋には静寂が訪れ、全員が言葉を失った。

「その強さを目の当たりにしたジーランド王は、彼女の力を利用することを決断しました。我が国の野心――北の連合国を制し、盟主国の座を奪うという野望を実現するために。その計画の一環として、彼女の力を使った数学勝負を次々に挑んでいったのです。」

 アルスタリア王は深く息を吐き、厳しい声で問うた。

「つまり、その女の力によって盟主国の座を奪ったというわけだな。」

「その通りです。」

 カイゼンは苦々しく答えた。

「ジーランド王は、彼女の圧倒的な数学の才能を武器に、各国を屈服させました。そして北の連合国を破り、盟主国の座を手に入れたのです。」

 アルベルト王子は唇を噛み、優人も険しい表情を浮かべた。

「しかし、話はここで終わりませんでした。」

 カイゼンの言葉に、全員の視線が再び集中する。

「その女は、勝負が終わると次の勝負を求めるようになったのです。まるで勝負そのものが目的であるかのように。」

 カイゼンはそこで一息つくと、静かに続けた。

「我々はそこで彼女を止めようとしました。これ以上、他国との数学勝負を仕掛けるのは危険だと……ですが言葉が通じない上に、誰も彼女には数学勝負に勝てません。彼女は我々の話を聞き入れず、むしろ勝負への欲求を増していきました。そして、ついにはこうしてアルスタリアにまで宣戦布告をする事態となったのです。」

 場は深い沈黙に包まれた。優人は腕を組み、何かを考え込むように目を伏せている。ユリナ姫は驚きと困惑の入り混じった表情で王に視線を送る。アルスタリア王は、じっとカイゼンを見据え、言葉を待つように無言を貫いていた。

「このような内情をお伝えするのは、我々自身が彼女の力を完全には制御できていない現状を知っていただきたかったからです。そして……恥を忍んで申し上げるのですが、アルスタリア王国にはどうか、この勝負で彼女を止めていただきたい。」

 その言葉に、ユリナ姫の眉が動き、アルスタリア王もじっとカイゼンを見つめる。優人は少し顔を伏せ、考え込むように唇を引き締めていた。そしてふと顔を上げると、静かに口を開いた。

「カイゼン殿、一つお聞きしたいのですが、その女性の特徴を教えていただけますか?」

 カイゼンはしばらく考えるように目を閉じたあと、思い出すように言葉をつなぎ始めた。

「黒い長髪で、目は深い焦げ茶色。背丈はあまり高くなく、どちらかと言えば小柄な方です。服装は……奇妙なものでした。見たこともない素材でできていて、無駄がないデザインで、動きやすそうな服装です。それに……」

 彼の表情がわずかに変わり、記憶をたどるように語り続ける。

「不思議な筆記具を持っていました。どこで手に入れたのか分かりませんが……あれは、普通のペンや羽根ペンとは違うものでしたね。」

「不思議な筆記具?」

 優人は視線を鋭くし、さらに詳しく尋ねた。

「それはどんなものだったのですか?」

 カイゼンはうなずきながら説明を続ける。

「ペンの先端を押すと、細い黒い棒が中から出てきて、それで文字が書けるのです。その棒が無くなったら、また別のを中に入れて使うようでした……我々には見たことのない仕組みでしたね。」

 その説明を聞いた瞬間、優人の表情に確信の色が浮かんだ。

「その女性は……おそらく、私と同じ世界から来た人間だ。」

 その一言に、ユリナ姫の瞳が驚きに大きく見開かれる。

「優人殿、そのペンに心当たりがあるのですか?」

 優人は微かに苦笑を浮かべながら頷いた。

「はい。それは『シャープペンシル』という道具です。私がいた世界ではよく使われている筆記具の一つです。ペンの中に芯と呼ばれる細い棒が入っていて、ボタンを押すことで少しずつ芯が出てきて、書き続けることができます。」

「シャープペンシル……」

 ユリナ姫はその言葉を繰り返し、驚きと興味が入り混じった表情で優人を見つめた。

「では、その女性も優人殿と同じ……異世界から来た人ということですか?」

「ほぼ間違いありません。」

 優人は真剣な表情で答える。

「ただ、どうして彼女がこの世界に現れ、どういう思惑で数学勝負を続けているのかは分かりません。いずれにせよ、明日の勝負で直接会えば、何か分かるはずです。」

 そう言い切った優人は、穏やかな口調に戻りながら続けた。

「今できることは、明日に備えることです。勝負に集中し、最善を尽くしましょう。」

 その言葉に、ユリナ姫やアルスタリア王も静かに頷き、使者との確認は終わりを迎えた。


 穏やかな陽光が差し込む朝だった。いよいよ運命の日が訪れた。アルスタリア王城へと続く広い石畳の道を、一台の威風堂々たる馬車がゆっくりと進んでいた。その馬車は深紅の帆布で覆われ、金色の装飾が施された豪華な作りで、見る者にジーランドの威厳を感じさせる。馬車を引くのは鍛え上げられた黒馬二頭。時折、馬蹄が石畳を叩く音が道に響き渡る。

 道の両脇には、アルスタリアの民衆が集まり、息を飲むようにその光景を見つめていた。普段は活気ある市場や通りも、この日ばかりは静まり返り、人々の表情には緊張と不安が浮かんでいる。小さな子供を抱えた母親、荷物を下ろして休む商人、道端で立ち止まった老夫婦――その誰もが、馬車に視線を注ぎながら思い思いのことを考えていた。

「これがジーランドの……」

 一人の青年が低い声で呟く。それに隣の老人が頷きながら答える。

「そうだ。この勝負で負ければ、我々の国はどうなるか……。アルスタリア王がどんな手を打つのか、祈るしかないな。」

「優人様はきっとやってくれるさ!」

 その場にいた子供が、勇ましく声を上げる。しかしその母親は不安そうに彼を抱き寄せ、静かに「そうだといいね」と呟く。民衆の中には希望を抱く者もいれば、不安に押し潰されそうな者もいた。いずれにせよ、この勝負が国の未来を左右するという認識は、全員に共通していた。

 馬車の窓からは、ジーランドの使者の影がちらりと見えた。緊張した面持ちのカイゼン・フリード、そしてその隣には、一切表情を見せない謎の女性のシルエットがあった。アルスタリアの民衆はその様子を見てさらにざわめき立った。女性の存在は、どことなく異質で、何かこの世界にそぐわないような雰囲気を纏っていた。

 馬車が王城の大門に近づくにつれ、その周囲の緊張感は高まるばかりだった。門の前に並ぶ王城の衛兵たちは、整然とした姿勢で馬車を迎える準備を整え、さらに奥では、アルスタリア王、ユリナ姫、そして優人が静かに馬車を待っていた。王城の高い塔が澄み切った青空にそびえ立ち、その威容はまさに国の誇りそのものだった。

 民衆は徐々に馬車が見えなくなるまで見送り、その背中に向けて心の中で祈った。

 ――どうか、アルスタリアに幸運を。

 その願いが届くことを信じ、誰もが固唾を飲んでその先の出来事を待っていた。


 勝負の間には張り詰めた空気が漂っていた。アルスタリア王国とジーランド国の関係者たちが静かに席に着いていた。煌びやかな装飾が施された空間の中央には、重厚な木製の舞台がしっかりと据えられており、そこに人々の視線が集中している。

「皆、揃ったようだな。」

 重みのある低い声が場を支配した。声の主は、アルスタリア王。彼は豪華な王冠を戴き、深紅のマントを肩にかけた堂々たる佇まいで立ち上がると、舞台の中央へとゆっくりと進み出た。

「これからアルスタリアとジーランドとの数学勝負を始める。」

 彼の視線が鋭く場内を走り抜ける。その目には王としての威厳と、どこか決意のような光が宿っていた。

 やがて、王の言葉を皮切りに、アルスタリア王国の代表の優人とジーランドの代表の女性が舞台へと上がる。優人は静かに舞台の一端に立ち、ゆっくりと目を巡らせる。

「……やはり、予想通りか。」

 優人の視線の先にいたのは、ジーランド王国の代表――白石麻美先生だった。彼女の様子はどこか不安そうで、とても積極的に数学勝負を次々と仕掛けている人物とは思えなかった。次の瞬間だった。麻美が優人に気づき、驚愕の表情を浮かべたのだ。まるで信じられないものを見たかのように、その瞳は大きく見開かれ、微かに震える唇が言葉を紡ごうとしては止まった。

「……優人先生……」

 と口の動きで呟いたように見えたが、声にはならなかった。

 場の緊張が一層高まる中、優人は舞台の中央で足を止めた。その一方で麻美は視線を伏せると、体を震わせていた。

 勝負の間の緊張感は最高潮に達していたが、麻美はその場に立ち尽くしたまま、何も動かない。優人が数学システムを起動して問題を出題した。半透明のディスプレイに問題が表示される。

「1からnまでの和をnを用いた式で表せ。」

 (さあ、この問題をどうする?)

 優人がそう思った次の瞬間、麻美は猛烈な勢いで優人の方へと向かってきて、その細い腕を優人の身体に回した。

「優人先生!優人先生!優人先生!!」

 彼女の声は涙に滲み、息が詰まるほどに震えていた。優人は一瞬目を見開き驚いた。

「白石先生……」

 優人が何かを言おうとする前に、麻美が涙ながらに言葉を絞り出した。

「会えて……よかった……本当に、会えてよかった……!」

 彼女の声には安堵と喜び、そして今まで溜め込んできた感情が全て混ざり合っていた。取り乱したままの彼女は、泣きながら自分の状況を語り始める。

「優人先生と一緒に光に巻き込まれたと思ったら……知らない村の中に立ってて……」

 彼女の声は震え、嗚咽が混じりながら続く。優人はその言葉を黙って聞きながら、彼女の背中をそっと撫でた。

「言葉が全然通じなくて、誰も助けてくれないの。どこに行っても、何を聞いても、全然伝わらなくて……怖かった。本当に怖かったの……!」

 麻美の言葉の端々から、異世界に飛ばされた時の混乱と恐怖が鮮明に伝わってきた。

「それだけじゃないの……。いろんな場所で、突然数学の問題を解かされて……。最初は何が起きてるのかも分からなかったけど、解かなきゃどこにも行けない、進めないって分かって……。」

 彼女は一度息を詰まらせると、続けた。

「でも、途中からずっと考えてたの。優人先生がどこかにいるんじゃないかって……。ずっと探してた……! どこかで、同じように巻き込まれてるんじゃないかって……!」

 彼女の言葉が優人の胸に深く刺さった。白石先生の体験してきたことの全てが、彼女の震える声から痛いほど伝わる。

「お城に連れられてからは、環境は快適だったけど……いつも一人ぼっちで、誰とも話せなくて……。本当に、耐えられなかったの……!」

 最後の言葉を絞り出した彼女は、優人の胸に顔を埋めて泣き続けた。

 優人は何も言わなかった。ただ、その小さな肩をしっかりと支えた。

 優人は肩を震わせて泣き続ける白石先生の頭をそっと撫でた。手のひらから伝わる彼女の細い髪の感触と、震える彼女の体に、どれだけ辛い思いをしてきたのかが痛いほど伝わってくる。

「先生、本当に……大変な中、よく頑張りましたね。」

 彼の声は限りなく優しく、暖かかった。その言葉に白石先生はさらに涙を流し、嗚咽をこらえながら小さく「ありがとう……」と呟く。それは、溜め込んでいたものがようやく少しだけ解けた瞬間だった。

 優人は一度深呼吸をすると、周囲に目を向けた。彼は毅然とした表情で場を見回し、関係者たちに向かって声を上げた。

「……こういう事情で、彼女は勝負の続行ができそうにないのですが、この場合、どうなるんですか?」

 その言葉に、アルスタリア側、そしてジーランド側の人々が困惑の色を隠せない表情を浮かべた。場の緊張を破ったのは、アルスタリアのユリナ姫だった。彼女は困惑した様子で優人に尋ねた。

「優人様、その女性はなんとおっしゃっているのですか?」

 その質問に、優人は思わず目を瞬いた。白石先生が話した内容が伝わっていない? しかし、彼には彼女の言葉が日本語で、普通に聞こえている。それがなぜ他の人々には伝わらないのか――。

(まさか……私と違うのか?)

 一瞬だけ頭を巡らせたが、今はそれを考えている余裕はないと判断し、優人は姫に向き直った。

「私には彼女の言葉が聞き取れるようです。とりあえず、彼女はこの勝負を棄権したいと言っています。」

 そう言いながら、優人は白石先生の肩に手を置き、少し顔を覗き込むようにした。

「白石先生、それでいいですか?」

 麻美は、まだ涙を拭うこともせずに、優人の胸に顔を埋めたまま、首をこくりと縦に振った。その様子が彼女の意志をはっきりと物語っていた。

 その時、アルベルト王子が静かに前に出た。冷静だが柔らかい声で提案する。

「すでに問題が表示されてしまった以上、棄権とするのは難しいでしょう。」

 アルベルト王子は少しだけ考え込むような間を置き、続けた。

「提案ですが――彼女がわざと間違った答えを入力し、その後で、簡単な問題を彼女が出題して優人殿が解いてみてはどうでしょうか? それで、この勝負は形式上終わらせることができます。」

 その提案に、大広間のあちこちで軽いざわめきが広がる。アルスタリアの王とジーランドの王が話し合いをしている。しばらくした後、アルスタリア王が小さく頷く。

「……よかろう。それで終わらせる。」

 優人はその判断を受け、白石先生に囁くように声をかけた。

「白石先生、大丈夫です。私が後は何とかしますから、まずは落ち着いてください。」

 麻美は涙で濡れた顔を少しだけ上げ、かすかに微笑むと、頷いた。そして問題が表示されたディスプレイに向かって、わざと明らかに間違った答えを入力した。ディスプレイが赤く点滅し、「不正解」の文字が浮かび上がる。

 次に麻美が問題を出題し、優人がディスプレイの前に立つ。彼はそれを一瞥し、素早く解答を入力する。

「正解」

 その表示が出ると同時に、重く張り詰めていた空気が、ふっと緩んだ。これで勝負は正式に終了したのだ。

 アルスタリア王が一歩前に出て、大広間に響き渡る声で宣言した。

「これにて、アルスタリアとジーランドの数学勝負は終了とする。」

 その言葉に続いて、周囲から小さな拍手が起こり始めた。優人は麻美に声をかけた。

「白石先生、お疲れ様でした。」

 麻美は再び涙を溢れさせながら、小さく微笑んだ。そして、優人の胸に顔を埋めたまま、呟くように言った。

「ありがとうございます……優人先生……。」

 こうして、二つの大国を巻き込んだ数学勝負は幕を閉じた。

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