71玉 眼
盟約は違えることはできない。
それは神であっても、あるいはその類いであっても同じ。
石が欠けたのであれば、海神がこの世に顕われることはできない。
そろりと、居心地の良い桶から還ろうとした時、何かが懐に飛び込むのを感知した。
「やりましたわね。上月様」渡與は密かに微笑む。そしてそれを同じく感じた威世の焦りが伝わってきていた。意識がそれた所で渡與は力を緩める。すると威世はもう渡與になどかまっていられないのか、渡與から別のものへ意識を移した。渡與はそこで攻めていた力を守りへと変化させた。
「さて、わたくしも次に移らなければ。」渡與はそう言うと色とりどりの石を足下の石盤にはめはじめた。
威世は焦っていた。何故か渡與からの攻撃が止んだことも、その焦りを相乗させていた。
あの悲鳴は自らの夫のもので間違いあるまい。けれど何が起きたのか。もし不破が殺されたとしても夫に何らかの危害があるとは思えない。苗床の人間はあくまで鍵でしかなく、それがなくともあの時点で常世の神が彼らに劣るとはとても思えなかった。
一体何が起きたのか。
威世はただちに泉へ急いだ。
「上月殿!」竜炎が声をかけるやいなや、上月はその持っていた刀を堤に振りかざし、その心臓を貫いた。その上で、次はその刀を自らにつきたて、その勢いでもって、泉へ、二人して沈んだのだ。
「くそっ。他に方法はねぇのかよ。」唆字は胸糞悪くなる場面を目撃して静かに竜炎のそばへ行った。
「仕方あるまい。彼らは帰らなくてはならぬ。それよりもー」そう言って竜炎が振り返ると真っ青な顔をした威世が居た。
「なんてこと・・・・貴様らぁ・・・!!!!」一瞬で彼らがやってのけたことを理解し、その力と共に竜炎たちをなぎ払う。
「ぐあ!!」
「がっ!」
「っ!!」
三人はそれぞれ地面に叩き付けられた。
威世は、燃え尽きた樹の元へ走るとその場で跪き、叫んだ。
「常世の神よ!私の元へ・・・・・・!」不破という苗床を失った神を威世の身体へと喚ぶ。
「何をする・・・!」唆字は驚き、顔をあげる。
「そんなことをすればその身が無事ではすまぬぞ。」竜炎が警告をする。
「・・・・石が!」要明が指差す。一度はその輝きを失った石が輝きはじめ、1つを欠いた状態で泉の中心に向かって浮遊しはじめる。
「まさか、あれが海神を殺す!?」唆字は自分の力が戻りつつあることがわかった。海神は確実に去ろうとしている。なのに威世は何を考えているのか。
「・・・不破!二度目はやらぬ!」竜炎はその目を見開き、激しい頭痛と共にもう一つの力を顕現させた。
「主上!!!」要明が止めたが間に合わない。それはそうだ。この力は確実に彼の身体を蝕むものだから。そして、だからこそ、この血脈がこの地の王と相応しい。
それが、
「玉眼。竜の眼と言われるやつか。」唆字も初めて見たものだった。王の血筋にだけ現れる力で、太古に神々との盟約の証として今日まで与えられてきた力だ。そしてそれがどのような力かは、知らされていない。今、竜炎の眼は澄み切った深い青をしていて、清浄な気が辺りを取り巻き始めている。
泉が光はじめ、威世の周りに圧倒的な圧力がかかり始めた。
「オミヤ。これが最期です。」渡與は一つの石をはめ込むと、満足げに庭を見る。
「姫様。」オミヤにもわかった。これが、この姫に会える最期なのだと。
「楽しかった。私は異物。けれどお前は最後まで私につき合うのだから、たいしたものだわ。」渡與は楽しそうに言う。
「決して。決して忘れませぬ。姫様は、姫様は。」誰よりも大切なのだと。声に出してはならぬがただじっと目で訴える。
「忘れていいのよ。それが世の理。」渡與ははるか離れた葉月の樹を思い浮かべる。
「忘れませぬ!!」
「私はこのためにここへ来て、このためにこの身は存在する。オミヤが悲しむことはないのです。」それほ本当だった。もとより、死んだ身。それを今日まで来たのはこのために。
「いとおしむことすら、許されないのですか?」オミヤがぽつりと言う。それまでの激昂が嘘のように。
「・・・・・・わたくしは、幸せね。」これから自分がなすべきことに恐怖すら感じていたが、今の一言で救われた。この先、どれほどの苦痛と意識すら残らぬ世界へ旅立つ自分にとって、ただ一つ心に灯る光になるだろう。覚悟など、とうの昔に決めたはずなのに、今また簡単に揺らぐ愚かな自分に苦笑すると、渡與は振り返った。
「・・・・ありがとう。ではね。オミヤ。」そう言い、背を向ける。これから顔が醜く変わっていくだろう姿を彼に見られるわけにはいかなかった。それは一つの挟持。
「渡與!」
「葉月に戻って、皆に伝えなさい。わたくしは、都を守って死んだのだと。」どん、と右手を棚に打ち付け、震えを止めた。懐刀を持って、一気に振りかざす。
「ああああああああ!!!!」オミヤの目にかの姫の最期が映る。
「・・・・ひどい・・・・ひどい方だ・・・最期まで・・・」その身体にすら触れることを許さない。オミヤの身体は文字通り、縛されていた。きっとすべてが終わったら動けるようになるのだろう。
オミヤには見えなかったが、渡與が倒れ流れた血が石盤の上を滑り、図式を描いていた。それは、次第に早くなり、それぞれ埋め込まれた石も連鎖して光り始めた。
ただ彼はじっと瞳を閉じることなく涙を流した。決して忘れぬように焼き付けるように、瞳を閉じることなく。
バトルシーンはとっても苦手です。(涙)もういいです。最期にしてと。私が思ってます。本気で。