66水 沫
「よぉ。」上月を待っていたのは、唆字だった。
上月はそれに静かに答えると、禊の為に準備された白い単衣に着替える。
「何をするつもりだ?」
「答える義務が?」
そういって上月は桶に水を入れて勢いよくかぶる。あまりの冷たさに一瞬息が詰まる。
「・・・・そういうことか。ならいい場所がある。ついて来るか?」唆字は上月に手を差し伸べる。上月は桶を置くと、その手を取った。
「ここにおったか・・・探した。」声をかけられた日向は、それが自分の主のものだと気づく。
「お手を煩わせました。何か御用が。」日向は先ほどからする頭痛を意識から追いやり、膝をつく。
「用というほどのことではない。ここで何をしていた?」三輪は日向が見ていた景色を格子からのぞく。その先には、上月と唆字がいた。
「ああ、あそこは神渡滝じゃな。小さいが、神殿の泉と同じように聖域じゃ。」二人はどうやらそこで何か話しているようだった。
「あの方は、本当に___」日向は言いかけた言葉を飲み込んだ。
「お主の血縁、だそうだ。あまり似てはおらぬがな。」三輪はそういって日向を見つめた。この男はこのあたりでも珍しいほどに身体の色素が薄い。血縁だという上月は濡れ羽のような漆黒の髪をしているのに、彼は日に透けたような栗色の髪だ。
「気になるか。」この質問は酷だと思ったが、気づいたら三輪は口にしていた。
「___・・・ええ。」少し躊躇った後、日向は頷いた。
「主の記憶がどうであれ、あれと共に去れ。」三輪は静かに言った。声が震えないように。
「!私は・・・」日向は次の言葉がつなげないでいた。理由は聞いた。自分がこの世界の人間でないと。ショックでなかったと言えば嘘になる。そして、戻らなければ自分の身体が持たないのだと。けれど、元の世界に戻れば自分はこの人と会うことが叶わなくなるだろう。それが辛かった。何よりも。
「そのような目で見るものではない。哀れみをかけたくなる。」三輪は少し笑って日向に手を差し出した。日向はわけのわからないまま、手を出した。
「土産じゃ。」そう言って渡されたのは小さな動物の形をしていた。
「?これは・・・」日向は不思議そうに見つめる。
「それは、古来に信じられていたと言われている架空の生き物でな。妾も名は知らぬ。中に香木が入っている。」細い木で作られたその隙間から見えるのは小さな破片だ。その香りに気づいた日向は顔を上げた。
「礼にはおよばぬ。」三輪はただ静かに笑っていた。
「___御前、失礼!」日向は三輪の袖をとって、強く抱き締めた。
「・・・達者で暮らせ。主のことは忘れぬ。」三輪は小さくつぶやいた。
「・・・・私も・・・決して・・・」それ以上声にはならなかった。
しばらくして、二人はどちらからともなく静かに離れた。
「私からも何か・・・ああ、これを。」そう言って、日向は自分の髪に付け足していた髪をほどく。その髪をまとめていた紐についていた小さな青いガラス玉を手にとって三輪に渡した。
「ああ、主じゃな。」三輪は少し微笑んで、大切に握りしめた。
そして日向は三輪の元を去ろうとした。
「のう、日向。」
「____は。」日向は振り返る。その時の三輪の顔は光に照らされてわからなかった。
「聞かせてくれぬか。」
「は?」
「今宵、一夜____そなたの子守唄を。」日向は今度こそ涙がこぼれた。
「のう、日向?」三輪は笑ったままだ。もしかすると、土壇場というのは男より女の方が気丈なのかもしれない。ただ、その声は今度こそ震えていた。
「子守唄が必要な御年とは思えませぬが・・・では、こうしましょう。私と、あなた様が出会った時よりの、宵物語を語りましょう。」日向は涙も拭わぬまま言った。悲しくて泣くのではなかった。ただ、三輪が愛おしいとそう思うのだった。
「ほんに、そなたは。」三輪はくるりときびすを返すと、そのまま歩き始めた。その背中はいつもより少し寂しげだ。日向は見慣れたそれを追い、静かに歩き出した。
描写力が欲しいシーンです。。。