65決 意
「何かしら・・・」フジエは胸騒ぎを感じた。
「どうしたの?」アキジが聞く。二人は、琵琶殿の南にある寮にいた。怪我も大分よくなり、動けるようになったので、琵琶殿の雑用などを手伝っていた。
「ううん、なんでもない。・・・きっと気のせいね。慣れない殿上勤めで少し疲れているのかも。」フジエはそう言って、持っていた布を畳む。そこに上月がやって来た。
「フジエ、アキジ、ここにいたか。」顔色は未だ優れないものの、ここへ来た時より随分マシになった姿を見て、フジエとアキジは喜んだ。
「上月様!」こうして顔を合わせるのも随分久しぶりに感じた。
「二人に話がある。何、時間はとらせない。かまわないか?」
「はい、でしたら、どうぞそちらへ。」そういってアキジが席を勧める。
「ああ、ありがとう。正直な所あまり時間が無い。手短に言う。今から葉月へ帰れるか?」上月は座りながら確認する。
「・・葉月へ、でござりますか。それはもちろん、私どもはもとより使者である以上、葉月へ戻らねばなりませぬ。・・・姫様が望まないとしても。」いいかけて、売られそうになったことを思い出したアキジの顔が曇る。
「ああ、大渓での件か。あれは誤解だった。まぁ、そうしむけたのはトヨなんだが・・・決してお前たちを見捨てたわけではないから、安心しなさい。二日後に神翼席がある。それまでにできるだけここを離れてくれ。」
「何故、とお聞きしてよろしいですか。上月様はここに残られるのですね?」アキジが聞く。彼の言葉を信用するならば我等が姫が自分たちを売ったりするつもりはなかったのだということになる。
「ここが戦場になるからだ。」二人は息を飲む。ついに、ここまでもこの永遠に安泰かと思われた都までも戦火に沈むことになるのか。
「ですが、それでしたら・・・」言いかけたアキジを上月が目で制する。
「君らの手におえる相手じゃない。それに、戦場で女性が捕虜となればどうなるか・・・わかるだろう?」その言葉にフジエが肩を揺らす。
「わかりました・・・それが姫様の意思ならば従いましょう。けれど、上月様、姫様の意思でないのなら・・・」
「あなたがたは葉月へ戻りなさい。」そこへ割り込んだ静かな声。
「トヨ・・・」上月はいつの間にか入り口に立っているトヨを見て驚く。
「・・・上月様、支度が整いました。二人は任せて、院へお戻りくださいませ。」その言葉に上月は躊躇したが、もともと自分は部外の者であったことを思い出し、フジエとアキジを見る。
「短い間だったが、世話になった。君たちのことは忘れない。ありがとう。」そう言って頭を下げる。二人は一瞬言葉を失うが、これが上月との別れであることを悟った。
「いいえ、いまここに在るのは上月様のおかげでございます。決して長いとは言えませぬがあなた様と共にいれたことを感謝いたします。どうぞ、ご無事で・・・」アキジはそう言って頭を下げる。
「わたくしも・・・忘れません。決して。ご武運を。」フジエが頭を下げる。二人とも、もう彼が戦いに行くのだとわかっていた。今の彼はカムイで二人を助けた時と同じ、強い意志をその瞳に宿しているのだから。
「トヨ、あなたが呼びにくることもないだろうに・・・」上月は少し苦笑して入り口のトヨに声をかける。
「いいえ、わたくしにもここへ来る『理由』があったのですわ。上月様。どうぞ、お急ぎあそばせ。」そう言って二人はそれぞれに別れる。次に会う時は決戦の時だ。
「・・・姫様。ご無事で。」アキジがトヨを見る。
「葉月が焼かれたのだと聞き、心配しておりました。」
「ええ。二人とも息災のようですね。」トヨはゆっくり二人を見る。短い間だったが彼女たちは自分に良くしてくれた。トヨは絹の下から小さな袋を出した。
「姫様、これは?」
「これは・・・神木の実です。」そういって袋の口を少し開け、中を二人に見せる。見ると、小さな種がいくつか入っていた。
「葉月の・・・?」アキジが受け取り訪ねる。
「ええ、これを西河様に渡してください。」
「姫様・・・・姫様も、お帰りにはならないのですね・・・?」アキジが確認する。
「・・・・」トヨは何も言わずに微笑んだ。それは確かに葉月の巫女と言われた美しいものだった。
「確かに。承りました。必ず葉月へ、西河様の元へお届けいたします。」アキジがそう言い、フジエとともに頭を垂れる。
トヨはそれを確認するとまた、何も言わずに部屋を出て行く。
二人はトヨが出て行ったのを確認すると向き合った。
「アキジ、本当にこれでいいのかしら。」フジエが言った。
「これが私たちのすべきこと。それ以上は・・・・」アキジは胸に浮かんだ答えをもみ消して、口に出す。
「嘘。」フジエはそれを素早く遮って、アキジを睨む。
「フジエ。」アキジは困ったようにフジエを見る。
「アキジは嘘をついています。」
「・・・あんただって。」アキジは真剣なフジエの顔を見ておかしくなった。
「では、こうしませんか。私たちは葉月に帰ります。それは、必ず。ですが、すべてを見届けてから。」フジエが少し意地悪そうに笑う。
「フジエ!?」普段の彼女なら言わないことに驚いてアキジは言葉を詰まらせた。
「すべて、をどこで判断できるのかはわかりません。まして、私たちが姫様や上月様の重荷になるわけにも参りません。ですから、その判断はアキジに御任せします。」
「それって、ずるいわ。」アキジはふくれる。
「帰りは川を下るわけにはいきませんから、まず馬を調達しなくては。」フジエはそれにも気づかないような顔で淡々と述べた。
「まったく。これじゃいつもと逆だわ。」アキジは少し面白くないと感じた。したたかなフジエは嫌いではないが、厄介だ。
「いけない?」フジエは今度はいつものように花がほころんだように笑う。
「___いけないはずないわ。」そう言ってアキジは笑う。フジエもそれにつられて笑った。いつか来る別れを前に、二人にできることを考えるのだった。