64土 偶
歌・・・・?
歌が聞こえる。
とても、小さくて悲しい歌だ。
(寒い・・・・)ひんやりとした空気が身体を包んでいる。まるで、日の当たらない場所に閉じ込められたみたいだ。
声が聞こえる。雨音は空気をふるわせ、小さな音を奏でる。 そして静かな、呼吸が聞こえる、それは決して不快ではなく自分と同じものだ。
「ふ・・・最後の石が人形とは思いませんでしたね。」トヨの声がする。どうしてトヨがここにいるんだろう?
「はい、おかげで余計な手間がかかりました。」この声は、私を攫った少年のものだ。
「・・・・気づいたようです。異国からの客人。」トヨの声が近づいてくる。
「・・・・ここは?」起きようとして、四肢が束縛されていることに気づく。この感触は石か何かだ。びくともしない。
「神殿の地下、黄泉の果て。」少年が口を開く。
「こうせんのはて?」
「お前の中に石がある。お前が石だからさ。」少年はつまらなさそうに言う。
「石?石って・・・まさか。」
「お前たちが『四尺碧玉石』と呼んでいるものだ。」
「あれはそんなものではありませぬ。」ふいにトヨが言う。
「じゃあ、目が見えなくなったのは・・・」
「石に同化し始めているからだろう。だからお前を殺すことができなかった。お前を殺せば石も死ぬ。」少年はたんたんと話す。
では私は石のおかげで命拾いしたことになる。それにしてもわけがわからない。
「どうするつもりだ?」
「唯一生きてその身で体現することのできる者。聞かせてあげましょう。」トヨらしくない言い方だ。一体彼女は何を考えている?
「この世に在りて、我が祖国は海に沈み、今はもう無い。何故?何故失われなくてはならなかった?何故、失わねばならなかった?許されるべきことではない。許すつもりもない。神は何故我等を見捨てたのだ?」トヨは静かにだが、重い口調で話しはじめた。
「神?」この場所が神の住まう場所ではないのか。なら彼等のいう神とは?
「天上より落ちたる涙、天道と転道をつなぐ深き海の底にそびえる蓬山におわすその神___海神。子よ、これは神殺しの儀式なのです。」
雷の音さえ聞こえない、この地の底の闇の中、ゆっくりと私の四肢は緩慢になっていった。
雨はまだ、止まない。
「少しだけ、長い話になります。」少女は無垢な魂そのままに、ゆっくり口を開いた。
「かまわぬ。そなたの想いいかほどか、わたくしにはわからぬ。だが我等に今必要だ。」それに答えたのも美しい少女。
「だが、時は待ってくれぬ。」そう言ったのは豪奢な着物をまとった女。
「それでも、知らなければならない。」最後に口を開いたのは青年。強い力をその瞳に宿して。
「我が祖国は__神によって滅ぼされ、滅しました。わたくしと姉は滅ぼされた神に仕える巫女でもあり、妻でもあった。」
「『常世神』をご存知?こちらではそう呼ばれます。」トヨは私に聞いた。私は知らないと答えた。
「忌々しい海神が我等の神を封じ我が妹までを貶め、我が祖国は海に沈むしかなかった。」
「威世様、じき神翼席の神祇に。」少年が言う。
「そう。」トヨだと思っていたが、イヨと呼ばれたその人は静かに私から遠ざかって行った。それとは反対に近づいてきた気配に顔を向ける。
「お前は、常世神復活の為に使われる。石と分離していたらまだ救いはあったが・・・・もう遅いな。」
「復活?封じられた神を?」
「そうだ。封じた海神をここへ呼び寄せ、殺すことで常世神が顕現する。」
「殺すって、神をどうやって?」
「石は封じられた神自身。二日後の神翼席は新月。満潮と共にこの泉が満ち、お前は死ぬ。・・・もっとも、石と同化していればそれも分からぬな。そしてこの世は__焔獄となろう。」
「何故・・・?どうして海神は常世神を封じたんだ?」
「神の都合などわからぬ。 お前、死ぬのが怖くないのか?」
「・・・その台詞、聞くの二度目だ。死ぬのが怖くない人間なんていないだろ。せめて自分を見失わないように現状を把握しようとしているんだから、そんなこと聞かないで欲しいよね。」さすがにもう今度こそ駄目かもしれない。ここがどこかもそして見方もいないような状況で、自分が助かると思えるほど気楽にはできてない。
「何故石はお前に同化したんだ?」
「それこそ知るかよ。何であんたは『俺たち』をここへ喚んだんだ?・・・石だけ取り戻せばよかったじゃないか。」
「石を喚ぶには道を作らねばならぬ。道は律に従って作らねばならぬ。」
「よくわかんないけどさ。イヨって人は何をしたいのさ?」私は半ばヤケになって聞いた。
「楽園を、取り戻したいのだあの方は。」
「もう戻らないものを求めても仕方ないこと。」トヨはぽつりと言った。
「・・・それで、あなたはどうする?」上月が言う。
「阻止します。この世に常世神が目覚めれば、ここは黄泉と化する。」
「黄泉?冥府のことか。」
「なつかしき呼び名。黄泉_輝く大地。中つ国からの命涸れし者たちが、ひととき休息と責務を負う場。もう今は無き我が祖国。ですが、それは常世神の意思でもあります。」
「どういうことじゃ。滅びることが望みと?」
「いいえ。こちらの言葉で言えば、常世神の『ケガレ』は海神の『ハレ』でしばらくその時を止めたのです。そして、浄化されたケガレの地は黄泉ではなくなる。だから、我等の祖国は滅びた、そう姉は思っているのです。人の業ほど穢れているものはありません。それを常世神はその身に背負い、背負いきれなくなったら、海神が祓う。ですが、今の休止した中で常世神をこの世に出せば___その穢れがすべて、この世を覆うでしょう。そして、この世は黄泉となる。」
しとしとと、雨の音がする。
「堤はどうなる。」
「堤様は『もろはの剣』、『ハレ』にも『ケガレ』にもなり得る。彼をここへ喚ぼうとしたのは竜風ですが、同時にわたくしも石を喚んでいました。竜風は律に縛られているためまずはじめに彼を喚ぶことをしなくてはならなかった。けれどわたくしは石と通じることができます。竜風があちらに風穴を開けてくれた時、堤様を操ることができたのです。けれどまさか堤様が__同化しておしまいになるとは思いませんでしたわ。」
「石と同化した者を救うことは?」上月がまた問う。
「・・・例がありません。けれど、外と内から同等の力が加わればあるいは・・・」
「いずれにせよ時間が無い。出来ることをするのみ。___ところで、ここは大丈夫なのか?」
「王は未だ完全には目覚めてはおらぬ。炎の場に於いて、他の者がどうこうということはなかろう。」三輪が言う。ここは、竜炎の『場』だった。
「その為に葉月を犠牲にしたのです。多少の時間は稼げます。」トヨは言う。自分に目を向けさせるために葉月を焼いた。王と官は戦以外に葉月の問題も抱えたことになる。
「堤様に巫女の素質がおありなら、あるいは、助かるやもしれませぬ。」神の歌を聞くのは巫女と決まっている。トヨはふと思い至ったことを口にした。そして、今はじめて自分と同じ立場になる堤という人間に興味を示した。
「イヨはおそらく、新月と共に海神を喚び、黄泉に石が満ちた瞬間を狙うでしょう。あの石は常世神自身でもあり、『竜の玉』とも言われて竜の首を絞め殺すものでもあります。泉の前で巫女が舞い、王は泉に入水する。石は海神を殺し、常世神は王を食らう。それで終わります。」
「ではその時だな。」三輪が言う。
「我等は式典の場から動けぬ。安寿、日向、頼むぞ。」姫皇女が言う。
「はっ。王を必ずお救い致します。」安寿が言う。
「できる限り。」日向が言う。
「神殿の守りは竜炎と竜水がどうにかしてくれるんだな?」上月が確認する。
「問題は竜土がどちらへつくか、てあろ。あやつは中立でな。水よりはるかにタチが悪い。」三輪が苦みをつぶしたような顔で言う。
「まぁ、それは、竜主が采配してくださるはずじゃ。要明は妾の血縁であるし。」姫皇女が言う。
「上月様に必要なものは揃えますが。」トヨが言う。上月は顔を上げる。
「紙と硯を。それから、精進潔斎できる場を。___それと、あの鏡を。」それだけで上月が何をしようと思ったのかトヨにはわかったらしく、頷いて後で用意させると言った。
「あとは、炎を待つのみ・・・か。」三輪は苦笑して日向を見た。
「天変地異でも起きるのか?炎と水が揃って現れるとはね。」男はそういって、筆を置いた。
「ヤな言い方だな。要明。」唆字は机を叩く。
「仕方ない。私も好きで来たわけではないしな。」竜炎はそう言って、要明と呼ばれた男の前に立つ。要明は年の頃は二人と同じ、理知的な顔立ちに文官が着る常用の衣をまとっていた。
「閉・無・防・撃」要明はつぶやいて指を二人に向ける。二人の後ろに椅子が現れた。
「我が姫に好機が。しかし、随分大きな敵を持ったものだ。」要明がつぶやく。その表情は優れない。
「で、竜主にはワケを話した方がいいか?」唆字が言う。
「仮にも竜主、こちらの要件なぞ既に存じておるよ。」竜炎が言う。
「・・・・お前たちは私に喧嘩を売っているのか。・・・竜土のことであろう。」二人とも顔をしかめる。この竜主は文字通り自分たちを束ねる長である。誰の力にも属さないが、防御に於いては誰よりも勝るため、王の盾とも言われる。そして、何より恐ろしいのはその先を見通す『目』だ。彼の予見は外れたことがないし、だからこそ政にも大きな権力がある。最も、他の貴族に比べるとその位は低いが、何よりその『目』を恐れ、誰も彼を特別視していた。
「神殿の『守り』を解くつもりはない。」要明は言う。
「わかってる。」
「ただ、気づかずにいてくれれば良い。『神をも避ける竜主』はこの都と姫君のことを考えていれば良い。」竜炎が言う。
「そう、竜土は地を鎮め、お前はこの都を守る。」こちらの邪魔をしなければいいのだと唆字は思う。
「・・・勝てるか。」要明は二人から視線をそらし聞く。彼の目に移ったのは2日先の未来。そして、その結果は____
「愚問だな。唆字は都などどうでもいいが、稼ぐ場所がなくては成り立たん。」唆字はにやりと笑う。それを見た竜炎はため息をつき、自らの頭の後ろで縛っていた紐を解く。
「炎!?」唆字が驚く。竜炎はその顔を覆っていたいかつい面を外したのだった。
「竜主に願い奉る。これを、三輪に。」要明はそれに顔をしかめ、面を受け取る。この面は竜主自らが竜炎へ送ったもので、本人と竜主にしか外せないように術が施されていた。
「御身を私の知らぬ所で奪われろと?」要明はその瞳に怒りを載せて聞く。この面を外す時は死ぬ時だと竜炎は言っていたし、要明もまたそう思っていたからだ。
「炎・・・おまえ・・・」唆字は絶句する。その素顔を見るのは初めてだったのだ。
「仕方あるまい。竜主の壁は誰にも破れぬ。『君』にしか____」そう言ったその顔は、誰より天に近しい位置にある者のそれ。
「7年前の『月神祇』(げっしんぎ)を覚えているか。」竜炎はそう言って唆字を見る。
「ああ、まだ俺はここにちょくちょく来てたからな。あんときの炎は暗かったよな。」
「犀粤王子の派にハメられてな。位を弟にもっていかれた。__まぁ、連中も『神』とあがめるものを殺すことは出来なかったらしい。一命は取り留めてな。炎と入れ替わることで納得したのさ。元々、炎の属性は私も持っていたしな。今、朝廷の6割は犀粤に連なる者たちだ。『月神祇』の前に西の慶邏が戦をしたろう。その隙をつかれた。」淡々と語る姿に唆字は言葉を失う。自らが否応なく守るべき主が、目の前にいるとは。
「お前はここを離れていたからな、好都合だった。風は真の名を知られた上、母君が軟禁されてな。__もう今は生きておらぬが。未だ、縛られたままだ。かの女を一度かいま見たが、あれほど醜いものを私は知らぬ。」竜炎はそう言って竜主を見る。
「威世を見たのですね。あれは、こゝろを見失ってしまったのです。あなたの『血』で、常世神が蘇ると知ってから・・・」はじめは、異邦の巫女だった。けれどいつの間にかこの都を手中にしようとしている。いや、もうすでに彼女の手の中だ。この7年、どうすることもできず見守ってきた竜主はくやしそうに唇を噛む。
「不破は阿呆ではないが、優しすぎるのだ。」竜炎は今は会えない弟を思う。
「けれどもう、常世神の苗床となっておりましょう。」竜主が言う。それは決定。竜炎が慕う不破王子はもうどこにもいない。いるのは、傀儡となった人形だけ。
「戦は人が死ぬから、やめよと、そう言っておった。__憐れな弟よ。犀粤はそれを好機とした。私の変わりに人形になったのだ。せめて私の手で始末をつけよう。」
「よく、生きていたな。」唆字はあきれたように言う。
「まぁ、同じ『血』であれば兄だろうと弟だろうとどちらでも良かったのだろう。もともと、神祇には我等も参加するから、失敗でもしたら私があると思っていたのだろう。あの女は朝廷の権力になど興味は無いのでな。」イヨが興味があるのは、ただ自分の夫であり神である常世神を蘇らせることだけ。
「要明、仮面は外したが、私は死ぬつもりはない。都に巣食う悪鬼をこの手で成敗する。そして、一から立て直しだ。」
「御意。」
「官を一掃する。囚官を動かせ、神翼席までに犀粤王子を拘束せよ。衡を動かし、派の者を追捕せよ。」
「かしこまりまして・・しかし、それでは官が神翼席に揃いませぬ。」
「儀式を送らせることは出来ぬ。月と潮の満ち欠けを待つことは出来ぬからな。そのへんはどうとでもなる。」
「そのへんは院と三輪殿が上手くやるだろう。」唆字が言う。
「良いか、必ず拘束せよ。罪の次第に於いて裁断するのは神官の役割。決して殺してはならぬ。」
「必ずや、神官に最良の判断をさせてみせましょう。」要明は微笑する。罪を明らかにする証拠はすべて揃っているのだ。決して、負けはしない。
「んじゃ、話は決まりだな?・・・でもって、竜主殿はおとなしくしてくださるわけで?」唆字がからかうように言う。
「まさか。君が行かれる所、私が行かなくてどうする。表舞台は部下で十分だ。」
「要明。」竜炎がとがめる声を出す。
「まさか、盾を置いて戦場へ向かうわけではありますまい?この竜主、表の守護だけでは不足。」
「言うねぇ。不服、の間違いだろ。後は二人で話してくれ。俺は三輪殿に報告に行かねばならん。それに、気になることもある。」
「唆字?」
「あの葉月の姫さん以外の、来訪者のことさ。」