60検 見
人の気配がしない。
とりたてて訓練された人間だとか、物語りのお決まりのように何らかの能力があるわけではない。
普通に、感じられるはずの人の体温が、息吹きが感じられないのだ。
ゆっくりと座らされた床は冷たく、だが人工物のような冷たさではなかった。
フローリングよりは荒々しさを感じるので、木材であることだけはわかる。
ふわり。
鼻先に花のような香りがする。
闇の中に、小さな白濁とした四角形が生まれた。
何かがうごめいている。
私はそれに近付く。
人だ。
人の形をしている。
今の私は目が見えないというのに、何故、こうもはっきり「見える」のだろう?
そんな疑問さえ些細なことのようにただ、その人を見る。
「名は?」
驚いた。
その、ムンクの「叫び」に出て来そうな人形の白い物体がしゃべる。ちょっと気持ち悪い。
「堤、京介」
「ムンクとは?」さらに驚いた。コノ物体は私の考えがわかるのだろうか?
「…画家っていって、、分かるのかな。絵師?」曖昧に返事をする。
「無礼な。わたくしはそのようなモノではない。」白い物体(以下シロさん)は憤慨したように言う。おそらく私が思い浮かべた絵を見たのだろう、何らかの手段を持って。
「そうか、お前目が見えぬのか。」シロさんはだからといってどうということなく話し続ける。
「お前、ここのモノでは無いのだね。」どきっとした。必死で隠そうとしても、隠そうとすると余計に考えてしまう、あちらのこと_承さん、涼子さん、そして……上月のことを。
「!!!……やはりお前は…あのいけ好かぬモノの関係者か。」いけ好かぬ、という言葉に私はばっと顔をあげる。この世界へ来ていて、いけ好かぬ、なんて言われる言動をする人間は1人しか知らない。
「上月はっ…上月は生きているんですかっ!!…教えてくださいっ…彼は…」思わず掴みかかる。けれど、シロさんは軽々とそれをかわしたので、私は格好悪く地面に転がった。
「はしたないの。…さもあらん。あのような状態で生きている方がおかしい。影の者でもあるまいに。」
「生きて…、会ったんですか…?」もしかしたら、彼がこの近くにいるかもしれない。私は、縋るような思いでシロさんを見上げた。
「会った。否応なくな。三輪の姉様のおつきでは仕方あるまい。本来ならば私と言の葉を交わすことさえ許されぬ身であるが……。」
「あのっ…」
「わかっている。今のお前は裸も同然。いくらわたくしを欺こうと、ここでは隠せまいよ。…あの男に会いたいか?」
「はいっ」
「………………。面白い。」
「へ?」
「会わせてやらんこともない。」
「ありがとうございますっ…」
「だが」
「?」
「お前がわたくしに仕えれば、の話だ。」
「えっ」
「安心しろ。別にお前に求めているのは大層なことではない。そんなものは他にいくらでも優れたものがおるからな。」
「じゃあ?」
「そう、時に_時に、このように話し相手になってくれれば良い。どうだ?」
「…じゃないと、会わせていただけないわけですね?」
「二度は言わぬ。」
「わかりました。」私は上月に会わなくてはならない。そして二人で帰るのだ。元の世界へ。
「くくく…」シロさんはいきなり笑い出した。
「??」
「あの男の顔が見てみたいの。楽しみじゃ。」そう言ってシロさんが笑った瞬間、突然視界がクリアになった。
「お、女の子?」
「無礼者っ!!………なんじゃ、お前目が見えぬのではなかったのか?わたくしが見えるのか!?」元シロさんは、実はすごい美少女だった。トヨは可憐なっていう表現が合うけど、こっちはなんだか、愛らしいって表現がぴったり…
「無礼者め!!何を比べておるのだっ」あ、そうでした。筒抜けなんでしたね。
「興醒めじゃ。もうよい。目覚めたらすぐあの男を呼ぶぞ。覚えておけ。」そう言って、元シロさんは右手を振り上げた。
その瞬間、私は元の闇の中に落ちたのだった。