59火 影
「…石が揃った。」小さな声が告げる。
「……そう。ではやはりトヨはここへ来ているのね…。」少女が呟く。髪は淡い茶色、白い祭儀の衣を身にまとっている。
「威世様……」
「竜風…これで統べてが揃ったわ。時は満ちる…。」振り返った彼女は、トヨのそれと同じ顔。同じ声。
竜風は彼女から目をそらす。まるで、見てはいけないもののように。
「もう、我らには行くところも、帰る場所さえ無い…馬鹿な妹。そんなこと、わかっているのに…。」溜息のように呟き、香木を選ぶ。
「憎らしい、あの女。私から統べてを奪った女。復讐?そんな私怨ではない。これは、吾が世界の断末魔。私に動けと、そう告げている。」突如木を床に投げ付け、気がすんだのか、そっと微笑む。女神のように。
「これで、あの方は私しか要らなくなる。楽しいわ。とても。」威世は春の風のように笑うと、ふわりと椅子に腰掛ける。
「王君は…。今でもあなたしか必要としない…」竜風は自嘲ぎみに言った。そう、この神とも魔とも呼べる存在がこの世界へ来た時から、すべてが変わりはじめたのだ…。自分の、大切なあの人も…
「志穂…そなたは、私を裏切ってくれるなよ…?」志穂、と本来の名で呼ばれると、竜風はびくりと肩を揺らす。そう、どんな欺瞞もこの女神の前では無力。所詮、自分の変わりなどいくらでもいるのだ。
「は…。」竜風はそれでもこの女から離れられない自分を感じていた。
「……お呼びにより参上つかまつりました…。」晏寿は宮殿に来ていた。それも、明王院と呼ばれる、奥の院に。
「拾いものを、したのですって?」かん高い声が御簾ごしに告げる。晏寿はちっと心の中で舌打ちして、そもそもこの方の勘の良さに隠しておけるはずもないことを知った。
「…は、少々、遊びが過ぎたようで…」
「それ、つれてきてちょうだい。」それ、つまり堤とやらのことだ。どこから漏れたというのだろう。
「…しかし、まだ身体が弱って…」
「綾香の姉様から聞いた。晏寿最近、殿方の楽しみを邪魔しているのですって?」さらっととんでもないことを言われて、言葉につまる。
「……っ邪魔など…わたくしはっ…」一応夜の見回りは自分の管轄でもあるから…と言い訳しようとした所で扇の閉まる音がする。
「わたくしはね別にいいのよ。だけど、晏寿、ほっておきなさいな、そんな下の者のことなんて…それで、つれてきてくれる?」
「………は。では一度戻りまして…」
「大丈夫よ、堅に来るよう使いの者をやったわ。…ところで、竜水が帰ってきているのですってね。」そう、こうなることも予測済みではあった。我が君は、こういう人だ。
「!?竜水が?」なるほど、ここか情報元は。あの飄々とした男を思い浮かべて、何もよりによって今でなくとも、と思う。
「わたくし、三輪の姉様は嫌いじゃないんだけど、三輪様より身分が低い奴隷風情に命令されるいわれはなくてよ?」
なるほど、それが原因か。この機嫌の悪さは。
「…それはもう、姫皇子様におかれましては、ゆくゆくはこの頂点になられるお方。…ところで、三輪様がどうかなさいましたので?」
「三輪の姉様はいいんだけど、綾香の姉様にも言われちゃって、やあねおんなのひとって、綺麗なおとこのひとにはすぐなれ合おうとするのだから…。それで、まあ、お前の拾ったものがね、竜水の知り合いでもあるんですって。だから、一度見たいというのよ。どうなの?拾いものは、面白い?」
「は…面白い、と言われますと…」
「だってつまらないものをわたくしが拾ったとなったら、それこそ院の名が落ちます。貴族も退屈でしょうから、いい噂話になるわ。」
「…姫皇子様、それは一度御会いしてからでもよろしいのでは…」
「珍しいわね。晏寿がそこまで言うなんて。その奴隷、よほど面白いものなのね?つまらなかったら晏寿にあげるわ。」
「はあ、それが、アレは、自分を奴隷ではないと、言うのですが…」
「何それ?花街にいて、奴隷じゃない?まともな会話もできそうにないわね…」
「いいえ、そういうことは…」晏寿は堤を思い出して言葉を途切れさせた。奴隷にしては澄んだ瞳をしていた。あれで見えてないのが不思議なくらいに…。
「…まあいいわ。それより、聞いてよ。竜水がねつれていた奴隷なんだけど、三輪の姉様も物好きだと思ったわ。また奴隷なんか殿上に上げたりして。まあそれについては綾香の姉様ももう諦めてる事だから、別にいいんだけど。」
「は…またですか。」
「三輪様はあの竜炎様を兄に持つだけあって、珍種がお好きみたい。…それはいいのだけど、その奴隷、わたくしに向かって何て言ったと思う!?『人の痛みがわからない者に上に立つことはできない』………ってこの、わたくしに向かって言ったのよーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」かん高い声が響く。
「姫様…どうぞ、お静まり遊ばして…院がいくら内殿から離れていようと、その……………。で、その者を手打ちにでもなさいましたか?」
「………かったの。」
「は?」
「で・き・な・か・っ・た・の!!」
「………それは、理由をお伺いしても構いませんので…?」
「会えばわかるわ。どうしようもなく、処刑したいけれど、できないの。」そう呟くと、ひとりの者が堅が来たことを告げる。
「…晏寿、その者と二人にして頂戴。あなた三輪姉様のところへ行って、竜水を呼んで来て。」
「………御意。」晏寿は頷くと、部屋を出る。途中、廊下で堅と会い、その旨を告げると堅は御前に椅子を用意させそこに堤を座らせた。
「さあ、はじまるぞ試練が。」堅はそう呟いて部屋を出た。彼はこれから堤の身に起こることがわかっていた。そして、無事を願った。