58色 失
さらさらと、頬を撫でてゆくなつかしい空気。
息苦しさは消えて、ただ、力無いこの身体の奥底から残っていた生命力が沸き上がる。
この身体にまだそんな力があったなんて、驚きだ。流石に三日水無しでいたら死ぬだろうよ。
そんなことをぼんやり考えながら、まだ考える「思考力」があることに笑いたくなった。
「……お気付きですか………」小さな、女の声が聞こえる。おかしいな、視界は闇だ。
「……」何か、動く気配がする。
「…奴隷にしては、色が白いな。それに、全くマメが無いところを見ると、おまえ、身体を売っていたのか。」低い女性の声。私は驚いて、声のする方を見る。
「………!?」驚いて、起きようとするが、まだ身体の自由がきかない。
「……お前、目が見えないのか……?もったいないな、綺麗な目をしているのに。」低い女が私の前に屈んだ気配がする。
なんだって。
「目が………、見えない……………?」声にして、それが現実だとわかると、私は笑い出した。
「おい、しっかりしろ。命あるだけマシだと思え!!男の泣き言は私は聞かない主義なんだ。……お前、名は?」低い声の女は、私を一喝すると私の身体を起こし聞く。
その声で我に帰って、目の前の人物を見るが…うつすのは闇だけだ。それでも、あの状況から救ってくれた人だ。彼女がどんな人間であれ、礼はしなくては。そんな思いが私の頭に掠めた。
「堤、京介。……奴隷じゃない。助けてくれて…ありがとう。」正直、喉が痛いので、声を出すのは辛かった。喉の奥がひきつったように感じる。
「…私は晏寿、単に気紛れだ。それにうちも人手不足だったからな。…お前くらいなら大丈夫だろうと思ってな。…女は詮無きことを探りすぎる。男は権威欲が強すぎる。ここへお前をつれてきたには、わけがある。…その前に、そのナリをどうにかせんとな…」女ー晏寿は苦笑して私を抱き上げた!
「え…い…あの…」肌に触れる感触に、こんな時だというのに照れてしまう。いや、問題はそうでなく…この歳で「逆お姫さまだっこ」をされるとは…私は両親に心の中で謝罪した。
「晏寿さま、姫皇子様がお呼びです…その者は私がいたしましょう。」そこで、若い男の声がする。その足音が近付いてきたかと思うと、私はまるで荷物のように抱えられた。
「身なりが整ったら、何か食わせてやれ。そいつ、昨日から吐きっぱなしだ。もっとも、何も出てこなかったけれどな。」そう言うと、晏寿の足跡が遠ざかっていく。
「……ここ……どこ……」私を抱えている男に聞いてみる。
「目が見えないのか…なら、大丈夫だな。」男は私の質問には答えず、そう呟いた。
「……どうした?熱かったか?」男は晏寿と話していた時とはうってかわって、気安い言葉で私を湯で湿らせた布でふいてくれた。
「………なんでも…ない…」その暖かさが、目尻を熱くした。
「………そうか………辛かったのだな……。大尉殿はお優しいからな、よかったな、お前、あの方に助けられて…」ぽんぽん、と頭を撫でる感触がある。私はただ、うつむいて溢れるものを流し続けた。
「お前、名は何というんだ?」男の名は堅といった。
「堤、京介。」
「変な名前だな~、まるで異国の響きだ。」用意された粥を口に入れてもらいながら、どきっとする。
「堤でいいよ。今日はいい天気だね…」頬にあたる日の光りを感じながら、なんだ、目が見えなくても感じることは沢山あるんだな、なんて思った。こうしていると、鳥がさえずる声や、葉が落ちる音、誰かが動く衣の音、それから、頬をなでる風や花の香りをずっとずっと感じることができる。目が見えないから、もう何も描けなくなるわけじゃない。こんなにも、こんなにも、この世界は生きているというのに…。私は「楽天的だ」と友人から言われたことを思い出し、そして、目的を思い出した。
「…ここは、兵部の晏寿様の別邸?」兵部ってことは、王宮の軍隊ってことか。葉月からどうやって来たのかはわからないが、どうやら私は都の「花街」にいたらしい。
身体の自由がまだ効かないので、堅に着物から何から整えてもらい今は縁側みたいなところ(床が庭園に面しているらしい。)の藤の椅子に腰掛けている。すぐ隣に堅がいて、水と粥を交互に食べさせてくれる。
(これで確実に石に近付いた…)少なくとも、そうなるんだろう。私は慣れない闇の中傍らの堅を見て一体どんな顔をしているのだろうかと思う。声は低く、けれど低すぎず、テノールの優しい言葉使い。歳は…多分、20代。でも私より上。
「…なんだ、もういいのか?食べないと生きられないぜ?…白米が食べられるのもここくらいだからな。もっとも…少し混ざってはいるが…」そう言って、堅が残りを口にした音がする。確かに、アワかヒエかはわからないが、白米の割合が少なかったのも事実だ。都だからこそ物資が行き届いていていいはずなのに…。
「ここまで来る前に、行商が死んでしまうんだ。」その思いを見透かしたように堅が話す。
「………ごめん。でもほんとうに、もういいんだ。堅、食べてくれないか…」私は泣きたいのを堪えて堅に言う。彼のまとっている空気は、それは、きっと満足に食べたことが無い者のそれ。
「……じゃ、ありがたく。これは私が処理するとして。……お前にはやってもらいたいことがある。」堅はそう言うと、器を置いて話し出した。
ごめんなさい。
すいません。
なんてゆーか。今になってはじめて、堤くんが「私」と「俺」を使っていることに気付いたバカです。(←カエレ
気持ち的に、「俺」なんですが、説明文は「私」(爆笑)
・・・一応、口語が俺ってことで。