55密 謀
肌寒さに目を開けた。
しばらくして、額にのせてある布を取り、寝かされている場を首をかしげて見る。
隣に、見知った顔を見つけ、一息つくと、まだおぼつかない身体に力を入れて起き上がる。
「………」上月はひさしぶりによく寝た気がしていた。しばらくぼうとしていると、部屋の隅で扉の開く音がし、誰かが入ってくる。
「…あ、お目覚めになりましたか。」御簾の裏から顔を出した少女を見て、ようやく頭の中がクリアになる。
「世話をかけました。聞きたいことが…。」まだふらふらする頭をおさえ、少女を見る。
「あ、まだ無理はいけません…志気様をお呼びしますので…」そう言い、出て行こうとしたところを上月に掴まれる。
「先に質問に。…ひとつ、ここはどこか。ひとつ、君は誰か、ひとつ、俺の書状はどうした?」有無を言わさぬ強さで少女に囁く。
「…お離しくださりませ。」少女は上月の手を優しく払うと顔をあげて、
「こちらは、琵琶殿、我らが主人、三輪様の居でございます。わたくしは、雫。三輪様の侍女をしております。それから、貴方様のお持ちになられました書状、確かに我らが主人が弦宮殿に届けたとのこと。御心配には及びませぬ。……よろしいですか?」
「ああ、すまなかった。それともう一つ。先程、背の高い男がいましたね、彼はどういう?」
「日向様ですか。日向様は、三輪様の上弦でわたくし共とは部が違いますけれど、この琵琶殿におります。」雫は、何故この男がそんなことを聞くのだろうかと不思議に思ったが、葉月からの客に失礼があってはならないと日向から聞かされていたので、素直に答えた。
「…そう、私の知り合いに似ていたので少しね。」上月は苦笑して言う。
「日向様もお呼びしましょうか?」
「是非、お願いできますか。」上月はまだふらふらする自分を叱咤して、上着を整えた。
「では、お待ちくださりませ。」雫がさがっていく。
「…上月様…」上月の横からか細い声が聞こえる。
「…アキジ、起きていたのかい…?」上月は起きようとするアキジを手伝う。
「すまない、随分無理をさせた。」アキジの手足の包帯を見て上月は謝る。
「いいえ。…信じておりました。わたくしたちが無事なのも、上月様のおかげです…それで、書状は…」
「ひとまず、届いたようだ。問題は、これで相手がどう出るかだが…」そこで、また扉の開く音がして、今度は複数の人間が入ってきた。
「お目覚めになりましたかな、おや、そちらも…」まずはじめに入ってきたのは志気だった。何名かの侍女が新しい衣を持っている。
「助けていただき、ありがとうございます。俺は平気ですから、二人を診てやってください。」上月は姿勢をただし、彼が医者に類するものであることを感じたので志気に言う。
「はっ。坊主、心配はいらん。この女人たちより、お前さんの方が大変だったんだぞ。」志気は笑うと屈み、上月の額に手をやる。
「どれ…なるほど、熱はもう下がったようだな。しかし、血を失っておるからな、無理は禁物だ。」上月が新しい衣にそでを通すと、別の部屋に通された。アキジとフジエには心配させないよう志気についてもらっている。
通された上段にはおそらくここの主人である三輪が華麗な唐織りを肩からかけて、石造りのテーブルに座っていた。そして、その隣には、日向と呼ばれたー承にそっくりな青年が腰掛けていた。
「堅苦しい挨拶はいらん、こちらへ。」三輪は上月の姿を見ると、手前の椅子を指した。
「失礼します。」上月はそれに腰掛け、まず日向を見、三輪に視線を向ける。
「床に臥せっていたそなたを呼んだのは他でもない、書状のことだ。」三輪が唐突に話しだす。
「わたくしはその中身を見ておりませぬ故、書状の中身についてはお答えいたしかねます。」上月もゆっくりそれに答える。
「承知しておる。では質問を変えよう。そなた、この国の者ではないのか?」この質問に日向が三輪を見る。三輪はそれを制して、上月に向き合う。
「それが、何か問題でも?」上月も三輪から視線を離さない。
「いや。ひとまず、ここへ来るまでの状態を話してくれぬか。」三輪はすっと手を出すと、侍女がお茶を運んでくる。
「どこから話せは良いか____わたくしは、わたくしの探し人が都にいるのではないかと、無理を言って、葉月のトヨ様に書状を書いていただきました。それから、カムイの山を越え、大渓を下って、都に入るつもりでした。その大渓で_闌更と少し諍いがあって、過って川に落ちました。そこを先程の薬師が救ってくれた…というわけですが。」そこで侍女が下がる。
「…三輪様…」それまで黙っていた日向が三輪を見る。
「…ほんに、我はそなたに甘い…」三輪は苦笑して上月を見る。
「そなたの探し人とは誰だ?」上月はその質問に日向を見て、
「日向殿、でしたか。こちらの方によく似ております。髪はわたくしと同じか、それより短いくらい、名は「上月承」、わたくしの血縁です。」途端、日向の顔色が変わった。弦宮殿で会った女の言葉を思い出したからだ。
「……そうか。」三輪は一口、茶を含むと吐き出すように言った。
「…三輪様…」日向の顔は土気色に近くなっている。
「そなた、名はなんという?」三輪が聞く。
「上月、彰。」
「では上月よ、ついて参れ。」三輪はすくっと立ち上がる。
「三輪様、どちらへ…?」日向が聞く。
「弦宮殿じゃ。歩けぬほどではなかろう?」
「しかし、このような時間では…!」
「日向、我は急いでおる。其れはそなたの身を案じてのこと。」
「わたくしのことなど…!日に三度ものお渡りは、良いことではありませぬ。」
「これ以上の悪事があろうか。そなた、身体は?」三輪は上月を見て言う。
「平気です。行きましょう。…そこでしか、あなたの言葉が聞けぬというのならば。」
「フ…おかしな男よの。日向、そなたには女人を頼む。」そう言って、三輪はきびすを返した。上月もそれについてゆく。
「…三輪様っ…」日向の声だけが残された。
けっして荒だたしい歩き方ではない。滑るように歩く、というのはこのようなことを言うのだろう。上月は三輪について長い廊下を歩く。時折、傷が痛んだが前を歩く三輪の背中だけを見つめていた。
ふと、その背が止まった。
「これはこれは、三輪殿、こんな夜更けにどちらへゆかれるのか?」歳若い男の声だ。上月が後ろから伺うと、いかにも位のありそうな衣装を身にまとった男と、数名の侍女たちがいた。
「三輪は気紛れゆえ、今宵の月に導かれたまでよ。蘆矩殿こそどちらへゆかれる?この先は我が琵琶殿と綾香様の大珠殿、明王院あるのみ。貴殿が女子と戯れる場としてはいささか、赴きにかけるのではないか?」
「そのようだ。しかし、先程面白い話を聞いてね。かの三輪殿のお連れになる従者はどれもこれもが見目麗しい男ばかり、しかも奴隷上がりだというではないか。それこそ、我らの神域を穢すことになるのではないか、と御忠告にあがったまで。…ほう、そちらにいるのが稚児同然の従者殿か。またまた、大層な面だ。」
「酒の戯れ言よと、済ませられるのは今のうちだぞ。蘆矩、貴様妾を軽んじるつもりか。」三輪が鋭く言い放つ。蘆矩についていた侍女が蘆矩の後ろへ逃げるように隠れる。
「いえいえ、めっそうもございませぬ。わたくしはこれからお呼びにて明王院へ行く途中でございますれば…」そう言って、蘆矩は三輪の横を通り過ぎる。
「影、とは恐ろしいものでございます。このような光り輝く神域にてもそれはまた同じ。」歌うように侍女をひきつれ、去って行く。
「フン、院の小間使いがよく言う。」三輪はそう呟くとまた歩きはじめる。
上月も一度闇夜に目をこらし、それに続いた。
「琵琶殿の三輪である。今宵の月は炎と見るに相応しいと思い、参った。」三輪は少しおどけるように言う。
「いかに慕ってくれようと、三輪はわたしの可愛い妹、よからぬ噂をたてられればお前が困るだろうに。」こちらも言葉とはうらはらの、棒読みだ。
上月は、真っ暗な部屋へ通された。
「蘆矩の坊やの忠告は三輪の耳には入らなんだか。」
「影など、今にはじまったことではない。炎。これが書状の男だ。」そういって、三輪は腰掛ける。もっとも、どこに何があるのかわからないので、上月はぼうっと立っていたが。その途端、当りが明るくなって、目の前に椅子があらわれる。
「三輪は昔からそうだ。落ちているものを拾うのが上手い。」
「上手い?」
「まあ、立ち話もなんだ、そこへ。」竜炎は上月に椅子をすすめて、自分は相変わらず窓辺によりかかっている。
「てっとり早く言うと、お前たちを帰してやりたいのは山々なのだが、石が無い。」竜炎は仮面をかぶったまま、顔を上月にむける。
「わたくし、たち?」上月は念のため、確認をいれる。
「日向だ。」三輪が言う。
「しかし…」
「記憶を失っておる。お前を覚えておらぬのも無理はない。」三輪は諦めたように言う。
「三輪。いいのか?そなた、あの者を気に入っておったのではないのか?」竜炎が言う。
「炎、愚問じゃ。」
「はいはい。…葉月が燃えたのは知っているか。」竜炎が上月に聞く。
「燃えた!?…戦ですか。」
「葉月の姫には、何と言われてこれを渡された?」竜炎が鏡を取り出す。
「何も。」
「この鏡、使ったのか?まだ新しい痕跡が残っている。」
「そなた、呪術師か。」三輪が驚いたように顔をあげる。
「身を守っただけだ。俺にはそちらの都合などわからん。……聞きたい。」
「何だ。」
「誰が、葉月を焼いた?」上月は竜炎の仮面を見つめる。その奥の琥珀色の瞳を。
「……知らぬ方がいいことも…」
「誰、だ?」上月は有無を言わせぬ強さで聞く。
「葉月の姫よ。」竜炎はその瞬間、背筋に走った寒気を感じた。
「……そうか。」そう呟いた彼はいつもどおりだったが、竜炎は一瞬、すさまじい殺気を感じた。そしてそれは三輪も同じようだった。
「見たわけではないがな。葉月を焼けるのはアレしかおらぬだろうよ。」
「石を使えるのは何人いる?」
「何故それを聞く?」
「誰かが、トヨの石を使って、俺たちをこちらへ呼んだ。」
「証拠は?」
「使ったものに会えばわかる。」
しばらく沈黙が続いた。そこへ割って入った明るい声。
『炎ー入るぞーー』
「最悪だ。」竜炎が呟いた。
「御主は…」三輪は、竜炎の「場」に入ってきた男に見覚えがあった。
「なんだい、先客か~、炎せっかく良い酒が手に入ったのになぁ…、おや、三輪殿じゃないか。今日は随分よく会うなぁ。」にこやかに酒瓶片手に入ってきた男は、三輪が会った男だった。
「…取込み中だ。竜水、風と会ったのじゃなかったのか?」竜炎が言う。
「あのなぁ、風は酒ダメだろ?したら、炎しかいねぇ。お、こっちも新入りか?」唆字は上月を見る。
「竜水。」
「あんな、炎、駄目だろ。大事な話は聞こえねえようにしないと、サ。」そういって唆字は酒をつぐ。
「竜水、聞いていたのか!?」
「オレじゃねぇよ。」唆字はちらと上月をみやって、
「なかなか食えん男だ。」
「聞こえましたか。」上月は言う。
「ここの奴らは腑抜けちゃいるが、まあその道の専門なわけよ。だが殺気なんてものは縁がなくてねぇ。」
「そこに偶然通りかかった方がいた。」
「思わず入っちまったってワケさ。お前、似てんなぁ…」はーっと溜息をついた唆字は上月を見る。
「念のため聞くが、誰と?」竜炎がうるさそうに聞く。
「惚れた女にvv__っつうのは冗談で、アレよ、葉月のお姫さんに。」
「会ったことがあるのか?お前が?」竜炎が聞く。
「おう。おかげで一儲けさせてもらった。」と唆字は酒瓶を持ち上げる。
「……都へ運んだな?」竜炎は唆字のもう一つの顔を知っていた。悪人だろうが、なんだろうが、報酬次第でどこへでも運ぶ、運び屋。
「おうよ。唆字は運び屋だからな。お姫さんとお付きの者と荷物を一つ。」
「荷物?」お付きの者は、多分オミヤだろう。上月は聞く。
「ああ。死んではなかったけどな、男だ。」
「………若かったか?」嫌な予感がして、上月が聞く。
「ああ、あんたと同じか、それよりもっと若いくらいの。なまっ白い子供だよ。そうそう、髪もそんな風に短くて…おい、どうした?」上月の雰囲気が変わったことを察知した唆字が聞く。
「どこで下ろした?」上月の声はひどく低かった。
「そりゃ、都の港っていったら一つだ。上青海。今日まで市が出ていたが、お姫さんが用があるのはここだろ?そのうちここへ現れるんじゃないか?」
「どうして、ここへ用だとわかる?」竜炎が聞く。
「そいつは、炎のがよく知ってるんじゃないのか?」唆字が言う。
「まぁな。……おい、どこへ行く?」立ち上がった上月に竜炎が聞く。
「トヨに会いに。」
「場所もわからないのにか?」
「……行きそうな場所を知っていますか。」上月は唆字に聞く。自分で探してもよいが、この男の方が詳しそうだ。
「モノはあるかい?」唆字は酒を一口飲み干すと、上月を見る。
「……あの、鏡を。」上月は竜炎の横にある鏡を指す。
「まて!どういうつもりだ。」竜炎が聞く。
「成立だ。炎、そいつ預かっててくれ。後で取りにくる。」唆字が上月をかかえる。
「おいっ!」竜炎が腰をあげた時には、二人の姿は無い。
「……炎、月でも見て待つか?」三輪が口元を押さえて笑った。