36浮 舟
「ねぇ、あの三番のお客さま、ちょっといい感じだよね。」
「うん、一緒にいた人って旦那さんかな。かっこ良くない?」
「ほら、出来たよ、誰行く?」
ホテルロビーの喫茶室裏では、誰が三番テーブルに持っていくのかが目下の話題だ。
件の女性は、二日前からこのホテルに滞在しているが、その時見事な赤いスーツを着ていたので、バイト帰りのウェイトレスが目撃して、以来話題にあがっていた。
今日は、淡いグリーンのワンピースと、同系のスカーフに少し金糸が入ったものをまいている。薄茶色のサングラスをかけ、リップも大人しい色を使っていた。はじめはどこの芸能人かと話題だったのだが、とにかく大層な美女だということで結論ついている。
その相手となる男性は、遠めではさえない男だった。
しかし、注文をとった娘が言うには落ち着いた紳士だという。急いできたのか、少しあわてて席に腰をかけてから、ハンカチで汗を拭う。背広を椅子にかけ、こちらも申し合わせたように薄いブルーのシャツで、腕時計は黒い革製だという。はにかんだ顔は若く見えるが、少し白髪がまじった髪が綺麗に整えてあるので、40代後半かもしれないと言う。
「もー目が可愛いんですよぅ!守ってあげたいタイプ!」
「だからあの女性といるのかも…。」
「でも、仕事かも。」
三人は三ようの妄想をめぐらす。そして出た結論は、
「それにしても…。」見兼ねたチーフがため息をつきながら言う。
「……絵になる二人だわね。」
「……ほん……っとに………ごめん。」瀬野茜也は目の前にいる女性に手をあわせておがむ。
「………いいのよ。」瀬野涼子は笑顔を絶やすことはない。ただし、ルームキィを持つ手は震えていたが。
「…………ああ、やっぱり怒ってる…。」茜也は細い目をさらに細くしながら、苦笑する。
「…………私が、待ちたくないのは知っているわよね?」
「………だーかーらーね?M線はあまり使ったことがなくて、ほら、いつも車だろ?乗り換えをちょっと…………間違えただけじゃない。」
「………ランチ。食べちゃったわよ。」
「じゃあお茶をしよう。そうしよう。ね?」この、笑顔に弱いのだと涼子は思いながら、次に浮かんだ自分の考えに拍手した。
「じゃあ、発掘所の近くにあるカフェにしましょ。文句はないわね?」
にっこりと微笑んで伝票を奪う。もちろん、茜也に決定権は無かった。なにしろ、約束の十二時半を二時間もオーバーしてしまったのだから。
「…………はい。」茜也はレンタカーのキィを手の中で転がした。
「………だいたい、あたしだからいいけれど、仕事でこれやったら貴方クビよ?……それに、車はどうしたのよ?」
レンタカー(カローラ)にゆられながら、涼子は言う。
「定期点検に出してるんだ。ほら、石黒のトコ、スタンドだったろ。ちょうどいいから出してきた。そろそろ車検だしね。」茜也はハンドルをきりながら、上機嫌のようだった。
「………………どうせ、このカローラに乗りたかっっただけなんでしょう。」
「……そうともいいます。」
二人が遺跡へ着くと、茜也がまっすぐ遺跡へ向かうのを見て、涼子が声をかける。
「……お茶するんじゃなかっの?」
「……うん。でも3時にはまだ少しあるし、現場を先に見ておきたいからね。」
涼子は先日会った佐々木に了解を得て、プレハブを見せてもらった。研究員は外の遺跡を調べていて、今は誰もいない。
「……ふぅん。これが、『栄翼の瞳』?」茜也は金庫から出されたそれをしげしげと見つめる。
「……ええ、もっともこれは土台の部分で、中心になんらかの石が埋め込まれていたと考えられています。この、窪んだところですね。」佐々木は今日研究所に移動する予定の品々を見せてくれた。
「それにしても、遅い移動ですね。」
「…はぁ、副所長がこだわる人でして…。それと、今回は敷地が広いもんですから。」佐々木は少し困った顔で言う。
「…しまってくださって結構です。それから、この山の裏へ行きたいんですが、かまいませんか?」
「はい、でも博物館側には期日をのばすようお願いします。」
「……私はしがない司書ですが、こちらにはこちらの都合があるのでしょう、館長には伝えておきますよ。」茜也は博物館がこの遺跡から発掘されたものを展覧会でとりあげたいということを佐々木に伝えたのだった。もちろん、そんな話はつゆほども出ていない。
図書館での小学生むけの企画で、古代をテーマにやりたいとも言った。それを横で見ていた涼子があきれるほど。舌先三寸とはよく言ったものだ。
「………それで?何かわかったの…?」涼子はモンブランに手をつけながらきく。
あの後、二人は近所の喫茶店に入って、ティータイムとなった。
「……うーん。まだ、何ともね。見てみないことには…。」
「………承はともかく、京介ちゃんは学校もあるし、親御さんもいるから、いつまでもごまかしておけないわ。」涼子はカレンダーを見る。今日は月曜、図書館のお休みの日だ。
「……あともって二日が限度じゃないかしら。」
「……そうだね。じゃ、早くしないと。…今からホテルへ戻って…あ、僕も一緒でいいかな?」
「…当たり前じゃないの。あたしにあの三人をまかせるつもり…?」涼子は携帯で宿泊先のホテルに連絡をした。部屋の扉には『起こさないでください』。そうかけてあるが、いつ『死体発見!』となるかわからない。念のためフロントへすぐ戻るから、部屋はそのままでいいことを伝え、電話をきる。
「……行こう。もしかしたら、大変なことになるかもしれない。」茜也は今度こそ伝票をつかむと、レジへ向かった。