恐怖について
私たちは暗闇を恐れる、
安全圏であるべきはずの家で、夜の廊下を渡る時は早足になるように、夜の階段を登っている時に気配を感じて駆け上るように。
幽霊などはまやかしであり、仮に存在したとしても生きている人間より脅威は劣る、存在しない者、そのはずだ。
しかし人は暗闇で、そして独りである時にありもしない幽霊を心のどこかで信じてしまう。
私はそれが時たま疑問に思うことがあった、なのでこれを機に考察をしてみようと思う。
いきなり結論だが、私はこの恐怖を古代からのDNAに刻まれたものだと考えた。
古代の地球で人とは非常にか弱い生き物だった。
体は小さく、爪や牙は貧弱、力も弱い、弱者のカテゴリーに類していた。
暗闇では毎日のように捕食者に怯え夜を過ごしていただろう。
単独での行動は死に直結したのだろう。
その時の恐怖こそが今の私たちの恐怖に繋がっているのだろうと私は思う。
DNAまでに刻まれた恐怖は私たちが火を獲得し、文明を獲得し、火薬を用いるに至っても消えることは無かった。
恐れていた捕食者は今の人類にはいない、安全な寝床も手に入れた。ならばこの恐怖はどこに向いたのか。
それが人類に対し唯一対等な知的生命体である人類である。
幽霊も大雑把に言えば人カテゴリである、幽霊と言って犬や猫を想像する人は少ないだろう、大概が人の霊である。
だが揚げ足を取りたい人は化け猫や化け狐などの八日と呼ばれる存在はどうなるんだと思っただろう。
それに対するアンサーは一つ、
時代である。
人の恐怖の対象は時代によって異なる、現代ほど自然に対する防御ができていなかった時代は動物系の妖怪が多かった、化け猫や鎌鼬などがそうだろう、しかし現代の妖怪と言ったら八尺様、花子さん、テケテケと人間由来のものが多い、人面犬はギリギリ野良犬が問題になっていた時期というのもあってか犬の割合が強いが大体法則通りだ。
つまり人間の天敵は人間になってきたという事である。
恐れるものが同族になる程発展できた私たち人間を褒めるべきなのか、それとも傲慢と取るべきか、
まとめると恐怖とはDNAから来るものと敵のいない人類のそれが故の自己恐怖の合の子であると私は考察した。
こうなると人間は次に何を恐れるよう変化するのかがとても気になる私なのであった