夢部なので淫夢部員もあり……?
獏一族に取って栄養源の夢を奪うサキュバス。
その獏一族の一員である優夢が寝起きの目覚ましストップみたいな動きで怒りの猫パンチを繰り出す。
そしてぇ――
猫パンチを止め、人差し指を立てた獏天が詰め寄る。
「いいですか鍋くん、悪夢無き睡眠は魂を健全にするのですよ。健全な魂の精気が夢魔のご馳走ですからね。つまり、私がマズいの我慢して悪夢を取り除いた人間に、『いよっ待ってました』ってな具合に精気喰らいに行くんですよ。も~、憎ったらしいですよ~!」
「それが犬猿の仲っていう夢魔、ってかサキュバス?」
「そうなのですよ! いつもいつも、コバンザメみたいに私の行く先々に付いて来るんですよ~、ああ~思い出すだけで憎らしい~、憎らしい~」
そう言って、頭を抱え転がりまわる獏天、俺はそれを見て溜息をついた。
獏も今だ半信半疑なのに、サキュバスとかRPGのモンスターまで俺の身近に現れるなんて。
◇
「また酷い夢を見た」
「え~? どんな夢ですか?」
「それが憶えてないんだよな、これをお前に食べて欲しいんだけど、何故か部室じゃ見ないし」
「う~ん、すっごく食べたくないけど、どうしてもというなら、鍋くんの部屋で膝枕するけど……」
「い、いや、今に部室でも見ると思うから」
昼休み、俺と獏天はこんなやりとりをしながら、学生食堂の空いている席へ座った。
「しかし、夢を食べるだけかと思ったらリアルにそんなのも食べるんだな」
焼きそばパンのラップを剥がそうと必死に爪を立てる獏天。本当に勉強以外はまったく不器用だ。
「人間の食べ物って私にとって何の栄養価もなんですけど、味は大好きなんですよ~。アップルパイも大好きだし、この焼きそばパンも大好きなんですよ~」
でろでろになったラップをテーブルに置き、ほくほく顔で焼きそばパンを頬張った。
「ふーん」
気の無い相槌を打ちつつ俺もロースカツ定食へ箸を伸ばした。
「ぐっ!」
突如、獏天がくぐもった異音を放つ。
「どうした?」
「うっ、んがんぐっ!」
両手で首を掴む獏天へ慌ててコップの水を差し出した。それを受け取った獏天が一気に飲み干す。
「ぷはっ、助かったです。鍋くん」
一息ついた獏天が、俺の耳元に顔を寄せてきた。
「いたのですよヤツが~、それに驚いて喉に詰まらせそうになったのです」
「え、誰がいたって?」
「夢魔ですよ、サキュバスですよ~、ムキー!」
「え、どこ?」
そろりと獏天が伸ばした指先へ俺は目をやった。
賑わうテーブル、人と人の隙間の向こうに、長髪の女子がサンドイッチを手にしている姿が見える。
切れ長な目、陽光に輝く黒い長髪、サンドイッチを食べる度ナプキンで口を拭く几帳面さ、そして豊満な胸。
あんな素敵な人が俺の夢に入り込んでたのか……とはいえ何で夢の中ではまな板の胸だったのだろう。あんな豊満な胸してるのに……。
そんな邪まな視線に気づいたのか、長髪女子がジロリとこちらを睨む。
「やばっ、こっち睨んだ」
「え? 鍋くん、誰見てんですか~! パンの人じゃないですよ、カレー食べてる方ですよ~」
「カレー食べてる方? ああ、長髪女子の隣か……って、ええ!?」
本当のサキュバスは全然妖艶ではなかった。
小柄でガリな体型の上物凄い猫背、肩まで伸びたボサボサの髪はサイドテール、アニメでしか見たことが無い分厚いメガネ、とどめにまったくサイズが合って無いブカブカの制服。あんなのが俺の夢に入り込んでたのか……うぇぇ、マジ信じらんない! 勘弁して欲しい、いやマジで!
「……おい獏天。本当にあれがサキュバスなのか?」
「日本人に容貌を変えているけど、私のザ・バクアイで正体は丸見えです、間違いないですよ~」
「ザ・爆愛? どっかのアイドルグループの曲か」
「何を言ってるのですか鍋くん~、漠の目ですよ~、どんな変身も全て見破る人知を超えた獏の目、それがザ・バクアイなのです」
「ふうん。っていうか俺の中でサキュバスは妖艶なお姉様さまってイメージだったんだけどなあ。あれ色気も何もないガリメガネじゃないか」
「鍋くん、そういうお色気満点な夢魔とは、有名人や政財界の実力者の精気を吸っている上級夢魔なのです。奴は全然下級の夢魔ですからあの体形が限界なのですよ~」
その下級夢魔にコバンザメされてるお前はどうなんだよ!? と思ったが口には出さなかった。
「ふーん、しかしカレー食ってるけど、サキュバスも人間の食べ物好きなのか?」
「らりひゃはは、夢魔は幽体で精気を、現実体で食物を取らないといけないんですよ~。な~んて面倒な構造体なんでしょうね~。その点私めは夢があれば生きていけますから、えほん!」
誇らしげに慎ましい胸を叩く獏天からサキュバスへ目を移した俺は小さな溜息を吐く。
あんなガリメガネが獏天に成りすまし、夢の中で俺に手足を絡めてきたとはどうにも信じられなかった。
◇
「くわぁー! 今日も悪夢をいっぱい片付けたですよ~。グッジョブ私! ですよ~」
「三人しか来なくてグッジョブもないと思うぞ」
「お仕事の本質は数ではなく、内容の濃さですよ。ままま、そういう訳で私めにささやかなご褒美、鍋くんのデリシャスドリームをご馳走してくださいよ~」
ピシャリと額を叩いた手をほっぺに当て、顔と腰を左右に振りながら、獏天が夢のおねだりをしてくる。
今回こそ、記憶に残らない例の悪夢を見て、それを食べて貰いたい。
つーかそれを食べて大いにマズがって欲しい。と、思ったその時、部室の戸を叩く音がした。
「はーい、どうぞぉ」
来訪者へ声を掛ける俺に、非難めいた調子で、ぶーっと獏天が唇を震わせる。
「あ!?」
「うぇっ!」
開かれた戸を見た俺と獏天が同時に声を上げる。
そこに立っていたのは食堂で見たガリメガネのサキュバスだった。
「頼もうー! でわなく、でわなく、拙者夢部へ入部希望でござる。しゅきーん!」
分厚いメガネを指で押し上げると、どっかで見た戦隊モノのポーズを決めるサキュバスに体が固まる。そんな俺をよそに漠天が噛み付いた。
「こんにゃろですよ~、私にコバンザメの夢魔風情が、何ぬけしゃあしゃあと入部希望してるんですよ~」
「おお、拙者のはらから! 是非に及ばず、さあこの入部届けを受け取るでご……」
「誰がはらからですか~! こんにゃろこんにゃろ!!」
余程腹に据えかねていたのだろう、百メートル走でも見せた事が無い速さでサキュバスに駆け寄った獏天が両腕を振り上げ、頭頂部をポコポコ叩き始めた。
「止めるでござる! 止めるでござる!」
「飛んで火にいる夏の虫ですよ~! 積年の恨み、思い知るですよ~!」
本人は必死なのだろうがヘロヘロと繰り出される両拳はまったく痛そうに見えない、しかもほとんど当たってない。
それなのにサキュバスが徐々にうずくまり始めた。
小柄でガリだけにダメージは深刻らしい。
「ちょっ、止め」
獏天の両手をいとも容易く掴んでこの事態を収めた。
「な、何で……ゼーゼー、止めるんですか~、な、鍋ゼーゼー……く、ん」
大きく肩で息をする獏天を横へ移動させてサキュバスの前に立つ。
「ねえ、君ってその……この人と知り合い? というか、サキュバスって知ってる?」
両手で頭をガードしてしゃがみ込んでいたサキュバスが立ち上がるとアニメのお子様みたいな声で勢いよく喋り出した。
「あいや、拙者がそのサキュバスでござる。その獏とは持ちつ持たれつの、いわば水魚の交わりな、古い古い付き合いの間柄で……」
「誰が水魚の交わりですか~! それ言うなら三顧の礼に来てくださいよ~! ふぎゃっ、鍋くん、その手を放してください~」
またもや殴りかかろうとする獏天のアホ毛を掴み行動を封じた。
「いやいや、助かり申した。拙者、一年三組、咲馬ノワル(さくばのわる)と申しまする」
ちびっ子兵隊のように敬礼した。
「あ、俺は……」
「むひひひ、知ってるでござる。鍋島卓巳殿、通称鍋くんでござろう? 拙者の変化した獏に淫らな欲情をたぎらせていたでござるな、むひ」
左手で口を隠しつつ右手をひらひら上下させた咲馬が笑いを堪えるよう体を震わすと俺と獏天を交互に見た。
「こんにゃろーは、鍋くんの夢に入り込んだ時に、こっそり記憶をのぞき見して鍋くんや私の名前を入手してるのですよ~」
「むひ、むひ、拙者の忍びの術にかかれば個人情報など容易いでござる。むひ」
「驚いたな、本当にサキュバスなんだ」
「だからそう言ったでござろう。夢主の好いておる女性の姿になり、精気を頂くセクシーな魔の眷属、それが拙者ことサキュバスでござる。むひー!」
自分の言葉に得意気になったのか、両手を腰に当てると園児遊戯のようなスキップダンスを始めた。
それを見ながら俺は『夢主の好いている女性の姿になる』という部分に首を傾げる。
「ちょっと待て咲馬、獏天の姿になって俺の夢に現れたってのは……」
「卓巳殿はその獏が好きなのでござろう? 記憶の中に女性の姿は、その獏とお主の母親しかおらなかったでござる」
「そ、そんな~、な、鍋くん……わ、私獏ですよ~。こ、困りますよ~、らりひゃ~!!」
顔を真っ赤にした漠天が頬に両手を当てると左右に体を揺らし始めた。
「獏と人間の許されざる恋! むひひっ! これは萌え~! 萌えでござる!」
何てこと叫んでんの! このサキュバスは。うわ、今度はコサックダンスを始めた! しかも早くて上手い! 何なんだ~、この展開は。
……母さん以外、部室とはいえ女性と二人きりになったことないからな。おそらくその記憶を勘違いしたんだろう。つーか、人外二人と一緒に何をやってんだ俺は。
「……ところで咲馬。もう一度聞くけど何で入部しに来たんだ? 今度は本音で言えよ」
」
コサックダンスを止めた咲馬がシャキっと直立不動の姿勢になった。
「わかり申した。本音で言うとでござるな。ここ最近、精気が少ない人間ばかりになって、ひもじい生活を続けていたのでござる。そこで、獏部長殿の側におれば、精気を吸える人間にありつけると思ったからであります!」
そう言って再び敬礼した。
「これまた今回は露骨に近づいてきたですよ~、まったく厄介な~。どうしてやりましょうかね~、鍋く~ん?」
両手を握り締めた漠天が俺と咲馬を交互に見る。
それに答えずこう言った。
「つまり、獏天が悪夢を食べて、健全になったその人間の精気を吸おう、そういう魂胆か」
「むひ、理屈上はそうでござるな」
理屈も何もそのまんまだろ。何、この人外タッグコンボ構想。
「ところで精気吸うってこっちが眠ってる時だろ、相手が中々眠らなかったらどうするんだよ。つかストーカーみたく相手の家の前で隠れてじーっと眠るの待ってたりするのかよ?」
「むひひ、拙者ら夢魔もそこまで暇ではござらんよ。こう、スパーンっと眠らせる術を持ってるでござる」
「へえ、どんな?」
「接吻でござる」
「はあ? ヤバイだろそれ、そもそも簡単に接吻なんかさせないだろ普通」
「何百年も生きているので隙を見て接吻するタイミングというものを身に付けているのでござる。例えば――鍋どの、肩に汚いシミがあるでござるよ?」
「え? どこ?」
と言いつつ唇を狙ってひょっとこみたいな顔を突き出す咲馬をサッとかわした。
「そんな手に引っ掛かるヤツいるかよ」
「むひょー、薄汚れた心の鍋殿には通用しないでござるか……」
「じゃあ薄汚れた心の人間の精気を吸うなよ。まあいいや、それは置いといて……精気を吸うってのはどうにもヤバい感じがする。ミイラ化、みたいな」
「あいや、そんなに吸ったら拙者破裂してしまうでござる! ちびっとでござる、つゆだく特盛り牛丼を一口頂く位でござる」
「そうなのか、獏天」
「う~、こんにゃろは下級夢魔だからその程度しか吸えないんですけど~。やっぱり嫌です~、人の仕事を汚されるみたいで~」
獏天が不満気に口を尖らせた。
その気持ちは何となくわかる気もする。でも人に深刻な被害を与える奴じゃないみたいだし。それに何よりも――――
「部員が一人増えるじゃないか」
苦虫を噛んだような獏天の顔が、あっ! という顔になる。
「むひひ、入部させるしかない状況なのも知っているでござる」
それにプルプルと体を震わせた獏天が、
「入部、に、みとめますよ~。こんにゃろ~」
と絞り出すように言った。
「やったでござる! これでひもじい精気吸い生活からおさらばでござる。安定を手にした拙者は勝ち組でござる~! むひっ、むひひー!!」
今までかなりの精気不足に陥っていたのだろうか。
吹けば飛びそうなチビガリ体をくるくる回し、バンザイして喜んでいる。
「むひひー! むひっ!?」
チビガリで回転が出過ぎたメガネが顔からすっ飛び、床に転がった。
「ああ、メガネメガネ」
四つん這いになってメガネを捜す咲馬。
俺は転がっているメガネを拾った。
「はい」
アメンボのように床を撫で回す咲馬の肩を叩く。
「あ、かたじけないでござる」
こちらに手を伸ばす咲馬を見て俺は驚いた。
大きな瞳の色が左右で違っていた。右は普通の黒で、左はアメジストのような紫。
その瞳が分厚いメガネで隠れる。
「む、どうかしたでござるか? 鍋殿」
「いや、その、片方の目、色が違ってない?」
咲馬が顎に指を当てニヤリとする。
「オッドアイでござる。現実体を日本人化する際、日本文化をいろいろ調べ、これに決めたでござる。萌え~であろう? 小さい体に、大きめなこの制服も萌え~であろう?」
このサキュバス、どんな日本文化参考にしたんだ? 誰をターゲットにした萌えだよ。
「ああ、それいいな~。私ももっと調べてから決めればよかったですよ~」
自分の顔や体を手で触れた獏天が考え込むように人差し指を額に当てる。
いやいや、お前がこんな恰好してたら絶対俺この部に入らなかったから――――とはいえ新しい部員が一人増えたのは良かったというか何というか……ん? なんで俺が部員増えて喜んでるんだ? つーか、仮入部のままだし俺。
意を決してくそ真面目な相手に馴れ合いギャグを放ったら
え? いやその
な次話。