“読み易い小説”と“読み難い小説”の話。
「小説投稿するなら“文章のルール”を守ろう」という内容のエッセイを拝読しました。
一読み手からしてみると、これは確かにその通りで、この“文章のルール”があまり守られていない作品は読み辛いのも事実なのです。
個性だ、という方もいらっしゃるでしょうし、「御尤も」なご意見なので、そのオリジナリティを大事にしたい方はそれはそれでいいのですが、ただ、大方の読者の同意は得られないでしょう。
同じぐらいの面白さの、“読み易い小説”と“読み難い小説”があれば、大半の方は“読み易い小説”を読むはずです。わざわざ“読み難い小説”を選択はしません。
また“読み難い小説”は読み続けることが苦痛になっていくので、読むことを途中でやめる場合もしばしばあります。
「他の面白くて“読み易い小説”を探そう」
と私なら考えます。
「多くの人に読んでもらいたい(読み続けてもらいたい)」と考えるなら“文章のルール”は守った方がいいのではないでしょうか。
しかし、これが「小説家になろう」内でも厳密にそうすべきなのか、と言われると私は肯定できないのです。
所謂“文章のルール”は「書籍」では守られてしかるべきものであるとは思いますが、「小説家になろう」ではそのルールは適用されていません。
例えば、「インデント(字下げ)」の場合、この「なろう」では「入力補助機能」で一括変更できますが、「強制」ではありません。
その辺りは投稿者の自由となっています。
私からすれば、字下げされていた方が“読み易い”のですが、されていないからといって非難する気にはなりませんし、運営様から罰せられることもないでしょう。
何が言いたいかというと、少なくともこの「なろう」では杓子定規に“文章のルール”を守らなくてもいいのではないか、と私は考えています。
投稿者が「多くの人に読んでもらいたい」と考えるなら、“文章のルール”は守られていた方が“読み易い”とは思いますが、「絶対順守」とまで言うことはないのではないでしょうか。
「加減」が重要なのです。
「地の文」が全編「口語」の小説は正直読む気になりません。けれども、要所要所で「口語」が使われる分には問題ない、と私は読み手ながらに考えています。「語り手」の「感情の爆発」の表現としてはわかりやすいと考えているからです。
書籍化された一般小説なら苦言を呈されても、無料で読める「ネット小説」なら、そういう「おおらかさ」も許されてもいいのではないでしょうか。