僕の初恋#3
さよがお盆に乗せた烏龍茶を運んできた。
グラスの氷は音も立てず、静かに手元に置かれた。
「ありがとう」
僕はありったけの気持ちを込めた笑顔と声で、さよに言った。
さよはこちらにわずかに視線を合わせたが、深く頭を下げて「とんでもございません。失礼致します」と告げると、顔を上げた時には視線を合わせることもなく立ち上がり背を向けた。
やはり、僕は避けられてるのか。
それともただの自意識過剰か。
けれど、目を伏せていたさよの長い睫毛も、伏した顔も美しくて、僕はやはりさよの背中をただ愛しく見つめていた。
食事も終盤にかかり、僕はまだ、ただ彼女を目で追い続けていた。
このままお開きになれば、もう彼女に会えることはないだろう。
もう二度と。
僕の中で、何かが叫ぶ。
どうしたらいいのか。
僕は気づかれないように、時間があったら読み込もうとしていた台本の端をちぎった。
そして、ジャケットのポケットからペンを取り出して素早く自分の携帯番号を書き込んだ。
それを小さく折り畳んで手のひらに握りしめた。
これなら仕事中のさよでも受け取ってくれるかもしれない。
そう思いながら、掌の小さなメモを見ておかしくなる。
自分がなんでこんなに必死なのか。
しかも、かなり前時代的な方法。
そうは言っても仕方がない。
僕は、お手洗いに行くフリをして席を立った。
廊下に出るなり、その迷路に迷い込んだ錯覚に落ち入る。
案内された時は気にもしなかったが、四方から伸びてどこまで続くか分からない廊下。
お手洗いさえどこか分からない。
もちろん、さよの姿もどこにも無い。
すると、向かいの部屋から一人の仲居が出て来た。
「あの」
僕が話しかけると、彼女は僕が早瀬涼であることに気づいたようで、小さな悲鳴を上げて顔を赤らめた。
「すみません。あの、」
さよの居場所を聞き出そうとしたその時。奥の座敷からさよが姿を現した。
僕はその仲居に「あ、大丈夫です」と、よく分からないことを言って頭を下げるとさよの方へ向かった。
「さよさん」
僕の呼びかけにさよは振り向いた。
驚いた顔をして僕をみていたが、すぐに「お客様、どうされましたか」と仲居の顔に戻る。
僕はさよの右手を両手で掴むと、携帯番号を書いた紙をねじ込んだ。
さよは目を見開いて自分の右手を、それから僕を見た。
「あの、困ります」
さよは掠れた声で答えた。
きっと今までも、この手のアプローチは受けてきたのだろう。
この瞬間にも、さよは僕の気持ちを察したのだ。
僕がさよに声をかけようとした時、マネージャーの声がした。
「涼さん、新幹線の時間ギリギリです。行きますよ」
「今行きます」
僕はマネージャーに答えてから、さよに「連絡下さい」とだけ伝えて立ち去った。