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第94話 そして剣は振り下ろされた

命を使うと書いて「使命」

 狭く薄暗い地下牢の中で、男は静かにその時が来るのを待っていた。

 ここは地下深くに作られた牢獄だ。今が朝なのか昼なのか、それとも夜なのか? 世界から隔絶された彼には、何一つ分からない。

 王子が去った後も男は眠らなかった。いや、眠れなかった。いくら腹を括ったとはいえ、この期に及んで高いびきをかいて寝られる程の大人物ではないことは、自分が一番よく知っている。

 男はちらりと牢の外を見た。鉄格子の向こうでは二名の見張りの兵士が、直立不動で自らに与えられた使命を全うしている。

「使命……か……」

 狭く薄暗い地下牢の中で、男は静かにつぶやいた。


「……時間だ。起きろ」

 そう声をかけられ、男は不意に目を覚ました。どうやらいつの間にか眠ってしまったようだ。

(……処刑を目前にして寝てしまうとはな)

 思いがけない自らの神経の太さに、男は思わず苦笑する。その時、コツコツという音が地下牢内に響いた。何者かが階段を下りてくる音だ。鉄製の扉を開けて現れたのは、笑顔を張り付けた勇者だった。勇者は見張りの兵士に声をかけると、真っ直ぐに牢へと向かって来た。

「よぉ、気分はどうだい? よく晴れた爽やかな朝だぜ。おっと、ここじゃあ外の天気なんか分からないか。待ってな、すぐに出してやるからよ。こんな薄暗いところで野垂れ死ぬより、青空の下で華々しく散りたいだろ?」

「勇者殿! あまり近寄らない方がよろしいかと……」

 嫌味を述べながら牢の中を覗き込もうとした勇者を、見張りの兵士が制止する。勇者は兵士をジロリと睨み、そして問う。

「……俺に指図しようってのか?」

「いえ、そうではありません。どうやらこの者はタチの悪い流行り病に罹ったらしく、体調を崩しているようでして……。見張りをしていた兵士の中には、体調不良を訴えて寝込んでいる者まで出る始末です」

 兵士の言葉を聞いた勇者は、訝し気につぶやいた。

「流行り病ねぇ……。処刑を遅らせるための演技じゃねぇのか?」

「その可能性も考えられますが……実害が出ている以上は無視することはできません。それにいくら病を偽ったところで、本日の刑の執行は誰にも止められません。これは決定事項ですから」

 そう言うと兵士は、牢の鍵を取り出した。さらに兵士は勇者に告げる。

「これよりこの者を広場へと移送します。念のため、勇者殿は離れていてください。勇者殿まで体調を崩されては大変ですから」

 兵士は勇者を牽制すると、鍵を開けて牢の中へと足を踏み入れた。

「大人しくしていろよ」

 兵士は念を押すようにそう告げると、抵抗できないように男の両手を後ろ手に縛ろうとした。だが、どういうわけか兵士は指先を震わせ、なかなか縛ることができない。不審な動きに勇者は声を荒げる。

「おい、どうした! 何をやってる!」

「も、申し訳ありませ……」

 兵士は声を詰まらせ、体の震えも収まらない。明らかに尋常ならざる様子だ。勇者が不審を抱くのも当然だろう。

「……どうやらこの者も病を移されていたようです。もしかすると、私もすでに感染しているかもしれません。我々は一晩中、見張りをしておりましたから」

 もう一人の兵士の言葉に、勇者は慌てたように後ずさりをする。

「だ、大丈夫なんだろうな……?」

「今のところは問題はなさそうです。この者も体の震えの他には異常はないようですし。ただ……やはり先程も申し上げた通り、これ以上は近寄らない方がよろしいかと」

「チッ、分かった分かった! なら、さっさとそいつを連れて来い。逃げられるようなヘマはするんじゃねぇぞ」

 勇者は不機嫌そうに舌打ちをすると、ぶつくさと言いながら引き上げていった。

「……どうにか誤魔化せたみたいだな」

 勇者が立ち去ったのを見届けた兵士は安堵したように溜め息を吐いた。一方の体を震わせていた兵士は、声を詰まらせながら男に声をかける。

「す、すまない……本当に……」

「いや、いいさ。お前にとってもオレにとっても、これが"使命"なんだからな」

 男は静かな、しかし力強い口調でそう返した。


 それから程なくして、男は都の広場へとやって来た。両手を後ろ手に縛られ、頭には顔を覆い隠すように麻布の袋を被せられている。視界を遮られているため一人ではまともに歩くこともままならず、両脇を二名の兵士に抱えられるようにして男は歩く。

 各地点には何名もの兵士が配置されており、不測の事態に備えて警備に当たっている。とても逃げ出せるような状態ではないにも関わらず、厳重な警備態勢が敷かれているのは政治的な判断だろう。

 今回の処刑は勇者直々のご命令だ。仮に失敗しようものなら、勇者は何をしでかすか分からない。怒りに任せて、(ベシス)滅ぼすという暴挙に出る可能性も十分に考えられる。この厳戒態勢は、必ず処刑を執行するという王の意思の表れなのだ。それは即ち、今から数分もしない内に男は確実に命を落とすということに他ならない。

「処刑台に着いたぞ。ここからは階段だ。踏み外さないように気を付けろよ」

 広場の中央に設置された処刑台の側に着くと、兵士は男にそう告げた。一歩、また一歩と男は処刑台の階段を上がっていく。男が段を上がる度に観衆の沸き立つ声が聞こえてくる。見えはしないが、相当の人数が集まっているのだろう。

 幼い頃に母から「人は死んだら天井の国に行く」と聞かされたことがあった。だとしたら、この階段は天上の国へと続いているのだろうか?

 そんな子供じみた空想をしながら階段を上がっていると、兵士に肩を叩かれた。

「階段は終わりだ。上に着いたぞ」

 麻袋を通したガサガサとした声が耳の奥に響く。それはつまり死の宣告。いよいよ訪れた最後の時。

「何か言い残すことはあるか?」

「……いいや」

 台の上で待ち構えていた処刑人の問いに、男は言葉少なに気丈(クール)に答えた。

「そうか。なら、その場に跪くんだ」

 そう命じられた男は抵抗することもなく、素直に指示に従った。処刑人は男を顔を覆っていた麻袋を外す。

「うっ……」

男は眩しさに思わず顔をしかめる。数秒後、視界を取り戻した男の目に飛び込んできたのは、興奮した様子の観衆の姿だった。

 今まさに目の前で人が殺されようとしているにも関わらず、人々は目を爛々と輝かせている。そこには処刑に対する恐怖や嫌悪感はまるで感じられない。彼ら一般大衆にとって公開処刑は畏怖の対象ではなく、一種の娯楽に過ぎないのだ。この処刑の裏にどんな思惑があろうと、そんなことはどうでもいい。彼らにとって大事なのは、この刺激的な見世物がどれだけ自分たちを楽しまさせてくれるかの一点のみだった。

 その光景を見た瞬間、男の心臓は音を立てて騒ぎ出した。暑くもないのに大量の汗が噴き出し、腫れ上がった顔を流れ落ちる。

「はぁはぁはぁはぁ……!」

 男は浅く早い呼吸を幾度となく繰り返す。さっきまで聞こえていたはずの周囲の雑音を全て消え去り、耳に響くのはバクバクという心臓の音だけだ。

 胸が痛い。息が苦しい。

 死への恐怖。生への執着。突如として訪れた体の異変は、生物としての正常な反応だった。

「嫌だッ!! 死にたくない! 死にたくない!」

 男は叫んだ。与えられた"使命"を果たすために覚悟を決めたはずだったが、恐怖という原始的本能には抗うことはできなかった。

 暴れ出した男の身体を、二名の兵士が必死に押さえつける。処刑人は男の抵抗に動じることなく剣を抜くと、高々と振りかざした。歓声がより一層強まる中、男は再び叫ぶ。

「お、オレは何もしていない! オレは悪くない! 殺される筋合いなんてないんだッ!」

 男は半狂乱になりながら、情けない声で絶叫した。

 覚悟はできていた。だが、それはあくまでも敵と戦って死ぬ覚悟であり、罪人として首を刎ねられる覚悟ではなかった。

「オレはまだ死にたくないッ! こんな形で死ぬなんていやだーーー!」

 男の絶叫が木霊する中、処刑人は容赦なく剣を振り下ろした。処刑人の放った鮮やかな一閃は、寸分の狂いもなく男の頸椎を捉えた。刹那、男の首からは勢いよく鮮血が噴き出し、ごとりと鈍い音がした。


『ワァァァァァァァ!!』


 執行の完了を見届けた観衆は、この日一番の大歓声を上げた。歓声に掻き消された男の最後の叫びを耳にしたのは、処刑人と二人の兵士だけだった。

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